イタリア Lezione

主にイタリアに関する読み物です。

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目隠し

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 ローマのボルゲーゼ美術館に、Tiziano によって描かれた「キューピッド」の絵があります。


 『キューピッドに目隠しをするヴィーナス( Venere che benda Amore )』という題が付けられたこの絵は、文字通り、キューピッドが「目隠し」をされるという、一見するとコミカルな場面が描かれているためか、否応なく人目を引きます。もちろん、画家が Tiziano ですから、そこに意図された「図像上」の「企み」にも興味がありますが、純粋にじっと目を凝らして眺めているだけで、充分に楽しむ事が出来る絵だと思います。










 ご存知の通り、キューピッドの弓矢に射抜かれた人間は、たちまち「恋(愛)に落ちる」とされます。
 キューピッドは、ギリシア神話の主要な登場人物として世に出て以来、様々な姿形で描かれてきました。今日定着している、「翼の生えた子供」をキューピッドの姿として描くようになったのは、ゴシック期とされていますが、正確な初出は分かりません。少なくともイタリアでは、13・14世紀頃とされています。


 「翼の生えた子供」のキューピッドは、主として2通りに描かれます。
 1つは「目隠しをした」姿、もう1つは「目隠しを外した」姿です。キューピッドは「愛」の象徴ですから、この「目隠し」には「愛のあり方」が図像として暗喩されます。


 「愛」のあり方には、古来より2種類があるとされます。
 1つは、「理性を失った盲目的な愛」です。この「愛」は、身を焦がすような狂おしい情熱をもたらしますが、一方で肉欲的な「快楽」が表出するものです。「愛」と「快楽」は、表裏一体の関係ですし、突き詰めて考えていけば、この手の「愛」が少なくとも嫌いという方はいない筈?ですから、より人間的な「愛」のあり方と言えなくもありません。


 もう1つは、「精神的な繋がりを一義的に考える理性的な愛」です。15世紀にフィレンツェで花開いた、新プラトン主義を基調とした「人文主義思想」では、この「理性的な愛」のあり方が見直されるようになりました。すなわち、人間の育む「愛」のあり方は、他の動物と異なり、先ず持って、「精神的」な繋がりを重視するものであるべきだという考え方です。なるほど、確かに「精神的(理性的)な愛のあり方」を考える事は重要です。肉体の快楽よりも、精神的に深い繋がりを共有する相手と育んでこそ、より高次元の愛情を獲得する事が出来ると言えるかも知れませんし、少なくともそういう「愛」のあり方は、人間のみが可能とする愛情概念であるのでしょう。こういう「愛」、俗な言葉で言うところの「清らかなお付き合い」は、「プラトニック・ラブ(プラトン的愛)」として、現代の「愛」のあり方としても充分に共感を呼ぶと思われます。
(新プラトン主義を根底に置く人文主義思想は、決して「快楽」そのものを否定しているわけではありません。精神的な深い繋がりが、やがて「快楽」に昇華する、すなわち「肉体的快楽の前に、先ず精神ありき」という考え方です。逆に言えば、必然として「快楽」を伴う「愛」に何とか「清らかな」理屈を付けようといったところでしょうか。)


 「目隠しをした」、或いは「外した」キューピッドは、伝統的に次の様に解釈されてきました。
 「目隠しをした」キューピッドは、正常な判断力に著しい影響を及ぼす視覚を奪われた存在です。従って、「愛」に対しては盲目的で理性的な行動を取る事が出来ません。その逆に、「目隠しを外した」キューピッド」は、理性的な判断を下す事が出来る「愛」の象徴です。「目隠しをした」キューピッドは、「目隠しを外した」キューピッドよりも劣る存在として作画表現される例は、L. Cranachを代表として、イタリア以外では、ルネサンス期以降もかなりの数に登ります。


 冒頭の Tiziano によって描かれたキューピッドを見てみます。
 この絵には『キューピッドに目隠しをするヴィーナス』という題が付けられていますが、何か不可解な感じがします。右側の2人のニンフは、キューピッドの弓矢を持って待機しています。このことからも間違いなく、このキューピッドが、自らの「武器」である「愛」の弓矢を持たされて、これから人間世界に送り込まれようという場面である事は容易に見て取れます。そして母親であるヴィーナスは、より高次元の「愛」性をキューピッドに持たせるために、「目隠しを外して」いるとしなければならない筈です。しかし、こうなると絵に付けられた「目隠しをする」という文言と矛盾する事になります。


 既に記した通り、15世紀にイタリア、特にフィレンツェを中心に花開いた人文主義思想は、「愛」についての思索を新たな観点で深めました。その影響は、S. Botticelli をはじめとする同時代の画家に強い影響を与えました。当時の人文主義思想家は、当然の如く「愛」の象徴として伝統的に描かれるキューピッドの「目隠し」についても言及しています。


