なお爺のひとり言

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散策・埼玉 川口

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   埼玉:川口 39 川口の龍泉寺・西方寺

   真言宗智山派・大聖山龍泉寺

   真言宗智山派・大聖山龍泉寺は川口市青木5丁目にあり、
   青木氷川神社西方の通りを2つばかり隔てた所にある。
   伽藍はすべて新造され、現代風の寺院である。

   真言宗智山派・大聖山龍泉寺本堂
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   真言宗智山派・大聖山龍泉寺の本堂前の弘法大師像、中興の祖・興教大師像、
   観世音菩薩像、地蔵菩薩と六地蔵
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   浄土宗・西方寺

   浄土宗・西方寺は川口市青木4丁目にあり、川口オートレース場正面広場の前、
   道を挟んで寺はある。

   丁度オートレースが開催されていたので、寺の前は人の往来が激しく、何レースか知れないが、
   オートのレースが始まれば、その爆音が鳴り響き、オケラに成った人はコソコソと家路につき、
   幸運を引き当てた人は、声高に友人を引き連れ、これから祝いの酒席の相談をしている、
   寺の前が臨時の有料駐車場となる、そんな場所に西方寺はある。

   応永年間(1394−1428)のころ、
   三日月上人といわれた了誉聖冏(りょうよしょうげい)が開いた寺といわれている。

   今でこそ人の往来が激しいが、ついこの間まで(と言っても半世紀・50年位経つか?)
   ひなびた静寂の里であったが。

   浄土宗・西方寺の本堂と左手に鐘楼
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   境内中央に、咲き始めた老白梅
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   本堂わきの六地蔵尊、釈迦如来坐像、観世音菩薩立像
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   鐘楼、墓地の後ろに川口オートレース場正面建物
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   観世音菩薩立像が、午後遅くの日差しが、後背光に輝くような、神々しい美しさを見せる
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   埼玉:川口 38 青木氷川神社

   青木氷川神社

   青木氷川神社は川口市青木5丁目にある、地元青木町一帯の鎮守様である。
   氷川神社は棟札によれば文明2年(1470)、元亀2年(1571)寛永4年(1627)と
   3回改営され、署名は芝郷上青木村氷川社と記録されているという。

   昔、応永年間(1415)に大田氏の勢力化に在った武蔵国の村々で、交易市場が開かれた。
   その開催を始めるに当り「祭文」が読まれ、その中に交易を行なった多くの地名が記されていた。
   この近在では、蕨、指扇、与野、鳩ヶ谷、野田、大門などの里とともに「青木」の地名があり、
   「祭文」は武蔵国の生活圏を知る上での貴重な史料であり、
   青木市場はこの青木神社付近であったという。

   青木氷川神社は、別当として大学院、般若院の修験寺を持っていたという、由緒ある神社である。

   境内には明治初期、不二道孝心講の熱心な信徒により、富士講信仰の「富士塚」が築かれ、
   中道に多くの碑がある。

   境内末社には、磯前神社(七福神の大黒様、また大国主命)、
   不動尊堂(修験道の本尊・不動明王)、天神社(学問に神・菅原道真公)、
   三峰神社(伊邪那岐命・伊邪那美命)、稲荷神社、古峰神社(日本武尊)などが神社本殿を囲み、
   回遊式に参拝できるよう配置されている。
   御神木は樹齢400年以上の「大ケヤキ」で、大木を抱え深呼吸することにより、
   「気枯れ=穢れ」(日常の悩み・ストレスなどの気が枯れた状態)から「元の気=元気」に成る
   「木」から「気」を頂くことであるという。

   青木氷川神社

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   天神社
   地元の鎮守様に祭られた天神様は、氏子にとって大きな励み。
   地元受験生・就職活動学生にとって頼もしい支援者。
   シーズンには参拝者が大勢詰め掛け、ゆっくり参拝できる。
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   稲荷神社・古峰神社
   稲荷神社は「稲成り」「稲生まれ」として五穀豊穣を祈願。 
   転じて商売繁盛、家内安全などの守り神。
   古峰神社は日本武尊で、東夷を平定した英雄として、除災招福の神。
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   富士塚

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   御神木の大ケヤキ

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   川口オートレース場
   日本全国、その道の通であれば、誰でも知っている川口オートレース場は、青木氷川神社の隣。
   いや、オートレース場正面広場の、道路を挟んだ西隣に、青木氷川神社は鎮座する。 
   レース開催日とも成れば、多くのファンが集まり、豪快なエンジン音がこだます。
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   埼玉:川口 37 川口の錫杖寺

   錫杖寺

   真言宗智山派・宝珠山地蔵院・錫杖寺は川口市本町2丁目にある。
   寺暦によれば、養老元年(717)に行基によって本堂が建立され、
   自ら地蔵菩薩を刻み本尊として開基したと伝えられる。
   北条時宗の帰依を受けた鎌倉長楽寺開創の願行上人により再興され、
   寛正元年(1460)には室町幕府8代将軍足利義政により七堂伽藍が整備され、
   中興の祖宥鎮和尚を普住させた。 
   それ以降、醍醐三法院直末の関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして、
   末寺53ヶ寺を有する名刹として栄えた。
   元和8年(1622)には江戸幕府2代将軍徳川秀忠の日光参詣の折休息所となり、
   以降歴代将軍により利用された。
   3代将軍家光からは金子、材木を拝領し、御成門を建立し、
   御朱印20石を賜る、「川口宿」の中核寺院として繁栄した。

