なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

散策・さいたま浦和

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全14ページ

[10] [11] [12] [13] [14]

[ 前のページ | 次のページ ]

   東浦和とその周辺 その8
     見沼田んぼ 散策案内


   見沼田んぼ

   東浦和駅から見沼代用水西縁に沿った散策路を北にたどると、見沼代用水路の西側は住宅街で、
   近年は代用水路の縁まで開発されている。 
   しかし、代用水路の東側は、見沼田んぼが広がっている。
   とは言え、現在は、開発・建設中の芝川第1調整池と一部残る田畑で、
   見渡す限りの田んぼとはほど遠い。

   
   その昔、見沼は自然の沼であったが、寛永6年(1629)に、
   関東郡代・伊奈忠治によって灌漑用水用の溜井とされた。 
   八丁堤が造られ見沼溜井1200ヘクタールで、下流の水田を潤していた。 
   約100年後の享保12・3年(1727)この溜井は干拓され、見沼新田となった。 
   この新田と下郷田を潤すために、利根川から水を引いた。 
   取り入れ口は今の行田市の利根大堰付近で、これが見沼代用水で、途中東西二つに分かれ、
   総延長90km、途中元荒川と綾瀬川と立体交差している。 
   工事は刈入れが終わる秋から、翌春田植え前に完成した。
   灌漑の方法は、用水を台地際を流して田に取り入れ、
   中央を流れる芝川を排水路(悪水路)として水を落とした。
   一連の土木工事は、徳川吉宗の命を受け、幕府勘定方・井沢弥惣兵衛為永があたった。 
   為永は紀州人で、幕府役人として各地の治水・利水の土木工事を担当した。
   溜井方式を関東流・伊奈流と呼び、
   用水・悪水分離方式を紀州流・井沢流と呼ぶ、見沼の一連の工事。

イメージ 1

   国道463号線バイパス北側に広がる見沼田んぼ
     中央 女体氷川神社の森  その左側遠方 高層ビル街・埼玉副都心

イメージ 2

   国道463号バイパス線北側に広がる見沼田んぼ
     中央 芝川  右奥側 代用水路東縁台地

イメージ 3

   国道463号バイパス線北南側に広がる見沼田んぼ
     左側 芝川    
     右より中心までの住宅との境が、散策路    散策路右より1/3 地点東浦和駅付近

イメージ 4

   国道463号バイパス線南側に広がる見沼田んぼ左側
     左側建物 市環境センター


   芝川第一調節地

   芝川は見沼低地の中央を流れる一級河川で、
   埼玉県は、100年に一度起こる洪水に対応できるよう、改修、調節地整備を進めている。 
   昭和33年に狩野川台風の降雨による、洪水の教訓。
   すでに、第7調整池は完成し、大和田公園、大宮第2公園、大宮第3公園であり、
   第1調整池は、見沼地域の最南92ヘクタール。
   芝川両岸550万平方米に、調整池、周囲堤、越流堤、排水樋管、ポンプ排水路施設などで、
   昭和54年から着工。
   見沼地域の貴重な自然を、将来にわたり継続するために、植栽実験地などを設け、
   遊歩道、自然体験・学習などが出来るよう整備の計画だという。

イメージ 5

   国道463号線付近の調整池北側より南を望む

イメージ 6

   調整池東側より   中央 東浦和駅付近

イメージ 7

   調整池東側より   中央 東浦和駅付近

イメージ 8

   調整池東側より  武蔵野線を走行する貨物列車



   見沼の笛  見沼の伝説

   昔、このあたりの見沼が、まだ満々と水をたたえていたころのことです。
   夕暮れになると、沼のほとりのどこからか、美しい笛の音が流れてきます。
   そして、その笛の音に誘われるように、村の若い男たちが、
   一人また一人と沼のほとりから消えてゆきました。
   村の若者は、段々と少なくなって、お百姓も出来なくなるほどになりました。
   困った村人たちは、これはきっと見沼の主が、なにか怒っていなさるに違いない。
   見沼の主の心を鎮め、いなくなった若者たちを慰めるため供養塔を建てることにしました。
   それからは、不思議な笛の音は、ぴたりと止んで、行方不明になる者もなくなり、
   再び村は平和になったということです。
      見沼通船堀近くの、さいたま市観光地解説案内板 より

