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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第11日の1
平成29年8月22日(火曜日)(晴れ)
JR武蔵野線: 南浦和駅 7.30―南流山駅 7.58 ¥390
つくばEX線:快速 南流山駅 8.04―つくば駅 8.34 ¥830
つくばシャトルバス:つくばセンター9.00―筑波山神社入口バス停9.36¥720
第25番 筑波山大御堂
納経帳記載御朱印 ¥300 他 滞在時間 9.45−10.00
南流山からつくばEX線快速に乗車した。
つくばEX線が秋葉原からつくばまで開通したことは知っていたが、今日まで乗ったことが無かった。
昔、子供たちが幼かった頃、多分夏休みに、筑波山に行ったことがあった。 が、それ以来である。
当時どの様な経路で、行ったか記憶にないが、大分遠方の記憶しかない。 ところが、今回ルート検索で、多分土浦辺りから行くものと思い込んでいた。 路線図を眺めて、つくばから筑波山にシャトルバスが運行されていることを発見、時刻表からつくばEX線経由筑波山ルートを発見した。
実際に乗車して尚驚いたことは、武蔵野線南流山で乗り換え、つくばEX線快速で南流山駅から次駅30分でつくば駅とは驚きであった。 隔世の差を、まざまざと体感させてもらった。
しかもシャトルバスも30分で筑波山神社入口、しかもつくば市の何と発展したことか、思い知らされた旅であった。
つくばシャトルバスの筑波山神社入口バス停 で下車、坂道を300mばかり登ると 「第25番 筑波山大御堂」。
然し、今大御堂は、「平成の大修理」で解体工事が終了し、境内全体の建設地に重機が入り、整地作業の真っ最中であった。
大御堂は昭和36年建立の民家を改修した本堂だったので、再建される。鐘楼は平成13年に再建されたもので、その下にある池は、池坊45世専永崇匠による「華」の文字を刻んだ華供養石がある。
御本尊は小さなお堂が建てられ、仮住まいであった。
再建されれば、素晴らしい堂宇が立ち並ぶことと思われる。
参詣して、御朱印を頂戴する。(滞在時間 9.45−10.00)
筑波山神社
(滞在時間 10.05−10.45)
続いて、筑波山神社に参拝する。 筑波山は万葉の時代から、歌に詠まれ「紫の山」 「紫峰」という呼称で美しさがた称えられた。 標高877mだが、関東平野では高い山が無いので,いたる所から見え、信仰の対象としても眺められた。
頂は男体山と女体山の2つの峰からなり、はるか昔からイザナギ・イザナミの神が祀られていた。 延暦元年(782)徳溢大師により社が創建され、弘仁年間(810)に弘法大師空海により真言密
教の道場も開かれ、後、中腹に堂宇が建てられ、千手観音と十一面観音の権現として崇められた。
この歴史から筑波山が神仏習合信仰の山であった。
豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)
倭建命(やまとたけるのみこと)
明治の初めまで、現在の筑波山神社の所には、大御堂の伽藍があり、神仏同体であったが、廃佛毀釈で全て破却、かろうじて本尊千手観音像だけが難を逃れて、仮堂に移され、昭和13年の山津波で埋没したが、奇跡的に傷ひとつなく土中から現れたという。
ケーブルカー
(所要時間11.00−11.07)
料金片道¥600
ケーブルカーの乗車口は、神社境内の脇を登った所にある。 かなりの急坂を登らなければならないが、道は整備されていて、周りの木々が鬱蒼と生えていた。
多少時間の余裕があり、旅のついでにケーブルカーで、男体山の頂上まで往復しようと乗ってみた。
頂上駅に着き、景色を眺めたが、生憎雲が懸かり何も見えない。
頂上には登らず、そのままケーブルカーで、筑波山神社まで戻ろうと思ったが、女体山のロープウエイまで徒歩30分との事。
小さな子供まで歩いて来たので、観光地、道も整備され、苦も無く行ける
と思った。
ロープウエイで下って、シャトルバス終点のつつじが丘に行き、バスで筑波神社入口経由で山を下り、第26番 南明山清滝寺に向かう経路でも、時間の余裕はあると思った。
途中のガマに似た石「ガマ石」までは楽に行けたが、そこから先がゴロゴロした石の道ともつかず、石段ともつかぬ登り坂を、登って行くのが大変であった。
やっとの思いでロープウエイ駅への、分岐点の道にたどり着く。
「頂上はすぐそこよ」 すれ違いに声を掛けられた。
見れば僅かの登りだが、これもまたまた大変!!
