なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

歴史・教育制度

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

教育制度―昭和時代 その4  終戦 そして 連合国総司令部 占領政策指令

昭和20年〈1945年〉9月2日午前 東京湾上 米戦艦ミズーリ号 上で、
「大日本帝国」 は、連合国 (アメリカ、中国、イギリス、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドの9カ国) に対して、降伏文書に調印した。

無条件降伏した 「大日本帝国」 の占領を、マッカーサー総司令官率いる連合国軍隊が、東京・日比谷に総司令部General Head Quartersを設置し、占領政策指令を次々に発した。

このような時
昭和20年(1945年)10月11日に 「五大改革指令」 という、 「GHQ指令」 が発せられた。
  完全な男女同権と婦人の解放
  労働者の団結と組織の助長
  教育の自由主義化
  圧政諸制度の撤廃
  経済の民主化
これ以降、「五大改革指令」 に沿った民主化政策が遂行される。

教育改革は
マッカーサー総司令官は、戦前の天皇制・軍国主義が教育によって形づくられていたことを重視し、
民主化政策推進には、教育の改革が特に重要と考えていた。

まず、修身・国史・地理の授業を停止させ、教練・武道も停止させた。 
これらの教科が、軍国主義・国家主義的色彩が濃厚で、障害になると判断したからである。 

授業停止にならなかった教科も、内容がふさわしくない部分は削除訂正が行われた。 
各学校に配布された訂正項目によって、教師の指導で、児童たちは自分たちの手で、削除部分に 「墨」 を塗ったのである。  
「黒塗り教科書」 と言われた物で、現在70歳から75歳前後の方はその体験と記憶があると思う。

一部の削除や書き換えばかりでなく、教科書によっては一つの単元の話が、丸ごと削除ということもあった。 
「初等科国語」 に多かった。 「よみかた四」 では、七課が全文削除である。 
「国史」 の教科書は、国史が神話から説き起こされていたので、全面停止。

地理は翌21年9月、国史は10月から再開された。
国史は「日本歴史」と名称が変わり、国定教科書として編纂・発行された、
国民学校小等科5・6年用 「くにのあゆみ」 は、初めて考古学に基づき石器時代から書かれた。
教科内容は徐々に変わっていった。


昭和22年(1947)4月1日 より学校のシステム自体が、改革された。

国民学校初等科を 「小学校」 とし、その上に 「中学校」 を設けた。 
「小学校」6年間、「中学校」3年間、合わせて9年間を義務教育期間とし、
今までよりも義務教育の期間を一気に3年も延長したのである。
これが 「六・三制」 の義務教育で、現在までも続いている。

国民学校を小学校に移行することは、何等問題は無かったし、学校校舎も先生も、そのままスライドすればよかったからである。
しかし問題は、中学校であった。 
当時、国民学校高等科・青年学校・青年訓練所が設けられていたが、地方では国民学校に併設されていたところが多かったので、校舎が不足するので、簡単に移行できなかった。 
校舎を建設しなければならず、戦後の混乱期、敗戦で政府も、各県・各市町村も満足な予算が組めない状況であった。 
地域によっては、校舎建設資金や労力を、住民の協力・提供を受けて、とりあえず移行するという所もあったという。

義務教育外の「高等学校」3年制は、23年4月に 「新制高等学校」 として移行した。
24年4月からは 「新制大学校」 4年制として移行して、新発足した。
(旧制度 国民学校は6年制 義務教育   国民学校高等科・青年学校普通科は2年制 任意教育
     旧制の中学校・高等女学校・実業学校は5年制 任意教育
     旧制の高等学校・専門学校・大学予科は3年制 任意教育
     旧制の大学校は3年制 任意教育
     旧制では 小学校から大学卒業まで 17年間 内 義務教育 6年間
     新制度では 16年間 内 義務教育 9年間


なお、その後の教育改革の大基になる、 「教育基本法」 及び 「学校教育法」 が公布されたのは、
昭和22年3月31日で、 「六・三制」 新制度スタートの前日であった。



現在75歳前後以上の方は、記憶・経験があるのですが、自分がそれまでに受けてきた、
教育や考え方が 「一夜にして、全面的に 否定され、禁止」 された経験があります。 

敗戦、占領、この屈辱的な体験。  
そして陸海軍の解体は、敗れた以上当然であると誰でもが思っていた。 
そして戦時中の指導者たちは戦争犯罪容疑者として相次ぐ逮捕。 
さらに公然の天皇制批判。 
日本人の持つ既成概念を、根底から揺さぶり続けた。

