なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

散策・江戸東京・足立

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   江戸東京・足立 18 
   真言宗豊山派・実相院

   伊興町は昔沼地で横沼といった。 
   約1200年ばかり前、行基上人が諸国行脚の折この地に錫杖を止め、池に浮かぶ霊木を拾い、
   尊増を刻んで安置したと伝えられている。  昭和46年東京都の有形文化財に指定
   源頼義八幡太郎義家が安部貞任追悼の朝命を受け、当地で戦勝を祈願し、 
   前九年の役の平定後に土地を寄贈して境内とし、武蔵守藤原成実も巨額の浄財を寄進、
   堂塔を建立した。
   その後数百年を経て、文永元年(約百年前)、火災で焼失。 文永の末年再建、
   明治22年改築修繕した。

   子育ての由来は、母乳の不足に悩む人が、この寺の御供米を戴いたところ、
   御利益があったので、子育て観音と信仰をあつめたと言う。

   仁王像は延宝5年(1677)の銘が背面にあるという。 
   享保20年(1735)に造立された宝僑印塔葉、損傷なく完全な形を保っている石造物。

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   真言宗豊山派・阿遮山福寿院

   福寿院は実相院の前にある。 庭いっぱいに幼稚園の庭になっている。

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   真言宗霊雲寺派・妙憧庵

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   真言宗豊山派・無量山源正寺

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   江戸東京・足立 17 
   西新井大師の仲見世風景

   古くから川崎大師と共に厄除け開運の霊場として有名で、いつも沢山の参詣人で賑わっている。
   家内安全、疫病退散、火難水難厄除、無病息災、五穀豊穣、健康増進、ありとあらゆるご利益を
   願っての参詣者で、大師様もさぞや大忙しであろう。
   
   これだけ多くの参詣者が集まれば、当然そこには店が出る。 
   参道の両側には、古くからの土産物の店が軒を連ねる。 
   境内には縁日の露店が、やはり店を出し、縁起物、飾り物、だるま飾り、みやげ物、食べ物、
   飲み物などなどの店が、所狭しとばかりに店を連ねる。 
   ここには、子供のとき親に連れてこられ、何を買って貰おうか、何を買おうか食べようかと、
   わくわくした気分・雰囲気を味わうことが出来る。
   
   「よもぎだんご」「ごまだんご」「くさもち」「せんべい」「らくがん」「豆もち」
   「金太郎あめ」などなど。
   中でも「厄除け占い」の露天には、何を占うのか、何の厄を除くのか、妙齢の女性たちが、
   延々と長蛇の列を作っていた。 
   現代の若い女性たちは、そんなに悩み・厄を抱えているのかな???
  
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   江戸東京・足立 16 
   西新井大師

   西新井大師は五智山遍照院総持寺といい、天長3年(826)弘法大師の創建で、新義真言宗、
   江戸時代には関東七カ寺の一つであった。 
   古くから川崎大師と共に厄除け開運の霊場として有名です。

   縁起によれば、1100年余の昔、弘法大師が衆生済度のため諸国巡りの折、この地で
   十一面観世音菩薩のお声により大師自身に降りかかる厄難と、この地の悪疫が消除するよう
   祈れとお告げがあった。大師は斎戒沐浴、護摩を修し、厄難消除を昼夜にわたり祈念したところ、
   悪疫は終息し、人々は不安と絶望から救われた。 
   大師の徳を慕って、大師自作の観世音菩薩と大師尊像を祭ったのが、この寺の始まりです。
   その時、加治水に使った井戸から西新井の地名が起こったとも伝えられる。
   文安元年(1444)、文亀2年(1502)の兵火にも大師尊像は火難を逃れたので、
   火除厄除大師ともいわれている。
   江戸時代になり、幕府は慶安元年(1648)寺領二十石の朱印状を寄進し寺格の高きを認めている。
   元文3年(1738)八代将軍吉宗が鷹狩りの際休息され、御膳所にになってからは、
   しばしば将軍が立ち寄った。
   明治43年4月、昭和天皇ご幼少の時、秩父宮、高松宮、両弟宮と江北五色桜を御覧後、
   この寺に立ち寄られた由緒を持っている。

   本尊は十一面観世音像、副佛に弘法大師像、ともに空海作の秘仏である。
   本堂は徳川中期の再建で、総けやき十四間四面の入母屋破風造りの威容を誇ったが、
   昭和41年5月、夜半の不慮の火災で焼失、昭和46年12月新本堂落成開眼。

