イタリア Lezione

主にイタリアに関する読み物です。

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イタリアに関わる人物、及び印象深く心に残る人物を紹介した記事です。
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Memento Mori

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 数年前、Muriel Spark が Firenze で没したという報を聞いた時、些か意外に思いました。



 M. Spark は、現代英文学を代表する 「 女性作家 」 です。
 イギリスの現代女性作家と言えば、多くの方が、第一感、J.K. Rowling を思い浮べる事でしょう。『 Harry
Potter 』 シリーズも、「 児童文学 」 の一作品として、すっかり英文学の領域で研究対象となりましたが、やはり 「 ファンタジー 」 小説は、傍流の感を否めません。その点、Spark は、「 現代 」 という雑多な文脈で形容される英文学領域にあって、間違いなく、Elizabeth Bowen と並び、その中核に近い位置を占める存在でありましょう。


 Spark の作品と言えば、「 残酷なまでの cynical 」 という変わったキーワードが浮かびます。
 『 Memento Mori 』、『 The Hothouse by the East River 』、『 The Takeover 』 等の作品は、日本でも知られるようになりましたが、各々、底流に流れるのは、人間が持つ隠そうとするために余計に表出する、得体の知れない自己本位、もしくは残忍性なのでしょう。それらは 『 The Driver's Seat 』 を経由し、『 The Prime of Miss Jean
Brodie 』 ( 『 ジーン・ブロディ先生の最盛期 』 ) によって止めを刺されます。





 ブロディという 40 才を越した女性教師。
 彼女は、その特異な性格上、同僚教師から孤立します。しかし、彼女が持つ、一種の猟奇的なカリスマ性は、思春期を迎えた一部の女生徒に、盲目的に支持されます。自分の思想で、半ば洗脳した女生徒を取り巻きとして、学校の中で 「 ブロディ組 」 と称し、特別視された存在です。学問、男性観、社会性、信仰 ・・・ あらゆる点でブロディの思想追随者である女生徒達の絆は、皮肉にも強固になり、ブロディに対する 「 忠誠心 」 を公然と口にするようになります。しかし、「 ブロディ組 」 の破綻は、ある日突然やってきます。ブロディが最も信頼し、「 一番弟子 」 と考えていた女生徒の 1 人が、最も 「 残酷 」 な方法で、彼女を裏切ります。女性として最も残忍な裏切り ・・・ そして、作中でブロディが語る予言的台詞と、Calvin 派 「 予定説 」 教義との不気味なまでの一致は、作品に独特の緊張感を生み出します。





 学生時代に、この 『 The Prime of Miss Jean Brodie 』 を読む機会を得ました。
 読後、真先に頭に浮かんだのは、女性独特の cynical です。女性が女性を cynical に突き詰めていく時 ・・・ 恐らくは、こういう描き方になるのであろう ・・・ 男性である自分には甚だ根拠のない読後感ですが、不思議と、そう思いました。私は、逆説的に、このおどろおどろしい作品に、Spark の 「 女性 」 を感じます。私は、「 女性作家 」 という冠に対して、常に意識的でありたいと思います。Spark の作品には、いわゆる 「 女性らしさ 」 は皆無ですが、女性にしか描く事の出来ない cynical という点では、非常に ( そして不気味な ) 興味を覚えます。





 数年前、暫く忘れていた Spark の消息を耳にしましたが、それは、彼女の死の報でした。
 かなり前に、渡伊して居を構えたとは知っていましたが、晩年は Firenze に落ち着いたようです。私は、Spark の死と Firenze を、どうしても結びつける事が出来ません。作品の他に Spark の面影を辿る術はありませんが、独特の cynical と、おどろおどろしさは、世界中から観光客を集める 「 俗 」 で平和な Firenze に似つかわしくないと感じます。何故、このイギリス人女性が、Firenze を終焉の地として選んだか ・・・ 今となっては謎だけが残ります。晩年まで、cynical な目線を持ち続けたであろう女性に、この 「 花の都 」 は、どのように映ったのでしょうか。


 Firenze の街を歩く時、時折、Spark の事を考えます。










http://en.wikipedia.org/wiki/Muriel_Spark

http://blogs.yahoo.co.jp/naokiart1969/38740417.html

http://blogs.yahoo.co.jp/naokiart1969/39943627.html

師の思い出

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 大学院の博士課程に入った頃、佐々木先生に西洋史を習った。


