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秩父観音霊場巡礼旅 第8日 の3
7月22日(月曜)(晴れ)
第22番・華台山・童子堂から第21番・要光山・観音寺へ
童子堂を辞し、第21番・観音寺へ
観音寺の堂は通称「矢の堂」と言い、本尊は聖観世音である。
大正12年火災により類焼し、
その後に再建され今日に至った。
境内には、百万遍念仏塔、弁財天石像、芭蕉句碑などがある。
道路を隔てて、地芝居役者座頭・中村十九十郎供養碑があり、地芝居隆盛の昔が偲ばれる、民俗資料として貴重である。
昔、元八幡宮の社地で、神託により観世音の霊地になったと言う。
邪神悪魔を除き佛地にと、八幡大菩薩の放った神矢が此処に落ち、悪魔が退散したので、名付けて「矢の堂」としたという縁起がある。
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
タイムテーブル
22番・童子堂(14時27分)―薬師堂(14時49分)―21番・観音寺(14時53分−15時07分)
第21番・要光山・観音寺から第20番・法王山・岩之上堂へ
観音寺を辞し、岩之上堂へ
尾田蒔交差点前にある、
尾田蒔郵便局で風景印を取得する。
光正寺の前を通り、岩之上堂に向う。
岩之上堂は三間四面方形造りで、延宝初年に再建されたもので、現在の堂は江戸中期元禄年間に内陣の補修、宝永年間に彫刻の補修を経て、唐模様系統の優秀な造りをなす。
岩の上堂の名の通り荒川西岸の崖上にあり、本尊は聖観世音立像、藤原時代の作といわれ、市指定文化財。
昔、白川院の勅により建立された荘厳な堂で、応仁の頃より次第に廃れ、本尊のみ岩の上に晒された時も在り、幾多の伝説があるという。
本尊安置の厨子は内面金箔に塗られ、33体の像と日天月天像風雷神などの肉彫りを貼付した江戸時代上期の作で市の指定文化財となっている。
タイムテーブル
21番・観音寺(15時07分)―尾田蒔交差点・尾田蒔郵便局(15時25分)―光正寺(15時41分)―20番・岩之上堂(15時44分−16時07分)
第20番・法王山・岩之上堂で結願
最後に残った1巻の「写経」を奉納し、「般若心経」を一段と、心をこめて唱えた。 そして次男の冥福を祈願し、遍路旅の無事「結願」を感謝した。
納経所で、納経帳最後の御朱印を頂き、ここに8日間の巡礼遍路旅が終了した。 感慨無量!!!
そして 秩父駅に
岩之上堂を辞し、秩父橋公園橋を渡る。
秩父公園橋は、車道用の「アーチ橋」が建造されたので、旧橋が人道専用となって「公園橋」と名付けられたというらしい。
にわかに雲行きが怪しくなり、青空に黒雲が垂れ込め、これは夕立が来るなと歩きを早めた。
秩父人道橋を渡ると西武バス停があった。
時間表を見ると10分後にバスが来るので、バスを待つことにした。
バスを待つ間に、更に空模様が怪しくなる。
遠雷、ポツリ、ポツリと降り始めてきた。
雨合羽を出そうと思いリュックを下ろし、遠く眺めるとバスが来る。
大丈夫!!
バスに乗り込んだ途端、雨が降り始めた。 と見る間に、ドシャ降りになり、フロントガラスのワイパーが激しく作動するが、視界が遮られる。
秩父駅での降車は、ドシャ降りで大変であったが、あまり濡れずに済んだ。
これも仏の御加護!!??
秩父鉄道 ・秩父駅 物産館による。 甘いものが食いたい!
ケーキ?大福?サテサテ何を?? 黒糖饅頭なるものを買う。
さて、このまま帰ろう!!!
