|
東京見物 008 皇居外苑1
皇居外苑
皇居外苑は昭和24年(1949)に旧皇室苑地の一部が、
国民公園として開放された。
皇居前広場は江戸城西の丸下と呼ばれた、
徳川幕府重臣の役屋敷地(やくたくしきち)であった。
江戸城は、長禄元年(1457)に大田道潅が築城、
その後大永4年(1524)に北条氏の支城となり、
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏が滅亡、
そして徳川家康が旧領関八州に移封されて居城となった。
家康入府には、応急修理がなされた程度で、
その後二代秀忠、三代家光の時代に拡大整備され大城郭が完成したのは、
寛永13年(1636)家光の治世であったと言われる。
皇居外苑は特別史跡江戸城(昭和35年(1960)に指定されている。
皇居前広場
江戸時代諸大名の屋敷が置かれていたが、
明治維新後、これ等屋敷は明治2年(1869)版籍奉還により上収され、
明治政府の官衛、兵営等に利用されていたが、
伊東博文の指示で一切のものが撤去され、
多くの樹木が植栽され、大広場として整備された。
明治39年(1906)日露戦争の祝勝記念に、
馬場先大通りと凱旋(祝田)通りが開設され、
東京の表玄関・中央停車場は大正3年(1914)に竣工し
東京駅と命名され、
大正12年(1923)関東大震災復興事業に行幸通りが開設され、
さらに皇紀2600年記念事業(式典昭和15年(1940)11月11日)
記念事業(昭和14年開始、18年中止)等現在の姿に整備された。
皇紀2600年とは神武天皇即位を皇紀元年とし、
昭和15年が2600年になると、
日本が長い歴史を持つ偉大な国であることを内外に誇示するために、
内閣主催の式典が皇居前広場で開催された。
国威高揚の機会と国力の対外誇示の機会ととらえ、
国際的イベントもこのときに併せ開催しようと、
政府により計画されていた。
「オリンピック」「万国博覧会」を日本に誘致し開催することで、
実際に大規模なイベントの開催が正式に決定していた。
「第12回夏季オリンピック」
「第5回冬季オリンピック」
「紀元2600年記念日本万国博覧会」だが、
昭和12年(1937)に始まった
日中戦争の長期化で、実現しなかった。
東京築地の勝鬨橋は、
月島で開催予定の「日本万国博覧会」へのアクセス道路のために、
格式ある形式と技術力誇示のため、
隅田川を航行する大型船通行可能とした、
中央が跳ね上がり開閉する跳開可動橋は、
このイベントに合わせて造られた建造物で、他にも多く存在する。
戦後、新憲法の施行により、旧皇室苑地は国に物納され、
昭和24年(1949)に厚生省所管の国民公園として、一般開放され、
その後昭和46年(1971)環境庁発足に
厚生省から移管現在に至っている。
二重橋
皇居前広場から正門を経て宮殿に至る濠に掛かる橋で、
手前が「正門石橋」、奥が「正門鉄橋」、
この2つの橋を総称して「二重橋」と言われているが、
厳密には奥の橋を指すという。
昔「下乗橋」と言われ橋桁を支える台が在って二重構造だったことで、
名がついたそうで、昭和39年(1964)に鉄橋に架け替えられと言う。
通常は使用されず、
外国賓客の皇居訪問、新年一般参賀、宮中公式行事の際に、
利用されるという。
クロマツ
江戸築城前はこの一帯は入江で、
丘陵部にはクロマツが自生していたので、
明治中期から昭和にかけて植栽し、
「皇紀2600年記念事業」で今の姿と成ったと言う。
大芝生広場に点在するクロマツは2000本、
皇居内の緑と対照的な雰囲気で、
外苑を代表する美しい風景となっている。
|
東京見物
[ リスト | 詳細 ]
|
東京見物 007 新宿超高層ビル街
新宿駅南口甲州街道口
新宿駅南口甲州街道口の昼と夜の景色である。
歩道橋の下の甲州街道は、幹線道路で一日中交通が激しい所である。
新宿駅南口は再開発中で、線路上に人口地盤を設け、改札タクシー・バス乗り場、商業施設のある高層ビルを建設し、巨大ターミナル「大新宿駅」が出来ると言う。
一日の利用客が340万人と、日本一多い駅だが、何かと利便性が悪い。それを解消する駅に、変身させるらしい。
昼と夜を写した写真だが、どのように変身するのかな??
