なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

散策・さいたま浦和

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   東浦和とその周辺 その13
     見沼田んぼ 散策案内

   無量寺

   大崎公園の近く、国道463号線と見沼代用水東縁散策路との交差するところに無量寺はある。
   福聚山光明院無量寺といい、真言宗智山派
   寺伝によれば、大阪城落城の折、東国に下向した武士の一党が、当北原村落に入植し、
   先住者と共に村興しを始めた元和元年(1615)源應法師により開山したとある。
   旧北原村は日光御成街道の大門宿の南西に在り、
   中仙道浦和宿と大門宿を結ぶ間道(現在国道463号線)と、
   しかも見沼代用水東縁の見沼通船堀荷揚場を有する好立地でもあり、発展を遂げた村である。
   無量寺は江戸期幕府領内にあって、
   密蔵院(川口安行原)、長福寺(浦和間宮現在廃寺)につらなり、
   隆盛と安寧を念じた村落の信仰の中心を担っていた。
   御本尊は如意輪観音を奉安し、境内に連立安置する六阿弥陀仏像は、
   往時の阿弥陀信仰を物語るものである。
   寺は見沼田んぼを見下ろし、好天のときは富士の霊峰を遠望できる場所と親しまれた。

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     六阿弥陀仏立像 往時の阿弥陀佛信仰を物語る六体の地蔵尊

   現在、寺の名物として、本堂横に七福神の立像があり、参詣客を楽しませてくれる。 
   ユニークな御顔をしています。  
   お正月の宝船、この七福神と乗り合わせたら、さぞ楽しいでしょうネ。

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     一番の奥の大日如来像 と 以下の七福神像

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   なお一層の御利益を願うならば、裸足で千里の道を歩いて御参りするに等しい、
   この道を通れば良いのですが、靴に慣れた足には、たったこれだけの道でも、
   難渋苦汁・針いばらの道ですヨ。

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      七福神縁起

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   東浦和とその周辺 その12
     見沼田んぼ 散策案内



   市民の憩いのための施設 と 市環境センター(クリーンセンター)

   国道4号線の越谷市から、途中見沼田んぼを横切り、国道17号線までの国道463号線は、
   同じく越谷市から平行するバイパス線を建設し、見沼代用水東縁と西縁の間の見沼田んぼを、
   橋梁式の「見沼大橋」にした、有料バイパス線が開通している。
   見沼田んぼを横切る国道463号線には、
   旧浦和市のごみ焼却場であるクリーンセンターが建設され、
   環境に配慮する施設、市民の憩いの場所とするリクリエーション施設として、
   大崎公園、子供動物園、園芸植物園、農業研修センター、緑地帯、浦和養護施設、
   障害者福祉施設、老人介護施設、見沼ヘルスセンター、浦和くらしの博物館民家園などなどの
   施設がある。
   大崎クリーンセンターの市施設以外に、民間工場が数社、国道463号線を挟んで
   操業しているが、これ以上の建設許可は見合わせ、環境を配慮した企業であってほしい。



   大崎クリーンセンター(環境センター)と 市民広場 及び 見沼ヘルシーセンター

   ごみ処理施設として建設・稼動している。 
   環境に配慮した市民のための施設を、配置してある。
   見沼ヘルシーセンターは環境センターの熱源を利用し、浴場を持つヘルスセンター、
   冬季温水プールや、健康ランドとして、市民憩いの施設。

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   さいたま市クリーンセンター裏に広がる付属の緑地帯・市民の広場


   大崎公園 と 子供動物園

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     大崎公園入り口の子供のモニュメント

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     中央の芝生の広場

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     子供遊戯のある広場

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     ジャブジャブ池で戯れる子供たち  やっぱり夏はこれにかぎる!!!

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     動物ふれあい広場


   園芸植物園

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     園芸植物園の温室  見沼代用水東縁に掛かる橋

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     園芸植物園の案内板、開園時間、休園日、緑の相談

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     園芸植物園に植えられている樹木、草花の楽しめる開花季節の目安一覧

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     園芸植物園の温室施設入り口

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   見本庭園展示場  
   概算予算で、どの様な庭園が出来るかの目安が判る見本庭園30例ばかり展示。
   この一帯は、昔より植木の産地として、全国的に知られている。
   従って植木生産者、造園業が盛んである。
   首都圏の需要が活発であったためである。  どの様な庭を造りたいですか??