タイムテーブル
20番・岩之上堂(16時07分)―秩父公園橋(16時27分)―秩父橋バス停(16時35分−47分発)―秩父駅(17時00分)
帰宅
秩父鉄道 ・秩父駅 17時17分発
羽生行きに乗車、雨は降り止んだ。
雨にけむる武甲山に別れを告げ、
又の機会に再び訪れることを誓う。
秩父鉄道 ・熊谷駅 着 18時19分。
乗り換えの高崎線は、落雷のため不通、開通見込みは不明との場内放送、掲示板。
あの夕立の為か!! 秩父線は何事も無かったのに!!
秩父鉄道・東武鉄道での寄居、川越方面経由の、振替輸送があるとも言う。
モウ急ぐ旅でもない。 開通するまで、しばらく待とう!
熊谷駅は、放送の度毎に、右往左往する人で溢れている。
いつ開通するか判らないので、どこかで夕飯でも食べよう!!
19時過ぎ復旧するも、運転は不順。 開通したのなら、急ぐこともない。
が、大分時間が掛かり、21時ごろ浦和駅にヤット到着、かくして長い遍路旅も無事終了した。
タイムテーブル
秩父駅発(17時17分)―熊谷駅着(18時19分) 落雷のため不通・開通見込み不明―高崎線 ・熊谷駅 発(19時過ぎ)―高崎線 ・浦和駅 着(21時頃)
今日の御朱印
第25番 岩谷山・久昌寺 第24番 光智山・法泉寺
第23番 松風山・音楽寺 第22番 華台山・童子堂
第21番 要光山・観音寺 第20番 法王山・岩之上堂
今日の郵便風景印
影森郵便局
埼玉県秩父市下影森1069−1 〒369-1871
意匠:清雲寺のしだれ桜に浦山ダムを描く
切手:ふるさとの花シリーズ 第2集
使用:平.09.04.01
秩父尾田蒔郵便局
埼玉県秩父市寺尾1945−5 〒368-0056
意匠:橋上公園・ハープ橋とお田植え祭りを描く
切手:ふるさとの花シリーズ 第2集
使用:平.12.11.15
今日の万歩計
25,286歩
17.19km (参考距離)
(山道歩行の為、正確な距離では有りません)
今日の会計
納経料 ¥1,800 (6ヶ寺)
昼食・飲料水 ¥1,750 (田舎茶屋・車代・ペトボトル5本)
夕食 ¥1,050 (熊谷駅)
交通費 ¥470 (お花畑―影森・バス秩父橋−秩父駅)
¥1,580 (秩父駅−熊谷ー浦和)
本日会計 ¥6,650
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秩父34観音霊場巡礼旅
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秩父観音霊場巡礼旅 第8日 の2
7月22日(月曜)(晴れ)
第24番・光智山・法泉寺から第23番・松風山・音楽寺へ
法泉寺から音楽寺へは、車で送ってもらたので瞬く間に着いてしまった。
この寺は、秩父屈指の景観地にある。
観音堂は三間四面ふきよせ二重垂木、向拝のない造りで、江戸中期の大きな堂。内陣には唐様の須弥壇に厨子を安置し、本尊は聖観世音一木造り、室町時代の作。
梵鐘は明和5年銘の市指定文化財。
天長年間の昔、慈覚大師は関東霊地開拓の折、この地の優れたるに感じ、聖観世音像を安置し、山路を開こうとしたとき、多数の小鹿が現れ、大師を案内したので、小鹿坂の地名となったという縁起がある。
明治17年の秩父事件のとき、群衆はこの鐘を鳴らして秩父町になだれ込んだという話も残っている、その鐘は 秩父市 指定文化財「音楽寺の銅鐘」。
「鐘は静かに撞いて下さい 音楽寺」とあるので、静かに撞いた。
厳かに、重々しく鳴り響いた。
天然記念物「御影松」は、さして広くない境内前庭に、調和の取れた枝ぶりを広げている。
秩父市内の展望が、随一といわれ、風景・景観は素晴らしい。
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、
