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イタリア旅行に関する記事です。
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旅の風景

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 旅先で、ふと眼に入る風景に、存外、心動かされる時があります。



 遍くその名を知らしめる、有名な 「 観光地 」 の風景を存分に愛でるのも、決して悪くありません。
 積年、憧れ続けた土地の風景を眼前にした時に湧き上がる、独特の高揚感や達成感は、言葉に出来ぬ程の振幅を、心に植え付ける事でしょう。また、そのような体験は、「 観光 」 という、旅の一義的な目的を充分満足させる要素になる事は、言うまでもありません。


 しかし、旅も、その回数を増して来ると、常に同じ心の振幅が蘇るとは限りません。
 初めて見た際に、圧倒的な感動の大波を伴った筈の、「 有名な観光地 」 における風景も、少し時を置いて、2 度、3 度、或いは、4 度、5 度訪れると、次第にその 「 波 」 も凪いで来ます。また再び、此の風景の中に立つ事が出来た ・・・ という感慨に浸る事は出来ますが、最初に得た 「 波 」 の揺れを心に蘇らせるのは、なかなかに難しいようです。


 また、その期待が大きければ大きい程、落胆の度合いも、それに比例する事が間々あります。
 乾坤一擲、何時かは見てみたいと念願した風景さえも、いざ間近に佇むと、「 思った程ではなかった ・・・ 」 という悔恨のみ心に残る事は珍しくありません。「 思った程では ・・・ 」 というのは良い方で、「 土産物売りに囲まれた 」、「 ゴミが沢山落ちていた 」、或いは 「 入場料が不当に高価であった 」 など、様々に付随する 「 俗 」 な要素に、念願の風景がすっかりと色褪せてしまうといった事は、旅慣れた方であればある程、少なからず経験する現象でありましょう。


 有名な観光地等、是非見聞したいと念じた風景を虚心坦懐に愛でるのも、常に上手く行くとは限りません。





 それとは反対に、旅先で、存外眼に飛び込んでくる風景が、不思議と心に残る事があります。
 街を何気なく歩いている時、駅で列車を待っている時、立ち寄ったレストランの窓から外を眺めた時 ・・・ その 「 風景 」 は、突然眼に飛び込んできます。一瞬にして、通り過ぎるような、何気ない風景は、万人を、その名を持って惹き付ける様な 「 有名観光地的風景 」 とは趣きを異にします。それは、皆が皆、見たいと念じるような普遍的風景ではなく、極めて個人的な振幅を呼び起こす、その人だけが見る事の出来る、「 心の風景 」 なのでしょう。


 突然、眼に入る、予期せぬ旅先の風景 ・・・
 夕暮れのアマルフィ海岸を走るバスの車窓から見たオレンジ色の海、シエナの石畳を敷いた細い裏道で手を繋いで仲良く歩く老夫婦の後姿、ポンペイ遺跡の片隅に住み着いて戯れる猫達、そして、突然振り出した雨に薄く濡れるミラノ中央駅の駅舎 ・・・


 ふと眼に入る、こういう旅先の風景は、自分だけが得る個人的な体験である故に、不思議な程、心に残るものです。
 そして、時間が経つほどに、大切な 「 心の風景 」 として、旅の思い出を彩るのでしょう。


 何気なく通り過ぎる 「 心の風景 」 を見逃さないような旅をしたいものです。







 ローマの繁華な通りを少し入った所に佇む、名前も分らない小さな教会。

 何も無い中庭の奥にある聖画に手向けられた植木鉢の花の色。

 その可愛らしくも可憐な薄紅の色 ・・・

 いつまでも忘れられない 「 旅の風景 」 です。

ミモザの咲く頃

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 「 富士には、月見草がよく似合ふ 」



 『 富嶽百景 』 という小編の中で、太宰治は思わず、このような言葉を漏らしています。
 自意識過剰で、稀代の pessimist は、眼前で屹立する霊峰の堂々たる姿と、可憐な黄金色の花が発する峻烈なまでの健気さとの対比に、少なからず心を動かされたようです。執筆を兼ねた富士旅行記に取材したこの小編は、多分に凡庸で、plot と呼べるような構想を感じさせる箇所は微塵もありませんが、唯一、「 富士には、月見草が ・・・ 」 という言葉が印象に残ります。


