なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

散策:埼玉 蕨・戸田

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 前のページ ]

   埼玉:蕨・戸田03 和楽備神社と蕨城址公園

     和楽備神社

   中山道蕨宿本陣跡の前の交差点を蕨市役所方面に行くと和楽備神社がある。
   この神社は蕨宿三鎮守の一つ八幡社であったが、
   明治44年(1911)に蕨町内の18社を合祀して、新しい和楽備神社とした。 
   本殿は平成8年(1996)に火災で焼失し、翌年再建されたのでまだ真新しい。

   境内には筆塚の碑、天神社、稲荷神社、榛名神社などが祀られている。
   天神社本殿と稲荷神社本殿は蕨市指定文化財に指定されている。 
   稲荷神社本殿はもと和楽備神社の前身の宮田八幡社本殿を、ここに移築し
   稲荷社本殿とした一間社流造で、17世紀ごろの建立と考えられ、貴重な建物である。
   榛名神社は、蕨城が渋川氏の支城の一つで、渋川氏没落後も、
   ゆかりの地群馬榛名湖に水請いに行く、霊峰榛名山の榛名神社の分社として祀る。

イメージ 1

イメージ 2


   また和楽備神社では、建築三神として、手置帆負命(たおきほおいのみこと)、
   八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)を祀り、
   建築関係の職人が守護神として祀るもので、通常は聖徳太子を祀るが、
   和楽備神社では比較的珍しいこの三神を祀り、毎年建築関係者が集まり祭礼する。
   ここにも日本人の信仰の多様性がうかがえる。
イメージ 3

   昭和11年(1936)に建立された「乃木将軍の像」
   日露戦争勃発に、陸軍司令官に任命され、旅順攻略に多大の犠牲者を出してヤット攻略し、
   日露戦争勝利に多大の貢献功績を納めた。 
   しかし、多くの将兵を犠牲にしたことに、明治天皇崩御のとき、夫妻共々殉死自決した。
   後に東郷大将と共に、国民から軍神と崇められた将軍。
イメージ 4

   本殿の後ろにある、日清戦役凱旋記念碑(明治27・8年(1894・5))、
   日露戦役記念碑・忠魂碑(明治37・8年(1904・5))、
   第二次世界大戦戦没者慰霊碑(大東亜戦争・太平洋戦争とも言う昭和16−20年(1941−5)
   の4基が並んでいる。 このような戦争碑が一箇所に纏まって在るのはあまり例がない。
イメージ 5



     蕨城址公園

   蕨城は貞治年間(1366頃)に、将軍足利氏の一族・武蔵国司・渋川義行が城を構え、
   一族が知行する。
   室町時代の末、戦乱の続く関東平定にするため、長禄元年(1457)将軍義政は
   近親で九州探題の重職の家柄の渋川義鏡を関東探題として下向させた。 
   義鏡は義行の蕨城により関東諸将に将軍の令を伝え鎌倉に赴き管領を援けた。
   義鏡の子息義尭、その子義基が居城した。
   大永4年(1524)北条氏綱により破壊され、城跡のみ残った。
   徳川時代、家康は宿駅制度の充実と参勤交代の制施行まで城址に御殿を置いた。

   蕨城址の碑
イメージ 6

   この池を蕨城を囲む堀の一部で、池の南の隣接地が蕨城址である。
   徳川時代初期には度々鷹狩りが行なわれ、館を建てて御殿と呼び、堀は御殿堀と呼ばれた。
   この蕨城址跡は現在蕨市民公会堂がある。
イメージ 7

   昭和21年(1946)第二次世界大戦に敗れ、国民が失意の時、
   蕨町と蕨町青年団が始めて成年式を始めたのが、その後全国に広がり
   「成人の日」制定につながったとされる、「成人式発祥の地」の記念碑。
イメージ 8