このような事態の中、強烈な印象を受けたのは、徳田球一氏・志賀義雄氏などの日本共産党を中心とした政治犯が釈放されたことで、この人たちは、あの厳しい思想統制のなか、反国家的・反天皇制的行為が徹底的に弾圧された中で、
「逆らい続け人たち」が居たという事実は、驚異的なショックだった。

財閥解体、農地改革、婦人参政権の実現、などなど、国家体制が見事に崩壊してゆく過程を、驚きの目で見るばかりであった。 

ほとんどの政策がどのような意味を持つのか、理解できなかったが、何が起こるか判らないと言うことだけは、理解できた。

むかーーし、むかしのお話  第9話   でした。

教育制度―昭和時代 その3  太平洋戦争開戦から終戦まで

昭和16年12月8日 日本海軍はアメリカ・ハワイ真珠湾を攻撃し、アメリカ・イギリスに対し宣戦布告、
大東亜戦争が勃発、大戦争に突入した。

昭和17年1月1日  食塩の通帳配給制始まる   
2月1日   衣料品点数切符制実施 味噌・醤油通帳割当制
2月21日  食料の国家管理目的の「食料管理法」公布   
5月9日   朝鮮に徴兵制施行決定
5月9日   寺院の梵鐘、仏具など「強制供出命令」  
5月26日  国民動員計画で14歳以上の女子も動員   
6月26日  生活必需物資総合計画を発表   
7月24日  一県一社新聞社統合   
8月21日  中・高・大学の各1年短縮案を決定
9月26日  「陸軍防衛召集規則」公布(10月1日実施)


大本営発表 「皇軍は各地に転戦、 連戦連勝」

「欲しがりません 勝つまでは」 「進め 一億 火の玉だ」

決戦標語  「撃ちてし 止まむ」


昭和18年1月16日  家庭用電力消費規制 強化  
3月18日  「戦時行政・職権特例」公布(罰則強化、首相独裁権強化) 
5月1日   家庭用燃料配給制
6月25日  「学徒戦時動員体制確立要綱」決定 学生の軍事訓練と勤労動員を徹底 
7月6日   音楽移動報国挺身隊、国民歌唱運動展開   
9月4日   上野動物園で空襲時の混乱に備え猛獣毒殺
9月21日  官庁・工場・住民の疎開方針決定  
9月22日  理工科系以外の学生の徴兵猶予撤廃  
9月23日  25歳未満女子勤労挺身隊 動員
10月21日 東京神宮外苑競技場で 「学徒出陣壮行会」 挙行
12月1日  学徒兵の第一陣が陸軍所属部隊に入営
12月24日 徴兵年齢が19歳に引き下げられる。

昭和19年1月16日  緊急国民勤労動員方策要綱
2月4日  文部省 中・高・大学の軍事教育強化策を発表
2月22日 臨時人口調査 と 国民登録  
2月26日 決戦非常措置要綱
3月3日  学童給食、空地利用徹底、一般疎開促進の3要綱  新聞夕刊廃止
4月1日  旅行制限強化(旅行証明書発行)  
4月14日 都市居住者に身元票(上着胸に縫い付ける)所持通達   
6月16日 米B29北九州初空襲(中国成都から)   
6月30日 学童集団疎開決定   
7月7日  サイパン島玉砕
8月4日  一億国民総武装の決定(竹槍訓練等開始)  
8月23日 学徒・女子挺身勤労令   
9月26日 家庭金属製品回収を決定 アルミ・錫など対象に根こそぎ動員
11月24日 米B29東京初空襲  
12月13日 米B29名古屋初空襲
12月18日 米B29大阪初空襲
12月1日  勤労動員継続のため、中等学校生徒の卒業延期措置


大本営発表  「皇軍は各地で奮戦、 勝利」  「我方の損害は軽微なり」


昭和20年1月18日 本土決戦など戦争指導大綱決定
3月10日 東京大空襲  
3月14日 大阪大空襲
3月18日 中等学校以上授業1年停止決定、 勤労動員へ
4月1日  米軍沖縄上陸  
6月23日 沖縄本島陥落
6月23日 男子15歳から60歳、女子17歳から40歳 国民義勇戦闘隊に編入
7月11日 主食配給一割減(二合一勺)
8月6日  広島原爆  
8月8日  ソ連対日宣戦布告  
8月9日  長崎原爆