正面に東京都庁舎。 一方は新宿駅南口の工事中の陸橋、人口地盤工事
新宿の超高層ビル街の建物は、どれも下からは、踏ん反り返らなければ、見上げられない。
カメラに収めようにも、窓の連続だけで、形姿の映しようも無い。
「此処なら?」と、狙いを付けるが、全体の形が映らない。映るかなと思うと隣の建物が邪魔をして、また形が判らない。何とも厄介な撮影対象物である。
東京オペラシティータワー
甲州街道・地下を走る京王線 初台駅 、そこに東京オペラシティーがある。
1996年タワー竣工、97年新国立劇場竣工、99年アートギャラリー棟完成して、地下4階、地上54階、高さ234m、新宿西界隈で3番目の高さと言う。
国際設計競技で柳沢孝彦氏の設計と言われる。
ビル内にはコンサートホール、アートギャラリー、商業施設などの、複合文化施設がある。
(この土地は、元々は東京工業試験所、小田急百貨店配送センター、淀橋電話局、京王バス操車場などが在った)
中央地階中庭吹抜けにある巨人像は何??? 口をパクパク、独吟をしているような様子?
何か大きな意味があると思うョ??
(耳の心棒が回転し、ヒンジで口を動かす、凝った造り)
新国立劇場・東京オペラシティータワー
新宿パークタワー
地下5階、地上52階、高さ235m、高さの異なる3連ブロック建築で、1994に竣工、高層部にホテル「パークハイアット東京」、中層部に賃貸オフィス、多目的ホール「パークタワホール」、地下街はショップ・レストラン、など業務商業文化の多機能複合ビル。
新宿パークタワービル玄関
新宿中央公園からの新宿パークタワービル
東京都庁舎
丹下健三氏設計のよる、東京都庁舎は地下3階、地上48階、高さ243m、1990年の完成し、91年4月からスタートした。第1本庁舎、第2本庁舎、都議会議事堂の3棟からなり、東京都行政の中枢を担っている。
旧淀橋浄水場跡地の再開発で誕生した新宿超高層ビル街の中心に位置し、西側に新宿中央公園がある。
本庁舎45階に展望室があり、年末年始以外、年中無休で朝9時半より夜23時まで無料。
バー、喫茶、みやげ物店が併設されている。 32階の職員食堂・売店はセルフ方式で、平日のみ営業で、一般も利用できる
東京都庁 だい1本庁舎玄関
東京都庁 第1本庁舎 新宿中央公園より
東京都庁 第2本庁舎 新宿中央公園より
|
|
東京見物 006 代々木公園
日本航空発始の地記念碑
明治37・8年(1904・5)の日露戦争後、陸軍は徳川好敏歩兵大尉をドイツに、日野熊蔵工兵大尉をフランスに派遣、飛行機操縦技術習得と飛行機購入を命じ、6ヶ月で技術を習得、4台の飛行機を仕入れ帰国した。
その飛行機を、明治43年(1910)12月19日公開試験を行った。
その前四日間は滑走試験を、五日目,月夜の代々木練兵場に集合した兵卒は、焚き火をたいて風向きを観測, 仮設電話で中央気象台の「午前10時まで無風」の発表に、徳川大尉は複葉アンリ・ファルマン機に搭乗しエンジン始動、エンジンは轟然爆音百雷のごとく林にこだます。
時午前6時10分、やがて滑走30m、フワッと空中に浮いた。
万歳の歓呼の嵐の中、70mの高度に達し、練兵場を2度旋回し、4分間、3000mの飛行距離で着陸、飛行に成功した。
次いで、日野大尉はグラーデ式単葉機に搭乗、1分間、距離1000m、
高度45mの飛行に成功した。
これがわが国航空史上、最初の飛行であった。
当時東京の人口160万の内50万人が見物に来たと言う。