 霊峰たる富士には、其処に足を踏み入れた者だけが感じ取る 「 神聖 」 があるのでしょう。
 「 山岳信仰 」たる仰々しい字句を持ち出すまでも無く、人知の及ばない創造物に対して、曰く言い難い、ある種の 「 神々しさ 」 を汲み取るのは、国の東西を問わず、人間が持つ、ごく自然な心の振幅である思われます。神聖たる富士の巨峰に対して、無数に咲き乱れる、余りにも有触れた小さな月見草の姿に、対象の妙を感じ取った太宰の心中に、少なからず興味を覚えます。


 「 富士 」 と 「 月見草 」 という奇妙でありながら、余りにも鮮やかな対比。
 「 富士には、月見草が ・・・ 」 という力強い言葉に、太宰の心中に刻印された強烈な印象を想像します。同時に、富士の際限なく広がる峰に対峙して、無数に咲き乱れる月見草の黄色が、鮮やかなまでに浮かび上がってきます。










 Sicilia の Agrigento という街に、古代ギリシアの神殿遺跡が残っています。
 州都 Palermo から列車で約 2 時間程の旅で、地中海を間近に望む片田舎たる Agrigento に到着します。街の南側、真青な海を見下ろす小高い丘の上に、ギリシア風の列柱が立ち並ぶ、一連の神殿遺跡群が広がり、目を奪います。


 この神殿跡に立つ時、独特の 「 空気 」 を感じます。
 眼下に広がる地中海が湛える狂おしいまでの青、時折広がる雲の切れ間から差す美しい光の筋、踏み締める度に独特の音を発する砂岩の砂利道、そして、遠くから微かに漂い流れる潮騒 ・・・ その全てが 「 神々しい 」 空気を漂わせるのでしょう。遥々と地中海を渡り流れ着いた古代ギリシア人達が、何故に、この場所に神殿を築いたのか、今となっては知る術もありません。しかし、この Agrigento の丘に漂う 「 空気 」 を感じると、その理由を想像する事が出来るかも知れません。丘を支配する、言い知れぬ神々しさは、決して神殿の建造物から発するものではなく、其処に流れる 「 空気 」 に拠るのでしょう。


 神殿群の其処かしこに、ミモザの花が咲いています。
 春めいた 3 月の爽やかな風に、ミモザの可憐な花が揺れます。「 神々しい 」 場所に、無数に咲き乱れる黄色い花。ふと 「 富士と月見草 」 が頭に浮かびました。





 イタリア中に、春の訪れを告げる、ミモザの黄色い花。

 Agrigento の神殿跡に咲くミモザは、その役割を良く知った、最も美しい黄色です。










「 ・・・ 富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。」


・・・ 太宰治 『 富嶽百景 』

all' estremita del ponte

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 一体、この街には、幾つ 「 橋 」 があるのだろう。



 そう思いながら Venezia を巡ると、新たな視点で散策の歩が進む。
 「 水の都 」 という冠を付けて、この街を呼ぶのであれば、ponte 「 橋 」 は、Venezia に生じる、もう 1 つの必然となる。「 水の都 」 は、「 橋の都 」 という別の呼称を否応無く欲する。





 本島の中央を大きく蛇行して、その位置を占める Canal Grande には、3 つの巨大な橋が架かる。
 玄関口たる Santa Lucia 鉄道駅前広場から対岸に伸びる Scalzi、独特の白い奇観が美しい Rialto、そして、緩やかな曲線の内側に、遠く S. M. della Salute 教会の優雅な円蓋を覗き見る事が出来る Accademia の柔らかい木橋。これらは、ponte の名に相応しい巨躯を持ち、それぞれが Venezia という特異な街の中で、その存在を確固たるものとして保ち続ける。このような大きく太鼓を架けた橋を渡り、低い街並みを眺め、眼下を通る小舟の姿を遣り過ごす時、干潟の方から吹く潮風が頬に当たり、海の匂いが心地良い。


 その一方、入り組んだ街中で、縦横に伸びる水路の上に架かる 「 小橋 」 にも趣きを感じる。
 Canal Grande から枝分かれし、密集した建物の間を、細い葉脈の様にして通る Venezia 独特の小水路。その水路に架かる、無数の小さな橋。大きな campo へと続く途上にあり、人が絶えず上を通り過ぎるものから、
gondola さえも入らない奥まった水路で密やかに佇むものまで、「 小橋 」 に目線を向けると、陽の当たらない鬱蒼とした街路の散策も、足取りが軽くなる。


 頻繁に渡るような、見知った 「 小橋 」 は、何とも愛らしい。
 宿の近くに架かり、滞在中に何度も見掛ける 「 小橋 」 は、渡る度に愛着が湧く様な心持ちになる。階段の不揃いな傾斜、冷たい藍色を帯びた鉄の欄干、水路を跨ぐ弧の頂点に刻まれた獅子像 ・・・ それぞれの 「 小橋 」 が湛えるささやかな個性を見出すと、「 水 」 の存在だけに惹き付けられて下った目線が少しだけ上がり、「 橋 」 という、この街が持つ、もう 1 つの魅力に気が付く。





