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ひとり言020 ブログ投稿開設一周年 おかげさまで、ブログ投稿開設して一年を迎えました。 その間、沢山の方々が、つたない私のブログをご覧くださり、コメントをお寄せくだり、 本当に有難うございます。 どこまで続けられるやら、不安で開設いたしましたが、 皆々様のご援助により、此処まで来られましたこと、あらためて感謝申し上げます。 振り返ると初め、ブログ投稿はボケ防止になるのではと考え、 人間80年やっていると色々の事があったので、少しはお話させて頂こうかと思っていましたが、 本人にとっては重大事であっても、他人から見ればドウデモヨイことでもあり、 興味をそそる話に表現できず、つたない私の文章力では到底表現できないことが分かり、 放り出してしまったりもしました。 では何か他のものと思いますが、老人のこと、なかなか頭がスムーズに回転しません。 老人にとって、何かの日課があることが大切で、 それが生きがいの様な物であれば、それは「幸せ」とでも言えましょう。 ブログ投稿して、正に実感した次第です。 自分が投稿したブログを、何人かの方々がご覧になって下さる。 そのことで、今とても「幸せ」を感じているところです。 今、デジカメを持ってブログの投稿記事の取材をしています。 初めは毎日の散歩の時。 それが、次はチョット足を伸ばして、あそこに此処に。 今では自転車で5km先、10km先、時には15km先まで出かけるようになりました。 東京都内に用事があると、用事を済ませたら5km、10kmと徒歩で記事取材。 そのことが楽しくなりました。 また「日々健康」にも成っているのです。 ですから「幸せ」なのです。 薬ものまず、医者にも行かず。 ブログに掲載したように、02年7月大腸ガンを手術し、5年後の生存率40%以下と 宣告された事など、今ではすっかり忘れてしまっております。 一人でも私のブログをご覧になって下さる方が居る限り、 「幸せ」を感じて投稿し続けるつもりです。 閲覧下さる一人一人の方々に、ご返事を申し上げていない御無礼を、 この場をお借りしてお詫び申し上げます。 今後とも、よろしくお願い申し上げます。
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無題・ひとり言
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ひとり言019 気概を持つことの大切さ 青森の「じょっぱり」、石川の「いちがい」、大阪の「きばる」、徳島の「がいな」、 高知の「いごっそう」、熊本の「もっこす」、鹿児島の「ぼっけもん」、まだまだ、 それぞれのお国言葉が有りますが、これらは「気概」、 すなわち「困難にくじけない強い意気 (広辞苑)」を表す言葉です。 「気骨」とも言います。 「意気地(いきじ)」とも言います。 とにかく、自分の信念を忠実に通す意気・気性で、容易に人の意に屈しない人を言います。 また、自分の思うことを押し通す、貫徹しようとする意気・気性。 あるいは困難を乗り越えて行こうとする気性・意気に通じます。 気概があるかどうかで、その人の本質が評価されます。 「人間として尊敬できるかどうか、それを判断する基準は気概である」 とまで 言い切る人さえ居ます。 それほど気概を持つことが大切なのです。 しかし、この「気概」は、時には間違った使い方が、なされております。 多くの人が、意識してか、あるいは無意識のうちに「気概」ではなく、 「強情」、「頑固」なるものとして、表現・発揮されるのです。 その度に、人からひんしゅくをかいます。 女性から嫌われます。 特に「頑固オヤジ」は鼻つまみ、最愛の妻から、子供からも痛烈に批判され、見放されます。 それでも本人は「キガイ」を持って居るものと認識して、 ますます「強情」、「ガンコ」を押し通します。 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」 やはり本当の「気概」、「気骨」、「意気地」を持つことが大切です。
最近は「気骨・気概」のある人物が少なくなりました。 |