実に百年前の出来事である。
当時を語る記事に、このように載っていた。
徳川好敏陸軍大尉 日野熊蔵陸軍大尉
代々木公園は、戦前戦中は陸軍練兵場、終戦直後米軍に占領され、米軍家族宿舎が建設され、「ワシントンハイツ」と呼ばれた。
昭和39年(1964)東京オリンピック開催時、米軍家族宿舎は男子選手村、独身仕官宿舎は女子選手村に利用され、オリンピック大会運営本部、代々木競技場、などがオリンピックのために造られた。 旧陸軍練兵場、戦後米軍施設など、戦争にまつわる施設が、東京オリンピックに為、スポーツのメッカに変貌した意味は非常に大きい。
昭和46年(1971)に開園した公園は、都民の格好の憩いの場に変身した。
十四烈士自刃の処碑
公園内に「十四烈士自刃の処」と地図にあった。
ガードマンに尋ねると
「昔此処で切腹した人達がいて、碑が立っている」
と言う事なので、幕末当りの事件であろうと想像して、最後に行った所、
なんと私自身の深い内面の奥深くに、未だ棘として突き刺さったままの、
心の傷を思い返す出来事に遭遇した。
昭和20年(1945)8月15日、日本はついに大東亜戦争に敗戦した。
各地での熾烈な戦いに、日本全土は焦土と化し、首都東京も見渡す限り、
焼き尽くされ焦土となったが、全国民はまだ最後の勝利を信じ、意気盛ん、果敢な行動を保っていたが、
昭和天皇の玉音放送に、ついに刀折れ矢尽きて、呆然自失、なす術を失い、濁涙に天を仰ぐのみ。
全国民こぞって、自分の持てる力、全てを出し切り戦ったが、
敗れたると言うことは、まだ不十分であったのではと、
自責の念絶ちがたし。
国敗れて山河ありとは言うものの、
焦土と化した国土を、自身の将来も如何にと、
考えられない事ばかり。
そのような昭和20年8月25日早暁、代々木練兵場の一角なる
此処において、大東塾の副塾長・影山庄平以下18歳の少年に至る
14名の塾生が、
古式に則り、一斉に壮烈極まりなき割腹自刃を遂げた地という。
大東亜戦争終戦の大難に殉じ、祖国再建の尊き人柱に立つと。
十四烈士共同遺書
「清く捧ぐるわれ十四柱の皇魂誓って無窮に皇城を守らむ」
影山庄平辞世歌
「こんとんをひらきて今や天地の始発の時と祈り行くなり」
「国うれふやたけ心のきはまりて静かなるかも神あがるとき」
当時15歳の私、学業を放棄し、勤労動員に明け暮れしていた、軍国少年。
この十四烈士と同じ考えを持ち、共感する年代であった。
この様な行動に、出たかも知れない自分自身と、当時の時代背景を、
70年近く経った今、改めて認識させられたのであった。
|
|
東京見物 005 明治神宮
1月11日(金)
明治神宮に参拝する。
明治神宮は国民の皆様がご存知であります、明治天皇と昭憲皇太后をお祀りした神社です。
明治45年7月30日明治天皇が崩御され、大正3年4月11日に昭憲皇太后が崩御され、明治天皇の御威徳を国民が慕い、御神霊をお祀りしたいとの国民の熱誠により、当時練兵場であった緑深い代々木の地に、明治神宮が創建され、大正9年11月1日御鎮座なされた。
全国から献木された10万本を、植栽した人工林は、鬱蒼と繁る緑の常盤の森の内苑と聖徳記念館、優れたスポーツ施設を持つ外苑とパーティ・セレモニー・結婚式会場の明治記念館からなっている。
正月3が日の初詣は毎年日本一の参拝者を誇る神社であり、毎年3日の大相撲横綱土俵入り奉納、子供の節句祭礼・七五三祭礼、幅広い祭典・行事・祈願・厄払いなどなどの行事。
