なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

散策・さいたま大宮

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   さいたま・大宮 03
     中仙道・浦和宿から大宮宿 その2

   この道は昔、車を利用していた時は、よく渋滞するので、よほどの用事でも無い限り敬遠し、
   最近は徒歩・自転車で行動するから、またここに用事も無いので、何年も此処には来ていない。
   思い立って来て見て、ビックリギョウテン驚いた。 
   新都心整備で変わったとは聞いていたが、風景・景色がすっかり様変わりしていた。  
   どこがどこだか?? 何がなにやら?? すっかり浦島太郎に成ってしまった。
  
   旧中仙道の道を、与野駅から大原跨線橋(JR高崎・東北線)を過ぎ、昔の面影を残す道路を北上。
   旧道もだいぶ整備されたナーと思いながら進むと、突然視界が開けた。 
   新都心整備地区内のビル群・施設群とJR高崎・東北・京浜東北線・さいたま新都心駅及び
   整備された道路網が一変。  
   すると此処に何年、来ていなかったのだろうか???

   昔の面影を残す旧中仙道、与野駅付近。

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   中央高層ビルは日本郵政グループさいたまビルと、集合住宅マンション、駅ビル??
   新都心大橋(JR高崎・東北線跨線橋)に接続する道路。

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   新都心大橋(JR高崎・東北線跨線橋)(中央)に接続する道路。  
   集合住宅マンション2棟と旧中仙道に面するファミリーレストラン。

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   三菱マテリアル中央研究所は昔からの道しるべ。 
   与野駅大宮駅の中間にあったが、今はさいたま新都心駅前。

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   さいたま新都心駅前歩道にある「お女郎地蔵」(右側石仏)と「火の玉不動尊」(左側石仏)
   「火の玉不動尊」寛政12年(1801)建立   「お女郎地蔵」天保6年(1836)建立。

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   「火の玉不動尊」「お女郎地蔵」の前にある「高沼遊歩道公園広場」は「出会い・ふれあい」を
   メインテーマにして時々交流イベントが開かれるようである。  
   公園から旧中仙道道路、JRさいたま新都心駅ホーム(東北線列車停車中)

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   さいたま新都心駅前には、首都高速埼玉新都心線、新都心東口出入口及びさいたま見沼出入口方面
   首都高速埼玉新都心線は新大宮バイパスから新都心に流入、多目的施設スーパーアリーナと
   さいたま新都心駅の地下を貫通して東口に、更にさいたま見沼出入口へ。

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   さいたま新都心駅前通路橋。 左は旧中仙道、右方向道路は首都高速埼玉新都心線側道。

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   さいたま新都心駅前から旧中仙道・浦和方面を望む。
   信号の手前左に首都高速埼玉新都心線に入る側道。  信号先の左歩道に「不動尊・地蔵堂」

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   イトーヨーカドーは与野駅と大宮駅の中間にあったが、さいたま新都心駅の駅前に大変身

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   さいたま新都心駅前から旧中仙道・大宮方面を望む。 旧中仙道の標識

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   さいたま新都心駅。
 
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   さいたま新都心駅から旧中仙道を大宮方面に。 武蔵一宮氷川神社の参道一の鳥居。

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   旧中仙道・吉敷町交差点よりJR高崎・東北・京浜東北・埼京線、そして東北・上越新幹線の複雑に
   絡むガードをくぐって大宮市街西側に。  
   不便であった東西間の流通道路網はすっかり整備されて、便利になっていた。

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   昔々のこんな伝説もあったのだ。  
   此処に昔、高台橋があったそうだ。 路線バスの昔のバス停名は「高台橋」

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   さいたま・大宮 02
     中仙道・浦和宿から大宮宿

   旧中山道の浦和宿から大宮宿への道は、現在重要な道路として整備されている。 
   また、明治16年7月上野―熊谷間に鉄道が開通し、旧中仙道と平行して線路が敷設され、
   これも現在整備されている。

   ここ大宮駅は貨物の集積・操車場として広大な場所に線路が敷設されていたが、
   新幹線建設や、操車場の整備で、広大な土地を出現させ、現在の「さいたま新都心」として
   整備された。 
   さいたま新都心のビル郡、JR路線、道路などが、現在見違えるような変身振りとなったのである。

   街並み・道路の整備変身が行われた地域、浦和区針ヶ谷3丁目にある
   JR京浜東北線・跨線橋・大原陸橋の自動車専用東側出入り口に、庚申塔が安置されていた。
   正徳4年(1714)の銘がある。  
   ここに300年もの長い間、安置され信仰されていたとは、驚きである。
   多くのこのような庚申塔、供養塔などの民間文化財が、廃棄され消滅している現状を考えると、
   よく跨線橋建設のときに失われなかったことが不思議である。 
   心の貧しいい人が最近多くなり、文化財であるという認識に欠ける人が多く、憂慮するとともに、
   次の世代に貴重な文化財を残していきたいと思う。

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   右から新都心大橋。
   かつてここにあった大原橋は、浦和市、大宮市、与野市の3市にかかわる跨線橋で、
   近くに跨線橋が無かったので、東西の交通路の要衝で常に渋滞。 
   国鉄時代からの大宮貨物集積所・貨物操車場の広大な跡地の整備で、ここは見違えるようになり、
   さいたま新都心にと発展した。
   高層建築は日本郵政グループさいたまビル。 
   隣は郵便さいたま新都心局で、さいたま市内の郵便物集配業務の一貫を担っているという。
   その隣は埼玉県合同庁舎2号館、1号館。
   そして更に、多目的ビル・さいたまスーパーアリーナとビルは続く。

