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さいたま・大宮 23 昔の家・昔のくらしの見沼くらしっく館・旧坂東家住宅 旧坂東家住宅はさいたま市見沼区染谷2丁目、大宮駅発浦和美園駅行きバス三崎台停留所前にある。 三崎台バス停の次のバス停は、見沼自然公園入口のバス停・締切橋である。 昔まだ幼かった頃、おじいさん、おばあさんの家に行くと、このような家であった。 郷愁に誘われ、家に入ると、炊事のかまどが土間にデーンとあり、奥には水瓶に水が張られ、 木の流しがあって、調理の支度を此処でする。 部屋の上がり口には、囲炉裏があり、自在鉤でつるされた鍋には、 野菜の煮物がもう良い匂いをかもし出している。 奥の土間では、藁仕事がまだ終わっていない。 広い庭に筵を敷き詰めて、取立ての小豆が干してある。 そろそろ取り込まなくてはならない。 今日は一日忙しい! 何か、そのような会話、ボヤキが聞こえてきそうな感じ。 それでもゆったりと時が流れる。 部屋の中央に式台、この家の正面玄関であり、左側の部屋が客間と周廊下。 右が普段の居間と土間、炊事場、もろもろの作業場、作業場土間などである。 通常の出入りは右側の炊事場・作業場の出入り口を使う。 水屋には井戸があり、滑車で水汲み、これも慣れないと中々水が汲めない。 万能の土瓶があった。 何を入れたのか?? 昔、この辺は柿渋の産地でもあった。 柿渋を入れて、江戸に運んでいたのかな?? 柿渋は、紙に塗ると防水効果があったので、番傘に、雨合羽によく使われていたという。 いわば、ビニールシートを作るための昔風・紙塗布原料。 |
散策・さいたま大宮
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さいたま・大宮 22 見沼自然公園 見沼自然公園はさいたま市緑区上野田にあり、 近所に慶応義塾大学浦和共立キャンパス(旧共立薬科大学)、大宮共立病院、 県立浦和東高校と私立浦和学院高校がある。 見沼自然公園は、 前回掲載のさぎ山記念公園に隣接して広がる広大な見沼の自然環境を保護する地域と、 市民の憩いの場所・見沼自然公園及びさぎ山記念公園青少年野外活動センターとに整備されている。 見沼自然公園入口の水路は、江戸との往復の舟を通した運河跡。 公園の北東に接して流れる見沼代用水東縁の水路は、村々から江戸とを結ぶ内陸水運が 幕府によって開かれて見沼通船といわれ、年貢米、薪炭、野菜、柿渋、酒などが運ばれ、 江戸からは肥料、塩、雑貨などが運ばれてきた。 見沼通船には、各所に荷積み場の河岸が置かれ、通船会所が設けられた。 公園に隣接する中久喜家は染谷河岸と呼ばれ、河岸と通船会所があり、 居宅庭先までの通船を設け、芝川、加田屋川を経る通船を開き、船荷を効率的に取り扱った。 公園造成にあたり、水路を通船遺跡として残して、近世産業交通の歴史を学ぶ場とした。 見沼代用水路開発の祖 井澤弥惣兵衛為永の銅像 公園に入って野球場より広い程の芝生の一角に、井澤弥惣兵衛為永の銅像がある。 井澤弥惣兵衛為永は見沼代用水路開発の祖といわれる人物で、 紀州溝口村(現和歌山県海南市)に生まれ、幼少より学問、特に算術に秀で、 若くして紀州藩に仕え、水利事業に才能を発揮し、紀ノ川水系の代表施設に現在も留めている。 徳川吉宗が八代将軍になった頃、幕府財政は窮乏、財政改革に乗り出す吉宗は、 紀州藩主当時治水事業に能力を発揮した為永を享保7年江戸に召し出し、紀州流といわれた 土木技術により新田開発をし、財政改革に大きく貢献した。 為永は享保10年(1725)、新田開発のため見沼溜井を視察、 干拓後の水源を見沼に代わって利根川から引水することとし、 享保12年(1727)より工事開始し、元荒川の底を通す伏越、 綾瀬川の上を通す掛渡樋等を構築し翌年春に完成させた。 総延長約60kmに及ぶ見沼代用水路をわずか半年で完成させ、 これにより見沼溜井約1200ヘクタールの新田開発と、八丁堤下流の水源を確保した。 それに伴い見沼代用水の開発は数多くの沼地を開墾し、多くの用水路を作った。 そして閘門式運河としての見沼通船堀という通運施設を開発し、 芝川と東縁・西縁用水路を結ぶ通船堀を享保16年(1731)完成し、舟運を発展させた。 当時の日本の技術レベルからして、世界の通運史からも特筆すべきもので、 見沼通船堀遺跡は国指定史跡になっている。 