   錫杖寺の銅鐘

   寛永18年(1641)川口宿名主・宇田川氏が先祖供養のため、
   川口鋳物師・永瀬治兵衛守久に鋳させ、菩提寺である錫杖寺に奉納した。 
   江戸時代初期の鋳法を示し、吊り手の竜頭は精巧・美形で、
   川口の地場産業・鋳物業の歴史を語る重要な資料として、
   埼玉県指定有形文化財に指定されている。

   江戸城大奥・最後の老女・滝山の墓

   江戸城大奥の老女・滝山は、将軍家定、家茂、慶喜と三代の大奥に仕え、
   絶大な権力を持っていたが、徳川幕府が倒れてから、
   滝山に仕えた川口出身の女中の実家へ身を寄せ、明治9年その生涯を終えた。  
   皇女和宮とのあつれきがあったと伝えられる。 
   滝山の墓がこの錫杖寺の奥にある。

   凱旋橋

   川口の鋳物業が近代化を果たす契機と成った日露戦争、
   その戦勝に錫杖寺前を流れる用水に、架設された記念の石橋と石碑。
   現在は橋の欄干の一部が残り、全国的に貴重であると、川口市指定文化財に指定されている。
   石碑は川口神社境内に移築されている。

   錫杖寺山門である御成門
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   錫杖寺本堂
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   埼玉県指定有形文化財に指定された錫杖寺銅鐘
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   地蔵菩薩堂
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   菅原道真を祀る天満宮
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   川口七福神の福禄寿尊を祀る福禄寿堂
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   錫杖寺前にある市指定文化財の凱旋橋欄干
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   埼玉:川口 36 川口神社

   川口神社
   川口神社は川口市金山町にある。
   社伝によれば、平安時代・天慶年間に武蔵国足立郡司武芝によって、
   武蔵国一宮・大宮氷川神社より分祀勧請したと伝えられる。 
   そのため氷川大明神と称し、崇敬を集めてきた。 
   江戸時代は西宝山大慈院延命寺を別当寺とし、
   名主宇田川家によって社殿の再建修造がされていた。
   明治42年、鋳物師の神・金山権現社を合祀し、川口神社となった。
   11月19日は金山神社の祭礼に、「裸参り」「寒参り」が行なわれ、
   鋳物職人たちの器量上達を願い、裸、裸足で参拝した。

   川口神社の神鏡
   八代将軍吉宗の命を受け、幕府勘定役・井沢弥惣兵衛為永は紀州流土木工法をもって
   見沼新田開発に成功した。
   享保16年(1731)、江戸に産米を江戸に運ぶため見沼通船堀を新設、
   杉島貞七郎保英を配下に工事を担当させた。
   杉島は川口宿の生まれで、享保18年(1733)に、
   工事完成成就に産土神である氷川大明神に、川上因幡守の作とされる神鏡を川口神社に奉納した。

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   金山神社
   川口は江戸時代日光御成道が整備され、岩淵宿につぐ川口宿が成立し、旅人の往還が多くあった。
   江戸時代後期の「遊歴雑記」に、「この駅の南 うら町筋に釜屋数十軒あり 
   但し釜のみ鋳家あり、釜のみ作る舎あり」と書かれ、街道の裏町通り沿いに鋳物屋が並び、
   鍋・釜・鉄瓶などの日曜品を製造していた様子が書かれている。
   川口鋳物は。室町時代末期からすでに行なわれていた。 
   鋳物に適した鋳型の砂や粘土が取れたこと、街道や荒川・芝川の舟運、
   江戸という大消費地に隣接していたことが、川口鋳物の隆盛の要因である。 
   (丁度戦争後も鍋・釜の需要で川口は同じように商売繁盛し、
   今日の工業都市に飛躍的に発展した経緯があるが、最近は工場が衰退し、
   東京のベットタウンとして、工場が全てマンションになってしまった)

   江戸時代の観光案内書「江戸名所図会」にも、川口の鋳物屋の絵が描かれている。
   原料は山陰の砂鉄を用い、燃料は松炭を使い鉄を溶かしていた。
   明和元年(1764)ごろは、宿駅が整い、
   本陣・脇本陣があり、旅籠が30、戸数314、うち鋳物業は14在ったというから、
   川口の鋳物は古い歴史がある。

   金山神社は南北朝時代暦応年間の御鎮座と伝えられ、江戸時代以降川口鋳物業の発展にともない、
   鋳物師の守護神「金山権現」として篤い崇敬を受けてきた。 
   もとはここより300m南西にあったが、政府の方針で明治42年合祀されたが、
   戦後、国家管理を離れたので、鋳物業関係者と氏子の熱望により、
   金山彦命を御分霊、旧社殿を移築して別宮とした。

