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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第2日の2
平成29年7月16日(日曜日)(晴れ)
第7番 金目山光明寺 (金目観音)
納経帳御朱印 ¥300 他 滞在時間 14.22−14.55
小田原駅から 小田急線秦野駅に向かう。
秦野駅から神奈川中央交通の路線バス・平塚駅行きに乗車。
幹線系統なので土日・平日も15分間隔で運転されている。
30分ほどで金目駅に到着。
バス停から5分もしない距離に「第7番・金目観音」はある。
寺前の金目川には、夏休み前の日曜日とあって、子供たちの歓声で賑わっていた。
何を追っかけているのだろう?
魚、虫、網を持った子供たち、子供会か? テントまで張られている。
「平塚八景 金目川と観音堂」 と言われている、金目川は丹沢箕毛峡谷の川に、水無川が注ぎ、秦野市、平塚市を流れ虹ケ浜にそそぐ。
坂東7番札所・金目観音は奈良時代以前までさかのぼる、国・県・市の重要文化財を有する古刹である。
春、観音堂と金目川堤の桜は一幅の絵をかもしだすと言われる。
光明寺の縁起によれば、源頼朝の夫人・北条政子が、実朝を出産のとき、安産を祈願した「お腹籠りの観音さま」は、大宝2年(702)、金目川が相模湾に注ぐ大磯の浜で,潮汲のみの海女が、桶に入った金像を、我が家に持ち帰ったところ、行脚の僧が訪ねて来て、「聖徳太子御作の観音像」と、告げて立ち去ったので、その観音像を海女が家で祀ったのが始まりと言う。
後、道義上人が一宇を建て、
天平年間(729−49)に、行基上人が5尺9寸(1.7m)の観音を刻んで、その体内に金像を納めたので「お腹籠りの観音」となった。
光明寺は源頼朝をはじめ将軍家が帰依し寺領を寄進したので大いに栄えたのである。
観音堂は明応年間(1492)の建立で、平塚最古の建造物。
「お腹籠りの観音」を宿した聖観音像は内陣の厨子に納められ、入母屋造りの一間厨子は室町時代末期の唐様で、国重要文化財。
その他,数点の文化財を所有している。
仁王門の仁王、暗くてお姿がよく見えない。
竹筒を透して、清らかな水琴の音を聴く。
幾年も前に聴き、忘れていた音色・・・
何処で? 感慨にふける!!
小田急線秦野駅に引き返し、座間駅に。
「第8番・星谷観音」 を目指す。
神奈川中央交通バス・ 金目駅15.01−秦野駅 15.31 ¥310
(秦野駅―平塚駅間 日中 15分間隔)
小田急線・ 急行 秦野駅15.52−本厚木駅 16.09 ¥310
小田急線・ 普通 本厚木駅16.15−座間駅 16.23
座間駅より、徒歩 0.5km 「第8番・星谷観音」 に向かう。
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坂東33観音霊場巡礼旅
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第2日の1
平成29年7月16日(日曜日)(晴れ)
JR京浜東北線・ 蕨 駅 8.09―赤羽駅 8.18 ¥310
JR埼京線・ 赤羽駅 8.26―新宿駅 8.43
小田急線・ 急行 新宿駅 9.01−新松田駅 10.24 ¥830
小田急線・ 普通 新松田駅10.31−足柄駅 10.42
昨日の疲れが、ひどく残っていると思いきや、今朝の目覚めは爽快であった。
良し、この分では今日も予定をこなせるナ。
今日の予定は、昨日より大分楽だから、 頑張って行こう。
何だ、この意気込みは?
自分でも解らないが、心の中でニターとしている。
要は心の持ちようだナー。
最近あまりないことだ!!
小田急線に乗り、足柄駅に到着。
頭に描く地図を頼りに歩きだす。
何か変だ? 地図を出して調べる。
駅からあまり遠くないと思っていたのだが?
