なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

散策:埼玉 蕨・戸田

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   埼玉:蕨・戸田 08 戸田の海禅寺と光明寺

   戸田公園から、旧中仙道を求めてさまよった挙句、見つけた寺院2寺。

   瑞光山・海禅寺

   瑞光山・海禅寺は戸田市上戸田3丁目7に在り、戸田第1小学校に隣接する。
   結構立派な寺院であるが、由緒、経歴書がないのがいかにも惜しい。 
   ただ山門に臨済宗・建長寺派とあるのみで、立派な山門を持っている。  
   墓地との境は、築地壁でさえぎられ、これもちょっとした寺の山門ほどの門を
   潜るようになっていた。
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   大悲山・光明寺

   海禅寺から国道に出ようとして、光明寺はあった。
   戸田市下戸田2丁目9に在る、真言宗・智山派の寺で、質素なただ住まいである。
   地蔵菩薩は、多くの信仰を集めているようで、
   鈴の紐に信仰の証の、多くの人々の祈る手が跡がある。
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   戸田こどもの国児童館

   戸田市本町1丁目17に在る。
   南に300m程にJR埼京線戸田公園駅がある。
   JR埼京線は、東北・上越新幹線を建設するに当り、付帯で建設された路線であるが、
   開業時は農家がまばらにあるだけだったが、今日すっかり沿線は開発され、住宅地となった。
   また、東京に近いので、工業・倉庫なども集結し、戸田市はもう田舎町ではない。
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   JR埼京線・戸田公園駅

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   埼玉:蕨・戸田 07 荒川土手、戸田親水公園

   三領水門と菖蒲川

   「戸田の渡し」から荒川土手を東に1kmほどブラブラ歩くと、
   菖蒲川が荒川に流れ込む場所がある。 
   菖蒲川(しょうぶがわ)というと大変聞こえが良く、その昔機能していた川も、
   今はまったくお役御免、いや厄介者となっている。 

   ここに三領水門があり、荒川の水が菖蒲川に逆流するのを防いでいる。 
   この水門は、河川技術者・金森誠之の設計で、大正末期に鉄筋レンガ工法という、
   鉄筋に放射線状にレンガを積み上げた工法が特徴であったという。 
   そのため、川口市民から赤水門(レンガ色)と親しまれたが、
   現在はコンクリート製に完全改装され、メモリアルパークも新設された。

   菖蒲川は、農業用排水路として、江戸時代に治水管理のために開削された。 
   しかし現在は住宅・倉庫・工場などが立地し、都市河川として生活排水、工業排水が流れ、
   汚濁が進んでゆくので、今は逆に荒川の水を浄化用水として菖蒲川に放流しているという。

   荒川の河川敷

   荒川の河川敷は、絶好の運動敷地になっている。
   赤羽ゴルフ倶楽部、川口浮間ゴルフ場、戸田ゴルフ練習所、川口荒川運動公園、
   浮間公園・浮間ヶ池・浮間庭球場、荒川戸田橋緑地、荒川戸田橋陸上競技場、
   荒川河川敷運動公園、戸田総合運動公園などなど!!!
   まだまだ、荒川の河川敷は浦和方面にズーっと続いて、市民憩いの場を提供している。

   周辺の市は、競って自然環境の保全、市民憩いの場所、誰でも遊べる水辺、花火会場、
   市民ふれあいまつりの会場などなど多彩に取り組んでいる。

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   戸田親水公園

   戸田親水公園はJR 埼京線・戸田公園駅の南500mほど、
   戸田の渡しの碑の北500mほどの所に在る。
   戸田漕艇場コース東端から道を挟んでの小さな公園ではあるが、
   ここに戸田橋の第3代橋の橋端飾りの親柱が、
   現在の第4代橋に架け替えた昭和53年完成時に、記念にこの公園造成時に保存した。

   橋端に聳える橋柱飾り親柱の右袖に昭和4年4月起工、
   橋柱飾り親柱の左袖に昭和7年10月竣功とある。 
   実に工事は3年6ヶ月の歳月をかけて竣工した、その証が保存されている。

   戸田橋は、初代が明治8年に木造橋として完成し、
   今まで舟で荒川を渡っていた中山道の旅人は、
   橋の完成で歩いて渡ることが出来、「戸田の渡し」が終わりをつげた。 
   第2代橋は大正元年に木造橋で完成し、第3代橋が初めて鉄橋で立派な橋姿をしていた。  
   公園には陶板でそれぞれの姿を描いているが、第3代橋がとても美しい。

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   陶板に描かれた戸田橋で上左初代木造橋、上右第2代橋の木造橋、
   真ん中が第3代橋の威厳のある橋(橋端親柱が保存されている橋)、
   下が現在の第4代橋ノッペラボウ橋。