次男の冥福と遍路旅の無事を祈願。
タイムテーブル
田舎風うどん店(13時05分)車で移動―
23番・音楽寺(13時18分−45分)
第23番・松風山・音楽寺から第22番・華台山・童子堂へ
音楽寺を辞し、童子堂へ。
路傍の「観音堂」、「元禄・道しるべ」の案内に
導かれ進む。
童子堂の入り口に、「童子堂石碑」と「地蔵尊」があり、「入り口」と刻まれていた。 更に道端の「右二十三番巡礼道」の石碑に導かれて進めば、童子堂の「仁王門」である。
童子堂は、府坂地内より、現在地・永田城跡に移したと伝えられ、近くに城の堀跡が現存する。
四注屋根三間四面で、周囲勾欄付きの縁をつけ、欄間や扉には、薄肉彫り淡彩彫刻がある。
仁王門は童子仁王と言い、稚屈で愛嬌のある童子顔の仁王である。 本尊は聖観世音。 淳和天皇の弟・三品式部卿。伊予親王の菩提のため、創建されたという。
昔、讃岐にケチな長者がいて、行脚の僧が長者に食を乞うたが与えられず、僧は金を払い、米を求め、犬に与えれば、この家のセガレは、犬になり共に喰らう姿に、親は驚き悲しみ、僧に因果の道理を説かれ、その犬を引いて諸国霊場を巡り、当山に来て始めて元の人間に戻ったという縁起がある。
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈り、納経帳に御朱印を頂く。
タイムテーブル
23番・音楽寺(13時45分)―観音堂(13時54分)―地蔵尊(14時00分)―22番・童子堂(14時03分−27分)
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秩父観音霊場巡礼旅 第8日 の1
7月22日(月曜)(晴れ)
第25番・岩谷山・久昌寺へ
遍路旅の予定行動が大幅に遅れたので、
途中20番から25番までの札所を、
残して周ったので、今日残った6ヶ寺を
廻りきれば、遍路旅は一応全て完了し、
完結し「結願」できる。
一時体調不良に陥り、遍路旅中断の判断を
したが、中断せずに、良く此処まで持ち
耐えたものと、自分ながら感心している。
今日で終りと、気が張り詰め、なんとなく
力んでみたりして!!
札所巡りを、25番札所から逆打ちで
周ることにした。
(今朝7時20分ホテルで撮影)
秩父鉄道 ・お花畑駅 から8時48分発
影森行き、影森駅8時51分着の電車に乗る。
秩父遍路旅の最大難所を、土・日曜に済ませたので、週明け影森郵便局の風景印を取得できることとなった。 影森駅から影森郵便局に行き、風景印を取得する。
「先日は大変申し訳ありませんでした」 と
言う局員。 覚えていたのだ。
覚えていなかったら、何も言うまいと思っていたが、やはり気になったと見えて、声を掛けてきたので、
ついこちらもいやみを一言言ってしまった。
月曜日9時の開局一番乗りの客に、「いやみ」を言われて、局員は一日気分が悪かっただろうと、いささか大人気ない言葉を漏らしたことを、反省する。
国道140号線に出たが、柳大橋に抜ける道の入り口が判らない。国道を行ったり来たりしたが、人影も無く、聞く所も無い。 「いやみ」を言わないで、道を聞いた方が良かったなと、反省しきり。
やっと聞くことが出来た。 信号機のある「影森駅前交差点」から、西一つ先の細い道路を入り、真直ぐ道なりに行くと、そのまま広い道路につながり、「柳大橋」へと続く。
こんな立派な道に繋がっているのに、国道からの「道しるべ」が、判らなかったとは?
だらだら坂、途中でUターン
する坂を下ると、橋の袂に
大きな柳の木があって、
「柳大橋」と言うらしい。
柳大橋は荒川に架かる橋で、
さすがこの辺は、
川の水がきれいである。
魚が、鮎?が泳いでいるのが、かなりの高さがある、橋の上から見えた。
写真にパチリ、写っていた!!