井細田八幡神社 があった。
社前には
「井細田・八幡神社 小田原市扇町領座
祭神 誉田別命
天正年間、名主・星野治郎右衛門の勧進により,井細田の鎮守として村民の信仰厚く明治6年足柄県の村社に指定され、大正4年神饌幣供進社に指定され,昭和50年小田原市保存樹林に指定された。」
滞在時間 11.00−11.05
立派な鎮守様、最近都会では、鎮守の森が消滅しつつある。
現地では、勝手が違う。 一端思い込んだ 「頭の中の地図」は、なかなか消えない。
駅より近いと思い込んで、 巡り巡った末、洋服の「コナカ」があった。
店員さんに飯泉観音を尋ねると、「この道を真直ぐ行くと、川が
あり、橋を渡って、左折した先にある」 との事。 礼を述べ、進む。
大分錯誤していたが、未だ「頭の中の地図」は、飯泉観音は「さしたる川の畔付近」 にあると思いきや、その川は何と 「1級河川・で酒匂川」 、架かる橋が 「飯泉橋」。
事前検索が不確実であったため、時間・距離を大きくロスしたことを、思い知らされた。
都会であったので、聞くこともできたが、これが山の中だったらと、今後の遍路旅の、事前調査の 「重要性の警鐘」 と、大いに反省する。
徒歩約2kmの距離を、倍近く歩いたようだ。
第5番 飯泉山勝福寺 (飯泉観音)
納経帳御朱印 ¥300 他 滞在時間11.37−12.17
勝福寺の縁起によれば、日本に戒律を伝えた唐の高僧・鑑真和上が、招來した十一面観音像を孝謙天皇に献上し、道鏡に下賜された。 道鏡が下野の国薬師寺戒壇院を再興するため東に下ったとき、足柄の里で観音像が急に重くなり、仕方なく一宇を建て祀ったのが、勝福寺の開創とい
う。
仁王門は宝暦8年(1758)に造営されたもので、8脚門としては県下最大級で、格調高い門である。
昭和34―38年に解体修理がなされ、茅葺屋根から銅板葺きになったが、原形を良く留めているとの事。
曽我兄弟の仇討に怪力を授けたと言う、仁王が睨みを効かせている。
梵鐘は青銅製の和鐘で江戸時代初期の寛永6年(1629)作で、地元小田原の鋳物師青木源右衛門の作。 小田原の鋳物業は、戦国時代北条氏の保護を受け、関東の中心であり、名工が多く生まれたという。
宝永元年(1704)作の、船尾に十一面観音菩薩坐像の来迎佛を乗せた、竜頭船形水鉢は、観音の極楽浄土への来迎を映した作品である。
全長 270㎝ 巾 55cm 高さ 82cm 青銅
勝福寺の大イチョウは見事である。 堂々たる巨木である。
かつて乳イチョウと呼んで、乳の出ない婦人が願をかけたという。
樹高30m 周囲7,5m 樹齢700年推定 珍しい乳房状の樹根が、樹幹からも、枝からも、多数垂れ下がっている老木であるが、樹勢は衰えていない。
勝福寺山門前より小田原・新松田間を神奈川中央交通の路線バスが、30分間隔で運行していた。 資料収集の不備、足柄駅から歩かずに済んだのだ。
勝福寺を辞して、バスで小田原に向かう。
富士急行バス・ 飯泉観音12.19−小田原駅 13.05 ¥250
(小田原駅―新松田駅間 朝夕 30分 日中 1時間間隔)
小田急線・ 急行 小田原駅13.23−秦野駅 13.43 ¥310
神奈川中央交通バス・ 秦野駅13.52−金目駅 14.18 ¥310
(秦野駅―平塚駅 日中 15分間隔)
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第1日の5
平成29年7月15日(土曜日)(晴れ)
第4番 海光山長谷寺 (長谷観音)
滞在時間 15.30−16.30
拝観料¥300 納経帳御朱印 ¥300 他
入口で拝観料¥300 を納め、隣の納経帳御朱印記載の窓口で、納経帳を預けて番号札を貰う。
帰りの出門時に、記載済みの納経帳を受け取れば良いのである。
参詣者が多い所は、合理的に事務が進む様になっている。
長谷寺の縁起によれば、養老5年(721)大和・長谷寺の開山・徳道上人は,一本の楠の霊木から観音像を建立しようと祈願したところ、2人の仏師が現れ、三日三晩で観音像を2体作った。
この観音像の開眼供養した行基上人は 「衆生を救う」ためと、一体を海に流したところ、天平8年(736)その観音像が三浦半島に漂着し,漁師が引き上げた。
大和・長谷寺の開基・藤原房前が、鎌倉に新長谷寺を創建し、徳道上人を招いて開祖した。
十一面観音は大和・長谷寺の本尊と鎌倉・長谷寺の本尊は「同木異体」と言われている。
高さ9.18mで足利尊氏が金箔を施し、足利義満が光背を作ったと言う。
まばゆい金色に輝く巨大な十一面観音菩薩像。
観音の慈悲に包まれる一瞬である。
鎌倉の海
広い境内に、人が溢れている。
2番札所・岩殿観音では、参詣者がまばらの数人、3番札所・田代観音では参詣者が一人もいなかったが、4番札所・長谷観音には、広い境内に人が溢れていた。