 当時、佐々木先生は日本を代表する西洋史の大家で、決して華々しい世間の表舞台には登場しないものの、毎年、重厚な論文を発表しては学会を瞠目せしめていた。人格は清廉潔白、物言いに澱みなく、どちらかというと「孤高の学者」で、学問一筋に我が人生を捧げられたような人であった。その講義たるや、難解かつ厳格なもので、生半可な覚悟では単位の修得は不可能であると院生に恐れられていた。無論、鉄拳や暴言をもって人を威圧するという風ではなく、学問の深遠を極めた人物が有する、独特の雰囲気を発していた。

 西洋史は自分の専攻分野ではなく、特に履修する必要もなかったが、「難解かつ厳格」な講義を見聞きしておくのも何かの役に立つだろうと思い立ち、佐々木先生の講義に出席した。
 その年度は運悪く、受講者が自分1人であった。狭い大学院の講義室で初めて対面した時、先生は「受講者がいて良かったよ。」と言って笑ったが、その顔は心なしか寂しげであった気がする。

 講義は、中世修道院の書簡に関する記録をドイツ語の原書で読むというものであった。
 毎時間、私が発表をし、それに先生が批評を加えるという、何とも贅沢かつ「恐ろしい」演習講義であった。たまさか、「・・・だと思います。」などと断定口調で発言しようものなら、「成程。で、その根拠は?」と鋭い一瞥が飛ぶので、全く気が抜けない講義であった。





 講義の合間に、問わず語りを聞いて驚いたが、先生は大変な資産家であった。
 世田谷辺りに、先祖代々、広大な土地を所有していて、大学からの給料は、ほんのお小遣い程度、毎月の賃貸料だけで何不自由なく生活が出来るような人だった。
 成程、その話しを聞いて納得したが、常に英国製の、地味だが打ち込みの重厚なスーツを身にまとい、一部の隙もない装いを心掛けておられた。当時、先生は退官間近であったが、背が高い痩身に英国製がよく似合った。
 決して成金趣味の奇抜な服装を好まず、実に品の良い格好をしていたように思う。そこからは、幼い頃より良い物しか身に付けていない人だけが醸し出す「生まれながら」の品格が滲み出ていたのであろう。



 靴はいつも渋い茶色のイタリア製を好まれた。
 若い頃は英国製一本槍だったが、一度ローマで靴を仕立ててから、イタリア製靴に魅了され、それ以来愛用されているとのことだった。何かの拍子に「西洋風の服飾観念で最も重要なものは何だか分かるか?」と聞かれ「さて・・・」と答えると、嬉しそうに「常に靴を綺麗に磨いておくことなんだよ。」と言われたことを思い出す。成程、そういうものなのかと感心した。

 ただし、先生の靴への思い入れは、一般的には理解し難いものがあり、しばしば閉口させられた。
 「去年もミラノで靴を仕立てたよ。最近は随分高くなったものだね。」と言うので、恐る恐る「幾らですか?」と聞くと「足型を取って仕立てたから20万円掛かったよ。仕方がないから3足にしておいた。」と済ましている。こういう人が本当のお金持ちなのかと、驚かされたものだ。







 そんな佐々木先生も6年前に亡くなられた。
 かつて、「君は将来、どのような道を志しているのかね?」と聞かれ、「未だ決めた道はありません。」と答えると、「そうか、それでは教師になりなさい。」と言って、珍しく含み笑いをされたことを思い出す。





 先生の言う通り、教師になった。
 そして、先哲の遺訓を守り、靴は毎日磨いている。







* 「佐々木」先生は仮名です。

詩人が最後に選んだ街

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 19世紀の英詩と言えば、ロマン派である。

 迫り来る近代工業化時代に反抗するように「自然回帰」へと、その拠り所を求めていった詩人達。
Wordsworth, Coleridge, Byron, Blake, Shelley... 近代社会が成熟するにつれ、人間が機械の部品のように働かなくてはならなくなったこの時代に、自然の中に人間性の回復を探求する詩人が多く出現したことは意義深い。
 そういった詩人の中に、Jhon Keats の名も見出すことが出来る。

 ロンドンの裕福な貸馬車業の長男として生まれたキーツは、父親の死後、急速に傾いていく家業を横目に詩作に没頭していく。生涯、病弱であった彼は、療養のためにイギリス各地を旅行し、そこで見た地方の風景に感銘を受け、詩人としての思索を深めたらしい。しかし、『エンディミオン』(Endymion)など、一連の長大な作品は、彼の生前に世間的な評価を得ることはなかった。

 キーツは、20歳を過ぎた頃より結核を発病したが、医者の勧めもあり、イギリスの冷涼な気候を避け、イタリア・ローマに療養の地を定めた。しかし、友人達の看病も空しく、1821年2月23日、その生涯を彼の地で閉じた。





