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イタリア最南端に Catanzaro という街があります。
何処か遠い所へ旅をしたいなと思う時、「 旅行記 」 の類に目を落とします。
南イタリアに関する旅行記では、G. R. Gissing の By the Ionian Sea を好みます。旧所名跡を手放しで美辞礼賛するといった筆致が行間に全く見当たらない、一風変わったこの旅行記は、南イタリア特有の物憂げな情景を明瞭に描き出します。Gissing 特有の乾いた筆遣いを辿ると、上辺に張り付く表皮ではない、深層から溢れる 「 南 」 の物憂げな空気が漂います。
南イタリアを melancholic に彷徨う Gissing も、最南端の街 Catanzaro は気に入ったらしく、旅行記の中でも相応の頁を割いています。イタリア半島の正に 「 脚裏 」 ちょうど親指の付け根の部分に位置する Catanzaro の街。取り立てて何もない、小高い丘の上にある小さな街 ・・・ しかし、この街から眺めるイオニア海の色合いは、何物にも代えがたい情景を旅人の胸に刻んだのでしょう。物憂げな旅人の目線を捉えて離さない、Catanzaro の情景を想像するだけで、「 心の旅 」 も充分に満足を得ます。
旅行記に目を落とし、未だ見ぬ街を思い浮かべる 「 旅 」 に出るのも、時として良いものです。
Catanzaro must be one of the healthiest spots in Southern Italy;
perhaps it has no rival in this respect among the towns south of Rome.
I should like to visit Catanzaro in the summer; probably one would have
all the joy of glorious sunshine without oppressive heat, and in the
landscape in those glowing days would be indescribably beautiful.
・・・ By the Ionian Sea : G. R. Gissing
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雑感
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イタリアに限らず、旅先で感じた事を書いています。
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イギリスの湖水地方を訪れた時に whig というパンを食べたことがあります。
whig とは 「 かつら 」 と同じく wig と綴られる事もある caraway seed というハーブが入ったパンで、湖水地方周辺に良く見られます。白く焼きあがった柔らかいパンに、caraway seed の食感と香りが独特で、なかなか美味しいものです。caraway seed は、ギリシア、ローマ時代より用いられているハーブで、消化を促進する効能があるため、パンに入れらるようになったのかも知れません。
この whig は、Beatrix Potter の Peter Rabbit にも seed whig として紹介されていますが、それ故に、湖水地方伝統のパンと言えるでしょう。湖水地方では、クリスマスにこのパンを
Elderflower の実で作ったワインと共に食す習慣もあります。転々と横たわる灌木に自生する赤紫色の実から作られる素朴なワインは、如何にもイギリスの自然を感じさせる味だと思います。
昨日、窓を叩く雨音がする仕事部屋で S. Coleridge を読み返す機会を持ちました。
湖水と緑地の景観、パン、ワイン、そして今にも草むらから顔を覗かせるようなウサギの影 ・・・
こうした 1 つ 1 つの断片もまた、イギリスロマン派の風景なのかも知れません。
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ひとつ所に脚を留め置く安穏が、心の中で余りにも大きく面積を広げ過ぎ、非日常の新味が何故か恋しくなる ・・・
新しい旅を始める動機としては、決して悪くない筈です。
大きな駅の片隅から発車する、誰も気に留めない忘れられたような 「 各駅停車 」 の座席を占め、発車間際特有の昂揚感を静かに覚える瞬間 ・・・ 新しい旅がまた始まるという感を強く持ちます。
行き先が決まっていても、また決まっていなくとも、慣れ親しんだ大きな街から離れ行くローカル列車は、否応なく非日常という旅の奥中へ進みます。これから始まる旅へ抱く、大きな期待にほんの少しの不安が混ざった独特の心の振幅は、発車間際に掛かるディーゼルエンジンの細かい振動と相まって旅情の色を濃くします。
此処ではない何処か ・・・ 未だ見ぬその土地へ思いを巡らすうちに、僅かに残っていた不安を霧散させるように音もなく列車が動き出します。この刹那、私にとっての 「 新しい旅 」 が始まります。
安穏に沈殿した日常から歩を進め、新しい旅を始める季節がやってきました。
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「 自然の前で、人は無力 」 という言葉をよく耳にします。
「 自然は人知を超えた力を ・・・ 」 という言葉も同義です。
しかし、私はそうは思いません。
自然が人間の営みを無視し、ある日突然その猛威を私達の頭上に振り翳す ・・・
たとえそうであったとしても、全ての人間が、それに慄き、絶望し、身を縮めながら
恐怖に震え続けるわけではありません。
人が自然の猛威を否応無く受け入れなければならない宿命を背負っているとしても、
我々は、それを乗り越えて行くに足る能力を備えている筈です。
たとえ自らが自然の猛威に屈し、立ち上がることの出来ない痛みを負ったとしても、
それ以上に他の人の身を案じ、他の人の痛みを自らのそれに置き換えて
涙を流す事が出来る ・・・
人間が本来的に持つこの尊い感情は、
「 人知を超えた 」 力の前で、決して為す術も無く倒れ行くものとは思えません。
自然現象が、何よりも大切な 「 命 」 を奪い去る力を持つのであれば、
その悲しみがたとえ耐え難いものであったとしても、
それを乗り越えて 「 生 」 を繋いでいく大きな力が我々にはある筈です。
人間が持つ、その 「 人知 」 は、無慈悲な自然の力を越える事は出来なくとも、
決して劣るものでもありません。
自然の力が時として余りにも巨大で、容赦なく眼前に立ちはだかるとしても、
私は、それに決して負けることのない人の力、そして人の心を信じたいと思います。
人は、決して屈し続ける事はありません。
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Snow and Fog on the Grand Canal, 1840, I. Caffi
幾度となく訪れた、冬の Venezia
全てを手にしたと思う旅人が、未だ見ぬ浮都の雪
水際に舞う、白粒
傾く鐘楼を影にする白粉
裏路地の水路に架かる小橋に、人知れず積もる白薄
Venezia に積もる、静かな雪
Naoki
・・・・・
東京に、存外雪が積もりそうです。
静かに積もる雪は、何を思うのでしょうか。
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