昭和20年8月14日  ポツダム宣言受諾  
昭和20年8月15日  昭和天皇玉音放送  日本敗戦
昭和20年8月28日  連合国軍先遣隊 厚木飛行場に
昭和20年8月30日  マッカーサー連合軍総司令官 厚木飛行場に
昭和20年9月1日   国民学校と中学校で正規の授業再開
昭和20年9月2日  「無条件降伏文書」に調印

9月4日   神奈川県、各学校に女子の休校措置を通達
9月11日  戦犯容疑者逮捕命令
9月20日  文部省 教科書の戦時教材に墨塗りを通達  
   文部省指導要領に従い、児童・生徒の手で戦時教材部分に、屈辱的な 「墨塗り」 を行う。 
   使用出来ない教科書もぞくぞく。 
   これでやっと 「戦争が終わった」 と実感。
9月21日  集団疎開児童に帰校命令
9月21日  大蔵省 「占領軍軍票は無制限通用通貨」と公布
9月27日  天皇のマッカーサー総司令官訪問
10月4日  「治安維持法」廃止令  「特高警察」廃止令
10月11日 GHQ「五大改革」を指令


非常に緊迫した時代でした。

「皇軍は各地で奮戦、 勝利を収めております」  「我方の損害は 軽微なり」
と聞かされるうちに、 「本土決戦」 ということになった。

「欲しがりません 勝つまでは」 と 生活 全てを 犠牲 にした。

衣・食・住 の全てが、統制され、強制され、配給制度では、生命生存維持 ぎりぎり以下の生活 を強いられた時代でした。

むかーーし、むかしのお話  第8話   でした。

教育制度―昭和時代 その2  日中戦争突入

日中戦争(昭和12年(1937)7月7日勃発)に突入した日本は、全てが戦時体制であった。

昭和12年(1937)10月1日  政府、小冊子「我々は何をなすべきか」 全国各戸に配布。
  朝鮮では斉唱を強制する「皇国臣民の誓詞」 を設定、配布する。
昭和12年10月13日 「国民唱歌」 放送開始。 第1回 「海ゆかば」
  この「うみゆかば」は「万葉集 巻18 大伴家持の長歌」 からとられ、東京音楽学校教授 信時潔 作曲。 
  「国民精神総動員運動」の国民教化政策としての、第1回「国民唱歌」 として 放送開始。
昭和13年3月4日   朝鮮教育令改正 本土と学校体系を一本化
昭和13年4月1日   「国家総動員法」公布
昭和13年4月1日   「灯火管制規則」実施  「空襲警報サイレンの形」決定
昭和13年4月26日  行楽客が軍事施設など撮影禁止地域と知らずに撮影し、
  カメラ没収が増えていると新聞記事に
昭和13年7月9日   「物品販売価格取締規則」 公布施行。 
  指定品目の値上げ禁止公定価格制に
昭和13年6月9日   文部省通牒 学生・生徒の勤労動員始まる
昭和13年6月27日  「物資総動員計画基本原則」 発表
昭和13年7月22日  「男子服装統制」が通達される
昭和14年2月9日   「国民精神総動員強化方策」 決定
昭和14年3月20日  大学の軍事教練が必須科目に。
昭和14年5月22日  青少年学徒に勅語
昭和14年7月8日   「国民徴用令」公布  即ち「白紙の召集令状」 である
昭和14年8月1日   「国民徴用令」による初の「出頭要求書」 を建築技術者に

このように規制が強まり、物品ならず、国民一人ひとりの生活、考え方、精神、行動、服装、自由までもが束縛、規制されていくのである。 
しかし、国民は国家の非常事態に、少しも矛盾を感じることなく、協力することが当然の義務と心得、我慢をし、それに従っていくのである。
今考えると、なんと国民は盲目であったか、そして、為政者はなんと巧妙に国民をコントロールしたことか、「飴と鞭」というが当時は「飴」 は国民自らが我慢をし「鞭」 は「治安維持法」 によって容赦なく取り締まられた。
このようなことは、非常に重要なことで、今でも為政者は国民は無知であるとして、この方法を巧みに用いコントロールしているので、国民は「鋭い感覚」 でこれを見抜かなければならない。