女体神社に参拝し、頂上に!! 雲の切れ目から、下界を見下ろす。
8月7日、岩瀬駅から 「24番 雨引
観音」 に向かう道中、雲の懸かった筑波山を眺め、数日後に、あの山の麓の 「25番 大御堂」 に、参詣するのだと眺めたが、よもやその頂上から見下ろすことが、出来るとは想像もしなかった。
ややしばらく頂上での気分を味わう。
ケーブルカーを使ったとはいえ、この齢で、自分の脚で、マサか筑波山の頂上に登り切り、下界を見下ろすことが出来たとは!!! 感無量!!
女体山神社・頂上 (滞在時間 11.55−12.05)
ロープウエイ
(所用時間 12.20−12.27)
料金片道¥600
ロープウエイの降車口がつつじが丘レストハウス。
レストハウス で昼食を執る (滞在時間12.35−50)
携帯食でなく、昼食が執れたことは、今日のこの先の、徒歩の行動に弾みがつく。
レストハウスのすぐ下に、つくば行きシャトルバスが、発車待機していた。
つくばシャトルバス:つつじが丘バス停13.00―沼田バス停13.16 ¥430
つくバス: 筑波山口バス停13.25−交流センタバス停13.35 ¥200
つくバス: 交流センタバス停13.50−下大島バス停14.09 ¥200
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坂東33観音霊場巡礼旅
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第10日の2
平成29年8月10日(木曜日)(晴れ)
第20番 独鈷山西明寺
納経帳御朱印 ¥300 他 滞在時間 16.22−16.45
今日,真岡鉄道で益子駅に向かう電車は、8月7日に西明寺に行こうか、どうしようか、下館駅で悩んでキャンセルした、電車の出発時刻だ。
7日行動予定を変更したため、西明
寺に行くのに、7日行動帰宅後の8日・9日に、次の行動の資料収集と検討をしたが、寺院参詣の順序組み合わせを、佐竹寺と組み合わせ、益子駅からの徒歩4kmの行動時間は、一応何とか為ると考えて、今日出発したのだった。
それには出発時間を早目にしなければと、4時半に「時計の目覚まし」を設
定した。
益子の町を通り抜けた先に、四辻があり茅葺屋根の民家が見える角に、西明寺の方向を示す標識がった。
田園風景に、稲がそろそろ頭を垂れて、収穫の時期到来の予告を告げている、のどかな風景の中,ただひたすらに歩くのみ。
西明寺1.5km・益子駅2.0kmの路傍の表柱。
小さな、小さな地蔵堂。 西明寺と彫られた「道しるべの石」、やがて山が迫りくる路傍に、「二十番西明寺」と彫られた入口碑と「西明寺0.5km・益子駅2.9km」の標識。
舗装された車道は、登り勾配で西明寺へと進む山道。
鬱蒼とした山道であった。
暫く登ると鉄筋3階建ての「普門院診療所」が右手にあった。
田中雅博住職兼医師は、奈良時代に建立された西明寺に生まれ、前住職の勧めで、医師を目指し、東京慈恵医大卒業後、国立ガンセンター研究室長、病院内科医として勤務。 かたわら大正大学にも進学して仏教を7年学び、父親の死去後、西明寺を継いだ。 住職を務めながら1990年境内に「普門院診療所」を建て、仏教精神に基づく緩和ケアーに取り組む病院に取り組んだが、今年平成29年3月21日、自身の末期膵臓ガンのため逝去、亨年69歳。 僧侶兼医師として、多くの余命数ヶ月のガン患者をみとり、闘病をささえてきたという。
其処からすぐ西明寺独鈷処につく。(到着時刻 16.22)
西明寺は焼物の町益子の、益子氏の居城・高館山の中腹にある。
石段を登ると、明応元年(1492)建立の重層、入母屋造り・茅葺の楼門。(国.重文)
天文7年(1538)の益子氏の建立した、和様・唐様・折衷・の3様式の三重塔。(国.重文)