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   戸田漕艇場

   戸田漕艇場は1940年東京オリンピック開催のために造成されたが、
   1940年東京オリンピックは日本が戦争に突入したため、日本では開催されなかった。

   戦後、1964年東京オリンピックの漕艇会場として利用され、
   隣接する道路をオリンピック道路と名づけられた。
   水はコース西端笹目川から引かれ、全長2.5kmで、
   西端から500m地点に戸田公園大橋という歩行者用つり橋がかかっている。
   この戸田公園大橋の西側500mが、戸田競艇場すなわち全国ファンに親しまれる
   ギャンブル戸田ボート場。

   戸田公園大橋の東側2000mが、毎年開催される全日本選手権、学生選手権などの、
   日本で最も長い歴史を誇る対校競漕大会、実業団競漕大会が開催される。
   岸辺には東京大学、筑波大学、一橋大学、早稲田大学、慶応大学など多くの大学漕艇部の艇庫、
   実業団チーム漕艇部の艇庫、国立スポーツセンター戸田艇庫、埼玉県立戸田艇庫が
   ズラリ並んでいる。

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   人間とは厄介な生き物である。
   自然に触れれば触れたで、最後にはビルの谷間が恋しくなり、
   ビルの谷間を見飽きれば、自然の風に触れたくなる。
   ビル、ビル、ビル!!ビルの谷間だけを見慣れた者には、
   ビルの谷間のうらぶれた赤提灯が、ヤッパリなんとなく恋しい、落ち着く場所、
   と考えるのは私だけではないだろう!!!
   埼玉:蕨・戸田 06 戸田の渡し その2

   中山道は慶長7年(1602)に整備が始められ、日本橋を起点に、
   武蔵・上野・信濃・美濃の諸国を経て、京都まで135里、
   宿場は板橋宿から東海道と重なる草津・大津を含め69宿。

   戸田渡船場から北に200m程の中山道の道筋は、
   文化3年(1806)の「中山道分間延絵図」に、「地蔵堂」と共に描かれている。
   渡し口には渡船を取り仕切る「川会所」が置かれ、西方には、「羽黒権現社」があった。
   街道には渡船に携わる家々、通行人を相手の茶屋などが建ち、
   江戸と京都を結ぶ主要街道として、大名や公家の行列も通行し、
   文化元年(1861)には「皇女和宮の下向」にも利用された。

   旧中仙道は、この先現在の国道17号線に、沿ったり離れたりしながら、
   蕨市内に残る旧中仙道へとつながっている。

   水神社

   「中山道戸田渡船場跡」の碑から100mほど東に「水神社」はある。
   掲示によると、創立時期は定かではないが、正面の「水神宮」の碑には
   寛政8年(1796)の銘がある。
   古くは荒川のほとりにあり、新堤防が出来てから、現在地に移され、
   川岸に住む人たちの氏神様として崇められた。
   境内には、「水神宮」「船玉大明神(船の守り神)」の大きな石碑があり、
   茨城の大杉神社から勧進した「大杉大神(航海安全の神)」の石碑も合祀されている。
   神社の祭礼7月14・5日に飾られる「獅子頭」は、
   もと荒川のそばにあった「羽黒社」に古くから伝えられたもので、
   戸田市指定の有形民俗文化財。

   昔はその年に初めて採れた胡瓜(きゅうり)を水神社に供え、
   荒川に流した後でないと、泳ぐことが出来ないとされた。
   いわゆる河童伝説であろう?
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   地蔵堂

   200mほど残る「旧中山道」の中間右側に、「地蔵堂」はある。
   地蔵堂の建立時期は定かではないが、戸田市内でも最古の木造建築である。
   江戸時代に作られた「中山道分間延絵図」にも記された、小さな建物だが、
   お堂の規模に不似合いな木組みを使用した
   虹梁(こうりょう)・斗栱(ときょう)・木鼻(きばな)・釘隠し(くぎかくし)など
   注目すべき建造物という。
   お堂の軒に正徳3年(1713)銘入り「半鐘」、
   境内に享保16年(1731)銘の「庚申塔」(写真左端)、
   応永25年(1418)銘「板碑」、永禄5年(1562)銘「板碑」などがある。
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   旧中仙道の道

   旧中山道の北側より、戸田渡し口、荒川新堤防を見る。
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   江戸名所図会より

   江戸時代の名所旧跡観光案内書「江戸名所図会」に描かれた、
   「戸田川渡口羽黒権現宮」「戸田羽黒霊泉」の絵図
   昔はのどかばかりではなく、大変なときもあったという。 
   戸田の渡しも旅人にとっては、やはり難所であった。
   「羽黒霊泉」図からは、椋(むく)の木のまたから霊泉がわき、
   汲み取って服用すれば、病は癒えるといわれ、参詣が賑ったといわれた。
   現代もこのような霊泉があれば、
   医者要らず、国民健康保険も要らない、国の健康保険財政も健全??
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   埼玉:蕨・戸田05 戸田の渡し

