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久し振りに、Delacroix の絵を図録で見る機会を得ました。
ふと思い立ち、本棚の奥にあった Delacroix に手が伸びました。
しとしと雨の降り続く午後は、絵を観て、のんびりと過ごすに限ります。傍らに置いてある、程好く冷えた麦茶のコップを傾けながら、気無しにページを捲っていると、1 枚の絵に目が留まりました。
Delacroix と言えば、ロマン派の代名詞でありましょう。
この何かに憑かれた様な芸術上の一大運動を考える時に、1 つのキーワードとして、私は indivisualism という言葉を常に頭に浮かべます。「 個人・個性 」 という概念は、ロマン派の勃興以来、特に芸術思潮で強調されましたが、事此処に到ると、些か濫用気味とも言えるでしょう。現代における主な芸術上の表現媒体、すなわち文学、美術、音楽等を俯瞰した場合、「 個人・個性 」 の発揮を競うのに余念が無い状況は、全く疑う余地もありません。しかし、その一方で、芸術は、恐ろしい勢いで 「 社会 」 という柔らかな 「 全体主義 」 の中に組み込まれてきました。「 個人・個性 」 という 「 主義 」 の問題と、これらを記号化した単なる言葉とは、本来別個の筈ですが、これをひとたび混同すると、相当の矛盾が生まれます。「 社会 」 という全体概念の中で、「 個人・個性 」 という 「 主義 」 を考える事は、もはや不可能であるとしても差し支えありません。それは、「 人権の平等 」 というような極めて社会的な問題を持ち出した途端に、個人の姿が見えにくくなるという、大変皮肉かつ、分り易い矛盾を挙げるまでもありません。
ロマン派以降、この 「 主義 」 に関わる問題に、芸術家は絶えず悩まされてきました。
芸術が、一般社会の規範に近付けば近付くほど、「 個人・個性 」 という高く掲げた旗印の下ろし場所が見付かりにくくなったのは、面白い現象です。幸いにして、ロマン派の凋落以降、「 個人・個性 」 から、芸術思潮の大勢が 「 知性 」 へと偏向したお陰で、この矛盾は既に 「 芸術史 」 の一部になりました。これは、芸術領域が手に入れた、巧妙な歴史転換であるのでしょう。個人的には、その 「 知性 」 の拠り所 ( 土台 ) が、見えにくいという、誤魔化しが効かない新たな矛盾の表出を少し危惧しているのですが ・・・。
1 枚の絵を観て、あらぬ方向へ考えが飛びました。
雨の日の 「 芸術鑑賞 」 に、難しい思想史は似つかわしくありません。
ページを捲って、この絵が目に入った途端に、ある事を思い出しました。
学生の頃、Baudelaire の 『 L'Art romantique 』 を読んだ事があります。周知の通り、Baudelaire は、病的とも言える Delacroix フェチですが、彼の 『 L'Art romantique 』 は、ロマン派理解のための最も有名な基本 「 テキスト 」 と言えるかも知れません。Baudelaire は、『 L'Art romantique 』 の中で、ロマン派画家達の過剰な 「 個人・個性 」 の競争に嫌悪感にも似た真情を吐露していたと記憶していますが、それ以上に、同時代の巨人である Delacroix を真実の 「 個性 」 と激賞している事が印象に残ります。
Baudelaire の Delacroix 観は、現代の目線から見ると、些か大仰です。
しかし、ロマン派という時代を先取りする魅惑的な ( 何時の時代も、芸術家は 「 時代の先取り 」 が好きなものです。) 大波の中で、欧州絵画における線的な伝統を貫いた創作動機の頑固さは、やはり特筆に値するでしょう。時代の抗い難い趨勢に押し流されない ( 裏を返すと保守的な ) Delacroix の芸術観は、その魅力的な筆致と共に、Baudelaire のフェチを刺激したに違いありません。
目が留まった Delacroix の 1 枚。
この絵に描かれた人物は、Delacroix が敬愛した、美術史上に燦然と輝く 「 巨匠 」 です。
彼は、この人物に関して、わざわざ評論を残している程ですから、成程、その傾倒振りが伺えます。西洋美術にお詳しい方であれば、画中の人物が取る、極めて重要且つ象徴的な 「 ポーズ 」 にお気付きでしょう。そして、この 「 ポーズ 」 こそ、Baudelaire が指摘する Delacroix の中に流れる絵画伝統なのかも知れません。
この人物とは ?
画中に、ヒントが沢山あります。
雨の日に、「 謎解き 」 も悪くありません。
西洋絵画に、ご興味のある方は、お付き合い下さい。
答えは、こちらに。
http://blogs.yahoo.co.jp/naokiart1969/9484813.html
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