江戸中期建立の宝形造り茅葺の鐘
楼。 茅葺の焔魔堂。
本堂は元禄14年(1701)の大改修で現在の形式となっり、本尊・十一面観音像、千手観音、聖観音、如意輪観音などを安置する。
黒漆塗りの厨子は応永元年(1394)の作。(国.重文)
寺伝によれば、天平9年(737) 行基上人により開基、延暦元年(782)に一山12坊の隆盛を極めたが、幾度かの兵火に遭い、江戸時代本に本堂、鐘楼が再建された。
内陣に紀貫之の像が祀られ、紀
貫之は西明寺ゆかりの記一族という。 西明寺を辞して益子駅に戻る。
田園風景を眺めながら、やがて益子の町中へ。
益子の町は夕暮れ時、閑散としていた。
真岡鉄道 益子駅 17.53−下館駅 18.31 ¥760
JR水戸線・ 下館駅 18.34―小山駅 18.56 ¥1320
JR宇都宮線・ 小山駅 19.02―浦和駅 20。03
JR京浜東北線・ 浦和駅 20.06―南浦和駅 20.10
第20番 独鈷山西明寺
第22番 妙福山佐竹寺(北向観音)
第10日目のタイムテーブル
自宅 5.50―徒歩1.3km−蕨駅 6.15―上野駅 (6.30-7.03)―水戸駅 (9.00- 9.22)―上菅谷駅 (9.37-9.44)―常陸大田駅 9.59―徒歩2km−分岐 10.25−第22番・妙福山佐竹寺(北向観音)(10.45-11.15)−分岐11.35―常陸大田駅 (11.50-12.00)―上菅谷駅 (12.14-12.22)―水戸駅 (12.39-13.00)―友部駅 (13.13-13.19) ―下館駅 (13.58-14.31) −益子駅 15.17― 徒歩4km −分岐15.26−分岐 15.35−分岐 15.51−道標 15.56−入口碑 16.04−第20番 独鈷山西明寺( 16.22-16.45)−入口碑 17.01−道碑 17.07−分岐 17.11 −分岐17.23−分岐 17.28−真岡鉄道・益子駅 (17.36-17.53)−下館駅 (18.31-18.34) ―小山駅 (18.56-19.02) ―浦和駅(20.03-20.05) ―南浦和駅 20.10― 徒歩1.5km―自宅 20.30
本日歩数記録 31898歩 歩行距離 18.8km
交通費 ¥6750 納経帳御朱印・他 ¥800 食事・ボトル茶 ¥460
本日総経費¥8010
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第10日の1
平成29年8月10日(木曜日)(晴れ)
JR京浜東北線・ 蕨 駅 6.15―上野駅 6.30 ¥2590
JR常磐線・ 快速 上野駅 7.03―水戸駅 9.00
JR水郡線・ 水戸駅 9.22―上菅谷駅 9.37 郡山行き
JR水郡線・ 上菅谷駅 9.44―常陸大田駅 9.59
第22番 妙福山佐竹寺(北向観音)
納経帳御朱印 ¥300 他 滞在時間 10.45−11.15
水戸駅に着く。(時刻 9.00)。
水郡線のホームを探す。
9時22分郡山行き、表示を確認。 水郡線ホームに降りる。
次発は、10時22分 常陸大宮(ワンマン)、11時15分 常陸太子とあり、水戸駅出発は1時間に1本。
水郡線のホームに、すでに郡山行きが停車していた。
珍しい、3両連結の気動車だ!
入口には整理券発行のボックスが、路線バスの様に取り付けられている。首都圏の電車とは、内部の構造様子が違う、ちょっとした発見が新しい。
だから旅は面白い。
やがてエンジン音を響かせて発車。
常陸大田駅、大きな駅だが、十数人が降り立った。
路線バスが数台、次々と駅前バス停を発着し、5・6分で、駅前の広いロータリー・バス停には、人影も車も消え失せて、我一人だけ取り残された。
サテと・・・・・地図を取り出し、方向を見定める。 最早聞くすべもなし!
