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○○ 様
今年も、無事 Firenze に到着しました。
もう幾度と無く訪れているためか、良くも悪くも、この街では、特段 「 変わった 」 事は起こりません。
いつもの様に、Vienna 経由の飛行機で、不釣合いなほど小さな市内の空港に着き、そのままタクシーに乗って、中心部から少し離れた 「 常宿 」 まで向かいます。一連の、その過程は、文字通り 「 いつもの様に・・・ 」 淡々と進みます。電車にせよ、バスにせよ、そしてタクシーであったとしても、初めて訪れる街では、ホテルに着いて自分の部屋に入るまで、何かしらの不安なり興奮なりが心を揺さぶるものですが、Firenze では、もはや、そのような 「 旅 」 特有の騒ぎ立つような心の振幅はありません。ただ、タクシーの後部座席に身を沈め、黙って石畳の軽い振動に身体を預けていれば、それで充分に事が動いて行きます。
ホテルに着いて、顔なじみの、いつものフロント係に挨拶し、「 Duomo の見えるバルコニー 」 が付いた、いつものシングルの部屋に入る ・・・ こうして 「 いつもと 」 変わらない Firenze の滞在が始まります。
ルネサンスの 「 栄光 」 というものは、やはり偉大です。
500 年という時の流れをもってしても、容易にこの街の 「 風景 」 を変えるものではありません。むしろ、この街を独特成らしめている 1 つ 1 つの断片が、長い時間を掛けてゆっくりと醸成されているかの様な感すらします。
Firenze のシンボルである Duomo は、その巨体で Toscana の青い空を相も変わらず 「 支配 」 するように聳え建ち、Uffizi の名画達は光を放ち続け、S. Croce 教会の白い懐で、Beatrice は Dante の永遠の愛に包まれながら、今日も静かに眠っています。そして、Arno の側に歩みを進めれば、いつもの穏やかな緑色の流れがそこにあります。
Firenze に来ると、無意識に 「 いつもの 」 変わらない街の姿に目線が行きます。
そして、その 「 いつもの 」 街の魅力と、それを示す数々の断片 ( 記号 ) を 「 確認 」 する喜びは、充分に自分の心を満足させます。言い換えれば、変わらぬ姿の Firenze に、ゆっくりと、心と身体を沈殿させて行く感覚 ・・・ と言っても良いでしょうか。それは、強烈に心を揺さぶる事象が目の前に現れない代わりに、決して不愉快な事は起こらないという安堵感を意味します。
よく知っている 「 いつもの 」 姿を確認するだけであっても、決して味気ない旅にならないのは、ひとえに、
Firenze の魅力が常に普遍的であるという、当然の帰結に達する充分な証拠と成り得るのです。
しかし、ある晩、次の様な事がありました。
Arno 南岸の奥まった場所にある、行きつけの trattoria に足を運んだ時の事です。
この trattoria は、初めて Firenze に来て以来、頻繁に立ち寄っている店です。店構えは小さいながらも、しっかりとした Toscana 料理を出します。薄いピンクの上品なテーブルクロス、一目見ただけで、揃えた人間の審美眼を窺い知ることが出来る調度品、そして、物腰柔らかい初老の cameriere が見せる、さり気ない気遣い ・・・ どれを取っても、旅の一食を安心して託すことが出来る店です。Arno の南岸、それも薄暗い路地の突き当たりにある
trattoria には、観光客の嬌声も滅多に響きません。
食後の cappuccino を運んで来てくれた、cameriere と幾つか言葉を交わしました。