 ローマのスペイン広場は、今日も観光客で溢れかえっている。
 映画『ローマの休日』の舞台となった階段には、座り込んでひと時の「ローマ的」雰囲気に身を浸す人、買い物に疲れた足を休める人、ジェラートを食べながら階段を降り、「アン王女」になりきる人と、様々な人達が思い思いの「休日」を楽しんでいる。
 そんな賑やかなスペイン広場の右側の建物に、小さな入り口があるので入ってみる。

 狭く暗い階段を3階まで上っていくと、そこがキーツの過ごした部屋である。
 現在は、キーツをはじめ、ローマにゆかりのあるイギリス文人達の資料を展示している小さな「博物館」として一般に公開されている。階下にある広場の喧騒が嘘のように、ひっそりとした静かな博物館だ。窓からは、スペイン階段の件の風景がよく見える。
 一番奥の部屋にはベッドが置かれており「キーツこの部屋で逝去」という文言が書かれていた。


 25歳にして、このローマで亡くなったイギリス詩人。
 賑やかなスペイン広場の横に、今もその痕跡がひっそりと残されている。

野獣が描く聖母子

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 芸術家を庇護し、また彼らに寛容であったコジモ・デ・メディチもフィリッポ・リッピにだけは悩まされたらしい。

 リッピ(1406-1469)は、フィレンツェの下町で生まれたが、まもなく孤児となりサンタ・マリア・デル・カルミネ教会付属の修道院に入れられた。修道院で育った彼は、やがて敬虔な修道僧に成長・・・しなかった。若い頃から性格は野卑そのもので、特にヴァザーリの伝記曰く「極めて情熱的で、気に入った女を見ると、あらゆるものを投げ出して得ようとする。」程であった。修道僧としての修行に何一つ興味を示さなかったリッピが唯一のめり込んだのが絵である。カルミネ教会内のブランカッチ礼拝堂には、名高いマサッチョのフレスコ画がある(『楽園追放』『貢の銭』等)。彼は毎日のように礼拝堂にこもり、瞬く間にマサッチョの技法を会得したという。そして再びヴァザーリ曰く、気に入った女を手に入れられない時は「彼女の肖像を描くことによって、その燃えるような情熱を鎮めた。」のである。

 そのような気質や行動とは反対に、リッピの描く絵は広く評判を呼び、注文が殺到した。中でもメディチ家の当主であったコジモはリッピを寵愛した。しかし、作品を注文しても、その途中でリッピが放蕩に飛び出し、何時までも帰って来ないのには悩まされた。コジモはある時、思い余ってリッピを自らの館に閉じ込め、作品が完成するまで外出を禁じた。2日ほどは大人しくしていたようであるが、「獣のような恋の欲望に抗い難く」3日目の夜、ベッドの敷布を引き裂いて縄梯子を作り、窓から抜け出してしまった。数日後に彼が捕まった際に、コジモは彼を責める代わりに、そのような危険な脱出をさせた自らを責め、その後一切の自由を与えた。「このような天才に恵まれた人物は天からの贈り物。ロバのように縛り付けておくわけにはいかない。」とコジモは語っている。

 リッピはサンタ・マルガリータ修道院の尼僧達のために祭壇画を描いていた時、尼僧達の間にルクレチア・ブーティという修道女を見つけた。彼女の美しさに一目で参ったリッピは、彼女の肖像画を描く許可を得るや否や、彼女をそそのかして駆け落ちしてしまった。修道僧と修道女にあるまじき行動に、さすがに世間の非難は集まったが、コジモのはからいにより、還俗して夫婦となることが出来た。以後、リッピの描くマリアの肖像はルクレチアがモデルになったと言われている。

 また、二人の間には男児が1人生まれた。フィリピーノと名づけられたその男児こそ、ボッティチェッリの工房で修行し、幾多の名作を残した画家フィリピーノ・リッピその人である。後年、フィリピーノは、父親が若き日に絵画技法を学んだブランカッチ礼拝堂の修復を任されている。

 フィレンツェのウフィッツィ美術館にフィリッポ・リッピの代表作である『聖母子と二天使』がある。そのモデルはルクレチアとフィリピーノなのであろう。しかし、野獣のような男にこれ程美しいマリア像が描けるとは。

 あのコジモが寵愛しただけの画家である。

Maughamのイタリア

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 W.S.Maugham が自伝とも言うべき(本人は「自伝ではない」と明記しているが・・・)『要約すると』の中で、自身のイタリア旅行について次のように記している。