見沼自然公園の自然 見沼自然公園は付近の里山・田園水田と渾然一体となっていて、 見沼の自然環境を保護する地域は一般の立ち入りが禁止され、自然生態系の復元、保存、保護を 優先する保護地域としている。 自然観察園はさまざまな水辺の植物や生物の生育環境となる湿性植物園、自然観察水路、 水生生物観察池で、沢山の生物が生息できる環境に守り育てていく取り組みをしている。 公園の見所はやはり、池の周りを巡り歩くのが一番、立ち止まったところ、 すべて別の趣があり景色がある。 さぎ山記念公園青少年野外活動センター さぎ山記念公園青少年野外活動センターはさいたま市内に在住、在勤、在学者を対象に 予約申し込みし、中学生以下は指導者、保護者の引率を必要とし、高校生のみの利用は保護者の 承諾書、学校長への書類提出が必要。 利用時間は午前9時から午後4時半までとし、キャンプ宿泊は利用許可を受けて宿泊可能。 キャンプファイヤーは事前申請し、所定の場所にて午後9時までに終了のことなどの注意事項。 自然の中でのキャンプなど、青少年団体の活動には、楽しい計画が立てられると思う。 山小屋風の洗面・トイレの建物、大きな炊事小屋、家族単位のバーベキュー炉、水のみ場など、 親しい人たち、家族での野外パーティーなども楽しくできます。 一組のグループが楽しそうに、バーベキューパーティーをやっていた! |
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さいたま・大宮 21 記事ネタ切れになったので、さいたま市都市計画部みどり推進課のパンフ片手に、 チャリンコ(ママチャリ)ギコギコこいで、見沼田圃の散歩道を一巡りしてきました。 これで2・3回の、いや4・5回の記事ネタをゲット!!! 順次掲載します。 野田のさぎ山記念公園 野田のさぎ山記念公園はさいたま市緑区上野田にあり、近所に慶応義塾大学浦和共立キャンパス、 県立浦和東高校と私立浦和学院高校がある。 野田のさぎ山は、江戸時代から昭和の末まで「しらさぎ」が繁殖を続けていて、 幾百いや千を越すほどの数の「しらさぎ」が此処をネグラにしていたが、 ある日忽然と姿を消してしまった。 どこに行ったのか???何が原因なのか???いまだに不明。 新聞にも大きく取り上げられたことを記憶している。 その後、この由緒ある場所をさぎ山記念公園として整備し、地区の歴史であるさぎ山に関する 資料を展示し、市民の憩いの場・学習の場として利用できるようにしたのが記念館である。 記念館の玄関前に実物大の象の彫刻が置かれている。 タイ国チェンマイ西方インタノン山麓のジャングルにあった推定樹齢1500年以上、 原木の直径3m16cmのチーク材を、6年3ヶ月かけて高さ2m74cm、幅1m10cm、 長さ2m40cm、重量1320kgの象の彫刻木像に仕上げたものと表記されている。 さぎ山と象との関係は判らないが、実物大の象は浦和北ライオンズクラブの寄贈。 展示室の正面に大きな絵が飾られている。 「徳川家慶鷺山上覧図」 代山、黒須喜代治氏画 説明によれば「徳川12代将軍家慶の鷺山上覧の模様を推測して描いたもので、 家慶の日光社参は、天保13年(1842)である。 5月中旬頃の通行であるので、鷺山のもっとも賑やかな頃で、天保の頃は、 さぎ山が代山村、寺山村、上野田村の三村に広がっていて、盛んな時代であった」という。 このさぎ山記念公園の入り口の道路は、昔「日光御成道」と呼ばれ、 江戸時代に将軍が日光東照宮へ参拝するときに通行した道で、 江戸本郷追分から王子、岩淵、川口、鳩ヶ谷、大門、岩槻を経て、 幸手で「日光道中」に合流する道で、今でも「日光御成街道」といわれている道。 昭和の頃のさぎ山の様子を撮影した展示写真の一部を掲載。 小学生の課外授業で、見学に来たのであろう。 子供たちのハシャギまわる姿は楽しくなる。 芝生で思い切りカケッコをする、アップダウンの坂道を駆け抜ける。 普段の都会生活の鬱憤を晴らすように、大声で叫び、追いかけ、懸命に疾走する子供たち!!!! こちらでは、釣れもしない池で、釣り糸をたれる中高年。 ただ黙々と、ひたすら糸を垂れていた。 さぎ山記念公園への交通は、 大宮駅東口―浦和学院高校または浦和美園駅 浦和東口駅―さいたま東営業所 東浦和駅―さいたま東営業所 それぞれ「さぎやま記念公園前」下車。 東武野田線大和田駅―さぎ山記念公園(さいたま市コミュニティバス見沼区役所線) さいたま市コミュニティバスは、乗降が此処なので便利。 |