   それから、幾百年もたってから、都会から ピーヒャラ ピーヒャラ という美しい笛の音が流れ、
   その笛の音に誘われるように、村の若者たちは、一人また一人、そして集団を組んで、
   村から消えてゆきました。  村の若者はいなくなり、お百姓も出来なくなりました。 
   とうとう日本の食糧自給率は30%を割ることになりました。  
   もう少しで、農家はなくなりますトサ。   日本のおとぎ噺より
   東浦和とその周辺 その7
     見沼田んぼ 散策案内


   大熊家表門

   中仙道浦和宿本陣の表門で、明治元年及び明治3年の、
   明治天皇大宮氷川神社行幸の際、行在所にあてられ、行在所の表門として使われたが、
   程なく大熊家に移築された。
   江戸時代末期の建立で、浦和宿本陣を知る唯一の遺構として貴重のため、
   昭和34年3月31日さいたま市指定有形文化財指定。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4




   旧高野家離座敷

   江戸時代末期に建てられた離れ座敷で、茅葺寄棟造り、主室の四畳半には
   茶事の炉が切ってある、数奇屋造りの茶室である。
   離れ座敷を建てたのは、高野隆仙(1811--1859)という医師で、文人墨客の交流の場とし、
   師と仰ぐ高野長英と親交が深く、幕末から維新の動乱期に、
   真剣に生きた人々の生活の一端を伝える建築物である。

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7


   高野長英
   文化元年5月5日(1804年6月12日)嘉永3年10月30日(1850年12月3日)
   江戸時代後期の医者。蘭学者
   高野長英の養父高野玄斎は仙台藩・水沢留守家の藩医で、江戸で杉田玄白に蘭法医術を学ぶ。
   高野長英は長じて、江戸に赴き杉田伯元や吉田長淑に師事、才能を認められ、
   師の「長」の名を受け「長英」と名乗る。
   長崎に留学し、シーボルトの鳴滝塾で、学力抜群で塾頭となった。 
   文政11年シーボルト事件に捕らえられ、厳しい詮議を受けたが、巧に逃れ、
   豊後国日田の広瀬淡窓に弟子入りする。
   義父玄斎が亡くなったが、帰郷を拒絶し、家督を捨てたので、武士身分も失う。
   天保元年、江戸に戻り、町医者・蘭学者を開業し、三河・田原藩重役の渡辺崋山と知り合い、
   能力を買われ小関三英や鈴木春山と、蘭学書翻訳に当たる。
   天保8年、「異国船打払令」のとき、アメリカ商船モリソン号が打ち払われる
   モリソン号事件について、幕府批判のかどで捕らえられ、永牢の判決を受けた。 
   弘化元年、牢屋敷火災に脱獄し、逃亡生活を送り、鳴滝塾時代の同門・二宮敬作の案内で、
   宇和島藩主 伊達宗城に庇護され、兵法書、蘭学書の翻訳や、兵備の洋式化に従事するが、
   その後、江戸の戻り、偽名を使い、薬品で顔を変え、町医者を開業する。
   嘉永3年、江戸青山百人町に潜伏中、捕縛されるとき、奮戦し自害して、護送中に絶命する。
   開国が実現した後、明治31年(1898)7月4日、その功績により正四位を追贈された。
   故郷水沢市では,高野長英、斉藤実、後藤新平を三偉人とし、
   小学校では総合学習授業で,生涯・功績を学習する。
   高野長英記念館(http://www.city.oshu.iwate.jp/syuzou01/

   高野隆仙
   高野隆仙は武州足立郡間木村(埼玉県さいたま市緑区尾間木)の人。
   高野長英をかくまった罪で鴻巣ヒカタの同心詰所で「石ぜめ」の拷問を受けたが、
   百日経っても口を割らなかったという。
   釈放された翌年、拷問の傷が再発、衰弱し、安政6年49歳でこの世を去った。
   江戸板橋に住み、長英の釈放運動をした。
   高野長英の脱獄後、高野隆仙のところに連れて行った水村玄銅はその弟。


   散策は、思いもよらぬ発見があります。
   幕末から維新の動乱期に、この家の中で何が話されていたのだろう。 
   ここで真剣に生きた人々の生活に、触れることが出来るとは思いもよらぬことでした。 
   この家を見たとき、高野長英の名は、漠然と、幕末に活躍した人と記憶にあったが、
   深くは知らなかったので、調べてみて改めて、大変な人物であると知り、
   歴史に思いを巡らし、近い内にまた改めて、見学しようと思う。

   「大熊家表門」は、明治天皇が二度も、行在所として使われた
   「浦和宿本陣表門」ということは、この門は輿で通るか、歩いて通るかないわけだから?
   