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   浦和くらしの博物館民家園

   浦和くらしの博物館民家園は、環境センター(クリーンセンター)の国道463号線を挟んで、
   筋向いにあります。 前第5回に紹介しました。

   浦和くらしの博物館民家園   http://blogs.yahoo.co.jp/naojyi/12061359.html
   東浦和とその周辺 その11
     見沼田んぼ 散策案内

   国昌寺

   大崎山国昌寺は曹洞宗の寺で、さいたま市見沼区染谷の常泉寺の末寺で、
   徳川家光から寺領十石の朱印地が寄進されている。 
   開山は心巌宗智、中興開山は能書家の大雲文龍である。
   大雲文龍は名僧智識として朝廷にまで達し、書に秀でいたので、
   時の帝に三度も、書を指南したと伝えられる。
   山門は江戸中期の建築、欄間には左甚五郎の作と伝えられる龍の彫り物がある。 
   棺を担いでこの門をくぐり抜けると、龍に中身を喰われ軽くなるという伝説をもっている。 
   また、この龍は見沼に住んでいて作物を荒らしたので、
   日光から帰る途中の左甚五郎に龍を彫ってもらい、釘付けにして門に収めた。
   「開かずの門」「釘付けの門」との伝説である。

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   国昌寺山門 「開かずの門」  さいたま市指定有形文化財  昭和52年3月30日指定

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   国昌寺山門 「釘付けの門」  左甚五郎に彫ってもらった龍を、釘付けに門に収めたとされる。

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   国昌寺本堂

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   国昌寺観音堂

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   国昌寺梵鐘

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   左の木  落葉したセンダンバノボダイジュ

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   センダンバノボダイジュ(モクゲンジ)はムクロジ科の落葉亜高木で、
   葉がセンダンに似て、種子が数珠玉になるのでこの名がある。
   原産は中国、朝鮮、そして日本では中国地方の海岸。 寺院の観賞用に珍重される。
   昭和30年頃に移植され、根付き良く樹勢も旺盛で、
   6月下旬から7月上旬のかけて、黄色い小花を多数つける。
      さいたま市指定天然記念物  昭和46年2月12日指定

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   センダンバノボダイジュの 花 と 葉

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   阿弥陀一尊種子板石塔婆  さいたま市指定有形文化財  昭和43年3月31日指定
   寺宝として 大雲文龍書 大井才尊天号の軸物   市有形文化財 昭和43年3月31日指定

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   見沼の龍神灯  見沼の伝説

   将軍徳川吉宗の命を受けた井沢為永は、このあたりの見沼を干拓し、
   利根川から代わりの水を引く工事をしていました。 
   ある晩のこと、為永は夢に、見沼の主の龍神という美しい女が現れ、
   「住むところがなくなるので、新しい住家を探すまで工事を中止してほしい・・」と言いました。
   来春の稲の作付けに間に合わせるため、工事は一日も休めません。 
   そのうち工事に負傷者や障害が続出し、為永も病に倒れてしまいました。 
   するとまた夢に先はどの美女が現れ、
   お前の病を治してあげるから、私の頼みも聞いてほしい…と言いました。 
   困った為永は、龍神を慰めるため、龍神灯をお供えしたところ、誰がつけるのか分からないが、
   為永の宿舎・片柳の万年寺の大松や、氷川女体神社の大杉に、
   龍神灯が赤々と灯ったと言うことです。      見沼の伝説

   その後、幾百年も経ち、このような工事が国中に広がりました。 
   その度に各地の竜神たちが、住まいを追われ、
   怒った龍神たちは工事を中止してほしいと願い出ました。 
   困った時のお上は、早速法律を作って、そして強制執行して追い出そうと考えました。 
   怒った全国の竜神たちは、成田の空港建設現場に集合して、大きな闘争になりました。 
   幾十年も経ちましたが、まだ完全に解決されていません。 
   このときには、夢に美女は現れなかったのでしょう。   日本のおとぎ話
   東浦和とその周辺 その10
     見沼田んぼ 散策案内


   総持院

   さいたま市緑区南部領辻にある総持院は、見沼代用水東縁の総持院橋を入ったところにある。
   真言宗智山派の寺院であり、その昔、隣の鷲神社が祀られていたという説がある。
   4月下旬から5月上旬にかけて、境内には見事な牡丹の花を咲かせ、
   多くの人たちが見物に立ち寄る。
   寺の山門は二階造りになっていて、山門の上階には梵鐘が釣り下がっている。
   本堂は在野にふさわしく、質素な造りに成っている。 
   本堂の脇に、桐の木が一本立ち、5月中旬には白い花を沢山付け、訪れる人を楽しませてくれる。

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     総持院山門

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     総持院梵鐘

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     総持院本堂

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     色とりどりのボタンの花を咲かせる牡丹園

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     白い花を咲かせる桐の木



   鷲神社 と ふるさとの森

   総持院の脇道を裏手に回り、しばらく行くと鷲神社の鳥居に出る。神社に御参りする。
   鷲神社は、「天穂日命(あめのほひのみこと)」を御祭神として御祀りしていたが、
   明治41年万部両辻の西原耕地にあった雷電社を合祀し「別雷命(わけいかずちのみこと)」を
   併せ祀るようになり、現在二柱の御祭神をお祀りしているとのこと。

   ここは埼玉県指定の「ふるさとの森」で、残された貴重な緑地に神社はある。
   鷲神社の鎮守の森一帯の緑地、雑木林、斜面林、見沼代用水、見沼田んぼをセットにした
   「ふるさとの森」として保存する。 
   普段はあまり訪れる人もないようで、実に静かである。 
   うぐいすの鳴き音もきかれ、そよ風の音さえ、心地よく聴かれ、
   歩く暑さの汗もひんやりと癒される。  
   このハイキングコースで一番の、心の休まるところである。