   今は、東京都と埼玉県の境を流れる荒川は、昔は武蔵国の中央を流れ、水量も現在より多く、
   満々と水をたたえていて、のどかな風景であった。 
   木曾・中山道は第2の宿場・板橋から第3の宿場・蕨宿に至る所に、
   舟で荒川を渡る「渡し場」があった。
   現在の戸田橋及びJR東北・上越新幹線・JR埼京線の下流100m程の所にあった。

   中山道は、木曾街道とも呼ばれ、木曾の山々を縫うようにして、京都と江戸を結ぶ、
   東海道と並ぶ重要な街道であった。
   記録によれば、この渡しは天正年間(1573−91)よりあり、管理は下戸田村が行ない、
   天保13年(1842)には、家数46軒、人口226人に対し、
   渡し場支配人1名、船頭8人、小役人足31人がいたという。
   寛保2年(1742)3艘だった渡し舟は、天保13年には13艘と需要が増え、
   「戸田河岸場」として安永元年(1772)には荒川を利用する舟運の拠点として、
   幕府公認の河岸となり、天保年間(1832)には5軒の河岸問屋が出来た。
   明治になり、交通量も増え、明治8年(1875)に木橋の戸田橋が完成し、
   「戸田の渡し」も途絶えることとなった。

   栄泉・広重の「木曾街道69次」に画かれた絵は、大きな川の少ない中仙道の中で、
   人も馬もゴチャゴチャに乗せて渡す、乗り合い舟を画いた唯一の渡し場風景である。 
   白鷺は、近くの「野田の鷺山」に、当時多数棲息していた。

   昔「戸田の渡し」が人々を乗せて、「乗合舟」が行き交っていたが、
   今はJR東北・上越新幹線、JR埼京線、戸田橋が。
   戸田側から対岸東京都側を望む。
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   栄泉・広重の「木曾街道69次」より、「木曾街道、蕨の駅、戸田川渡場」
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   こちらから、JR埼京線・JR東北・上越新幹線、その先に国道17号「戸田橋」
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   戸田の渡し跡にある「中山道戸田渡船場跡」の碑。
   JR埼京線の電車が通る。
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   左端に「中山道戸田渡船場跡」の碑と説明版。 道路を挟んで蔵屋敷のある旧家。
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   下の先方に進む道、約200mが「蕨宿」につながる、唯一残された「旧中山道」の道。
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   埼玉:蕨・戸田04 真言宗の名刹 金亀山三学院

   金亀山三学院

   真言宗の名刹 金亀山三学院は、旧中仙道街道筋の本陣跡近く「地蔵の小径」を入ったところにある。

   三学院は豊臣の時代、天正初期(1580頃)の創建と伝えられ、
   真言宗の関東有数の規模を誇る伽藍を備える名刹である。
   山門、仁王門、本堂、三重塔、鐘楼が立ち並び、墓地には江戸時代の作といわれる
   極楽弁天・八臂像を祀る弁天堂、玄奘三蔵法師の霊骨を奉安する舎利殿、閻魔を祀る閻魔堂、
   日清戦没以来大東亜戦争にいたる国難に挺身散華せられた英霊を鎮護せる平和観音像、
   仏陀釈尊の仏足石などなど、広い境内に色々と祀られている。

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   山門と仁王門の中間右側に地蔵堂があり、江戸時代元禄7年(1694)に
   江戸浅草橋の紀国屋平兵衛により建立された子育地蔵葉、火伏・開運・子育ての霊仏として
   信仰を集めている、蕨市最大の地蔵尊は蕨市指定文化財。
   六地蔵尊は寛文から元禄の造立された石の地蔵尊。 
   最もユニークなのは万治元年(1658)造立の地蔵尊は「目疾地蔵」と呼ばれ、
   目に味噌を塗ると目の病が治るといわれ、現に地蔵の顔に味噌が塗られていた。
   これも地域の信仰の多様なる証。
   地蔵堂の前には、元禄14年(1701)の常夜灯一対があり、その脇に仏足石があった。
   これらの地蔵尊と常夜灯は蕨市指定文化財に指定されている。
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   木の香の新しい講堂の裏手にある、宝篋印塔は江戸時代中期の宝永2年(1705)に
   造立されたもので、蕨市指定文化財。
   宿場町として栄えた蕨宿の、代々本陣を勤めた「加兵衛家」と「五郎兵衛家」、
   脇本陣を勤めた「新蔵家」などの墓石群という。
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   山門入口脇にある、三学院梵字馬頭観音塔は、寛政12年(1800)に蕨宿馬持ち講中により、
   宿場の安全息災を願って造立された、正面に筆太に南無・馬頭観世音と刻まれ、
   梵字で表現した事例の少ない石造物で、蕨市指定文化財。
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