秩父の山並みが、武甲山が、
浦山ダムがくっきりと見える。
今日は天気も良く、
厳しい遍路旅と成るで
あろうと、改めて覚悟
させられた。
「元禄道しるべ石」が、ところ所の路傍にあり、札所に案内してくれる。
県道72号線、忠魂碑の在る久那交差点に着き、そばに久那小学校があった。
「馬頭観音石碑」「弁天茶屋」を過ぎると、間もなく「久昌寺山門」に到着した。
久昌寺は通称「御手判寺」といい、山門に名が掲げられていた。
播州書写山の性空上人が、
秩父巡拝の折、閻魔大王から
贈られた「石手判」を、
久昌寺に納めたので、
これにちなんで「御手判寺」というらしい。
観音堂は三間四面表流れの向拝を付した方形造りで、
堂内に宮殿作りの厨子がある。
本尊は聖観世音立像一木造り、室町時代の作。
今、改修工事がなされていた。
本堂、弁才天堂が一段高い境内にある。
昔、上ノ山奥野の女、気性荒く父母縁者にも疎み果てられ、
懐胎の身ながらも追い立てられて、久那の岩洞に住み、
鬼女の振る舞いに、
里人に恐れられていた。
女児生まれ、母に似ず神仏を尊び、里人の助けにより、旅僧の持っていた観世音像を祭り、母没後の菩提のために、この地を霊地にしたという縁起があり、この寺の草創であるという。
方形の広い池と、その後ろに別に大きな蓮田があり、ここに古代ハスの花が、今を盛りに咲き誇っていた。
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈り、納経帳に御朱印を頂く。
タイムテーブル
ホテルルートイン秩父(8時32分)―お花畑駅発(8時48分)―影森駅着(8時51分)―影森郵便局(9時00分)―柳大橋(9時47分)―久那交差点(10時13分)―25番久昌寺(10時24分−11時04分)
第25番・岩谷山・久昌寺から第24番・光智山・法泉寺へ
久昌寺を辞し、24番・法泉寺に向かう。
久那小学校の脇道を通り、途中から県道72号線を通り、ただひたすらに歩く。
ミューズパーク入り口交差点があり、
そこに巴川鉱泉卿・巴川荘があった。
交差点を直進し過ぎると、右側が急に開けて、武甲山や、浦山ダム、山並み、秩父の市街が一望出来、荒川の流れが削り取ったと思われる、岩肌の脇を流れる荒川、その荒川に架かる赤く塗られた巴川橋が眺められる。
道路の脇に、景色が展望できる、一段高い「屋根付き展望台・休息所」があった。
「巴川橋」袂の信号機のある交差点を左折して、暫く行くと24番・法泉寺の入り口であった。
石段脇に「石灯篭」「地蔵尊」「元禄道しるべ石」があり、この石段116段上がって、やっと法泉寺の境内である。 116段の石段は、疲れた巡礼者には厳しい!!
