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さいたま・浦和 48 わら屋根の鐘楼のある大興寺 さいたま市緑区大門に真言宗智山派・慈眼山大興寺はある。 (浦和―東川口バス大門下車、国道122号線・東北自動車道の沿線) 東北自動車道の側道国道122号上り線、東北からの大型トラックがウナリをあげて 通行する脇に、大興寺はある。 しかし寺内に入ると、まず目に付くのは、素朴なわら屋根の鐘楼と、境内の静寂である。 山門の左脇に、徳本上人念仏供養塔と、「奉供養高祖弘法大師宝塔一基」がある。 徳本上人念仏供養塔 さいたま市指定有形文化財(歴史資料) 徳本上人は江戸時代後期に活躍した浄土宗の僧で、宝暦8年(1758)紀伊国(和歌山)に 生まれ、文化13年(1816)江戸小石川・一行院を道場に東国を巡り、宗旨を問わず 寺院境内に、念仏化道を歓める講の会所に、講中により会所に独特な書体の六文字名号と花押を 刻んだ供養塔が、建てられた。 此処の供養塔は正面に「南無阿弥陀仏」「徳本」「花押し」、 右側面に「五十年 夢のうき世と思うべし ねても覚めても 後世を忘るな」のご詠歌、 左側面に「文化14歳次丁丑四月朔日当山第十七世法印永津臨終念仏講中敬白」、 背面には「文政4年(1821)」に建立の銘、 台石には世話人・講中名が刻まれているが、その範囲は大門宿を中心に、 現在のさいたま市岩槻区から川口市戸塚に及ぶ広範囲で、 徒歩片道2・3時間かけて集まっていたようである。 徳本上人念仏供養塔は、関東地方に数多く建てられており、 近世浄土宗や講を知る重要な資料であるとして、さいたま市指定有形文化財歴史資料に 指定されている。 右塔「奉供養高祖弘法大師宝塔一基」は天保5年建立 大興寺本堂と鐘楼 来迎阿弥陀三尊板石塔婆 (高さ102cm、幅33cm、厚さ3cm) 本堂脇の収蔵庫に保存安置されている。 天蓋の下に阿弥陀三尊来迎図が陰刻され、陰刻部に金泥が残っている。 図像の下に梵字の光明真言が刻まれ、南北朝時代の作で、「図像板石塔婆」の現存はほとんど無く 美術的価値として貴重であり、さいたま市有形文化財歴史資料に指定されている。 本堂前の弘法大師石像。 本堂の屋根の左右に、唐獅子が屋根の飾りになっている。 この景色が何とも言われぬ素朴な雰囲気になっていた。 |
散策・さいたま浦和
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さいたま・浦和 47 総持寺の牡丹の花、桐の花が見ごろです さいたま市緑区南部領辻にある真言宗・総持寺は、牡丹の寺として多くの参詣人が訪れています。 その牡丹の花が、今丁度見ごろです。 鐘楼門の脇の牡丹園、一段下がった境内の牡丹園、竹垣に沿う牡丹園は、 それぞれの趣があり、風情があって、見る者を楽しませてくれます。 本堂の脇の桐の木は、これも今何とも言われぬ、甘い香りを漂わせ、 日の光を受け、輝いて咲いています。 桐の花は珍しいですよ。 総持寺の近くの鷲神社、今年も獅子舞が5月17日にあります。 辻の獅子舞は、さいたま市無形民俗文化財に指定されております。 |
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さいたま・浦和 46 見沼氷川女体神社・祇園磐船竜神祭 昨5月4日、見沼氷川女体神社では「祇園磐船竜神祭(ぎおんいわふねりゅうじんさい)」が、 執り行われた。 (さいたま市指定史跡「氷川神社磐船祭祭祀遺跡」) 縄文時代、海が入り込んだここ見沼一帯は、やがて海が後退し沼地となった。 その沼では氷川女体神社により「御船祭」が行われていた。 その後、将軍徳川家康公が灌漑用水確保のために見沼一帯を溜井とし、 附島と木曾呂に八丁堤を築き、水を塞き止めので、広大な沼に成り、 川口、蕨、戸田の田畑をも潤した。 そこで数々の竜神伝説が生まれたのである。 江戸は発展し、世界一の大都市になり、米が不足するようになり、 八代将軍吉宗は見沼干拓を命じ、紀州の井沢為永を呼び寄せ、大土木工事の責任者にした。 沼を干して田んぼにしようとする井沢為永、沼を干されて困る竜神と村人達。 工事に絡む竜神伝説も、また数々生まれたのである。 氷川女体神社の「御船祭」の行事は、干拓の後「祇園磐船竜神祭」となって執り行われ、 伝統は700年とも1000年とも言われているようだ。 氷川女体神社の神官は代々女性が勤めることとなっていると言う。 儀式は、祭主による四方拝、祝詞奉呈、稚児舞・巫女舞の奉納、見沼太鼓の奉納と祭礼は続く。 今年は特別に、見沼から江戸にと、見沼通船堀を行き来した舟の、 船頭が唄った「見沼舟歌」が披露された。 |