   西新井大師・本堂
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   本堂下・おみくじ処
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   仁王門と仁王
   木造二階建、銅版葺、入母屋造り総ひのきで、江戸時代後期のもので、区指定文化財
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   三匝堂(さんそうどう)(栄螺堂 さざえどう)
   天保5年(1834)弘法大師千年忌に江戸・伊勢屋彦兵衛が四国巡礼したとき、
   各霊場の砂を持ち帰り、埋納した上に立てたものという。 
   その後明治17年に鉄仲講・大栄講の篤志家により改築されたもので、
   初層に八十八祖像、二層に十三仏、三層に五智如来と二十五菩薩画安置され、
   ここにお参りすれば諸国の霊場を巡拝したご利益功徳があるとされる。
   塩地蔵堂、六角堂、宝照殿講堂、光明殿、八角堂 鐘楼などがある。
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   御身体洗い大師 (新井と洗うを掛ける)
   一生懸命御身体を洗うと願いが叶うとの事で。
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   足立・舎人と伊興その周辺 15
   都道100号線・伊興通り

   都道100号線伊興通りの歩道にはめ込まれた、足立区ゆかりの絵図があり、何ともほほえましい。
   次の8種類のようです。 
   日光街道千住大橋、東岳寺広重の墓、白旗塚古墳の埴輪、千住の絵馬、
   足立島根神社に伝わるお面、炎天寺一茶の碑、大乗院のじんがんなわ、
   鹿浜の獅子舞がモチーフになっている。

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   街路樹の補助柵に、かつての見沼代用水堀にいた蛙、小魚をモチーフに、夏涼しげに泳がせ、
   農村の面影を残す。 でもタバコの灰皿になっていた。

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   マンホールのふたも、最近はそれぞれ個性がある。

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足立 14  東岳寺

   足立・舎人と伊興その周辺 14
   曹洞宗・南昌山東岳寺

   寛永10年(1798)浅草の新寺町に創建され、昭和36年に伊興に移転した。

   境内には「東海道五十三次」などで知られる浮世絵師、初代安藤広重の墓と記念碑がある。
   墓は昭和33年、広重の百回忌の折に再建されたものです。 
   また、広重の画業を世界に紹介した、アメリカ人、ジョン・スチュワート・ハッパーの墓や
   川柳の修句を集めた俳風柳多留の版元花屋久次郎の遺跡跡もある。 
           東京都旧跡指定・初代安藤広重墓及び記念碑

   安藤広重=東京都教育委員会が昭和43年に建てた説明板に
       『広重は浮世絵の大家で寛永8年(1796)に生まれ、文化8年(1811)歌川豊広に
       師事し、翌年歌川広重の画姓を許された。はじめ一遊斎、次に一幽斎、立斎と号した。
       諸派の画風を習得するとともに西洋画の遠近法を加味して一流をなし、
       はじめ美人画、役者絵等を描いた。 
       天保年間「東海道五十三次図」を描き一躍名声を得て風景版画家として
       第一人者となった。
       その作風は、純客観視覚をもって自然を描き、情緒ある日本的風景画を完成した。
       「東都名所」「近江八景」などは著名作。 
       「名所江戸百景」の完成を見ずに、安政5年(1858)に没した。 
       墓石は、震災および戦災で破壊され、昭和33年百回忌に際し再建した。
       記念碑は大正13年に建立されたものである』とある。

   ハッパー墓銘=『米国人ハッパーは日本在住46年に及び世界に日本文化を紹介し、
       深く広重の芸術に憧れ自ら広重ハッパーと称す。昭和11年12月19日東京に没す。
       享年74、知友相謀り、墓を東岳寺内広重の碑側に建つ。 昭和12年5月30日』と
       ある。   撰文は、藤縣静也。
       また、碑の上部に英文があり、撰文は、詩人野口米次郎である。

   都道100号線伊興通り、観音橋バス停のところに、東岳寺はある。
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   秋、紅葉に染まった庭園は大変美しい。 山門をくぐっただけで、別世界の感じであった。 
   本堂も調和して、趣がある。
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   山門をくぐって左手奥に、安藤広重の墓と記念碑がある。 
   その左にアメリカ人ハッパーの墓、
   更に左に川柳の修句を集めた俳風柳多留の版元花屋久次郎の遺跡跡  
   広重の墓の右手に広重塚があり、その右に歌人・香月弘為の碑がある。
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   東岳寺の庭は、池を中心に配置してあり、紅葉が大変美しい。
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