観音堂は、三間四面方形造りで、江戸中期の建築で、唐様を随所に配する変化ある本堂で、左右に仁王をまつり、八角柱の変わった造りという。
本尊は聖観音一木造り坐像で、室町時代の作といわれる。
養老元年、越前・大徳泰澄、夢のお告げで霊地加賀白山を勘請したものという。 武州恋ヶ窪の遊女が、口内の病に悩み、秩父修行僧が一本の楊枝を与え、白山観音を信ずべしと教え、信心し楊枝で口内をそそぐと、たちどころに癒えたと云う縁起がある。
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
石段下の入り口脇に「田舎風うどんの店」があった。
昼飯に丁度良い。
入って、そばを注文したら、
「お任せメニューで如何か?」と老婆が聞くので、何でも良いと返事した。
漬物ビンにラッキョが漬けて、置いてあった。
「美味そうなラッキョだね。 一つ貰っても良い?」
「好きなだけ食べなよ」
暫く食べなかった味。
「梅の塩漬け、紫蘇漬けも有るよ。 食べるかい」
疲れた身体にしみる味。 程なく、
冷やしたソーメンが出てきた。
これも暑さ負けした咽喉に、
程よく流れる。
「ご馳走様」 千円札を出すと、
5百円玉が帰ってきた。
「あれ、七百円て、言わなかった? お釣りが多いよ」
「いや、五百円だよ」「歩きに梅干が良いよ。 持って行きなよ」
小さなビニール袋に、大きな梅干を、3つも入れて手渡され、
「23番まで、送ってもらいなよ」と言い、
「あんた、送くってってやりなよ。歩いて20番までだと、時間がぎりぎりだから」
23番駐車場まで送ってもらう。
「さっきお釣りに貰った五百円だが、少ないけれど、取っておいて」
「そんな積りじゃ無かった!」
「いやいや、有難うございました。助かりました」と礼を述べ、下車する。
これも旅の「仏縁」、思わぬご接待を受ける。
タイムテーブル
25番久昌寺(11時04分)―ミュズパーク入口交差点(11時36分)―巴川橋交差点(11時57分)―24番・法泉寺(12時06分−40分)―田舎風うどん店(12時41分−13時05分)
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秩父観音霊場巡礼旅 第7日 の2
7月21日(日曜)(晴れ)
第31番・鷲窟山・観音院から第34番・日澤山・水潜寺へ
観音院から下山し、栗尾バス停に急ぐ。
栗尾バス停11時05分発のバスで、
泉田バス停に向かう。
泉田バス停前にある・元六そば店に立ち寄り、
山菜そばを注文する。
咽喉が渇き、氷の入った水は、兎に角
美味い。 店員が気を利かして、大きなボトルに、沢山の氷と水を入れ、デーンと食卓に置く。 コップ何杯もの水を、瞬く間に飲み干す。
やっと人心地する。 山菜そばが来る。
今日は日曜なので、 小鹿野町 が上げて、奨励するバイク・ドライブツーリング。 今日は爆音高くバイクが、沢山行き交っていたのは、その為。 この店も協賛店、幾組もの青年・中年ドライバーが店に来て、盛況であった。
ゆっくりしたいが、先がある。
昨夜、地図を見て、ナン−ダと思ったが、その前夜、体調不良に、碌に地図を見なかったので、昨日指摘された通り、昨日は31番・観音院だけで良かったのだ。 そうすれば、今日は32番・法性寺から始めれば、楽だったことに気付かされた。 或いは、昨日は31番と32番の両方が、周れたかも知れなかった。後の祭りだ。
菊水寺前を通過し、赤平川に架かる桜井橋を渡り、取方交差点に着く。
取方交差点を右折し、赤平川に架かる番戸橋を渡る。
赤平川では子供たちの歓声が聞こえる。
田園地帯を抜ける道路をひたすら歩き、大田交差点に、角にセブンイレブンの店があったので、温コーヒーの求め、飲む何日目かのホットコーヒー。
交差点を左折して、赤平川に架かる奈良川橋を渡る。
その先の交差点で、県道37号線に交差する。
そこを右折すると直ぐに「平石馬頭観音堂・弘化(1847)」・ 「明和(1768)・宝筐印塔」高さ2.5mがある。その前の道を行くと、「百万遍供養塔・享保(1731)」があって、その前に土橋に下りる細道があり、土橋を渡ると道祖神が祀られている。
巡礼道は、そこから草生す、キツイ勾配の細道を、喘ぎながら登らなければならない。 道脇には石塔が、巡礼の道を教えてくれる。 幾らかの木漏れ日がさす杉林を、道は上に上にとつながっている。 車の道に出て、舗装道路を進むと、民家が点在していた。
「石塔群」「地蔵堂」を過ぎ、部落を過ぎると、道端に「札立峠上り口・大正道標」があった。
「札所34番 水潜寺 徒歩1時間半」と書かれた案内板と並んで、「熊」の絵が描かれた「熊出没注意 秩父市 」の黄色の標識版。
いよいよこの峠を越えれば水潜寺である。
雑木林の細道を分け入って進む。 「巡礼道」と書かれた小さな標識板がたよりである。かなりキツイ勾配に、喘ぎながら登っていく。 足を滑らせ落ちたら、どこまでも落ちていってしまうだろう。
や!! 倒木で道が塞がれている。 抜けられるのか??? 戻らなければ成らないのか???