 フィレンツェを代表する人文主義思想家 Pico della Miarndola は、「愛は、知性を超える存在である故に眼を必要としない」という言葉を残しています。すなわち、理性的に物事を判断するための眼は、裏を返すと「愛」を「目に見える外的な要因」で眺める事を誘発する。「愛」は、「心の眼」で判断してはじめてより深い理解を得る事が出来るから、むしろ文字通りの「眼」は必要ない筈だというのです。こうなると、「目隠しをする」事は、「外される」事よりも、肯定的に作用し始めます。「愛」を見つめる方策も、時代や場所を異にすると、全く変わるものです。余計な視覚を遮断して「心眼」で「愛」を見るためには、確かに「眼」は必要ないというよりも「邪魔」になるでしょうから、「目隠しをする」方が、むしろ好都合でしょう。Botticelli も「目隠しをした」キューピッドを象徴的に描いていますから、当時の人文主義思想における「愛」のあり方について、進んで先取していたと言えます。


 現在、冒頭のTiziano の絵は、「目隠しをする」という表題が示すように、当時の人文主義思想の影響を色濃く受けていると判断する見方が体勢的です。しかし、やはりこれは「目隠しを外している」場面を描いているものだという見方も根強く存在します。個人的には、画中に見られる他の図像的現象を加味すると、圧倒的に前者、すなわち「目隠しをする」キューピッドを描いているという論を支持しますが、「目隠しをする・外す」という論争に積極的に参加して考えを巡らそうとは思いません。


 15世紀の「愛」も、現代の「愛」も、「解釈」はどうあれ、その「本質」は変わらない筈です。
「愛」の本質を考える事と、図像上の「目隠し」を論議する事は、やはり異なると思います。Tiziano の絵を見て思うのは、普段何となく「照れ臭い」と感じる「愛」を、たまには少しだけ頭を使って考えてみようかなという事でしょうか。


 「愛」とは、どのような形をしているのでしょう。
 もしかしたら、その答えは、1人1人に向かって、今正に矢を射ようとしているキューピッドだけが知っているような気がします。


 皆様の「キューピッド」は、目隠しをしているでしょうか、それとも外しているのでしょうか?










Love looks not with the eyes, but with the mind,
And therefore is winged Cupid painted blind.
Nor hath Love's mind of any judgement taste,
Wings and no eyes figure unheedy haste.

・・・W. Shakespeare : A Midsummer Night's Dream

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それでは500年前の賢人と同列になってしまうではないですか?naokiさま相手にそれは、無理です(笑)。ただでさえ浅学非才の身なのですから。

2007/8/25(土) 午後 10:11 ねこにゃー 返信する

愛・・・恋愛の愛は、目隠しをした天使に象徴される気がします。
どうしようもなく惹かれる気持ち、理性ではなく神秘的なものを感じます。
「愛には4つの形がある」という説を哲学概論のゼミで聞いたことがあります。1)エロスの愛・・・どうしようもなく惹かれる愛。2)アガシーの愛・・・・理性によって努力し育てる愛。3)友愛。4)教師の愛。
アガシーの愛とは、理性によって造り出していく、質の高い愛で達成された時に最大のものを受け取るというような・・・。
目隠しをはずした天使の愛は、理性で得られる愛なのでしょうか・・・と思いました。
心の目でみている愛は、気がついた時には、もうそこに愛があるのだと思います。目隠しをした天使に象徴される愛とは、そのような神秘的な愛ではないのでしょうか。クリムトの「接吻」に描かれているような、強く惹かれる「愛」だと思います。
人生で1)の愛と2)の愛と3)の愛(naoki先生は4)の愛も)を体験する為に誕生したのかもしれません。

2007/8/25(土) 午後 11:22 [ kotomo ] 返信する

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文章にも釘付けになりましたが、皆さんのコメントにも同じく目が離せませんねえ・・・!!プラトニックはプラトンから来ていたのですね。プラトニックそのものが清純な、というような意味だと認識していましたから。それにしても愛についてはまだまだ理解できないこの頃です。naoki先生と同じく恋ならしょっちゅうあります〜♪でも恋の解釈もまた難しいですね・・・ああ難しいものが多いこの世の中です・・・。

2007/8/26(日) 午前 1:08 [ - ] 返信する

やはり精神的に深いつながりのある愛にあこがれますね。でもそのきっかけが肉体的なものだったり外面的なものであったりってこともあるかもしれません。ワタクシはキューピッドが目隠しってことは意図してマッチングを考えずに矢をはなってるってことかなぁと思ったり。だとすると性格の合わない人と結婚する原因がわかったかも!?(^▽^;)

2007/8/27(月) 午前 10:08 alo**_aina*h* 返信する

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>アキさん・・・確かに、年齢によって「愛」についての考え方も異なりますね。逆に考えると、人は年齢と共に「愛」についての考え方を自らの中で熟成させるものかも知れません。

2007/8/27(月) 午後 0:21 naoki 返信する

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>ねこにゃーさん・・・この際、学問的な「愛」は置いておきましょう。

