イタリア Lezione

主にイタリアに関する読み物です。

[ リスト | 詳細 ]

「食」はイタリアを語る上で、重要なキーワードです。
記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]

街角の dolci

イメージ 1

 左党の資質充分なりとの自覚がありますが、甘味も決して好まない訳ではありません。



 どちらかと言えば、和菓子の類を好みます。
 中でも、和風菓子の王道である 「 あんこ 」 ものには、結構拘ります。団子、饅頭、どら焼きに到るまで、和菓子の命運を決すのは 「 あんこ 」 ですから、小豆を原料としていれば、瑣末は問わない ・・・ という甘言は、耳に疎く響きます。幸いながら、近所に創業 80 年を謳う老舗があり、口寂しくなると、幾種類かを詰めて貰い、自宅で楽しんでいます。「 晴は漉し餡、雨は粒餡 」 という、どこぞの食通が金言を残している様ですが、「 あんこ好き 」 にとって、天候の趨勢は二の次で、「 漉し 」 であろうが 「 粒 」 であろうが、訳隔てなく美味しく頂きます。





 洋菓子に目を転じても、舌先は萎えません。
 「 洋菓子 」 と一口に言っても、国、或いは地方・地域によって、その嗜好も異なる筈ですから軽々に論じる事は出来ません。しかし、イタリアにおける甘味、いわゆる dolce が、広く洋菓子界に覇を唱えるという事に関して、真向異論を挟むべく余地は無いと思われます。個人的には、有象無象の甘味を総称する流行語である 「 スイーツ 」 なる軟弱よりも、「 dolce 」 が持つ重厚無比な言葉の響きを好みます。案の定、イタリアに旅行する際は、行く先々で様々な dolce を楽しみます。


 信頼の置ける ristorante で供される、華やかな dolce を楽しむのは、無上の喜びです。
 以前にも、この書庫でご紹介した通り、dolce の類は、他の調理体系とは全く存在を異にします。従って、主たる料理の制作に精魂を使い果たして限界を自認する店では、出来合いの dolce を用意して、お茶を濁すという事にならざるを得ないのは、至極当然です。その反対に、異体系の dolce 制作まで心血を注ぎ、専門の作り手を常駐させるような店は、相応に期待する事が出来ます。そのような店では、主たる料理を楽しんだ味覚に、全く別の喜びを与えるような 「 甘味一品 」 に出会える事でありましょう。いずれにしても、「 料理は美味しかったけれど、最後のドルチェがねえ ・・・ 」 とならない為には、この辺りの事情を充分に斟酌して、旅の一食を委ねる店を選ぶべしという論に帰結します。


 街を歩いている中途に、見掛ける専門店の dolce も悪くありません。
 どの店も、店頭のガラスケースに、これ見よがしに自信の品々を展示していますので、思わず食指が動きます。地方の名物から、その店独自の創作に到るまで、百花繚乱、どの dolce も存在を誇示します。専門店で目に付く物の中には、gelato も含めて、結構な値段が付けられている dolce も少なくありませんから驚きます。結構 「 良い値段 」 の dolce は、分量も相応ですから、油断していると太神楽のごとく、こってりとした盛りを出されるので剣呑です。夕方、歩き回って、少し口寂しいと感じる頃、店先に飾られた美麗な dolce が手招きします。しかし、「 こってり盛り 」 を食べると、この後の夕飯が ・・・ という心配が頭を過ぎると、ガラスケースの向こうに鎮座する dolce 達も恨めしく見える事でしょう。「 大食漢が、真の美食家なり 」 というのも時として名言になり得るようです。





 自宅で、「 あんこ菓子 」 を食べる時、「 もう 1 つ食べようか否か ・・・ 」 と迷う事があります。
 そのような時は、イタリアの街角で見掛ける 「 ガラスケースの中の dolce 」 を思い出します。「 胃袋の許容体積を広げる努力を、日頃からしておかねば ・・・ 」 という好い加減な理由を付けて、「 もう 1 つ 」 に手を伸ばす事にしています。







追記:

