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ルネサンス以前の素朴な絵画造形に、時折惹かれます。
・・・ Niccolo di Ser Sozzo, 1362, Siena.
名が広く知られるルネサンス期の 「 巨匠 」 達を見慣れると、それ以前の無名絵画は、些か物足りなく目に映るものです。造形技術の未発達な時代に製作された絵画は、画面構成も平板で、人物の立ち方もぎこちなく、画中に浮かぶ顔も例外なく 「 能面 」 のように画一的です。見る者に、能動的に訴えかけるような華々しいルネサンスの 「 巨匠 」 達が雄弁であるのに比し、「 時代以前 」 の無名絵画は、黙して語らない 「 素朴 」 が、その特徴と言えるでしょう。
Firenze などの大美術館で 「 巨匠 」 達が織りなすルネサンスの筆致を存分に堪能した後、田舎に歩を進め、Siena のような街で素朴な無名絵画を前にすると、その意外な魅力に気付くことがあります。ルネサンスそのものを代表する華々しい街では、決して目に留まることのなかった、時として地味な造形も、その立ち位置を落ち着いた地方の小都市に移すと、存外心に沁みてくるものです。「 素朴 」 な魅力は、小さな街の人影疎らな美術館や教会の祭壇が、本来あるべき場所なのかも知れません。
心を落ち着けて、「 無名絵画 」 を眺めます。
平板で 「 能面 」 のような画中人物の顔も、艶やかな特徴が際立つことがないからこそ、その時に持つ自身の心中が投影され易いのかも知れません。圧倒されるような筆致に慄くことなく、安心して 「 素朴 」 な魅力の中に埋没することが出来る ・・・ それは、製作された当時に見た人達が有していたであろう心持と、どこか近しいような気がします。自身の信仰や日々移り変わる心の振幅 ・・・ それらを包み込み、素直な心の投影を許してくれるのは、平板で 「 素朴 」 な絵画なのでしょう。この不思議な 「 素朴 」 を眼前にする時の感慨は、現代の 「 視線 」 に耐えられないとは決して思えません。静かな場所で一人心静かに観る 「 素朴 」 さは、「 時代以前 」 の絵画造形が持つ魅力を改めて発見させてくれるかのようです。
田舎街で眠る、膨大な 「 素朴 」 の魅力を知って、造形絵画と 「 対話 」 することを覚えました。
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