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1週間の仕事が終わり緊張感から解放されたせいか、帰宅と同時にどっと疲れが出ました。
さすがに明日は休みです。
昨日の続き・・・
学生時代、帰省には必ず列車を利用していました。 そんな帰省中に交換で停車した窓から乗り出し
撮影したもの。 上りのブルトレ「みずほ」に道を譲ります。
「海側」・・・親切な説明ですが、このホームに立てば分かりますよね。
さて、この駅は何処でしょう。 ・・・ところでこの案内板、今もあるんでしょうね?
撮影:1976年 長崎線のとある駅にて
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アーカイブ・長崎本線
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昭和51年、地元の長崎本線電化前後の写真です。 主に多良−肥前大浦間の波瀬の浦、里信号場で撮影しました。
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久々に「アーカイブ・長崎本線」です。 因みにこのアーカイブは昭和51年から4年間、ここ長崎で
学生生活を過ごした間に撮ったものがほとんどです。
長崎駅から少し離れた所に乗務員用の構内踏切があり、ここから駅構内が見渡せました。
電化直前でしたが、まだ長崎線の主力のDD51が佇んでいました。
後方は、ご存知稲佐山ですね。 ここからの夜景はほんとうに綺麗でした。 そういえば35年余り、
この夜景も見ていません。
夕方、タッグを組んで入替中のDD51とED76、 これからブルトレを留置線から引き出します。
この時は試験的にELがすでに入線していました。
明日も出勤です。 なかなか鉄撮り出来ないです
撮影:1976年4月 長崎駅にて
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先日走った、キハ66+67×4連による急行「雲仙」、リバイバルものとしては最初ちょっと抵抗感がありましたけど、撮ってみれば良かった〜!! なんていい加減なものです(笑) せっかくですので今回はその関連としてまずはこの写真、 ↓↓↓ もうお分かりですね。 35年前の白浜です。 そして、同区間を走るオハ14系客車による、本物の急行「雲仙」。 電化直前のためED76とDD51の重連でした。 今回のリバイバルもここでの撮影、自分としてはやはり特別な場所です。 また、同時期のキハ58系による、急行「出島」 8連の堂々たるもの。残念ながらMHは無し。 当時の長崎線はそれはそれは色んな形式の車両が走っていました。 ついでながら、最後はその当時の長崎本線のダイヤを、列車番号:1レ、2レ も見てとれます。よだれが出るようなスジですね。 201レ、202レが「雲仙」のスジだったと思います。 撮影したのは、昭和51年5月。 なお、一部の写真はアップ済みのものもあります。
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あの「雲仙」「西海」が復活! と思いきや、キハ66+67で運転。 「なんじゃこれは!」と我々の世代は誰しもが思ったのではないでしょうか。 当時数多くあった九州と関西を結ぶ急行寝台の1つで、「雲仙」「西海」は長崎、佐世保を結ぶ10系寝台を含む編成でした。そんな編成をワンカットだけ撮影していました。 大変分かりづらいですが、編成途中にB寝台(ナハネフ)、グリーン(ナロ)、A寝台(ナロネ)の車両が確認出来るかと思います。 私の記憶では「西海」だと思います。 その後、12系(or14系)客車に変わり、寝台車も廃止となって、両車は肥前山口駅で併結・分割されるようになりました。 その片割れの長崎行き「雲仙」。これもワンカットだけ撮影していました。 「雲仙」「西海」、やはり私のイメージは10系客車です。 撮影:1974or75年 長崎本線 久保田−鍋島(1枚目)
1976年5月 長崎本線 多良−肥前大浦(2、3枚目) |
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昨日掲載の残りモノですが・・・盆休みの撮影だったためとにかく暑かったです。 みな過去のものになってしまいました。 ブルトレ”みずほ” 撮影日が違いますが、同みずほ 国鉄色485系”かもめ” 76牽引のコンテナ貨物 最後はかみさんといつものように記念の1枚、あの頃はよく撮影について来ていましたが、 今では・・・ 。 人様に見せられるような顔ではありませんので失礼します。 首からタオルをひっかけ、汗を拭きながらの撮影でした。 この1年後位に豊肥線にSLあそBOYが復活しました。撮影は当然SLに移り、再びこの波瀬の浦 を訪れたのは昨年のリバイバルブルトレの時でした。 長崎線 多良−肥前大浦 波瀬の浦にて
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