倒木した木の根元を、迂回する応急の処置が施されていた。 が、今日は雨が降っていないので、安心して通れるが、雨でも降れば、危険も伴う道である。 ようやく迂回して、道に戻る。
どうやら札立峠の頂上らしい。(580m)
秩父巡礼には、笈摺を着て、菅笠、手っ甲、脚絆を身につけ、草履をはいた姿で、歩いて5泊6日の道のりを、各寺に札を打って巡拝したという。 札立峠は昔からの巡礼道で、
「破風山頂上626m」「菊水寺」「水潜寺」に行く分かれ道の標識、「札立峠」
頂上に着いたからといって、休む間は無い。 時計の針は、16時15分を指している。 納経所で御朱印を頂戴する締め切り時間までに、間に合うだろうか???
これから水潜寺まで、どの位の時間が掛かるのか、サッパリ判らない??
駆けるように下るが、下りは注意しないと危険である。 摺り足で注意しながら、そろそろと、しかも駆けるように。 しかし段々と、雨の流れ道になったゴツゴツとした、岩肌をみせた道、えぐられた道などがあり、思う様に摺り足が出来ない。 下り降りる体勢は、勢いついて、ゴツゴツとした石の上を、飛び跨ぎ、駆け降りるように降り、勢いつき、つまずいたら、大怪我、いや、谷に落ちれば、怪我では済まない。
しかもこの峠では、人の気配がまったく無い。 日曜日というに、遍路旅・ハイキングする
緊張が走る!!! 軽く考えていたが、秩父の山は深いのだ!!
左に石仏があり、やがて伽藍が見えてきた。 ヤット着いた!!が実感でした。
境内に入る石段を登ると、六地蔵尊が、暖かく迎えてくれた。
この寺は、秩父34霊場、西国・坂東・秩父の日本百観音霊場の結願寺として、巡礼者が「打ち止め札」と「笈摺」を納める寺ですと書かれた案内板があった。
観音堂は大きな流れ向拝をつけた、6間4面の方形造りで、文政11年(1828)の建築です。 本尊は、室町時代の一木造りの千手観音、西方浄土の阿弥陀如来、東方瑠璃光世界の薬師如来がまつられ、日本百観音結願寺の特殊性を現している。
本堂に参詣し、とりあえず拝礼、先に納経帳に御朱印を頂こう。
それからゆっくり、「写経」を奉納し、「般若心経」を唱えて、次男の冥福を祈り、遍路旅の無事を祈るつもりで、納経所に行く。
本堂脇に、紙に書かれた、「6月裏山での子連れ熊の目撃情報・注意」の注意書
「何とか、間に合いました。 札立峠を越して来て、時間が間に合わないかと、思いながら降りてきました」
「ご苦労様でした。 17時05分のバスが下から出ます。 まだ間に合います」「そうか。今日は日曜なので、バスがありません。 下まで7km程在るので、歩くのは大変でしょう。 タクシー呼べますよ」
若い寺僧から、アイスミルクキャンデーの御接待を受け、有難く頂戴する。
「本堂にお参りしましたか?」「え、え」と言葉を濁す。 やがてバタバタと本堂の扉が、閉められた。
納経帳を受け取り、写真を2・3枚撮り、これからどうするか考えようと、参詣者誰一人としていない境内、外のベンチで頂いたアイスを舐めていた。
「下山しますから、乗って行きませんか」 ご親切に声を掛けて下さった。
「親鼻駅で良いですね」
秩父鉄道 ・親鼻駅 前まで、色々話しながら、あっと言う間に、着いてしまった。
お礼を述べて、下車する。 思わぬ御接待であった。 これも「佛縁」と悟り、改めて厚く御礼申し上げます。