甘味一般を指す dolce という単語は、「 男性名詞 」 ですから、規則通り、複数形は dolci です。名詞の gender は、多分に恣意性が付き纏いますから厄介ですが、dolce が 「 男性名詞 」 である事に、個人的に興味を抱いています。
殆どのイタリア語の名詞は、語尾表記で gender を類推する事が出来ますが、dolce の様に、e 語尾表記の単語は、第一感、gender が判然としません。この記事の 「 タイトル 」 を、敢えて男性名詞複数形で表記し、「 男性名詞 」 である事を前面に出して、「 dolce の利は、本来的に男性にあり 」 という 「 金言 」 を創作して流布しようと、密かに試みている次第です ・・・。

幸運

イメージ 1

 食の嗜好は、人それぞれですが、イタリアでの食事は、概して 「 美味しい 」 と言えるでしょう。



 イタリアを訪れるまで、私の海外経験は、イギリス、アイルランドが全てでした。
 この 2 つの国は、仕事においても、ある種の人生経験においても、間違いなく有形無形の益を、私に与えてくれたものと思います。しかし如何せん、こと食事となると、限りなく暗澹たる思い出ばかりが今でも脳裏に浮かびます。特に、ある程度の期間、滞在した事があるダブリンでの 「 食体験 」 は、「 人間というものは、何かしらの食べ物さえあれば、生きていく事が出来るものだ ・・・ 」 という、いささか消極的な教訓を私に与えました。


 もちろん、一国の食文化は、地理的・気候的、はたまた民族的な要素を多分に含むもので、軽々に語る事は出来ません。また、「 美味い・不味い 」 という感覚は、個人的差異が、かなりの部分を占めるが故に、たった 1 人が発する 「 いや〜、何処其処の国の食事は不味かったね〜 」 という如何にも主観的浅薄な言を、鵜呑みにする必要は全くありません。私も、かの国の食に関して、全方向的体験をした訳ではありませんので、「 美味いもの無し ! 」 と、断ずる自信はありません。しかし、「 塩味の全く無いカレー風味の煮込み 」 「 消し炭になる寸前まで火を通した魚 」 「 フォークを回すとブツブツ切れてしまう茹で過ぎのスパゲティー 」 「 油ギトギトのチップス(フライドポテト) 」 等を思い浮かべる度に、甚だ個人的且つ限定的な体験であると分っていても、暗澹たる記憶が蘇ります。





 イタリアを旅する機会を頻繁に得てから、旅行の楽しみが増えた事は確かです。
 「イギリス、アイルランドしか 」 知らなかった頃は、観光中、昼晩の食事時間が迫ってくると、正直、憂鬱な気分になったものです。高額の金銭的資本投下を無為に試みて、大きな失望を得る位なら、一定の味が保証される ??? 「 ファーストフード 」 を選択する方が余程まし、という刹那的な思いに駆られる事も決して少なくはありませんでした。


 それに反し、決して皆無ではありませんが、イタリア各地で 「 これはちょっと・・・ 」 と思うような一皿に巡り会った事はありません。既に申し上げた通り、食の嗜好は個人的差異が大きいですから、あくまでも 「 私にとって 」 という注釈が付きますが、概して、イタリアでの食事は 「 美味しい 」 と思います。1 人 1 万円程度の覚悟をしなくてはいけないような店の料理から、軒先で切り売りされる簡単な惣菜類に到るまで、総じて期待を裏切られた事はありません。イタリア各地で覚えた 「 美味い ! 」 という経験値は、積み重ねるごとに、さらなる醸成を深め、結果として、旅先での 「 美味いもの探し 」 に対する好奇心と探索技術は、相応に向上したと言えそうです。少なくとも、昼晩における食事時間の到来が 「 旅の楽しみ 」 に変じた効能は、私の場合、イタリア旅行が大きいと思われます。





 繰り返しになりますが、食の嗜好は、個人的な差異が大きいですから、私の 「 イタリアにおける食 」 評も万端たる説得力を有しているとは思いません。しかも、旅先での食体験は、甚だ限定的且つ個人的な体験であると言えるでしょう。世の中に、「 イギリス料理万歳 ! イタリア料理大嫌い ! 」 という方がいらっしゃっても全く不思議な事ではありません。


 だからこそ、私の嗜好と、これまでイタリアで体験した食の美味が合致した幸運を改めて噛み締めたいと思います。個人的な味の嗜好と、限定的な旅先での食体験とを乗じると、「 これは美味い ! 」 という一品に巡り会う事は、思う以上に 「 運 」 が左右します。イタリア各地で、少なからず 「 運 」 の良さに恵まれてきた幸せを感じつつ、これからも 「 美味しいもの 」 に出逢う旅が出来たら良いなと思う次第です。