「 今年もまた、お出でになられたのですね。 」 と、彼は顔に独特の柔和な笑みを浮かべて囁く様に言いました。Firenze では珍しい、しっかりとした英語の響きは、知的な風貌に良く似合います。二言三言、言葉を繋いでから、私は気なしに 「 このお店と同じように、Firenze も変わらない街ですね。 」 と笑って、cameriere に問い掛けました。すると彼は、白髪が混じった頭を軽く振って、少し寂しそうに 「 変わらない街は ・・・ その様な街は無いのです。 」 と呟きました。それは、一瞬の短い言葉でした。意味が分らぬまま虚を衝かれた私の顔を見て、直ぐに
cameriere の顔に、いつもの柔らかい笑顔が戻りました。
その言葉は、私の心に、妙に残ります。
店を出て、冬の冷たい空気を頬に当てながら、cameriere の呟いた言葉の意味を反芻してみました。 「 変わらない街は、無い ・・・ 」 その言葉は、Firenze の変わらぬ姿に、安心して任せていた自分の心に、ザラっとした違和感を少なからず残しました。
いつも 「 変わらない 」 Firenze の街並み。
それを充分に感じつつも、一方で 「 変わり行く 」 Firenze を呟いた、cameriere の遠くを見るような視線の意味を、此処のところ、毎晩、ホテルのベッドの上で考えます。もちろん、彼の意味する 「 変わり行く 」 Firenze とは、毎年 Amendola 通りにいる屋台の焼き栗売りが、今年は姿を見せないといった瑣末な変化の事ではない筈です。
今日も山のごとく動かない、この街の断片。
それらは、Duomo であり、Uffizi であり、教会群、或いは、街を包む独特の空気なのでしょう。もし、それらのものに変化が生じるとしたら ・・・ それは、これらの断片を見つめる人の心の方が 「 変わる 」 という事なのかも知れません。この街が、容易にその姿を変えない一方で、人の心は常に移ろいます。その時々の心の有り様から、年齢を重ねるに従って蓄積される経験や人生観の変遷まで、人の心はその姿を変わらぬ状態で留めるとは限りません。
年年歳歳、花相似たり
歳歳年年、人同じからず
ふと 『 唐詩選 』 の中の、有名な一節が頭を過ぎります。
「 花の都 」 たる Firenze が持つ、重厚で動かし難い街の空気に比した時、人の心は移ろいやすく、また、何かしらの拍子で容易に、或いは、知らず知らずのうちにゆっくりと姿形を変えるものです。「 変わらない 」 街の姿に安心して身を委ねていた旅人である私の視線は、無意識に、この街の人の心をも同じ様に捉えていたのかも知れません。何度も訪れているが故に、決して動じる事のない、Firenze が持つ輝くような断片の全てを手に入れたと感じる浅薄な感慨は、この街を 「 通り過ぎる 」 だけの旅人が持つ、特有の狭量な思い込みなのかも知れません。ベッドの上で寝返りをうち、不意にバルコニーに出て、遠く Duomo の美しい円蓋を眺めながら、「 変わらない 」 街に 「 移り行く 」 人の心を重ねてみます。しかし、旅人である私の目線の先には、やはりいつもと変わらない円蓋の蕾が映ります ・・・。
もう直ぐ、今年の Firenze の旅が終わろうとしています。
今年もまた、いつもと変わらない S. M. Novella 駅の雑踏の中で、いつもの様に emotional な匂いを嗅ぎつつ、
Assisi へ向かう各駅列車に乗り込むのでしょう。いつもの旅立ちではなく、もし、何かが変わるとしたら ・・・ やはり、あの cameriere の言葉かも知れません。
「 変わらない街は、無い ・・・ 」
変わらないと思われる街を見続ける人の、移ろい行く心。
その心に、絶え間なく波の様に訪れるであろう、喜び、そして悲しみ。そのような事を、ぼんやりと考えながら、静かな Assisi を目指す ・・・ 今年の Firenze の旅は、そのような終わり方になるのでしょうか。
いつの日か、Firenze の景色が 「 いつもと違う 」 ように見えるとしたら ・・・
その時、自分の心には、どのような振幅が起きているのだろうかと、ふと思います。
naoki
Firenze にて。
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