この道と確信しながら、だらだら坂を登って行く。
一応確認の為、自転車で下って来る、地元の人と思しき人を呼び止めて。佐竹寺への道を聞く。
「サーわかりません」
この道に間違いないと、確信しながら先に進む。
イヤ違う。 病院と老人ホームとがあった。
老人ホームに飛び込み道を聞く。
「道を早めに曲がりましたね。 ここからこうして、こうして行くと、此処に出ます。 ここに、こうした標識がありますから、此処をこう行くと、この道です。あとは地図の通リ」 と丁寧に教えてくれた。
そのまま行っていたら、ちょっと方向がずれていた。
アブナイ危ない!
地方の道は、感覚がずれ込むことがある。
平行な道と思ていても!
佐竹寺の仁王門は昭和15年建立、仁王像は江戸時代の力作。
山号扁額の上に佐竹氏の「日の丸絵紋の軍扇」。 平安時代後期に、佐竹氏は常陸大田に土着し、太田城を築き城下町として繁栄した。
佐竹氏は新羅三郎義光の孫、源昌義と名乗り,常陸の国を統一し400年間勢力を誇ったが、関ヶ原の戦いに徳川につかず、慶長7年(1602)家康の命により、秋田に国替えとなり、太田は水戸徳川の水戸藩領となった。
そのため市内には、佐竹氏と徳川家の史跡が多い。
佐竹氏の場合佐竹寺、徳川家は徳川光圀公(水戸黄門)が晩年10年間過ごした西山荘がある。
寛和元年(985)花山法王の命でにより、元蜜上人創建,法皇護持の聖徳太子作十一面観音を祀ったと伝わる。
初代佐竹昌義は奇竹を発見し、出世の瑞兆なりと感動し、源姓を佐竹のあらためたという。
本堂は18代佐竹義昭が天文15年(1546)の再建したもので、「茅葺大屋根」、その下に「こけら葺き裳階巡らし」、正面中央「唐破風」の無彩色の組み物仕上げ。
境内は狭いが、昔は6支院・3ヶ坊を持つ大寺であったという。
JR水郡線・ 常陸大田駅 12.00―上菅谷駅 12.14 ¥1320
JR水郡線・ 上菅谷駅 12.22―水戸駅 12.39
JR常磐線・ 水戸駅 13.00―友部駅 13.13
JR水戸線・ 友部駅 13.19―下館駅 13.58
真岡鉄道 下館駅 14.31−益子駅 15.17 ¥760
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第9日の2
平成29年8月 7日(月曜日)(晴れ)
第24番 雨引山楽法寺(雨引観音)
納経帳記載御朱印 ¥300 他 滞在時間15.50−16.45
岩瀬駅を出発(時間 13,50) 観音まで徒歩5kmの行程。
あまり高低の無い田園の道を2kmばかりのんびりと歩くと、トラックが行き来する街道に合流、道端を歩く事2kmばかり、遠く筑波山が雲に霞んで、見え隠れする。 のんびりとした道であった。
あれ、目指す山の頂近くに、建物が見える。 寺院の感じではないが、多分「雨引観音」の付属建築であろう。 「あそこまで登るのか」 目指す道は、過酷が待ち受けている予感がした。
やがて、立派な「観音入口碑」があった。 この先、1kmの道が長く険しい予感。 進むしかない!!(時間 14.50)
部落の道を抜ける。 「雨引観音・徒歩の方は直進が近道です」 の標識があり、それに従う。
やがて山道にかかり、路傍の 野仏が迎えてくれた。
自動車参道に交差し、「雨引観音の碑」 があり、 「ふれあいの道 ・雨引観音 0.4km」 の標識。(時間 15.20)
碑の後ろ、石段状の山道を直進登る。
路傍の野仏は、昔より沢山の参詣者を迎え、励まし勇気付けたことか、野仏と会話し休息をとる。
苔の生す石段を、2段登り息を整え、3段登って腿を撫ぜ、また2段登って一休み。
どうにも、こうにも、ただ苦しい!!