   想像は無限に広がるよ!!!



   大牧堤

イメージ 8


   大牧堤の春
   桜並木の散策路・見沼代用水路西縁

イメージ 9


   藪かんぞうの咲く初夏の大牧堤

イメージ 10

イメージ 11

   東浦和とその周辺 その6
     見沼田んぼ 散策案内


   イベント案内
イメージ 1



   見沼通船堀公園

   通船堀公園では、7月12日(土)に「ホタル鑑賞と音楽の夕べ」 が行われます。
   場所は、JR武蔵野線 東浦和駅より、徒歩5分の所にあります。
   東浦和駅改札口より右方向・県道235号に沿って歩き、交番近くの交差点を左折し、
   坂を下れば見沼代用水西縁の橋、右折約100mで、通船堀公園です。  
   西縁に掛かる橋には、通船をイメージする板金飾りが付いています。

イメージ 2

   この公園の見所は、手入れの行き届いた見事な「孟宗竹林」です。 
   駅からたった300mの所に、昼でも薄暗く物静かな、
   しかし気品ある幽玄の世界を漂わせるこの別世界に、見るものを感嘆させます。

イメージ 3

イメージ 4

   昔は、江戸に物資を運ぶ船が行き交っていたであろう通船堀は、
   今は昔の面影を残すせせらぎになっている。
   竹林を抜けながら、せせらぎを見下ろす散策道も、この公園の見所である。

イメージ 5

   通船堀公園のせせらぎに点滅するホタル、竹林に飛びかうホタルは、多分、
   幽玄の世界にいざなう幻想的光景だと思いますヨ。 
     (ホタルの数より、人の数が多いかも??)

イメージ 6

   国指定の「通船堀の関」は、毎年、通船実演を公開している。  
   8月のイベントとなると思います。  
   「パナマ運河」と同じ通船方法で、江戸に物資を運ぶに、見沼代用水路と芝川との、
   高低差のある間を、船を通していた。  
   しかもパナマ運河よりも100年以上も前に、開通していたということで、
   毎年パナマ大使を招待して、通船実演を公開しているようです。



   浦和くらしの博物館民家園

   7月12日(土)に、浦和くらしの博物館民家園でも、「ほたる鑑賞の夕べ」 が行われます。
   場所  浦和駅東口より  国際興業バス  大崎公園・東川口行  念仏橋 下車 前

   この民家園には、旧浦和市にあった古い民家の寄贈を受けて、移築したものです。
   江戸時代の中末期に立てられた、民家、商家、農家の家々で、このように素朴に立ち並ぶと、
   忘れていた懐かしい思い出と共に、原風景が感じられます。 
   ひょこっと親父さんが飛び出してきたり、
   お袋さんが「お帰り」と迎えてくれたりするような光景も出てきますヨ。

イメージ 7

   旧野口家住宅  安政5年
   野口家は代々旧大谷口安楽寺の住職を勤めた家で、安政5年(1858)庫裏として建築したが、
   明治初年に廃寺となり、野口家の母屋となる。

イメージ 8

   旧野口家住宅   平成10年3月10日  さいたま市有形文化財 指定

イメージ 9

   旧武笠家表門 
   さいたま市三室の武笠家から寄贈されたもので、茅葺長屋門。
   武笠家では正規にこの門を開くのは、冠婚葬祭の特別の日に限られ、日常は別の通用口を使う。
   長屋門の役割と、農家の生活に即した作業場となる広い土間を持つ。

イメージ 10

   旧武笠家表門  平成6年4月28日  さいたま市有形文化財 指定


   昔の田舎家にホタルが飛びかう光景は、
   忘れていた懐かしい原風景を感じさせますヨ。 キット!

イメージ 11

   どちらの会場も、イベントだけでなく、散策に、ハイキングに、見所ありますよ。
   「見沼通船堀」 には、東京駅から 片道運賃 350円  池袋から 片道運賃 290円
   「浦和くらしの民家園」 も同様、バス代 片道230円加算
   野口英世さん1枚で、何倍もの価値在る楽しみ方ができます。 
   今時、英世さん1枚で、ですよ!!!
   ただし、どちらも、コンビニ「弁当・握り飯」 持参で!!   
   「握り飯」を食べる処は沢山在りますが、お金があるからといって、
   テーブルとイスで食べるナンテ処を探すのは、大変ですヨ。念のため!!