観光客の多い、特に観光ツワー客が多い観光寺か、巡礼者のみが訪れる寺かによって,かくも違いがはっきりとしているとは思ってもいなかった。 やはり長谷観音は、東京・浅草寺と同様に、外国観光客に人気の寺院であった。
大変な強行軍だったので、鎌倉大仏には参詣せずに、足を引きずって、よろけながら帰宅する。
徒歩0.5km 16.30−16.50
江ノ島電鉄・ 長谷寺駅 17.03−鎌倉駅 17.15 ¥190
JR横須賀線・ 鎌倉駅 17.27−横浜駅 17.54 ¥1250
JR湘南新宿ライン線・横浜駅 18.43―赤羽駅 19.33
JR京浜東北線・ 赤羽駅 19.40―蕨 駅 19.48
御朱印 1番・大蔵山杉本寺(杉本観音)
御朱印 2番・海雲山岩殿寺(岩殿観音)
御朱印 3番・祇園山安養院(田代観音)
御朱印 4番・海光山長谷寺(長谷観音)
第1日目のタイムテーブル
自宅 7.20―徒歩 1.3km−蕨駅 7.45―交通機関乗車―鎌倉駅 9.30―徒歩1km―鶴岡八幡宮(9.55−10,20)―徒歩 1km―1番 杉本寺(10.40−11.30)―徒歩 5km―2番 岩殿寺(13.00−13.35)―徒歩 4km― 3番 安養院(14.30−14.50)―徒歩 3km―4番 長谷寺(15.30−16.30)―徒歩 0.5km―長谷駅17.00―交通機関乗車―蕨駅19.50―徒歩 1.3km ―自宅 20.10
本日歩数記録 28804歩 歩行距離 17.0 km
交通費 ¥2690 納経帳及び記載・他 ¥3500 食事・ボトル茶¥1550
本日総経費 ¥7740
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第1日の4 平成29年7月15日(土曜日)(晴れ) 第3番 祇園山安養院 (田代観音) 滞在時間 14.30−14.50
納経帳御朱印 ¥300 他
尼将軍と言われた北条政子が、夫の源頼朝の冥福を祈るため、佐々目ヶ谷に建立した祇園山長楽寺が前身で、その後鎌倉時代末に善導寺跡(現在地)になったと言う。
安養院は北条政子の法名。
延宝8年(1680) に全焼し、頼朝の家臣・田代信綱が建立した田代寺の観音堂を移し、「祇園山安養院田代寺」となった。
境内に鎌倉市指定の天然記念物・樹齢推定700年「槇(マキ)」の老木がある。
田代観音を辞し、長谷寺に向かう。
鎌倉駅を目指し、進むと大町四つ角交差点に、そこを右折すれば鎌倉駅に、左折すれば由比ガ浜・材木座海岸へ、直進すれば横須賀線ガード下を抜け若宮大路交差点、それをさらに直進すると江ノ電踏切、それを渡り、由比ガ浜大通りに。
賑やかな由比ガ浜大通りに沿って、商店を探索しながら、江ノ電・由比ガ浜駅、更に長谷駅と、段々と人で賑わってくる。
その先が長谷寺であった。
大勢の外国人観光客、中国、台湾、東南アジア系が多いようだった。
岩殿観音、田代観音を訪ねる人は殆どなく、ひっそりとしていたが、対照的に長谷寺は、人、人、人で賑わっていた。
徒歩 3km 14.50−15.30
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「坂東三十三観音霊場」
米寿老人の日帰り遍路ひとり旅 第1日の3 平成29年7月15日(土曜日)(晴れ)
第2番 海雲山岩殿寺 (岩殿観音) 滞在時間 13.00−13.35 納経帳記載御朱印 ¥300 他
岩殿寺の縁起によれば皇統45代・聖武天皇の勅願により、長谷寺開山・徳道上人が下向された時とされ、行基上人との両聖人の開基という。
正暦元年花山法王が來山し供養を営まれ、後承安4年後白河法皇が來山され、坂東第二番霊場と定められた。
源頼朝の信任厚く、大いに信仰を集めたという。
何十段もの石段を登った境内は、鎌倉が一望できる場所ではあるが、とに角「石段登り」は過酷を極め、遍路旅じたいの挫折をも、頭に描くほど。 しばし景色を眺め休みして、やっと正気に戻る事態である。 やはり計画が無理だったか??? しばし呆然の態!!
岩殿寺を辞して、横須賀線沿いの道路を鎌倉方面に引き返し、久木交差点過ぎの横須賀線踏切を渡り、道なりにしばらく行くと名越切通トンネル。
鎌倉は前方が海に、左右と後ろを山に囲まれた平地は、 当時、刀・槍や弓・矢での戦の時代、外敵を防ぎ易い天然の要崖であったため、この地を都として、鎌倉幕府を開き栄えた。
源平の合戦、源頼朝の台頭、北条氏の執権・幕府、元寇との合戦、日蓮上人の事件など、この地に纏わる数々の物語が生まれた。
その中の名越切通しは、今はトンネルだが、当時は切り通しの、鎌倉に通じる、最重要な通路であった。
トンネルを抜け、しばらく行くと横須賀線踏切、その先に田代観音が右手にあった。
その距離、岩殿寺より約4km。
徒歩 4km 13.35−14.30
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