イタリア Lezione

主にイタリアに関する読み物です。

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お読み頂いている方、お一人お一人への 「 手紙 」 です。
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 ○○ 様
 
 
 
 Firenze を発とうとしています。
 
 決して慣れる事はありません。
 1 つの街を離れる時、言いようもない寂しさが胸に湧いてきます。忘れ難い旅の思い出が、しがみ付くように心に残り、それに付随する深い思い入れが強まれば強まるほど、その街との別れ際は濃い旅情を帯びます。「 移動 」 を常とする列車の旅に必ず付き纏うこの旅情は、鉄道駅という 「 離れ発つ 」 という雰囲気を助長する 「 舞台 」 のせいかも知れません。何度も訪れている、この S. M. Novella 駅でさえ、独特の寂しさを沸き立たせる役目を充分に果たします。以前、訪れた時とは違う何か ・・・ それを今度の滞在で感じるならば、Firenze を発つ寂しさも一層つのる筈です。
 
 
 Roma 行きの乗客も疎らな各駅列車の座席の中に身体を沈め、発車を待つ間にそのような事を思います。
 
 
 各駅列車は、Roma へ向かう途中、数え切れない駅に停まる筈です。
 今度の旅も Firenze から先の旅程を決めていません。駅で貰った路線図に目を落とし、ふと視線が止まった Arezzo が次の目的地になるでしょうか。しかし、車窓に気に入った景色が映り、気無しに降りた田舎駅もまた良いかも知れません。未だ決まらない次の目的地を無理やり頭に浮かべる ・・・ 1 つの街を発つ時に湧き上がる寂しさを紛らわす時、いつもこのようにしています。
 
 
 次に差し上げる手紙が、Arezzo ではない街の消印で届いたら。
 途中下車しても良いなと思う、景色に出会ったという事になるのでしょう。
 
 
 Firenze を発つ列車にて
 
 naoki
 

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○○ 様





 今年も、無事 Firenze に到着しました。



 もう幾度と無く訪れているためか、良くも悪くも、この街では、特段 「 変わった 」 事は起こりません。
 いつもの様に、Vienna 経由の飛行機で、不釣合いなほど小さな市内の空港に着き、そのままタクシーに乗って、中心部から少し離れた 「 常宿 」 まで向かいます。一連の、その過程は、文字通り 「 いつもの様に・・・ 」 淡々と進みます。電車にせよ、バスにせよ、そしてタクシーであったとしても、初めて訪れる街では、ホテルに着いて自分の部屋に入るまで、何かしらの不安なり興奮なりが心を揺さぶるものですが、Firenze では、もはや、そのような 「 旅 」 特有の騒ぎ立つような心の振幅はありません。ただ、タクシーの後部座席に身を沈め、黙って石畳の軽い振動に身体を預けていれば、それで充分に事が動いて行きます。


 ホテルに着いて、顔なじみの、いつものフロント係に挨拶し、「 Duomo の見えるバルコニー 」 が付いた、いつものシングルの部屋に入る ・・・ こうして 「 いつもと 」 変わらない Firenze の滞在が始まります。





 ルネサンスの 「 栄光 」 というものは、やはり偉大です。
 500 年という時の流れをもってしても、容易にこの街の 「 風景 」 を変えるものではありません。むしろ、この街を独特成らしめている 1 つ 1 つの断片が、長い時間を掛けてゆっくりと醸成されているかの様な感すらします。
Firenze のシンボルである Duomo は、その巨体で Toscana の青い空を相も変わらず 「 支配 」 するように聳え建ち、Uffizi の名画達は光を放ち続け、S. Croce 教会の白い懐で、Beatrice は Dante の永遠の愛に包まれながら、今日も静かに眠っています。そして、Arno の側に歩みを進めれば、いつもの穏やかな緑色の流れがそこにあります。


 Firenze に来ると、無意識に 「 いつもの 」 変わらない街の姿に目線が行きます。
 そして、その 「 いつもの 」 街の魅力と、それを示す数々の断片 ( 記号 ) を 「 確認 」 する喜びは、充分に自分の心を満足させます。言い換えれば、変わらぬ姿の Firenze に、ゆっくりと、心と身体を沈殿させて行く感覚 ・・・ と言っても良いでしょうか。それは、強烈に心を揺さぶる事象が目の前に現れない代わりに、決して不愉快な事は起こらないという安堵感を意味します。