 見覚えのない街路に迷い込んだら、先ず 「 小橋 」 を探す。
 地図を見ても、一向に自らの位置が判然としない位、複雑に入り組んだ建物の隙間を彷徨えば、必ず名も無き小水路に行きあたり、そして、その水路には 「 小橋 」 が架かる。1 つ 1 つ、その外観を異にする 「 小橋 」 は、迷宮然とした Venezia で、唯一の 「 道標 」 であるのかも知れない。いつもの道を逸れ、見知らぬ小水路に行きあたり、その傍らに愛らしい 「 小橋 」 を見付けて 「 道標 」 にすると、迷宮を自在に歩く事の出来る範囲が広がる様で、心が弾む。街路を彷徨いながら 「 小橋 」 を見付け、その姿形を振り返り、改めて感嘆する、それは、迷宮の中で新しい道を 1 つ覚えた事を意味する。





 未だ見ぬ 「 小橋 」 が、Venezia には、無数にあるのだろう。
 いつの日か、迷宮の深奥で密やかに佇む小水路に行き当り、其処に架かる、誰も振り返らない自分だけの 「 小橋 」 を見付けたい。Venezia の細く暗い石畳の道を歩く時は、いつもそのような事を考える。





 柔らかい雨の降る夕方。
 「 あの橋の袂で ・・・ 」 という 「 待ち合わせ 」 も悪くないと思う。

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波音

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 piazza を取り囲む建物に、1 つ 2 つと灯りが点もり始める。



 冬の Firenze は、夕暮れも足早に近寄って来る。
 Santa Croce 教会の白い大理石も、昼の日差しが去ると、黒々と迫るように圧し掛かる。裏手にある国立図書館で思うように仕事が捗らず、1 日を無為に過ごしたと落胆するような日は、Santa Croce 前の薄暗い piazza に足を向ける。行きつけている torattoria の、安穏とした遅い開店時間まで、piazza に広がる夕暮れの中で、時間を遣り過ごす。



 夜が近付くにつれ、行き交う人の話し声は、囁くような波になる。
 眼前の Santa Croce に吸い込まれたその波は、教会の壁を伝って、再び piazza に落ちて行く。日差しの中で響いた嬌声は既に無く、ただ、囁きのさざなみが幾重にも落ちて来て、耳を静かに揺らす。冬の夕暮れに充満する空気は冷たいが、何とも心地良い 「 波音 」 は、疲れた気持ちを慰める。



 心地良く響く 「 波音 」 は、Firenze で見つけた、夕暮れ時の密かな楽しみ。
 教会を背にして、piazza を眺めると、建物の不揃いに重なった屋根の上に、暗い夜が急速に近付いていた。



 「 波音 」 の余韻を残しつつ、Arno の流れに沿って暫く歩いていれば、程好い頃合になる。


 路地裏に佇む小さな torattoria の看板に灯が入り、piazza を歩く人の影が一層濃くなった。

教会の風景

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 街を、そぞろ歩いていると、名も無い教会に目が留まる事がある。



 小さな教会もまた、良いと思う。
 広く耳目を集める聖遺物や、聖画・聖像を頂く、或いは幾重にも側廊を備え、天高く聳える高名巨大な伽藍の 「 観光地的 」 魅力は言うまでもない。しかし、街角に密やかに佇むようにして建つ、名も無い小さな教会も愛らしい。Catholic の教会は、「 博愛主義 」 の具現そのものだから、大きさに関係なく、通りすがりの旅行者であっても穏やかに迎えてくれる。人知れず建つ、小さな教会には、大伽藍にはない 「 静寂 」 の趣きが時としてある。


 独特の内扉を開けると、表の喧騒とは、決して混じる事のない静けさが其処にある。
 小さな祭壇と磔刑像、誰が描いたものであるのか判然としない聖画、説教壇の素朴な彫刻。異国の人を大勢呼び寄せる物は、何ひとつ無いけれど、その代わり、其処に本来あるべき 「 静かな 」 教会の姿が心に残る。高名な大伽藍を観て感じる趣きとは相容れぬ、別種の感慨が、小さな教会の魅力であろう。





 祭壇脇の小さな Chapel に捧げられた、小さな花束。

 こういう風情もまた、Catholic の教会。


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