やっと山門前の広い駐車場にたどり着く。 400mを30分(時間 15.50)
真壁城の大手門を寄進されたという薬医門。
薬医門をくぐり、アジサイが両側に咲く、数十段の石段の上に、朱に輝く仁王門。
「境内にはクジャクが放し飼いにされていますので、愛犬をお連れの方は引綱を放さない様にお願いいたします。 クジャクが安心して羽を広げられるよう、距離をおいて静かに鑑賞して下さい。 特に小さなお子様連れの方はご注意下さい」 の高札。
なるほど、本堂前にクジャクがと思ったら、どこかに隠れてしまい、後は見つけることが出来なかった。 立派なオスの鶏、メスの鶏がのんびりと闊歩していた。
雨引観音は用明天皇の御代(6世紀末)中国・梁の国人・法輪独守居士により開かれた。
仁王門は重層入母屋造りの楼門は、宝永7年(1710)建造で、鳥類の彫刻が壁面を飾る。
推古天皇の病気平愈祈願,天平年中(730)聖武天皇、光明皇后の安産を祈願、弘仁12年(821)嵯峨天皇の降雨祈願によって雨引山の山号を賜り勅願寺・安産祈願の根本霊場に成り、鎌倉幕府の宗尊親王・足利尊氏公、徳川家康公・徳川吉宗公は篤く雨引観音を信仰し、多くの寺領・堂塔を寄進したという。
観音堂も朱塗、左甚五郎の相弟子円哲作の,本朝二十四孝伝の浮彫。
堂内には本尊・延命観音と如意輪観音(国指定重文) 途中「宿カリ椎」は本尊が火災の折り梢に難を避けたという伝説の大木。
JR水戸線・ 岩瀬駅 18.46―小山駅 19.23 ¥1490
JR宇都宮線・ 小山駅 19.28―浦和駅 20.25
JR京浜東北線・ 浦和駅 20.31―南浦和駅 20.35
23番 佐白山観世音寺(佐白観音)
24番 雨引山楽法寺(雨引観音)
第1日目のタイムテーブル
自宅 6.40―徒歩1.3km−蕨駅 7.04―浦和(7.10-7.19)―小山(8.15-8.22)―笠間9.17―徒歩2km≪駅前9.20− 史跡・笠間藩校・時習館跡9.54―大石邸跡10.05―笠間日動美術館 10.06―つつじ山麓公園10.07≫―第23番佐白観音(10.10-10.50)―徒歩2km(10.50-11.26)―笠間(10.26-12.26)―下館縦(12.59-13.26)―岩瀬駅 13.42―徒歩5km ≪岩瀬駅13.50−観音入口碑14.50−観音碑15.20−山門15.50≫―第24番 雨引観音(15.50-16.45)―徒歩5km≪山門16.50−碑16.55−観音堂入口碑17.25−駅18.21≫―岩瀬駅(18.21-16.36)―小山駅19.23-19.28)―浦和駅(20.25-20.31)―南浦和駅20.35―徒歩1.5km―自宅 21.00
本日歩数記録 37482歩 歩行距離 22.1km
交通費 ¥4170 納経帳御朱印・他 ¥800 食事・ボトル茶 ¥1540
本日総経費¥6510
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第9日の1 平成29年8月 7日(月曜日)(晴れ)
JR京浜東北線・ 蕨 駅 7.04―浦和駅 7.19 ¥1940 JR宇都宮線・ 浦和駅 7.19―小山駅 8.15
JR水戸線・ 小山駅 8.22―笠間駅 9.17
第23番 佐白山観世音寺 (佐白観音) 納経帳記載御朱印 ¥300 他 滞在時間 10.10−10.50
笠間駅前の道を北に行く。(時間 9.25)
江戸時代初期、安政期(1854−9)に笠間藩校「時習館」が建てられた。 明治以降学校用地となり,旧笠間藩主牧野家邸、町役場もあった。(時間 9.54)
元和8年(1622)、笠間藩主となった浅野家5万石、笠間城の家老大石良政の屋敷跡で、その後笠間藩主・浅野長直は正保2年(1645)に赤穂へ国替えとなった。 大石良政の子、大石内蔵助良雄が「忠臣蔵」物語の赤穂藩国家老である。(時間 10.05)