 よく知っている 「 いつもの 」 姿を確認するだけであっても、決して味気ない旅にならないのは、ひとえに、
Firenze の魅力が常に普遍的であるという、当然の帰結に達する充分な証拠と成り得るのです。





 しかし、ある晩、次の様な事がありました。


 Arno 南岸の奥まった場所にある、行きつけの trattoria に足を運んだ時の事です。
 この trattoria は、初めて Firenze に来て以来、頻繁に立ち寄っている店です。店構えは小さいながらも、しっかりとした Toscana 料理を出します。薄いピンクの上品なテーブルクロス、一目見ただけで、揃えた人間の審美眼を窺い知ることが出来る調度品、そして、物腰柔らかい初老の cameriere が見せる、さり気ない気遣い ・・・ どれを取っても、旅の一食を安心して託すことが出来る店です。Arno の南岸、それも薄暗い路地の突き当たりにある
trattoria には、観光客の嬌声も滅多に響きません。


 食後の cappuccino を運んで来てくれた、cameriere と幾つか言葉を交わしました。
 「 今年もまた、お出でになられたのですね。 」 と、彼は顔に独特の柔和な笑みを浮かべて囁く様に言いました。Firenze では珍しい、しっかりとした英語の響きは、知的な風貌に良く似合います。二言三言、言葉を繋いでから、私は気なしに 「 このお店と同じように、Firenze も変わらない街ですね。 」 と笑って、cameriere に問い掛けました。すると彼は、白髪が混じった頭を軽く振って、少し寂しそうに 「 変わらない街は ・・・ その様な街は無いのです。 」 と呟きました。それは、一瞬の短い言葉でした。意味が分らぬまま虚を衝かれた私の顔を見て、直ぐに
cameriere の顔に、いつもの柔らかい笑顔が戻りました。





 その言葉は、私の心に、妙に残ります。
 店を出て、冬の冷たい空気を頬に当てながら、cameriere の呟いた言葉の意味を反芻してみました。 「 変わらない街は、無い ・・・ 」 その言葉は、Firenze の変わらぬ姿に、安心して任せていた自分の心に、ザラっとした違和感を少なからず残しました。


 いつも 「 変わらない 」 Firenze の街並み。
 それを充分に感じつつも、一方で 「 変わり行く 」 Firenze を呟いた、cameriere の遠くを見るような視線の意味を、此処のところ、毎晩、ホテルのベッドの上で考えます。もちろん、彼の意味する 「 変わり行く 」 Firenze とは、毎年 Amendola 通りにいる屋台の焼き栗売りが、今年は姿を見せないといった瑣末な変化の事ではない筈です。





 今日も山のごとく動かない、この街の断片。
 それらは、Duomo であり、Uffizi であり、教会群、或いは、街を包む独特の空気なのでしょう。もし、それらのものに変化が生じるとしたら ・・・ それは、これらの断片を見つめる人の心の方が 「 変わる 」 という事なのかも知れません。この街が、容易にその姿を変えない一方で、人の心は常に移ろいます。その時々の心の有り様から、年齢を重ねるに従って蓄積される経験や人生観の変遷まで、人の心はその姿を変わらぬ状態で留めるとは限りません。


 年年歳歳、花相似たり
 歳歳年年、人同じからず


 ふと 『 唐詩選 』 の中の、有名な一節が頭を過ぎります。
 「 花の都 」 たる Firenze が持つ、重厚で動かし難い街の空気に比した時、人の心は移ろいやすく、また、何かしらの拍子で容易に、或いは、知らず知らずのうちにゆっくりと姿形を変えるものです。「 変わらない 」 街の姿に安心して身を委ねていた旅人である私の視線は、無意識に、この街の人の心をも同じ様に捉えていたのかも知れません。何度も訪れているが故に、決して動じる事のない、Firenze が持つ輝くような断片の全てを手に入れたと感じる浅薄な感慨は、この街を 「 通り過ぎる 」 だけの旅人が持つ、特有の狭量な思い込みなのかも知れません。ベッドの上で寝返りをうち、不意にバルコニーに出て、遠く Duomo の美しい円蓋を眺めながら、「 変わらない 」 街に 「 移り行く 」 人の心を重ねてみます。しかし、旅人である私の目線の先には、やはりいつもと変わらない円蓋の蕾が映ります ・・・。