昭和14年(1939)9月3日  第2次世界大戦開始。 
ドイツがポーランドに進撃し、イギリス・フランスはドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦がはじまった。  
9月4日 政府は欧州戦争不介入を声明。 
当初、日中戦争と欧州戦争は別次元であった。 
欧州戦争でドイツが電撃作戦で、圧倒的勝利を獲得した。 
日本は東南アジアへの進出を保障すべく、中国を援助するアメリカ・イギリスを牽制する必要があった。 
ドイツは、欧州戦争にアメリカが参戦するのを阻止する圧力として、日本との提携を必要とした。
かくて、「日・独・伊三国同盟」をベルリンで調印締結(昭和15年(1940)9月27日)したのである。

昭和14年9月19日 「価格停止法」決定。 
昭和14年9月30日  厚生省 結婚十訓を発表 
  「晩婚を避けよ」「産めよ殖やせよ」と号令
昭和14年10月18日 「物価統制令」実施 
  賃金・地代・家賃等を9・18の水準で凍結
昭和14年11月6日 「米穀強制買入令」実施
昭和14年12月1日 「白米禁止令」実施 
  七分搗き以上禁止 デパートの年末大売出し禁止
昭和15年2月11日  朝鮮総督府、朝鮮名前を日本式に改める「創氏改名」の受付開始(8月10日まで)
昭和15年4月8日  「国民体力法」 公布 17から19歳男子の身体検査義務化(9月26日施行)
昭和15年4月10日 米穀強制出荷命令の発動
昭和15年6月22日 文部省 交通難から修学旅行制限を通達
昭和15年9月12日 文部省 中等学校制服の色は男子国防色(カーキ色)、女子は紺に統一と決定
  野球連盟、英語使用禁止、引き分け試合廃止、決定
昭和15年11月2日 「国民服令」 公布  カーキ色の国民服 衣類の簡素化
昭和15年11月10日 「紀元2600年式典」 宮城前広場に 天皇 皇后 臨席

昭和15年12月24日 閣議 「国民学校令」 決定 
  小学校を国民学校と改称、初等科六年、高等科二年を義務教育。  
  3月30日 朝鮮総督府、国民学校規定を公布、小学校を国民学校と改称し、朝鮮語の学習を廃止。 
昭和16年(1941)4月1日 「国民学校令」施行  
  国民学校発足、全国で入学式。 
  「英語」の禁止  音楽教科に
  「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」   を  「ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・イ・ロ・ハ」  に変わる。
  放送協会 「子供の時間」を 「小国民の時間」と改称する。

明治以来「小学校」と名称された学校も、「国民学校」と改称された。 
しかも英語も禁止され、音楽の音階も「はにほへと」と改称。 小学生は小国民に。
何もかにも、統制、統制と強制される。  「めし」も満足に食えぬ世の中。

昭和16年1月11日 「新聞紙等掲載制限令」公布、施行。 
  新聞などへの国家機密の掲載制限を大幅に強化。  
  3月7日 「国防保安法」公布 国家機密漏洩者に最高死刑
  3月10日 治安維持法改正」公布 予防拘禁制導入  
昭和16年4月1日 六大都市で「米穀配給通帳」制度の実施と「外食券」制度の実施
  (一人一日・二合三勺)
5月8日 飲食店に月2回の「肉なし日」を設けるよう通達し、その初日。

世界戦争の中へ、中へと突入していった。
昭和16年(1941)4月13日 「日ソ中立条約」モスクワで調印  
4月16日 日米交渉正式に開始
7月25日 アメリカ「在米日本資産凍結令」公布 
8月1日 アメリカ「対日石油輸出禁止」発表
7月28日 対抗上「在日米英資産凍結」公布

9月11日 「国土防衛総司令部」をおく  12日 産業報国会「働け運動」開始
10月16日 「大学・専門学校在学年限短縮」を決定  11月15日 「兵役法施行令改正」(丙種合格者も召集)  11月22日 「国民勤労報国協力令」〈勤労奉仕の義務化〉   12月19日 「言論・出版・集会・結社等取締り法」公布 出版物の取り締まり強化、集会の許可制など。