昭和20年4月14日、大東亜戦争末期の米軍B29爆撃機による空襲で、創建当初の主要建物は焼失した。
昭和33年11月、国の内外から浄財が寄せられ、神社復興再建がなされ
現在の社殿が完成した。
平成5年10月13日、平成御大典記念事業として、神楽殿が竣功した。
平成14年、明治天皇御生誕150年記念施設整備事業の一環として
社務所が新築された。
神宮の森は永遠の森を目指し、壮大な計画のもとに造営され、全国から奉納したいと植樹する木が集まり、北は樺太(サハリン)、南は台湾、更に朝鮮、満州(中国東北部)、(樺太、台湾、朝鮮は当時日本の国土)から届き、その数10万本、在来種を含め350種以上であった。
東京の気候風土にそぐわない種類もあり、現在は250種類と言われ、境内には17万本の木々が豊かに生い茂り、御鎮座50年の機に調査したところ、わずか半世紀で自然の状態になったことがわかり、世界的に注目されたと言う。
明治神宮参拝の主要入り口は、原宿からの南神門、代々木からの東神門、参宮橋からの西神門がある。
ご神木の「くすのき」は、大正9年の御鎮座当時に献木された御神木で、両大樹は「夫婦楠」として親しまれ、縁結び、夫婦円満、家内安全の象徴となっている。
奉納された書初めに展示
|
|
東京見物 005 仕事初めの霞ヶ関官庁街周辺
平成25年(2013)1月4日(金) 晴れ
今日は今年の仕事初めの日。
日本国の政治・経済の中枢機関が集まる、皇居、永田町・霞ヶ関の官庁街、丸の内ビジネス街の仕事初めの日の風景は如何なるものか、
見てやろう??? と出かけた。
東京駅で下車。
東京駅の周辺は、買い物ついでの見物客、駅通過・下車ついでの見物客、
新装成った東京駅を見てやろう、駅を背景に記念写真撮影、ナドナドで駅の周辺は多少の人出があったが、目だった観光客はいなかった。
東京中央郵便局(保存文化財)
皇居前、二重橋周辺は、殆んど人はいない。
皇居前広場は、手入れの行き届いた松に、青く澄み渡る冬空が冴え、石垣・濠の水と大内山の緑とが美しく調和し、一幅の見事な墨絵を想わせる。
桜田門は文化財保存改修工事中である。
皇居和田蔵門から馬場先門にかけた丸の内ビジネス街
皇居前広場より見た霞ヶ関官庁街
皇居二重橋前の皇居前広場
皇居 二重橋
丸の内・大手町方面のビジネス街
桜田門外から見た、旧GHQに接収された第一生命保険館
若い方は、ご存じないかも知れないが、戦争終結後(日本の敗戦)連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーにより、即ちこのGHQの指令により、日本はしばらく統治されていた。 執務室は現在も保存され見学が出来る。
今も、この建物を見ると色々のことが思い出され、感慨無量と成る。
(正面の8階建ての建物のみ)
いずれ詳しい話は皆様に語り伝えて置かなければと思っている。
皇居の濠の景色は美しい。
皇居一周の歩道は格好のランニングコース。若者がグループを組み、又は単独で次々に走り去る。
桜田門前の警視庁から半蔵門に向け濠端を歩けば、正面に日本最高立法権府である国会議事堂が堂々と聳え立つ。
更に濠端を歩き、半蔵門の手前三宅坂に、日本最高司法権府の最高裁判所がある。
国会議事堂の左側に、日本最高行政権府の内閣府・内閣総理大臣官邸がある。
内閣府の下、行政各省庁が霞ヶ関一帯に集結している。
三宅坂にある最高裁判所建物
国会議事堂(手前が衆議院側、正面玄関の向こうが参議院側)
|