   「成人式発祥の地」の記念碑と蕨市民公会堂。
イメージ 9

   蕨城址公園に「ニュートンのりんごの木」なるものがあった。
   説明によれば、
   「イギリスの物理学者アイザック・ニュートンは、
   林檎の実が木から落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見した。  
   ニュートンのりんごの木は、1964年にイギリスから日本に贈られた。 
   この木はそれを接木したニュートン生家の庭の林檎の木の子孫という。 
   蕨資性0周年を記念し、次世代を担う子供たちにニュートンのような
   豊かな想像力と科学の心を育くんでくれることを願って植樹したもの」 
   ということです。
   蕨の子供たちから、ノーベル賞級の人が誕生するかナー????
イメージ 10

   埼玉:蕨・戸田02 中山道2番目の宿場町の蕨宿

   蕨市錦町5丁目の宝蔵寺山門前の道は旧中仙道の旧道で、この道を南下するとすぐ東南方向に
   道はカーブし、国道17号線と交差する。
   国道17号線との交差点手前に、蔵造りの商家が4・5軒、軒を連ねて在り、
   ここら辺りから旧蕨宿の入口となるのであろう。
   旧中山道は国道17号線の西側を併走しているが、ここの交差点から東側を併走し、
   旧蕨宿のメインストリートで、中心部に当たる街道筋の本陣跡、江戸時代から続く老舗や、
   蔵造りの商家などが建ち並ぶ。
 
   街道筋にある「地蔵の小径」を曲がれば蕨の名刹・三学院があり、
   更に街道筋を進むと、街道筋中心の蕨本陣跡と隣接する蕨市立歴史民族資料館がある。 
   ここと交差する中央道路を曲がれば蕨市役所、和楽備神社、蕨城址公園などがあり、
   中央道路の商店街を1km程行くとJR京浜東北線・蕨駅になる。

   中山道は江戸・日本橋から近江国・守山宿までの67宿と、近江国・草津宿で東海道と合流し、
   京都・三条大橋に向かう、江戸と京都・大阪を結ぶ街道として創られ、この蕨宿は、
   江戸・日本橋から板橋宿の次、2っ目の宿場で、中山道67宿でも五指に入る大宿場として栄えた。  
   蕨宿の成立は慶長11年(1606)で、
   天保14年(1843)の蕨宿は、総家数430軒、人口2千2百人余とのこと。

   大名・公家などの身分の高い人の宿泊施設である本陣が2軒、脇本陣が1軒、
   一般旅人の旅籠が23軒、旅人と荷物を輸送する事務を行なう問屋場と、
   高札を掲げる高札場が1ヶ所づつあったという。  
   蕨宿には宿役人が置かれ、交代で問屋場に勤務し、乗り継ぎ馬や人夫の用意、物資の運送、
   周辺の村々からの人馬の動員などの業務を行なっていた。

   蕨宿は街並み南北10町(約1km)、周囲を用水堀で囲み、
   外部の攻撃から守れるようにしてあるのが特徴で、防火用水の役割も果たしていた。  
   宿場には、野菜穀物、菓子、油、荒物、材木など様々なものを商う店が並び、
   また豆腐屋、煙草屋、髪結いなどの職業の人々が暮らしていた。

   蕨本陣は、慶長11年(1606)蕨城主・渋川公の将・佐渡守岡田正信の子息正吉が、
   初めて蕨宿本陣問屋名主の三役を兼ねたと伝えられ、その後役職は代々受け継がれ
   明治維新まで続いた。

   本陣は大名・公家が休泊し、
   文久元年(1861)皇女和宮が御降嫁の折には御休息の場となり、
   明治元年(1868)明治天皇の大宮氷川神社御親拝の際の御休息場となった。
   岡田家には古文書、古記録、歴史的遺品などの資料が保存されているという。


   蕨本陣跡(蕨市指定文化財)
イメージ 1

   蕨市立歴史民族資料館(入場無料)  蕨本陣跡が右隣接する。
イメージ 2

   蕨市立歴史民族資料館分館
   分館前近くにある里程石柱に
     「中山道武州蕨宿 浦和宿1里14町(5.5km) 板橋宿2里10町(8.9km)」
イメージ 3

   旧中仙道と国道17号線との交差点にある、蕨警察署北町交番
イメージ 4

   北町交番横の中山道蕨宿入口
イメージ 5

   北町交番の裏にある「中山道ふれあい広場」  建物は北町交番
イメージ 6

   「中山道ふれあい広場」にあるモザイク壁画には、江戸時代の参勤交代の様子を、
   11月3日「文化の日」に開催された蕨祭りを通して、蕨宿を行き交う人々の姿を表現したもの。
イメージ 7