昭和16年(1941)12月8日 日本海軍はアメリカ・ハワイ真珠湾を攻撃し、アメリカ・イギリスに対し宣戦布告、大東亜戦争が勃発、大戦争に突入。

むかーーし、むかしのお話  第7話  

教育制度―昭和時代 昭和初期

昭和4年(1929)10月24日 [暗黒の木曜日]といわれた ニューヨーク・株式大暴落に始まる世界大恐慌は、
日本にも波及。
当時アメリカ消費社会のリード的産業である、自動車産業は影響をもろに受け、年初・年末比は三分の一に凋落し、銀行の倒産29年に660、30年に2293に及ぶ。 
失業者は30年初頭に400万人、30年末は600万人、33年には労働総人口の4分の一に当たる1300万人が職を失うほどの、アメリカは大バブル崩壊。 
回復は遅々として進まず、影響は世界中に拡大し、各国は苛立ちを見せ、それぞれの「国益の模索」に、激しく顕になるのである。
この世界大恐慌が、日本にも波及するや、やがて「満蒙開拓」にと目を向かせ、軍部がそれに乗じて清国の隙を覗い、やがて世界との軋轢を生じることになるのである。

昭和6年(1931)9月18日  満州事変勃発  満蒙の領有権を握るべく、満州全域に侵攻した陸軍の関東軍は、ついに 清国ラストエンペラー 溥儀 を擁立して、
昭和7年(1932)3月9日 「満州国」を建国、実権は全て日本が握る、傀儡国家を建設した。 
昭和8年(1933)2月 国際連盟は日本軍の満州撤退の勧告案を可決、これを不満とした日本の国連代表は退場、ここに日本は世界に対し背を向けたのである。

昭和4年(1929)12月11日  文部省に「女子中学教育調査会」を設置「男女共学」を検討。
「男女七歳にして席を同じゅうせず」と言われ、当時は小学校1年生入学から学校生活全般とも、男女はクラスを別に隔離されていて、話をすることも、一緒にいることさえも許されなかった。 中学校は男子校、女子校と学校そのものまで隔離されていた。 しかも女子が大学などに入学できる環境では、まったくなかった。 そのような時代に、「男女共学」を検討する調査会が、設置されたことじたい、驚きである。 恐らく長老委員の一声一蹴でけりが付いたことであったろう。 この案が即時具体化していたら、この爺の人生は、大きく変わっていたことと、悔やまれます。

昭和5年(1930)6月16日  陸軍は学校長の学校教練の合否制度参加を拒否   
中学校に派遣された陸軍配属将校による、軍事教練の教育は強化され、軍事教練の学科としての成績評価は、全ての成績に優先するという所までエスカレートしていった。そこで成績の評価合否は、学校の判断に任せるべきと主張する、学校側校長の考えを、陸軍は合否制度に学校長の参加を拒否したのである。

昭和6年(1931)1月10日  中学校令改正  剣道・柔道を必須科目とする
同年1月16日  全国の学校に「永久不変色の御真影」配布される
同年8月5日  学制改革案大綱を発表  
「高等学校・高等師範学校の廃止し、小学校を国民学校に改称する案」など
昭和7年(1932)2月  小学生が地方では着物が多かったので、洋服普及の目的に「洋服材料会」創設

昭和8年4月1日  初の色刷り国語教科書「サクラ読本」の使用開始 
国語は児童の情操を養う、重要な教科である。
「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」 「コイ コイ シロ コイ」 「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」  
桜は武士道の象徴、入学早々に兵隊を教えられ、満州事変を契機に、児童を国家主義的方向に導いた教科書と、ある歴史研究者は語る。 特に「修身」の教科書は顕著である。

昭和8年(1933)4月22日  文部省は 京大・滝川教授を「赤化的傾向」と離職を要求した。(滝川事件)
5月26日 滝川教授に休職発令。 これに対し、京大法学部全教授が、辞表を提出しこれに抗議した。
そして 6月18日 京大・小西総長は 滝川事件で辞表を提出。 7月11日 文部省は滝川事件で辞表提出した京大法学部教授団の切り崩しのため、39人中6人を免官し、事態の沈静化をはかった。 
言論統制に対する抵抗である。

昭和8年4月28日 陸軍省は、15歳以上を対象に「陸軍少年航空兵」制度を始める。
陸軍は徴兵による兵力に、新たに20歳以下の青少年を志願兵として、兵力に投入しょうとする。 
航空兵に限らず、あらゆる分野で以後、少年兵は大きな戦力に成長するのである。

昭和8年7月8日  文部省は 国民教育読本「非常時と国民の覚悟」を、各学校・青少年団体に発送、これの実践・強化を発令
昭和10年4月1日 青年学校令公布 陸軍の兵役予備教育の一環として実業補習校と青年訓練所を統合
昭和11年9月22日 尋常小学校教員給与を全額国庫負担と内務省決定