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ひとり言018 チャンスは努力、反省 ことわざの辞典を開くと、いろいろ面白い言葉に当たる。 まさに、ぱらぱらとめくって、出たとこ勝負に次の言葉があった。 「待てば海路の日和あり」 たとえ天気の悪い日が続いていても、そのうち晴れて、出船にふさわしい天気になるという ことの意味。 「急ぐばかりが能じゃない」 「果報は寝て待て」 時として、 「タナからボタモチ」 実際チャンスほど、有りそうで無さそうなものはない。 チャンス、チャンスと目をサラのようにして狙っても、チャンスがやって来るとは限らない。 「チャンスの神は前髪だけで、後ろ髪がないので、前髪を捕まえなさい」 と言われるが、 目に見えないものですから、摑もうにも掴めない。 だが、摑もうと思わなくても、時には掴める不思議な物なのです。 これがチャンスなのです。 「待ちぼうけ」 という歌があります。 中国の民話ですが、昔、中国の農民が、ある日、セッセと野良仕事をしていました。 そこにウサギが跳んできて、コロリ転がる木の根っ子。 ウサギは跳んで出て来たら、人がいたのでびっくりした弾みに、木の根っこにぶつかり気絶、 農民は難無くウサギを仕留めました。 それからこの農民は、毎日毎日この木の切り株に、またウサギがぶつかって、 気絶するかも知れないと、張り番し待ち続けました。 野良仕事を放り出して!! これがチャンスです。 グッドチャンスです。 だが、これはやはり何だか違いますね?? おかしいですね?? こんなことがグッドチャンスを掴んだという事にはなりませんよね。 確かに時には、思わず知らずに、掴める運もあるでしょう。 だがやはり、グッドチャンスを掴むには、平素の努力、平素の反省、 正しい生き方をしている人に、チャンスは巡って来るものです。 イチローさんも、遼君も、血の滲む様な努力し、奮起し、反省し、また努力し、反省した結果が、
チャンスを掴み、栄光を掴んだのです。 ただチャンスを待ったのではない。 チャンスを発見し、自らチャンスを作ったのです。 経済情勢が不安定な時代。 やはり努力する人が、機会を掴みます。 励みましょう!! この不況に対処するように!! |
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ひとり言017 王之渙の詩 盛唐の詩人・王之渙(688-742)の辺塞詩の一節に 「欲窮千里目 更上一層楼」 (鸛鵲楼(かんしゃくろう)に登る(広辞苑))という言葉がある。 「千里の目を窮めんと欲し、さらに上がる一層の楼」と読む。 これを色紙に書いて残したのは、中野正剛である。 中野正剛は早稲田大学出身の政治家で、太平洋戦争の最中の昭和17年、 時の東條英機内閣を痛烈に批判して拘束され自決した硬骨漢である。 正剛の小学校の恩師・柴田文城先生は、子供達を山に連れて行って、 「山に登れば景色が良く見えるように、自分の見識が深まれば、 障害になっていたものも、自分の味方になる。 自分を妨害する者を敵とせずして、 自分の見識を高める者と思って、自分を磨かねばならない」 と教えたという。 このことは、拙述「ひとり言 希望」に記載した、二宮尊徳翁の言葉に共通するものである。 正剛はこのことを忘れず、王之渙の詩を愛吟したものと思われる。
この色紙は、子息の中野泰雄アジア大学名誉教授の手元にある。 |
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ひとり言016 希望 人生に希望が無ければ、むなしい限りです。 人生に理想が無ければ、これもつまらない。 人生に勇気が無ければ、何をやっても立ち遅れてしまう。 大いなる希望を抱き、大いなる理想を踏まえ勇気を奮って、人生を乗り切ろうではありませんか。 今こそ、この困難な時代であるからこそ、その心が必要なのです。 くじけず、たゆまず、前進してこそ、すべてが叶うのです。 「希望は、それを求める人を裏切らない」 という言葉がある。 「青年よ、大志を抱け」 ということも、希望を抱いて、人生の荒波にめげず直進せよと いう事です。 希望も理想も大きいほど良いのですが、なかなか理想道理にはいきません。
希望も理想も、夢に終わることの多いのが現実です。 山が高く見えるうちは、勤めて登るべし。 登り詰めれば、外に高き山は無く、四方ともに眼下なる如し。 この場に至りて、仰ぎていよいよ高きは、天のみなり。 ここまで登るを修行という。 天の他に、高きものありと見ゆるうちは、勤めて登るべし、学ぶべし。 この言葉は、かつて各学校に石像として、安置されていた二宮尊徳翁の言葉である。 |