イメージ 8

   「中山道ふれあい広場」にあるカラクリ時計は、かつて中山道沿いに3つの火の見櫓があり、
   高さ10m余の鉄塔は地域のシンボルで、腕白坊主達の密な冒険心をそそり、
   遠くの景色を見渡す展望台であった。 
   火の見櫓の思い出を、カラクリ仕掛けの時計で再現したもので、
   定時時間に火消し人形が音楽と共に火の見櫓を上り、そして蕨宿の家並みに下りてくる仕掛け。
   カラクリ時計のある「ふれあい広場」の向にある、「蔵造り商家」。
イメージ 9

   文化3年(1807)創業と書かれた神仏具店。
   店先にお稲荷さんの鳥居、仏像、お店の中にはお御輿が!!
イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

   右から左へと昔風に書かれた薬局の、年代物の大看板のある商家。
イメージ 13

   創業80周年の呉服店
イメージ 14

   蔵のある商家
イメージ 15

   埼玉:蕨・戸田01 春日神社と本法院と宝蔵寺

     春日神社と春日公園  蕨市錦町5丁目

   さいたま市南区辻の旧中山道沿い、東京外環自動車道下にある「一里塚碑」から、
   旧中仙道を500m程南下し、蕨市に入るとすぐ蕨市錦町。  
   春日神社はこの錦町5丁目にあり、境内が春日公園になっている。

   春日神社の「木造三十番神立像」は、今年平成21年2月に蕨市指定文化財に指定された。
   蕨市教育委員会の指定趣旨は、
   「三十番神立像は、一ヶ月30日(旧暦)を毎日交替で「法華経」を守る神様として
   春日神社の前身である三十番神に納められたものという。 
   この三十番神立像は、基本的には一材でつくられ、
   顔かたちが個性的で像全体が丁寧に彩色されていて、
   また台座の底部には三十番神立像を奉納した本法院の檀家と思われる人名が記されている。 
   資料を総合すると、江戸時代享保ごろ(1716−36)に作られたものと考えられ、
   造立時期、造立背景が分かり、保存状態も良いことから、蕨を代表する文化財として
   大変貴重なもの」  とある。

イメージ 1

イメージ 2

   実物を拝見していないので、何ともいえないが、初めて知った知識に、
   江戸時代の庶民の信仰の多彩なことを知りました。  
   三十体の三十番神立像それぞれの小さな写真が、ユニークな表情で飾られていました。
   掲示された写真に、光線が反射して満足に撮影が出来ませんでしたが、
   このようなご神体であると認識してください。
イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5


     平和記念碑

   平成7年(1995)戦後50年を期し、恒久平和を祈念して、
   平和都市宣言10周年記念事業に建立したモニュメント。 「平和を愛して」と刻まれている。

   蕨町は第二次世界大戦中、3回の空襲に遭い、50人の町民が犠牲になり、
   埼玉県内で熊谷につぐ被害を受け、戦後50年目に、平和都市宣言をし、その10周年にあたり、
   彫刻家・田中毅氏の手により、モニュメントを制作、春日公園に平和のシンボルとして設置。

イメージ 6


     日蓮宗・本法院   蕨市錦町5丁目

   日蓮宗・本法院は春日神社・春日公園の右側に隣接する。
   本法院の開祖・歴代の住職の法名碑が、墓石前にあり、
   「開祖 本法院日祐聖人 永和元年(1375)」
   「二世 日存大徳 応永7年(1423)」とある。 
   本法院は1400年頃の開宗と思われる。 
   永和元年は南北朝時代で、北朝・後円融天皇、南朝・長慶天皇、将軍・足利義満の時代。 
     (永和年間は1375−79年)

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9


     日蓮宗・宝蔵寺   蕨市錦町5丁目

   日蓮宗・宝蔵寺は春日神社・春日公園の左側に隣接する。

イメージ 10

イメージ 11

全2ページ

[1] [2]

[ 前のページ ]


.
なおじぃ
なおじぃ
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事