昭和12年7月7日 盧溝橋事件勃発 「支那事変」と名称。
ここに日中戦争始まる。 日本の国は、完全に戦争体制にと、突き進んでいくのである。

むかーーし、むかしのお話  第6話  次回は教育改革−昭和時代 その2 についてお話します

教育制度―明治・大正時代

慶応3年(1867)12月9日王政復古の大号令に徳川幕府は廃止され、
翌年明治元年(1868)3月15日に、明治天皇は京都御所紫宸殿において、公卿・諸侯を率いて、
「公儀世論」を大原則とする、新政府発足のための、
「五箇条の御誓文」の儀式が執り行われた。

明治維新の改革第一段階は幕藩体制崩壊と新政府への権力集中、
第二段階は明治2年(1869)6月17日、天皇親政のための「版籍奉還」の勅許、
第三段階は明治4年(1871)7月14日の「廃藩置県」による中央集権制確立と段階を踏み、
封建社会の藩制度は完全に消滅し、全国を政府直轄にすることが出来た。 

明治2年(1869)7月8日に「職員令」を公布、中央・地方の職制を定め、中央は太政官と神祇官の二官制とし、
太政官のもとに民部・大蔵・刑部・宮内・兵部・外務の六省を置いた。

明治維新は、欧米が100年、200年かけて近代化したプロセスを、明治維新の改革は、僅か数十年でやり遂げてしまったのは、権力を中央に集権することが出来、そして明治新政府は欧米視察して、直ちに欧米の行政制度と官僚制度を手本とし、官僚による上からの指導で成し遂げ、改革推進できたからである。 
しかも、教育の急速な普及も、大きな推進力であった。

教育制度では、明治4年(1871)7月 「文部省」を創設、教育体系の検討を始めた。 
そしてその年11月には、将来の女子教育のリーダー育成のため、津田梅子ら5名をアメリカに留学派遣。

明治5年(1872)8月2日「学事奨励に関する被仰出書(オオセイダサレショ)」を発布、翌3日に「学制」の公布をし、明治新政府の教育の抱負を示す形になった。 
「学事奨励に関する被仰出書」の冒頭に「人々自らその身を立て、その産を冶めその業を盛んにして、以ってその生を遂げるゆえんのものは他なし。 身を修め智を開き、才芸を長ずるによるなり。 而して、その身を修め智を開き、才芸を長ずるは学にあらざれば能はず」 と学ぶ場の学校の必要性を強調、
「学問は士人以上の事とし、農・工・商および婦女子に至りては、これを度外におき、学問の何者たるを弁ぜず」と、階級の差別無く、国民皆平等に学問を受けることの理念を強調した。
「自今以後、一般の人民必ず村に不学の家なく、家に不学の人なからしめん事を期す」とさらに力説する。

「学制」については、当初 文部省は、全国を8大学区に分け、各大学区に32中学区、1中学区に210小学区を設置する計画であったが、計画通りにはなかなか進まなかった。 
しかし地方では努力され、明治8年(1875)には、全国に24225校の小学校が出来たというから驚きである。 

「学制」に基づく学校も、学校そのものは、地域住民の自主的な創設と、授業料も徴収され、受益者負担が貫かれていた。 そのため、「国民皆学」とうたわれていたが、学校にやれない家庭も多かったと思われる。 
特に女子は、家庭の働き手としての役割が重視され、就学率は低かったようである。  

就学率は 明治6年(1873)に 男子40% 女子15% 
明治11年(1878)に 男子58% 女子24% と男子は5割を超えたが、女子は低かった。
明治30年代に、授業料が無料になり、小学校で女子に裁縫を教えるようになって、女子の就学率がようやく向上した。

明治12年(1879)9月 「教育令」が出され、近代的な教育が推進されるようになる。
それまでの「読み、書き、そろばん」から、「読書、習字、算術、地理、歴史、修身、の初歩、唱歌、体操」などが、教科になる。

