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ロンドンの大英博物館(The British Museum)について、改めて多くを語る必要はあるまい。
世界の博物館界に覇を唱えること久しい大英博物館も、古き帝国主義から現代の民主主義へ時代の趨勢が移りゆく中で、その収蔵品についての論争が喧しいようである。
大英帝国が最もその輝きを放った頃、世界中に植民地を築き、収集した美術品・文化財は星の数に匹敵する。その収集品を、元の国々に返還すべしという運動やら後援活動が活発に行われているようであるが、些か皮相的な考え方と思わざるを得ない。少なくとも大英博物館の収蔵品は、その出自が判然としているものばかりだから、巷間言われる「植民地からの無差別な略奪」という批判は、全くもって的を射ていない。
美術品・文化財の「価値」を考えてみたい。
美術品・文化財と呼ばれるものは、その「価値」が正当に判別され、尚且つ適切に評価される土壌にあって、初めてその存在意義が表出する。残念ながらそういう土壌のなかった場所では、「地面を掘ると時々出てくる茶碗のかけら」であったり、「虫食いだらけの汚い本」、あるいは「よく分からない昔の人の墓」・・・なのである。そのような状況下にある美術品・文化財の行く末は、これまで数多ある悲惨な例と同様に、土中に朽ち果て、盗賊に蹂躙され、果ては人為的に破壊される(バーミヤンの仏像破壊の愚行を思い出す・・・)運命に他ならない。
大英博物館の収蔵品を見て、文化遺産の素晴らしさに何がしか啓蒙される故これありと感じ入るのは、当然の心情である。たとえ「略奪品の展覧会」などと知った風なことを吹聴する浅薄な人がいたとしても、悲惨な運命を辿った幾多の例とは対照的に、「安住の地」を得て永遠の眠りについた文化財の幸運を素直に喜びたいものだ。
そして大英博物館は、入場料を徴収せずにこれらの収蔵品を公開しているから、全人類共通の文化遺産を、旧宗主国市民たるイギリス人に限らず、老若男女その出自に関係なく自由に鑑賞することが出来るのである。
美術館・博物館の使命は、「文化財の収集・保存」「収蔵品に関する調査・研究」「収蔵品の公開による文化遺産価値の啓蒙」である。これらのうち、前二者に関して、相応の金銭的負担が生じるのは自明の事である。文化財の適切な保存・維持に要する最新の機器を揃え、尚且つ優秀な研究員・学芸員を確保する事は、美術館・博物館の根幹をなす重要な柱である。そのために生じる金銭的な負担は、国や自治体の援助を受けたり、篤志家による寄付を募るなどの策があるが、それにはどうしても限界があるから、やはり「入場料の徴収」という形で、一般の来場者に協力(負担)してもらうという方法が講じられている。
これらを勘案すると、美術館・博物館に足を運び、何がしかの入場料を払う行為は、既述の前二者、すなわち「文化財の収集・保存」「収蔵品に関する調査・研究」に賛同するという意味を内包していることになる。それは突き詰めると、文化の継承・発展に自ら能動的に関わるということなのである。
「博物館に行く?暇だなあ、そんな金があるのだったら、パチンコでも行こ。」という考えの人が大多数を占める社会では、健全な文化発展の夜明けは遠くなるばかりだから気を付けたいものだ。
ウフィッツィの前を通った時に、人込みの中で誰かが「たけ〜な〜。絶対足元見てるよ〜。」と言っているのを聞いて、ふとそう思った。
それにしても、大英博物館とは・・・。
助成金と、来場者の寄付(図録などのグッズ購入も含む)だけであれだけの規模を維持するのは奇跡である。「文化の成熟」は、ここに止めを刺されるのであろう。
文化財にとって、この博物館は、やはり「安住の地」のようである。
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