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   梅ノ木天神社

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   護国神社
   昭和23年時の川口市長指導により、市役所神殿の譲渡を受け、
   西南戦争から大東亜戦争に至る戦役に戦没した、川口市内全英霊を奉斎する社として、
   境内に設立し遺族会が主体になり例大祭を主催し、平和と繁栄の礎となった英霊に感謝し、
   平和の努力を誓う行事にしている。

   この脇にこの胸像がある。碑に
   「海軍一等機関兵小池幸三郎を偲ぶ  ・・・・明治33年12月横須賀海兵団に入隊、
   軍艦高千穂の乗組員となり、日露戦役起こるや直ちに旅順攻略に従い、
   決死旅順港口第2次閉塞隊に志願、広瀬武雄海軍中佐指揮の福井丸に乗船して、
   猛砲火の下に港口水道の突入し、・・・・よって自ら爆沈して任務を完遂し、
   広瀬中佐、杉野兵曹長と共に帰らず英魂とこしえに靖国の霊となる、
   実に明治37年5月23日夜である」

   この旅順港口閉塞は、日露戦争の重要任務で、
   後のロシア・バルチック艦隊撃破する「日本海海戦」
   そして日露戦争に勝利する足がかりとなった重要な作戦であった。

   ここ碑に在る広瀬中佐、杉野兵曹長は軍神第1号として、
   当時飯田橋が始発駅の中央線が、東京駅まで開通した時、
   新しい万世橋駅前に銅像として飾られ、東京市民の崇敬の的になった軍神である。 
   その後われわれ小学生の修身教科書、音楽教科書で教育された人物である。 
   太平洋戦争終結後、この銅像は撤去され、行方がわからない。
   しかし、広瀬中佐、杉野兵曹長の他に、
   川口出身の小池一等機関兵が戦死していたことは知らなかった。
   万世橋の銅像は行方が判らなくなったが、この胸像はここに残って、崇拝されている。

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   浅間神社

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   埼玉:川口 35 善光寺

   川口の善光寺は今、荒川土手の改修工事が行なわれ、
   今まであった寺院、墓地を荒川土手の上にかさ上げする、大工事の最中である。 
   隣接する川口市立南中学校、川口市立舟戸小学校、川口市立舟戸幼稚園は
   かさ上げ工事が終了しているようであるが、その隣の善光寺は今墓地の移転が行なわれているが、
   多くの檀家を抱える寺は、その引越しの対応が大変のようである。

   今、土手の下にある墓地を、土手をかさ上げして出来た、土手上の墓地に移転するという大工事。
   昔の立派な本堂は、今解体されていた。 
   土手上には写真の伽藍が建築され、その裏手に新しい墓地が作られ、
   暫時下の墓地から、上の墓地に移転が進められていた。

   荒川土手下の、古くからある墓地。 
   この墓地を土手上の新墓地に全部移転し、ここが荒川新土手にかさ上げ埋められ、
   補強されるという。
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   土手上に立てられた、善光寺本堂。
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   新本堂の裏に出来た、新墓地。 移転は長い年月がかかるであろう。
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   新墓地・新本堂の新石仏。
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   どのように将来、善光寺は再建されるのであるのか??
   墓地移転で、由緒ある墓地の石塔・石仏などが、今、行き場を失って、ここに集積されている。
   高層住宅を背景に、枯れ草の中に、なんとも侘しい光景である。

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   善光寺の創建は1100年頃といわれているが、
   古典「とばずがたり」に武蔵国足立郡小川口の章があり、
   正応2年(1289)12月小川口の里にいる川越入道の尼に招かれて、
   鎌倉から小川口へ来たときの様子が書かれている。 
   鎌倉から3日がかりで来て、
   「前には入間川とか流れたる。向へには、岩淵の宿といひて、
   遊女どものすみかあり。山といふものはこの国内にはみえず」 と書かれている。
   また昔、遠い都の華やかな生活を思い、
   「思いやれ 憂きことつもる 白雪の 跡なき庭に 消えかかる身を」 と歌い詠む。 
   書かれた小川口の里は、ここ舟戸ヶ原一帯と思われるという。

   江戸時代の観光案内書「絵本江戸土産」に、
   「岩槻に出いづるの往還にて昔は小川口といひしとなん。渡し場の北に善光寺あり。
   むかし定尊といへる沙門霊夢によって中尊阿弥陀を鋳奉り後に脇士を鋳るとなん。
   その霊験きはめていちじるし」 とあり、
   江戸近在で善光寺参りが出来るとあって、参詣人を多く集めたという。

   江戸時代の観光案内書「江戸名所図会」にも、
   「天台宗にして平等山阿弥陀院と号し、本堂には定尊が阿弥陀仏と脇士観音、勢至観音を鋳奉る」
   と同様な記述がある。
   その「江戸名所図会」に善光寺が画かれて居る。

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   これは昭和50年代頃の善光寺であろう。 
   今、荒川土手は堤防がかさ上げされ、市内には高層住宅が建設され、
   景色が大きく変わっている。
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