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大学院の博士課程に入った頃、佐々木先生に西洋史を習った。
当時、佐々木先生は日本を代表する西洋史の大家で、決して華々しい世間の表舞台には登場しないものの、毎年、重厚な論文を発表しては学会を瞠目せしめていた。人格は清廉潔白、物言いに澱みなく、どちらかというと「孤高の学者」で、学問一筋に我が人生を捧げられたような人であった。その講義たるや、難解かつ厳格なもので、生半可な覚悟では単位の修得は不可能であると院生に恐れられていた。無論、鉄拳や暴言をもって人を威圧するという風ではなく、学問の深遠を極めた人物が有する、独特の雰囲気を発していた。
西洋史は自分の専攻分野ではなく、特に履修する必要もなかったが、「難解かつ厳格」な講義を見聞きしておくのも何かの役に立つだろうと思い立ち、佐々木先生の講義に出席した。
その年度は運悪く、受講者が自分1人であった。狭い大学院の講義室で初めて対面した時、先生は「受講者がいて良かったよ。」と言って笑ったが、その顔は心なしか寂しげであった気がする。
講義は、中世修道院の書簡に関する記録をドイツ語の原書で読むというものであった。
毎時間、私が発表をし、それに先生が批評を加えるという、何とも贅沢かつ「恐ろしい」演習講義であった。たまさか、「・・・だと思います。」などと断定口調で発言しようものなら、「成程。で、その根拠は?」と鋭い一瞥が飛ぶので、全く気が抜けない講義であった。
講義の合間に、問わず語りを聞いて驚いたが、先生は大変な資産家であった。
世田谷辺りに、先祖代々、広大な土地を所有していて、大学からの給料は、ほんのお小遣い程度、毎月の賃貸料だけで何不自由なく生活が出来るような人だった。
成程、その話しを聞いて納得したが、常に英国製の、地味だが打ち込みの重厚なスーツを身にまとい、一部の隙もない装いを心掛けておられた。当時、先生は退官間近であったが、背が高い痩身に英国製がよく似合った。
決して成金趣味の奇抜な服装を好まず、実に品の良い格好をしていたように思う。そこからは、幼い頃より良い物しか身に付けていない人だけが醸し出す「生まれながら」の品格が滲み出ていたのであろう。
靴はいつも渋い茶色のイタリア製を好まれた。
若い頃は英国製一本槍だったが、一度ローマで靴を仕立ててから、イタリア製靴に魅了され、それ以来愛用されているとのことだった。何かの拍子に「西洋風の服飾観念で最も重要なものは何だか分かるか?」と聞かれ「さて・・・」と答えると、嬉しそうに「常に靴を綺麗に磨いておくことなんだよ。」と言われたことを思い出す。成程、そういうものなのかと感心した。
ただし、先生の靴への思い入れは、一般的には理解し難いものがあり、しばしば閉口させられた。
「去年もミラノで靴を仕立てたよ。最近は随分高くなったものだね。」と言うので、恐る恐る「幾らですか?」と聞くと「足型を取って仕立てたから20万円掛かったよ。仕方がないから3足にしておいた。」と済ましている。こういう人が本当のお金持ちなのかと、驚かされたものだ。
そんな佐々木先生も6年前に亡くなられた。
かつて、「君は将来、どのような道を志しているのかね?」と聞かれ、「未だ決めた道はありません。」と答えると、「そうか、それでは教師になりなさい。」と言って、珍しく含み笑いをされたことを思い出す。
先生の言う通り、教師になった。
そして、先哲の遺訓を守り、靴は毎日磨いている。
* 「佐々木」先生は仮名です。
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