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   新都心大橋の西側交差点。  大原橋が大変身したJR東北線・高崎線の跨線橋。

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   新都心大橋からJR東北線・高崎線の浦和方面を望む。 
   電車はJR京浜東北線・東京・横浜方面行き。
   高崎・東北線の複々線、貨物待機線などなど、上越・東北方面の分岐点である大宮駅までの
   複雑な路線。

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   新都心大橋からJR東北線・高崎線のさいたま新都心駅・大宮駅方面を望む。 
   ビルは日本郵政グループさいたまビル、郵便さいたま新都心局、埼玉県合同庁舎2号館、1号館。

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   JRさいたま新都心駅西側埼玉県合同庁舎1・2号館口。

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   さいたまスーパーアリーナに架かる人道跨線橋・大宮ほこすぎ橋
   橋の由来は、さいたま市の歴史から、時代に流されないようにと言う事で、氷川神社の参道の並木が、
   明治―大正―昭和とスギの木が主であり、昭和9年に作られた「大宮をどり」に「鉾杉」と
   唄いこまれていて、杉並木が原点であった。
   そこで新都心と大宮市をつなぐ「辻」であり、参道の杉並木に因み「大宮ほこすぎ橋」と
   命名したという。

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   大宮ほこすぎ橋よりJRさいたま新都心駅方面を望む。 
   ビルは右より多目的ビル・さいたまスーパーアリーナ、埼玉県合同庁舎1・2号館、
   日本郵政グループさいたまビル。

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   大宮ほこすぎ橋よりJR大宮駅方面を望む。
   線路は、右から京浜東北・上下線、高崎・東北・上下複々線(現在貨物列車通過中)、整備空地、
   高崎・東北貨物待機線。   
   更に高架線は東北・上越新幹線、高架下は埼京線。 
   上越・東北方面の分岐点である大宮駅までの複雑な路線。   
   この一帯で各線が複雑に絡み合ってそれぞれの行き先別に振り分けられ、大宮駅各線ホームにと
   ポイントが切り替わって到着・出発ホームに振り分けられている。

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   さいたま・大宮 01
     武蔵一の宮・氷川神社

   武蔵一の宮・氷川神社は、さいたま市大宮区高鼻町にある。
   神社の略記によれば、 「2400有余年の昔、第五代孝明天皇の御代3年の御創立で、
   聖武天皇の御代「各国に一の宮の制」を定められたとき、武蔵一の宮と称せられ、
   醍醐天皇の朝に定められた延喜式には名神大社として月次新嘗案上官幣に預かり、
   臨時祭にも奉幣に預ったことが記されている。
   明治になり、元年に明治天皇の行幸、御親祭なされ、当国の鎮守勅祭の社と定められ、
   明治4年官幣大社に列せられ、年々の大祭には勅使の御差遣、東游の御奉納などがあり、
   荘重厳粛な祭儀が行われた。

   氷川神社名の社は、大宮を中心に、埼玉、東京、神奈川に二百八十数社あり、
   武蔵国造の子孫が大宮を本拠に民族的政治的に繁栄したことを物語る」 と記されている。  
   また、「上代のことは詳らかではないが、冶承4年(1180)源頼朝公が土肥次郎実平に
   社殿再建を命じ、文禄5年(1595)徳川氏が伊奈備前守忠次を奉行として造営せしめ、
   次いで寛文7年(1667)には阿部豊後守を奉行として社殿の建立がなされた。 
   以来幾度の御造営があって、今の社殿は昭和15年(1940)の竣成で、流造り社殿」 とある。

   御祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命
   例祭日は8月1日

   「神社は元神領の大宮公園を控えた聖地で、境内の広さ3万坪、参道は古杉老松の古木を
   しのばせ、中山道一の鳥居から2km、旧国道16号沿いの二の鳥居は高さ13mで木造鳥居では
   関東一の高さ。  境内には楼門、舞殿、神橋、池水満々、季節の風致は美を極め、
   霊気おのずと襟を正さしめる」とある。

   旧中仙道から氷川神社参道の入り口、一の鳥居。 
   一の鳥居の前にある「武蔵一宮氷川神社石碑」は官幣大社の文字がセメントで埋められ
   (大分剥がれて読めるようになっている)、正観音の文字が削られて、
   明治維新と第二次大戦後の激動を碑面に伝えている。
   「宮まで18丁(2km)」の平成元年の石碑があるが、記録では享保7年(1722)の造立で、
   正観音の文字が削られたものがあるとされるが見当たらない。  
   両側の石灯篭は安政3年に奉納されたもの。
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   参道の旧国道16号との交差する所に二の鳥居がある。
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   境内神域の入り口に三の鳥居がある。 ここから神社の神域になる。
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   末社、巫女神楽殿、神楽殿、額殿などの境内を抜けて、神池にかかる神橋を渡ると、
   朱色の楼門がある。
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   朱色の回廊が巡らされた楼門をくぐると、神域の中央に舞殿が設けられ、その奥に本殿の拝殿がある。
   祭礼にはこの舞殿で、優美に雅楽の奉納がなされることであろう。朱色の楼門は美しい。
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   東門の脇に摂社が祭られている。
   摂社には門客人神社と天津神社の同じ造りと思われる2社が立ち並び祭られている。 
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   別の場所に摂社・宗像神社が祭られている。
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   末社の稲荷神社も祭られている。 
   そのほか、山祗神社、石上神社、愛宕神社、雷神社、住吉神社、神明神社、天満神社、
   松尾神社、御嶽神社。  八百万の神々が、ここ氷川神社に集いておわす。
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