   徳川家康を祀る日光東照宮を、将軍が日光社参する日光御成街道は、この近くを通る。
   江戸日本橋を基点に、岩淵宿―川口宿−鳩ヶ谷宿―大門宿−岩槻宿−幸手宿−栗橋宿と続く
   日光御成街道。
   大門宿は町並み七町二十三間、本陣一棟、脇本陣一棟、旅籠屋六軒と言われる。
   三代将軍家光は、社参10回を超えたという。
   この土地は、江戸時代幕府天領であって、日光御成街道が村の中央を通り、
   大門宿の定助郷をつとめた。
   鎮守は鷲大明神で、鷲神社。
   辻村の名称は、明治12年まで北足立郡南部領辻村、その後、野田村辻、美園村辻、
   現在さいたま市緑区南部領辻となる。
   南部領辻の獅子舞は平成12年復活させ、
   年二回5月と10月の中日の日曜日に、神社に奉納する。
   さいたま市の無形民族文化財に指定されている。
      御神灯   文政9年1826奉納  弘化3年1846奉納
      御手洗石  元治元年1864奉納  明治3年1870奉納

   南部領辻の獅子舞  http://blogs.yahoo.co.jp/naojyi/8649475.html

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     埼玉県指定「ふるさとの森」の中の鷲神社境内



   埼玉県立安行武南自然公園 と 緑のトラスト保全第一号地

   総持院前に広がる、竹林は「緑のトラスト保全第一号地」である。

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     「緑のトラスト第一号地」の休息広場

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     自然観察用に設置した「小鳥の巣箱」 ボランティアにより多数設置されている。

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   東浦和とその周辺 その9
     見沼田んぼ 散策案内


   見沼氷川公園と大牧自然林

   見沼代用水路西縁に沿った散策路は、桜の並木が途切れずに植えられている。
   春は満期の桜の下を、桜を過ぎると土手にあじさいの花が、
   今は藪かんぞうが見事に咲いている。
   途中に市有地の大牧自然林がある。 
   台地の元々の姿だが、近年住宅開発で、自然林が開発されている。
   その一部を自然林として保存、まだ本格的な手入れは、成されていないが、
   自然の林を知る貴重な存在である。 
   また、他の公園も出来るだけ自然に近い状態で開放している。
   見沼氷川公園も、一部の自然林と芝生の広い広場とを持っている。 
   広場の中心に、前に紹介したことがある、例の「案山子」のモニュメントがある。
   また、ここは氷川女体神社磐船祭々祀遺跡があり、円形の祭祀遺跡は周囲を池で囲まれている。

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   高間ヶ原橋(たかまがはらはし)  
   「高天原」と読みが同じ??、
   昔・神秘的な見沼と女体神社に近いので、その様に呼ばれていたのだろうか???  
   資料を探してみよう。


   見沼氷川女体神社

   崇神天皇の御代の創建と伝えられる古社で、大宮氷川神社と共に武蔵一宮と称せられてきた。
   奇稲田媛命(くしいなだひめのみこと)を祭神とするため女体神社とされる。 
   見沼はこの神社の御手洗(みたらし)であった。
   享保12年(1727)の干拓前は、女体神社のお舟遊びの神事とする御旅所に、
   神輿を御座船に載せて、見沼の四本竹まで御座船が行き、祭祀を行った。
   下山口新田の四本竹の地である。 
   供物を沼に供え、瓶子に入れた神酒を沈め、見沼の主である竜(ゴイという)に献じたという。
   調節池工事前の発掘調査で、800本に及ぶ竹が立ったまま発見された。 
   四本竹で、200組であるから、隔年に祭祀が行われたので、400年分となり、
   その地での祭祀は1728年に廃止されたので、
   つまり鎌倉時代末には、祭祀は行われたのである。
   見沼干拓でこの祭祀が出来なくなったので、社頭に斎場をつくり磐船祭と名を改め執行した。
   支配者の信仰が厚く、それに伴う社宝が多く伝わっている。

   社殿は寛文7年(1667)徳川家綱が建てたもの。
     文化財  三鱗紋兵庫鞘太刀  鎌倉時代・国認定重要美術品
          大般若波羅蜜多経  南北朝時代ほか・県指定文化財
          牡丹唐草文瓶子   室町時代・県指定文化財
          神輿        桃山時代・県指定文化財
          北条氏綱制札・北条氏院印判状  戦国時代・市指定
   社叢は暖地性植物が繁茂している。 市指定天然記念物

   武蔵国一宮氷川女体神社   http://blogs.yahoo.co.jp/sunekotanpako/8683173.html
   武蔵国一宮氷川女体神社・磐船祭  http://blogs.yahoo.co.jp/naojyi/7698175.html

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     女体神社神橋と参道石段

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     武蔵国一宮氷川女体神社本社殿

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     氷川女体神社磐船祭々祀遺跡

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     氷川女体神社の文化財目録版

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     巫女人形納め所

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     氷川女体神社道標  弘化2年(1845)
     幕末の頃、大門宿の石工につくらせ、氏子たちが奉納した。
     この頃、相次いで建てられ、建立する必要に迫られるほど、参詣者が多く、
     厚い信仰を寄せていた貴重な資料である。

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