明治19年(1886)「小学校令」により、それまでの小学校は、尋常小学校と高等小学校に分けられ、尋常小学校の4年間が義務教育となった。

明治22年(1889)2月11日 「大日本帝国憲法」「皇室典範」が公布、
翌明治23年第1回帝国議会が開催され、国の体制が確立する。

明治23年(1890)10月7日 更に「改正小学校令」で、「修身」を中心とした「尊王愛国」または「忠君愛国」が柱になる、天皇制教育が強化されることとなった。

この年、明治23年(1890)10月30日、これを象徴する「教育勅語」が発布され、法令ではなく、「天皇の大権」によって発せられたというところに特徴があり、学校のみならず、国民生活の規範とされたのである。
「教育勅語」はその「謄本の下賜」と、天皇・皇后の写真である「御真影の下賜」がされた。 学校ごとに「拝戴式」が行われ、それを奉置する「奉安殿」が設けられたのである。
この後、祝祭日や学校行事の度に、学校長により、「教育勅語」が「奉読」され、天皇を中心とした「尊王忠君愛国」の精神を、培われていくことになった。 
なお、日の丸・君が代も天皇制教育の浸透に強化されていったのである。

明治維新以来の教育制度の充実と、「富国強兵・殖産振興」とが相俟って、国力も徐々に充実してきたのである。

明治27・8年(1894・95)の日清戦争、明治37・8年(1904・05)の日露戦争に勝利した。
明治・大正時代の世界情勢、日本の立場の詳細は、歴史書にゆだねるとして、
帝国主義列強間の矛盾が、表面化し大正3年(1914)第一次世界大戦が勃発、大正7年(1918)年終結したが、日本はここに帝国主義国家の仲間入りを果たし、その後の「帝国・軍国の道」をひた走るのである。

明治44年(1911)5月8日 文部省は「尋常小学唱歌」第1巻を刊行、音楽教育を実施した。

明治43年(1910)、朝鮮半島を「朝鮮併合条約」で、完全に植民地として支配し、朝鮮総督府を設置した。(1945年まで)  そして、
明治44年(1911)8月24日 「朝鮮教育令」を公布し、「日本語での教育体制」を整え、
同年10月24日には、天皇は 「教育勅語」を朝鮮総督府に下付、
翌45年(1912)1月4日に「教育勅語」を朝鮮総督府に下賜するに付き、官立・道立諸学校に訓令す。

ここに植民地にも日本語による「尊王忠君愛国」の天皇制教育の精神を、強制的に浸透強化した。
このような歴史的経緯から、朝鮮民族の反日感情は、今日に至るまで激しいものがあり、現在の日韓関係に大きく影を落としている。これからの正しい両国関係と友好の確立に、一人ひとり努力する必要がある。

明治45年(1912)7月30日 明治天皇 崩御  ここに明治時代は終わり、大正時代になる。

大正2年(1913)7月16日 「小学校令改正」され、教員免許状は府県で授与されることになる。

大正2年(1913)9月19日 文部省は、「医師・歯科医師・薬剤師の試験規則」を公布。

大正2年(1913)9月27日 「僻地小学校教員に特別加俸を給す勅令」を公布し、僻地教育の促進のための勅令が公布された。

第一次世界大戦後、世界は一時、国際協調主義が進展し、ワシントン会議が開かれ、海軍軍備制限に関するワシントン条約成立がした。
しかし侵略に対する制裁の欠如、自衛のための戦争の肯定などの限界があって、各国の思惑もあり実行力に乏しかった。

そのようななか、大正13年(1924)8月27日 「軍事教育を強化したい文部省」 と 「軍縮で失職した将校の救済を考える陸海軍省」が「将校を学校に派遣するための協議」をしている。

大正14年(1925)4月13日 陸軍省は、「陸軍現役将校学校配属令」を公布、ここに中等学校以上の学校に陸軍将校が派遣され、「軍事教練」が義務づけられたのである。 陸軍配属将校は、徴兵によらない、陸軍学校の教育を受けた、陸軍の中堅的な職業軍人である。

大正14年(1925)4月22日 政府は「治安維持法」を公布する。この法律は、以後拡大解釈され、国民を様々な形で、弾圧し強制する手段に用いられたのである。

大正15年(1926)5月13日 文部省は「宗教制度調査会」を設置し、学校に於いて
宗教は「神道」以外認められない方向に進んでいった。 各宗教団体は「宗教法案」に対し、反対運動が起こった。

大正15年(1926)12月25日 大正天皇 崩御  ここに大正時代は終わり、昭和時代になる。
そして益々「帝国主義」「軍国主義」の道を、しゃにむに突っ走るのである。

むかーーし、むかしのお話  第5話  次回は教育改革−昭和時代についてお話します

全1ページ

[1]


.
なおじぃ
なおじぃ
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事