今夜の宿は決まっていなかったので、親鼻駅ホームから、ホテルルートイン秩父に、宿泊予約を入れる。
秩父鉄道 ・親鼻駅 、17時43分発、お花畑駅18時02分着で宿へ。
ホテルルートイン秩父 18時20分
タイムテーブル
31番観音院(10時32分)―31番観音院山門(10時40分)―栗尾バス停(11時05分発)―泉田バス停(11時37分着)―元六そば店(11時40分−12時03分)―二十三夜堂(12時15分)―奈倉橋(12時32分)―33番菊水寺(12時46分)―桜井橋(12時55分)―取方交差点(13時00分)―番戸橋(13時06分)―庚申塔(13時37分)―大田交差点(13時46分)―奈良川橋(14時05分)―平石観音堂(14時14分)―土橋・道祖神(14時39分)―石塔(14時51分)―札立峠登り口(15時16分)―休み石(15時48分)―札立峠580m(16時15分)―34番・水潜寺(16時47分−17時05分)車で下山―親鼻駅前(17時19分)―親鼻駅(17時43分発)―お花畑駅(18時02分着)―ホテルルートイン秩父(18時20分)
今日の御朱印
第31番 鷲窟山観音院 第34番 日沢山水潜寺
今日の万歩計
29,229歩
19.87km (参考距離)
(山道歩行の為、正確な距離では有りません)
今日の会計
納経料 ¥600 (2ヶ寺)
宿泊費 ¥9,850 (越後屋旅館・一泊2食付)
¥6,900 (ホテル・ルートイン秩父・一泊朝食付)
昼食・飲料水 ¥1,530 (そば・ペットボトル4本)
夕食 ¥1,060
交通費 ¥360 (西武バス・小鹿野―栗尾―泉田)
本日会計 ¥20,300
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秩父観音霊場巡礼旅 第7日 の1
7月21日(日曜)(晴れ)
第31番・鷲窟山・観音院へ
床の間に、女将心尽くしの、花一輪が活けてある。
宿・越後屋の前にバス停がある。 朝でも、メイン道路ではあるが、人通リも無く、車の往来も疎らである。
西武バス・ 小鹿野町 立病院前から、貸切状態のバスに乗車し、栗尾まで向かう。
栗尾のバス停前に、「十一面観音堂」「馬頭観音」「元禄・石塔」が、立ち並んでいた。
バスの時間表をチェックし、「札所31番・観音院2,7km」の、標識に従い道を入る。
「県立西秩父自然公園」の標識、「花街道」の案内板、牛・馬を飼う牧場、だんだんと山が迫ってくる。
「安政・三十一番入口」の石碑、「庚申塔」「大勢至菩薩碑」「石
やがて山間を流れる、岩殿沢に架かる、擬宝珠のついた赤い橋を渡ると、「たらちね観音」があった。
「たらちね観音」は、院主・手島了風師により昭和43年に開山したと、案内板に掲示され、「観音7不思議」の霊験が成就すると記載されてあった。 弘法大師より百数十年前に「役の行者」が、中国伝来の思想・医薬術を会得し、修験道の開祖と「吉野」に崇められ、その霊示を受け秩父の地にも、祀ったという。
その脇に「大日如来坐像」「安永・文化の石仏3体、石塔2柱」を祀る「大日堂」がある。 「岩殿沢」は清らかである。
更にその先に「文化(1815)・十二丁目石と馬頭観音」と、いずれも古い石碑が立ち並んでいた。
しばらく行くと、「観音茶屋」「山田や」の茶店があったが、閉まっていた。