2007/8/27(月) 午後 0:22 naoki 返信する

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>アズこともさん・・・なるほど、教師の「愛」ですね。そろそろ、自分も次世代の後継者を「育てる」という事を真剣に考えなくてはなりません。「これは!」と思う人材に対して、どのような教育愛を発揮すべきか、今のうちからモデルを描いていきたいと思います。今のところは、院生に対しては「厳しい教師愛」で接しています・・・。

2007/8/27(月) 午後 0:25 naoki 返信する

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>quaさん・・・皆さんのご意見を伺っていると、大変勉強になりますね。「愛」についての主観的な価値観は当然ながら1人1人異なると改めて思いました。それにしても、「恋」の矢を放つキューピッドは、常に気まぐれですね。

2007/8/27(月) 午後 0:30 naoki 返信する

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>Komachiさん・・・大人の女性のご意見ですね。ちょっと考えてみたいと思います。コメント後半部に関しては・・・。世の中、そういう例が結構ありますから、不思議と言えば不思議ですね。難しいと思います。

2007/8/27(月) 午後 0:33 naoki 返信する

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私も自分のブログで以前紹介したのですが、恋愛のパターンについてはスタンダールの「恋愛論」に優れた分析がありました。

恋愛の時間には、相手と一緒に過ごす内密な時だけでなく、恋人から離れ、その人との恋愛そのものを考える、相手に向けた言葉、或いはこれから相手に発しようとする愛の言葉を一人静かに口ずさんでみる、相手の様子を想い描くなどの時間も含まれます。

プラトン的な愛とも、肉感的な愛とも違う、えもいわれぬ甘美な経験に魅了されること、さらにはそんな自分を新たに見出すという快楽、これがナルシシックな経験に過ぎないのか、それとも恋愛の魔力なのか、議論が分かれるところでしょうか。

2007/8/28(火) 午前 11:50 [ pintxos ] 返信する

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>・・・さん・・・さすがに、良く分かっていらっしゃいますね。難しい「理屈」は仕事で考えようと思います。「実践」は、ドキドキ感が大切ですね。

2007/8/28(火) 午後 4:20 naoki 返信する

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> k_o_frさん・・・スタンダール?以前、新潮文庫版を読んでみましたが、私には難しすぎてよく分かりませんでした・・・。どうも、私は「愛」に関して「実践的」を嗜好する傾向があるようなので「絵を見たときくらいは、真面目に考えるか」と、いつも思っています。情けない限りです・・・。

2007/8/28(火) 午後 4:23 naoki 返信する

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できるものなら、若かった頃に、キューピッドの目隠しを貰いたかった。
自分の心の目で、捉えたい愛も、後になって、その存在に気づいていたりするから。

2007/8/29(水) 午後 0:35 みいな 返信する

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若い頃に,△関係について悩み,恋愛の本をいろいろ読みましたが,結局,あまり書いてなくてそこから抜け出すこととしか・・・両方とも投げ出しましたが。恋のキューピッド役は、結構しました。こういう才能はあるかも。もう,今は恋なんてできないと思っていますが,年齢は関係ないのでしょうね。最近,でも秋が近づくと人恋しくなりますね。猫に恋してます。

2007/8/29(水) 午後 10:11 mam**ari2*07 返信する

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>みいなさん・・・最近は、年齢に応じて、素敵な恋愛が出来れば良いのではないのかと思うようになりました。そうなると、若い頃の苦い経験も、自分の中で少し和らぐようになりました。

2007/8/29(水) 午後 11:55 naoki 返信する

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>mamakariさん・・・年齢相応の「恋愛」は、大切だと思います。少しずつ経験を重ねるうちに、過去のどんな「恋愛」も、許せるような・・・そんな気がします。確かに、秋は人恋しくなりますね・・・。

2007/8/29(水) 午後 11:57 naoki 返信する

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「目隠ししない愛」で旦那に浮気されちゃったら、立ち直れないかも・・浮気されるなら精神的なつながりの薄い「目隠ししたままで」と思ってしまった・・いやそういう問題ではない、両方ダメですが!以上、ひとりごとでした〜面白いお話でした、ここまで読み終わってあらためて絵を眺めるとまた違った印象でした。素敵な講義にポチ!

2007/8/30(木) 午後 7:06 [ - ] 返信する

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15世紀の人文主義思想が造形作品に及ぼした影響は凄まじく、図像的な象徴を読み取らないと、上手く理解する事が出来ません。「愛」についても同様ですが、現代の価値観と比べてみるのも面白いかも知れませんね。
素敵なナチュベリさんと、幸せな旦那様に乾杯!

2007/9/6(木) 午後 3:26 naoki 返信する

新プラトン主義には、とても影響を受け、今でも心に深く残っています。ティッツィアーノも・・・。天空の愛と地上の愛、白と赤が混ざり合い、ピンクの薔薇となった作品がありますね。

2007/11/10(土) 午前 9:11 remu57 返信する

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ティツィアーノの絵は、第一感、図像的な「企み」に、どうしても神経が向かってしまいます。もう少し年を取って、純粋に楽しむ事が出来る境地に達したいものです。

2007/11/11(日) 午前 11:18 naoki 返信する

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