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さいたま・浦和 45 中仙道・浦和宿の今 中山道は江戸と京都を結ぶ街道で135里、木曽山間部を通り「木曾街道」「岐蘇路」とも 呼ばれる。 中仙道の宿場は、本来江戸・板橋宿から滋賀・守山宿までの67次ですが、共有する東海道の 草津宿、大津宿を加えて69次とするのが一般的で、浦和宿は日本橋を出てから三番目の 宿駅となる。 江戸時代後期の浦和宿は、本陣1、脇本陣3、旅籠15があり、仲町交差点辺り一帯が本陣跡で、 近くに慈恵稲荷神社と市場跡があった。 本陣は大名などの宿泊や休憩に当てられ、浦和宿は星野権兵衛家画代々務めた。 敷地内に母屋、表門、高札場、問屋場などがあったが、明治になって全ての建物が取り払われ、 当時の姿をとどめるのは、移築された大熊家表門のみである。 明治元年及び3年に明治天皇が大宮氷川神社行幸の際、行在所になった。 慈恵稲荷神社と市場跡の関連記事 記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/naojyi/25586105.html 大熊家表門の関連記事 記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/naojyi/12126968.html 仲町公園にある浦和宿跡と明治天皇行在所跡の碑
明治元年及び3年に明治天皇が大宮氷川神社行幸の際、行在所になった。 旧中仙道・仲町交差点。 浦和メインストリートである中仙道の旧道、前方方向に「調神社」 左側建物は、ロイヤルパインズホテル及びうらわ美術館、この道路の両側に銀行、証券会社、 商店街が立ち並ぶ。 旧中仙道・仲町交差点。 右側はロイヤルパインホテル、この通りはさいたま市役所通り、 国道17号との交差点に市役所、 仲町交差点・右角の奥に仲町公園、浦和宿跡がある。 旧中仙道・仲町交差点、さいたま市役所通り。 前方にJR線ガードをくぐり、東浦和方面に。 須原屋書籍店前より、旧中仙道を「調神社」方面に。 浦和といえば、「浦和レッズ」 サポーターのたまり場、グッズ売り場、 熱心なファンが今日もつめかけアツイアツイ。 須原屋書籍店前より、旧中仙道を「慈恵稲荷神社」方面に。 前は江戸時代から続く「うなぎの蒲焼」店山崎や 旧中仙道、みずほ銀行前は、浦和の古刹 玉蔵院の山門前の門前町入り口。 旧中仙道、慈恵稲荷神社、市場跡、浦和宿本陣跡方面へ。 JR浦和駅、伊勢丹、コルソ方面に抜ける、一番人通リの多い浦和郵便局通り。 浦和西口スクランブル交差点。 旧中仙道、浦和メインストリート通り、慈恵稲荷神社、 市場跡、浦和宿本陣跡方面へ。 浦和西口スクランブル交差点。 旧中仙道、浦和メインストリート通り、「調神社」方面へ。 「調神社」はこの通りの、次の信号先300m位、写真の突き当たり辺り。 浦和西口スクランブル交差点。 県庁通り、埼玉県庁方面へ。 浦和駅県庁通り。 正面左にJR 浦和駅。 JR浦和駅、コルソ前より。 JR浦和駅、コルソ前より伊勢丹。 県庁通り、さいたま会館。 |
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さいたま・浦和 44 浄土宗・廓信寺(かくしんじ) 仁王門をくぐり中山門の奥に、鉄筋コンクリートの本堂がある。 慶安2年(1649)、徳川家康が寺領二十石を寄進。 本尊は珍しく「中品中生の印」を結ぶ、木造阿弥陀如来坐像で鎌倉時代の作。 底裏銘に平安中期の僧・恵心の作とあり、大阪落城の折、徳川家の所有となり、 代官中村弥右衛門尉吉照が拝領と伝えられるが、調査の結果鎌倉時代の作と考えられ、 定朝様式の美作で、県指定文化財。 浄土宗・廓信寺は浦和郷一万石の代官中村弥右衛門尉吉照が、旧主の岩槻城主・高力河内守清長の 追福のため建立した寺で、吉照は三郎山(現在の北浦和小学校付近)に陣屋を持っていた。 浄土宗・廓信寺(かくしんじ)の仁王門。 阿形と吽形の金剛力士像。 山門・像ともに吉照の寄進で江戸時代前期の優品。 仁王門手前の左側には、天保期の六地蔵尊。 六地蔵は六界を輪廻する魂を救済するといわれる。 道路からこの仁王門までの両側には、白梅、紅梅が数本植えられ、春の季節には見事な花を 咲かせて、楽しませてくれる。 仁王門をくぐると、山門がある。 その奥が本堂。 浄土宗・廓信寺の本堂前の収蔵庫。 本堂前収蔵庫に、鎌倉時代後期・元享4年(1324)の板石塔婆があり、鎌倉時代末期の 特徴を備えた代表的な優れた板石塔婆として市指定文化財。 また浦和宿の儒者・小泉蘭斎は文化8年(1810)滋賀・三上藩の藩士の子として江戸で生まれ、 38歳のとき藩を辞し、浦和宿本陣に郷学校を開くにあたり教師となった。 明治4年、玉蔵院を校舎に正式に開校したが、蘭斎は翌年病没。 教え子たちが拠金して、廓信寺に墓碑を建て香華料を託した。 碑の背面に刻まれた事歴により、浦和の近代教育の歴史がわかる資料として市指定文化財。 浄土宗・廓信寺の本尊は「中品中生の印」を結ぶ、木造阿弥陀如来坐像が安置されている。 本堂外陣・内陣の鳳凰文欄間3面は市指定文化財、「鳳凰」「瑞雲・巌・波濤」は 明和2年(1765)の作。 浄土宗・廓信寺の築山には寺の縁起が刻まれた碑があった。 鐘楼と法然上人尊像 見事な枝垂れ桜があり、花の季節見事であったと思う。 秩父宮妃殿下が昭和32年御成りになったときの、お手植えの紅梅。 浄土宗・廓信寺の庭の風情。 桜の大古木と紅葉の大古木、どちらも境内をすっぽり覆いつくし、 それぞれの季節には、見事な景色を表すことであろう。 将に春に良し、秋によし。 奥の墓地にあるカヤの古木は「廓信寺のカヤ」といわれ、樹齢三百年、市指定天然記念物と なっている。 |