 「私は知識人の尊大さを充分過ぎるほど持っていた。もし望み通りに、それを失っているとしたら、それは、自分自身の美徳や知恵のためではなく、殆んどの作家以上に旅行をする機会に恵まれていたためであると言わなくてはならない。私はイギリスに愛着を感じるが、我が家にいるという感じがあまりしない。イギリス人と同席する時は、いつもはにかんでしまう。私にとって、イギリスとは、果たしたいとは思わない義務と、うんざりする義務を負わされる国である。生まれた国と自らの間に、少なくともドーバー海峡を置いて初めて、本当に落ち着くのである。自分自身の心の中に、自由を見出す幸運な人もいる。私は、そういう人たちより精神力に劣るので、旅行の中に自由を見出すのである。まだハイデルベルグにいた頃、私は、何とかやり繰りして、ドイツの実に多くの場所を訪れたし、(ミュンヘンでは、イプセンがマキシミリアネルホフでビールを飲んでいるところを見た。不機嫌そうな顔をして、新聞を読んでいた。)スイスにも行った。
 しかし、私がした初めての本当の旅とは、イタリアへの旅であった。ウォルター・ペーターやラスキン、ジョン・アディントン・シモンズをたくさん読んで、予備知識を入れて行った。自由になるイースターの休暇(復活祭)が6週間あったし、ポケットには20ポンドあった。ジェノバとピサに行ったが、そこで私は、果てしない道をてくてくと歩き、松林の中に腰掛けた。そこはシェリーが、ソフォクレスを読み、ギターに合わせて詩作した場所だった。その後、フィレンツェのある未亡人の家に、1ヶ月足らず腰を落ち着け、その家の娘と『神曲』の「煉獄編」を読んだ。また、ラスキンを携え、旧所名跡を訪れて、慌しい日々を送った。私は、ラスキンが賛美せよと言ったものは全て賛美した(あのジオットの酷い鐘楼さえも)。彼が非難したものから、嫌悪感を持って顔を背けた。彼は、これほど熱心な弟子を持ったことなどなかったであろう。その後、私はベニス、ベローナ、ミラノに行った。私は、非常に満足して、イギリスに帰った。そして、ボッティチェリやベリーニに関して、私と意見が一致しない(ラスキンの意見とも一致しない)人々を、積極的に軽蔑した。私は二十歳だった。
 1年後、私は再びイタリアに行った。ナポリまで旅をして、カプリ島を見つけた。カプリ島は、それまで見た中で最も美しい場所で、次の夏、私はそこで、休暇をまるまる過ごした。当時、カプリ島はあまり有名ではなかった。海辺から町へのフニクラもなかった。夏でも、そこを訪れる人は、ほとんどいなかった。食事と部屋を、ワイン付きで借りることが出来た。寝室からベスビオス火山が見えて、1日4シリングだった。当時そこには、詩人、ベルギー人の作曲家、ハイデルベルグの友人であるブラウン、画家が1人2人、彫刻家(ハーバード・トマス)、南北戦争で、南軍側で戦ったというアメリカ人の陸軍大佐がいた。大佐の家があるアナカプリや、中央広場から少し離れたモルガノというワインバーで、私はうっとりとして、彼らの会話に聞き入っていた。彼らが話していたのは、芸術や美、文学やローマの歴史についてであった。私は、2人の男がつかみ合いの喧嘩をしているところを見た。原因は、エレディアの詩的価値について意見が合わないというものだった。私は、全てが偉大だと思った。芸術、すなわち、芸術のための芸術は、この世で重要な唯一のものであった。そして芸術家だけが、この愚にもつかない世界に意義を与えるものだった。政治、商業、研究職 ――― 「絶対者である神」という見地から見て、これらのものはどれだけのものであろうか?彼ら、すなわち、こうした私の友人達(死んだ。全員死んでしまった。)は、ソネットの価値や、ギリシアの浅浮き彫りの卓越性について意見が合わなかったのかも知れない。(ギリシアが聞いてあきれる!そんなものは、ローマ時代の模造品で、しかも正真正銘その通りだ。)しかし、彼らが全員一致していたのは、自分達が、激しく、宝石のような炎を燃やしていたことである。私は、恥ずかしくて、自分が既に小説を1つ書き、もう1つ書きかけていることを話すことが出来なかった。・・・」


 Maughamは言うまでもなく、アイロニーを芸術表現へ昇華させる事に密かな楽しみを抱いていた作家である。彼の作品を読む時には、行間に隠されたアイロニーを感じ取らなければならないという一種強迫観念的な知的要求を突きつけられている感を持つ。

 そんな彼が、手放しでイタリア旅行の思い出を語るくだりに不思議な心持がする。イタリアの何が彼を魅了したのであろうか。

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