笠間日動美術館では、「不思議がいっぱい、迷宮の絵画展」という絵画展が開かれていた。 (時間 10時06) 「23番正福寺は」そのすぐ近く。(時間 10.07)
観光バスの一台、バスツアーの人々を乗せて、参詣していた。
「佐城山縁起」によると白稚2年(651)に狩人・粒浦氏により開創で、白馬,白鹿、白雉が守っていた霊木で千手観音を刻み三白正福寺と称した。孝徳天皇の特願所となって、奈良・平安時代関東有数の霊場となった。
建保2年(1214)宇都宮氏の一族、時朝が正福寺の堂宇も僧侶も滅ぼし、そこに築城し笠間氏を名のったのが,佐白山で、時朝は笠間城を建てたが、多数の僧侶の亡霊に悩まされ、観音堂を再建した。
その後400年笠間氏は正福寺を信仰するが、天正18年(1590)、笠間氏は宗家・宇都宮氏に滅ぼされた。 昭和5年の現本堂が建てられ、寺号を観世音寺と改めたという。
佐白観音を辞し笠間駅に戻る。 徒歩2km(10.50−11.30)
佐白観音に、行きは地図を片手に慎重に進んでいった。 単純な経路だったので帰りの道は、間違いなしに駅まで戻れると思った。
ところが、中間点の食い違い交差点を、右折し左折するところを、直進したので、一本道路違いに気付かず、街並みも同じように見えたので、駅に直進するとばかり思い込み、電車の時間ばかり気にしながら進んだ。
ところが線路踏切と交差して初めて気付き、慌てて駅に抜ける道を探したが、だいぶ戻らないと、駅へ抜ける道が無かった。
急ぐが、聞く所もなく、地図を片手に探し回りする間に、電車が到着し、発車する音を聞いた後に、やっと駅に到着、僅か2分の差で、次の電車を1時間と1分待たなければならなかった。
行きも帰りも僅かの利を求めて、裏道を選んだのが、失敗だった。
ただ逆に、今日は昼食が取れずに、携帯食かと思っていたところ、昼食を取る時間が出来た幸運もあった。
あまり商店のない駅前を見渡すと、ただ一軒の洋食屋があり、そこで昼食を取ることにした。
当日予定の時刻表
(JR水戸線・笠間駅 11.24―下館駅( 11.59 −12.02)−益子12.43
(真岡鉄道・下館駅 13.01−益子駅 13.41)
当日行動した時間表
JR水戸線・ 笠間駅 12.27―下館駅 12.59 ¥500
JR水戸線・ 下館駅 13.26―岩瀬駅 13.42 ¥240
本日の第2の失敗
笠間駅に戻って、計画より1時間遅れの電車で、次の第20番西明寺に行くべく、下館駅で真岡鉄道に乗り継いで、益子駅に行くはずであった。 下館駅の接続時間は2分。
充分間に会う接続時間と思っていたが、乗車券の買替えに改札を出たのが間違いの基。
乗車券を買おうとしたら、発車時間だから「そのまま、車内で買ってくれ」「急いで!急いで!!」 と促され、ホームを駈けたが真岡鉄道はホームの端の端で、間に合わなかった。
慣れた者なら乗り換えも簡単だが、初めて降りた駅、状況も分からぬ老人が、モタモタもたつき乍ら跨線橋を渡っての、乗り換えは2分では無理だった。
時刻表を見ると、次の益子行きは、下館発14時31分、到着15時18分。 まだ1時間半以上時間があるが、また到着してから徒歩4kmだと、西明寺への道中状態がわからないので、寺院の開門時間に対して、余裕がない。
色々頭を巡らせ、資料を一覧して、第24番雨引観音に変更するのが、今の状況では ベスト。
下館13時26分発、岩瀬13時42分着、徒歩5km70分、これなら行動時間の余裕がある。 乗って来た電車を、又途中まで戻ることに成るのだが。
24番雨引観音楽法寺をめざす。
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