 もう直ぐ、今年の Firenze の旅が終わろうとしています。


 今年もまた、いつもと変わらない S. M. Novella 駅の雑踏の中で、いつもの様に emotional な匂いを嗅ぎつつ、
Assisi へ向かう各駅列車に乗り込むのでしょう。いつもの旅立ちではなく、もし、何かが変わるとしたら ・・・ やはり、あの cameriere の言葉かも知れません。

 「 変わらない街は、無い ・・・ 」

 変わらないと思われる街を見続ける人の、移ろい行く心。
 その心に、絶え間なく波の様に訪れるであろう、喜び、そして悲しみ。そのような事を、ぼんやりと考えながら、静かな Assisi を目指す ・・・ 今年の Firenze の旅は、そのような終わり方になるのでしょうか。


 いつの日か、Firenze の景色が 「 いつもと違う 」 ように見えるとしたら ・・・
 その時、自分の心には、どのような振幅が起きているのだろうかと、ふと思います。



 naoki

 Firenze にて。

パレルモからの手紙

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○○ 様





 屹立する石灰岩の、険しい岩肌に慄いているうちに、バスは Palermo の市街に入っていきます。



 左手に深く広がる Tirreno の青い海、右手に所々窪みのある石灰岩の巨大な白い壁 ・・・
 この街に来て最初に観た、青と白の対照は、Sicilia という最果ての 「 南国 」 が放つ、独特の太陽の光と重なり、強烈に心に残ります。細い一本道を、その 「 青 」 と 「 白 」 に挟まれるようにしてバスが進むうちに、
Palermo の街が、不意に眼前近く広がりました。


 Castelnuovo という名前が付いた、広場の一隅にある古風なホテルの部屋に腰を落ち着けます。
 最初の 2 〜 3 日は、旅の常として、旧所名跡、いわゆる 「 見所 」 と言われる観光地を巡りました。Quattro
Canti と呼ばれる市内中心部の四つ辻にあるバロック風の建築物、Pretoria 広場に聳える彫刻群の奇観、
Massimo 劇場の壮麗な装飾、そして美術館、博物館の類は、言うに及びません。


 しかし、ガイドブックに載る様な、「 見所 」 を観て周っても、不思議と心が躍りません。
 それは、Palermo が、思う以上に大きな街だからでしょうか。Sicilia という 「 イタリアであって、イタリアではない 」 という特殊な風土を期待する、観光客が持つ無責任な 「 好奇心 」 を満たすには、Palermo が持つ大都市特有の空気は、些か大人しい ・・・ San Cataldo 教会の丸みを帯びた半円形のドームに、微かに匂う欧州とは毛色の異なる 「 東方 」 の名残りしか見て取れない、自らの見識の低さを呪います。最初に観た、「 青 」と 「 白 」 のコントラストに降り注ぐ、冬のそれとは思えない日差しの印象が余りにも残るが故に、Palermo の整然とした街並みは、少し恨めしく目に映ります。


 一通り 「 見所 」 を周ってからは、思い切ってガイドブックを閉じ、街の散策に精を出しています。
 大きな通りを避け、故意に細い路地に入って行きます。事前に聞き及ぶ通り、「 南の貧しさ 」 は、裏通りに入ると如実です。整然とした表通りから、一歩横道に入るだけで、街の表情は一変します。崩れかけた家の壁や廃墟となった名もない教会、剥がれた石畳の窪みに溜まる濁った雨水、昼間から辻々に屯する若者の一団、野良猫を追いかけて興じる裸足の子供達、そして空を遮る夥しい洗濯物の列 ・・・ 一見、華やかな表通りと異なる、もう 1 つの Palermo は、ある意味、「 青 」 と 「 白 」 の対照以上に、心に残ります。そして、この 「 対照 」 を知って初めて、Palermo の街に入り込む事が出来た様な気がするのです。不思議ですが、窪んだ石畳に足を取られたとしても、裏通りを歩いて、特段、不愉快な事は起こりません。むしろ、何処となく掴みかねていた、 Palermo に、漸く歩み寄る事が出来たという妙な安心感が湧き上がります。否、それ以上に、裏通りで、日々沈殿する、この街の匂い立つような生活臭に酔う方が、余程、「 Palermo 観光 」 の体を成している様に思われて、自分でも驚きます。