イメージ 12

   東浦和とその周辺 05
     見沼田んぼ 散策案内


   大牧氷川女体神社

   大牧氷川女体神社は見沼の谷を見下ろす舌状台地の上にあり、
   宮本の氷川女体神社祭神の御子姫を祭ったと伝えられる。 
   寛永13年(1636)と貞広元年(1684)の棟札が現存。  
   本殿は覆屋の中に収められている小規模のものだが、この地域に顕著に分布する、
   見世棚造神社建築の典型的な例で、棟札から建立年代が明らかな貴重な建築で、
   埼玉県の指定を受ける有形文化財(昭和62年3月24日指定)
     御手洗石  天保14年(1843)奉納

イメージ 1

     大牧氷川女体神社の石段・鳥居

イメージ 2

     大牧氷川女体神社の覆屋

イメージ 3



   ただこの神社で惜しいのは、昔、鎮守の森で、かなりの樹齢を持つ大木を、
   伐採してしまったことである。
   同じ台地のすぐ隣にある、「女体下公園」の敷地は鎮守の森の名残を留めて、
   林に成っているが、「大牧氷川女体神社」の敷地はまるで禿山。 
   市有地と私有地の違いか?  境界柵を挟んでの、見事な違いを、まざまざと見せてくれる。
   建物だけを有形文化財に指定したのだろうか??  
   環境とマッチして初めて、その価値が高まると思うのだが、
   これでは文化財の価値は半減どころか無価値に等しい。 
   このようなものは、管理は何処がするのだろう?  
   大変興味があり、考えさせられる問題である。

イメージ 4

     大牧氷川女体神社の境内敷地  鎮守の森の伐採跡で禿山

イメージ 5

     女体下公園の敷地   境界柵の手前が公園敷地  境界柵の向かう側が神社境内敷地

イメージ 6

     女体下公園の敷地   見沼田んぼを見下ろせる場所

イメージ 7

     女体下公園の敷地の階段

イメージ 8

     女体下公園の敷地   台地上は見沼田んぼを見下ろせる場所


   春の桜並木

イメージ 9

   大牧小学校裏手の橋   見沼代用水路西縁沿い  桜堤沿い


   春の桜並木と菜の花畑

イメージ 10

     見沼代用水路西縁  桜堤沿い

イメージ 11

   東浦和とその周辺 04
     見沼田んぼ 散策案内


   清泰寺(天台宗)

   大間木氷川神社から、200m位北側に、清泰寺があります。
   天台宗の寺で、平安時代初期の高僧慈覚大師円仁によって開かれたと伝えられる。
   門前の7体の地蔵尊に迎えられる。 
   ひときわ大きい地蔵尊は、元禄9年(1696)建立である。
   この地蔵尊は、300余年も、地元の人たちに愛され信仰され、拝まれ続けたのであろう、
   お顔から肩に掛けて手で撫でられて黒く磨り減って、300余年の時の流れを背負っている。
   大変ご利益が有ったのだろう。

   境内に入るや、平安初期の天台宗高僧慈覚大師円仁によって開山された寺と伝えられるだけに、
   質素な作りながら威厳を醸している。
   本尊は十一面観音立像で、江戸時代初期の作で、市指定有形文化財という。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4


   境内の奥には、武田信玄の娘、見性院の墓があり、県指定の旧跡。
   見性院は武田家の武将穴山梅雪の妻であったが、夫の死後、徳川家康の知遇を得て、
   二代将軍秀忠の子幸松丸を養育した。 
   幸松丸こそ後の会津23万石城主 保科肥後守正之 となって、
   三代将軍家光を補佐し幕政で活躍した。 
   人の運命は計り知れないものがあり、武田家の縁(ゆかり)でありながら、
   戦乱の世を巧に生きた女性の一生を物語るものである。 
   家康からここ大牧村に采地を与えられ元和8年(1622)没し、この清泰寺に葬られる。

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7


   境内に351基の庚申塔が、地境や垣根のように並んでいる。
   一箇所にこれだけ多くの庚申塔が存在するのは、珍しいことと
   市の有形民族文化財に指定された。 
   天明3年(1783)と万延元年(1860)に建てられたもので、奉納者も地元・近郷のみならず、
   遠方の物まで有り寺の隆盛を物語っている。
   本堂須弥壇に安置されている有泉勝長木碑も市指定有形文化財。

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10


   300m位東、明の星学園(高・中・幼)裏手に、桜並木の散策路・見沼代用水路西縁がある。
   この桜並木散策路からは、調整池(工事中)が一望できる。

イメージ 11

全14ページ

[10] [11] [12] [13] [14]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
なおじぃ
なおじぃ
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事