地蔵寺があった。 山が切り開かれた、地蔵寺の墓地には、幾千もの、いや、万に近いのではないか、小さい地蔵が立並んでいた。見るとそれぞれ赤い風車を持って立ち並んでいる。
地蔵の台座には、住所・氏名が刻まれ、正面には県名が大きく刻まれ、日本全国からの水子供養者が、供養したことが認識できる。 どうやら、水子のみ供養する寺らしい。
舗装道路は「観音トンネル」を抜ける。その先に、「大竜寺温泉源泉地」なる建物があった。「温泉法による許可書」と「温泉成分表」が表示されていた。
鬱蒼と茂る杉・雑木林、路肩のガードレールの柱に、秩父霊場・四国霊場の寺名が、順番に付けられている。
此処を通ることで、札所巡りが出来る趣向かな? 程なく31番・観音院の山門が見えてきた。
31番・観音院山門・仁王門に着いた。 仁王は一本石造り仁王尊 秩父郡日尾村・黒澤三重郎 信州伊那郡・藤森吉弥両名作 明治元年完成。
これより、段数296段・標高差53m、距離232m 石段を30分以上かけて登った。
石段の数は、般若心経・276文字、回向・20文字、合わせて296段、この文字数に合わせた段数といわれる。 お経を唱えながら登ってくださいとあった。
お経を唱えながらと言われても、どうもお経と、登る呼吸とがうまく逢わず、上手く行かなかったョ。
石段脇には、多くの俳句愛好者が、奉納した句碑があり、登る呼吸を整えるに、都合がよかった。
石段の登り口に、「熊出没注意」、中腹に「落石注意」の大書した警告板。 やはり山は深いのだ。
西方浄土と照見し、境内の岩壁に南無阿弥陀仏の名号を刻し、弘法大師一夜彫りといわれる「鷲窟磨崖佛」がある。 東奥の院には数十体の石仏群、山頂には宝匡印塔、芭蕉句碑などがある。
本尊は聖観音像、霊験記によれば、畠山重忠が狩猟の折、鷲の巣が在り、家臣に矢を射させたが、再三矢が跳ね返され,不思議に思い巣を見れば、中に聖観音おわし、里人の言い伝えられる、
昔、行基の刻んだ観音
像なりと、本堂を建立安置せしめた。
その後盛衰あって、幕末の頃、本堂、境内を整備した。
本堂後方の岩上より落下する20m余の清浄な滝がある。
およそ3000万年前の海底に小石や砂が積もって出来た礫質砂岩の岩肌に、鷲窟磨崖佛が刻まれている。
岩肌の上部に「南無阿弥陀仏」と大きく刻まれ、その下に高さ18cmの坐像・立
群像の磨崖佛としては、県内では例がない貴重なもの。
東奥の院にある芭蕉句碑香塚 「清く聞かん 耳に香たいて 子規(ホトトギス)」の句が刻まれている。 江戸時代の建立。 背後に観音院の断崖が見える、見晴らしの良い場所にある。
「写経」を奉納し、「般若心経」を唱え、次男の冥福と遍路旅の無事を祈願し、納経帳に御朱印を頂く。
独り中年男性の参詣者があり、証拠写真のシャッターを、押して貰った。
タイムテーブル
越後屋旅館・小鹿野病院前バス停(7時40分発)―栗尾バス停(7時49分着)―安政・21番入口碑(8時09分)―たらちね観音・大日堂(8時15分−24分)―地蔵寺(8時40分)―観音トンネル(8時48分)―大竜寺源泉地(8時54分)―31番観音院山門・仁王門(9時01分−15分)―31番観音院(9時47分−10時32分)
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