 旅をしていると、思ってもいなかった事象が、後々まで記憶に残る、という類の経験を時折します。
 私にとって、この街は、そういう旅の奇妙な経験の最たるものだと思います。「 地中海という特殊な地理条件は、Palermo に欧州、アラブ、そして雑多な文化を花開かせた ・・・ 」 という、ガイドブック的な解説の断片は、街の到る所に観る事が出来ます。しかし、残念にも、そういう類の Palermo は、一向に、私の旅の 「 思い出 」 として記憶に残らない事でしょう。恐らく、私の記憶に残る、この街の断片は、最初に観た 「 青 」 と 「 白 」 であり、華やかで整然とした表通り、そして、それとは全く異なる 「 南の貧しさ 」 が如実に現れる、裏通りに充満する喧騒の類なのでしょう。そう、 Palermo とは、私にとって、良くも悪くも、「 コントラスト 」 の街なのです。


 滞在の最終日に当たる今日、初めて、港の近くまで行きました。
 途中、不意に降り出した雨を避け、海岸が見通せる bar に逃げ込みます。温かい camomilla が、冬の海風で冷えた身体に染み、一息つきました。ふと外を目をやると、霧の様に降る静かな雨の向こうに、初めてこの街に来て観たよりも、一層色を濃くした 「 青 」 が広がります。そして、海岸線の両端に、石灰岩の切り立った断崖の
「 白 」 が海に迫り出しています。


 定時のニュースを終えた、bar のラジオから、唐突に Cavalleria Rusticana 前奏曲の、あの美しいメロディが流れます。眼の前にある、雨が薄く掛かった 「 青 」 と 「 白 」 のコントラストを観て、改めて Palermo の記憶を胸に刻みました。


 明日の朝、列車で Agrigento に向かいます。
 明日まで、雨は降り続けるのでしょうか。

 雨に濡れた 「 青 」 と 「 白 」 のコントラスト ・・・
 Palermo で最後に観る風景として、悪くはない筈です。



 naoki

 Palermo にて。

ローマからの手紙

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 ローマに、今年も年の瀬が迫ります。



 ローマをゆく年、そして、ローマに来る年。
 時間の流れが特異な街では、「 年の瀬 」 という時として慌しい響きを持つ言葉は、不釣合いかも知れません。「 今年も ・・・ 」 という文言に、少し違和感を感じる程、ローマは当たり前の様に、また 1 つ、年を重ねます。クリスマスが過ぎ、新しい年が明けようかという、一連の 「 年中行事 」 も、この街が持つ膨大な時間の蓄積の前では、刹那な出来事で、そこに 「 特別 」 な思いを重ねるのは、むしろ人の心の振幅が大きいと言えるでしょう。


 低く垂れ込めた雲の隙間から、時折、細い光の筋が、年の瀬のローマに差し込みます。
 如何にも季節らしい、薄い光の中、街を行き来する人の姿を消し去ってみます。Colosseo、Foro Romano、S.M.
Maggiore、Pantheon、Circo Massimo、そして、Tevere の穏やかな流れ、所々欠けた石畳の列。この街に、「 永遠 」 という冠を被せる、こうした 1 つ 1 つの遺構は、人が作り出す、忙しない年の瀬の空気に決して馴染むことなく、超然として長い沈黙を保ちます。想像も出来ないくらい、幾重にも渡る星霜を、その表面に刻み付けてきた遺構の群れは、平然と、新たな歳月の断片を受け入れるようです。ローマから人の気配を消し去るならば、「 今年の年の瀬 」 もまた、「 永遠 」 の静かな波に飲み込まれて行くのでしょう。





 石畳を蹴る人の靴音に、ふと我に返ります。
 「 永遠 」 の街は、現代の大都市でもあります。多くの人が住み、また行き過ぎるローマでは、それと同じ数だけの、「 年の瀬 」 があるのでしょう。1 人 1 人にとって特別な 「 年の瀬 」 は、「 永遠 」 とは異なる時間の流れを作り、或いは、現代の街であるローマの言い知れぬ空気を作ります。その空気は、喜び、悲しみ、そして時には、その両方が混ざり合ったものでもあります。そうした人の思いが作り出す、大都市特有の melancholic な雰囲気も決して悪くはありません。人が作り出す、現代の都市としての慌しい時間と、人の背後で静かに流れる時間。
「 年の瀬 」 のローマでは、2 つの時間の対照が色濃く浮き出ます。


 ローマに、「 また 1 つ 」 と、自分の時間を委ねてみます。
 この街の 「 年の瀬 」 は、「 永遠 」 の時間に、人の思いを 1 つずつ重ねる時節です。



 良い年をお迎え下さい。



 naoki

 ローマにて。

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