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さいたま・大宮 20 さいたま市防災センター さいたま市防災センターはさいたま市大宮区天沼1丁目にある。 防災センターに隣接して、自治医科大学付属さいたま医療センターと合併記念見沼公園がある。 防災センターでは毎日このような訓練がなされているのだろうか。 丁度、見沼公園を見つけたので、興味が湧いて公園をのぞいたら、 防災センター裏の訓練場で、激しいトレーニングが行なわれていたので、 垣根越しに見学させていただきました。 4人一組で肩車して壁面を登頂し、土台となった一人を上から手をつなぎ引き上げて全員登頂、 その時すでに2名は次の行動に移り、右側の足場の垂直階段を駆け上っていた。 右側の足場から左側の足場にロープを引渡し、全員ロープ伝わり渡り、足場からロープで滑降り、 下のトンネル内で酸素ボンベ装着し、脱出して次の現場に駆け足。 出発から最後までの所要時間を記録し、前回記録と比較する。 災害現場の基本的動作・作業を想定しての訓練とはいえ、常に記録の更新が求められ、 訓練は激しく真剣。 人命の救助、被害の最小限を目指すので、真剣さが伝わってくる。 見ていて頭が下がります。 感動します。 有難うございます!!! 合併記念見沼公園 合併記念・見沼公園は、自然の湿地帯が残された、自然観察のできる公園だ。 ウシガエルが鳴いている。 鳥の鳴き声、子育てか?? 自治医科大学付属さいたま医療センター 「火の見やぐら」のある自警消防団車庫 珍しい「火の見やぐら」のある自警消防団車庫は、さいたま市見沼区中川にあった。 昔は各消防署に「火の見やぐら」があり、消防署員が昼夜を問わず、24時間体制で、 目視による火災発生の監視を続けていた。 街中にも、特に郊外では町会の自警消防団が組織されており、このような「火の見やぐら」が あって、ここでも監視されていて、火災が発生すると火災現場に出動した。 火災の発生を知らせるとき、この火の見の鐘を叩いて町内に知らせると共に、 自警消防団員に出動の知らせを、この鐘が知らせる。 (美空ひばりの「お祭りマンボ」の中にも歌いこまれている) では自警消防団員の皆様は??? ハイ、魚屋のおっさん、八百屋の兄さん、酒屋のオトッツアン、肉屋の旦那、工場の若衆などなどが、 火の見やぐらの鐘を聞いて、自警消防団の車庫に集まり、消防車を引っ張り出して、 火災現場に急行(鈍行)する。 昔は自警消防団と火の見やぐらはセットでいたるところに在り、地域住民の生命・財産を守る 組織があり、また地域住民の奉仕が求められていた。 すなわち地域住民同士の連帯関係・信頼関係・相互互恵制度でもあった。 今でも、町会の自警消防団の組織は存在し、自警団消防車の車庫は目にするが、 人員不足で機能していないのが現状であるようだ。 |
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さいたま・大宮 19 松崎山・西福寺 松崎山西福寺は、さいたま市見沼区大谷にある。 大宮駅から見沼区片柳支所経由し浦和美園に抜ける道の中、片柳支所から七里に通じる道路、 加田屋新田染谷地区・市営霊園「思い出の里」があり、その北東田園地帯に隣接して西福寺はある。 近くに「染谷ふるさとの緑の景観地」があり、また加田屋川に沿って広がる加田屋新田は、 農業の見沼田んぼの原風景であり、市街地から僅かな距離で緑を楽しめる、 絶好の散策コースでもある。 西福寺は由緒ある寺と思うが、縁起を記されたものが見当たらない。 此処での寺暦は、比較的新しいものと拝見するが、 ただ三界萬霊塔の不動明王の陽刻は、宝暦10年(1761)と江戸中期の作であり、 本堂脇庭にある龍がからみ彫られた石灯篭は見事である。 西福寺の境内の左脇の雑木林に、入り口に小さな石の鳥居があり、小さな社がある。 社には木造の小さな座像尊像が、安置され祀られている。 どなたの坐像尊像かは分からないが、脇に奉納された石灯篭には僅かに不鮮明ではあるが、 寛文7年(1667)の銘が彫られていた。 350年前に奉納されたもので、この社はかなり古くから、 土地の人々に崇められてきた社であるようだ。 |