* 文中で 「 イギリス料理 」 「 イタリア料理 」 とありますが、あくまでも便宜的表現です。
 一国における食の地域性・階層性を考えると、「 イギリス料理 」 「 イタリア料理 」 という区分は、相当乱暴であると自覚しています。

冬の味

イメージ 1

 冬の街には、焼き栗の香りがよく似合う。



 10年以上前、初めて Paris に行った時、露天で売られている焼き栗を食べた。
 Seine 沿いに立つ Racine という名が付いた、可愛らしいホテルの裏手に、変哲も無い小さな広場があった。その一隅に、毎日のように焼き栗を売る露天商が、何処からともなく現れて、独特の呼び声を時折発しながら客待ちをしていた姿を覚えている。ホテルを出入りして広場を横切る度に、何とも甘く香ばしい栗の香りが鼻先に届いたものだ。早昼をして、少し小腹が空いた夕方は、1袋買って夕食までの 「 つなぎ 」 にした。アラブ系の顔立ちをした初老の焼き栗売りは、何処の国のものか分らない言葉を呟きながら、嬉しそうに栗を小袋に詰める。固い皮の剥き方が、日毎上手くなる度に、そして、ホクホクした栗を噛み締める度に、漠然と 「 Paris らしいな ・・・ 」 と思った。





 Milano や、Firenze でも、焼き栗を食べた事がある。
 やはり、ちょっとした広場や駅近くの路地に露天を出す事が多い。姿は見えなくても、行く手の先から、甘く香ばしい 「 匂い 」 が漂ってくるので、直ぐに分る。Paris のそれと比べて、少し大振りな栗は、これも独特の 「 甘み 」 があって美味しい。





 Firenze で常宿にしているホテルがある。
 その眼の前の通りに、数年前まで、焼き栗売りの姿があった。Toscana の人とは明らかに違う浅黒い肌の小柄な老人は、雨が降る日を除いて、毎日同じ場所で焼き栗を売っていた。部屋に付いた小さなバルコニーに出ると、寒風を遣り過ごすように肩を窄める彼の姿が必ず見えたものだ。2、3 度、彼の焼く栗を買って食べた事があるが、やはり甘くて美味しかった。表情を変えず、無愛想に栗を袋に詰める老人だが、金を払って栗を受取る時に、Mille grazie. と言葉を掛けると、いつも少しだけ笑った。


 ここ最近、焼き栗売りの老人は、ホテルの前に姿を現さない。

 冬の Firenze の風景が、何処と無く変わってしまったような気がして、少しだけ寂しい。

期待感

イメージ 1

 普段、余り甘いものを好んで食べないが、ristorante に行くと、常に dolce を頼む。



 人の腹というのは実に不思議なもので、どんなにその許容量を越えていようが、甘い物は必ず入る。
 ristorante や trattoria に行き、一通り食事をすると、間違いなく胴回りが3センチ程大きくなるような満腹感に苛まれるが、「さて dolce は・・・」と考える刹那に、胃腸に喝が入り、途端に背筋も伸びるから面白い。最後は
dolce によって締めが成されなければ、食事を終えたような気がしないようにさえ感じるから、甘い物好きという嗜好の有無に関わらず、dolce は、「正当な」イタリア料理に欠かす事の出来ない要素であろう。





 乾坤一擲「これは!」と思うような dolce に巡り会うには、やはり相応の店に行く必要があると思う。
 「甘い物なら何でも良い」と言っていた未熟な「舌」でさえ、それなりの経験を積ませれば、結構うるさい事を言うようになる。例えば、Napoli 辺りの、路地裏「下町食堂」的な店の中には、余り dolce にこだわりがない?と思うような所がある。値段に比して、まずまずの料理を供すると、内心感心しても、最後の最後で dolce に落胆させられる事が少なくない。良く考えてみれば、dolce は、他の料理と全く調理体系を異にする筈だから、主要な料理の制作に精力を使い果たし、その余力を dolce に向ける余裕がない店は、取って付けたような出来合いの「 dolce もどき」で、お茶を濁す選択肢を必然的に取らざるを得ないのかも知れない。その論を逆さまにすれば、最後の
dolce にまで心血を注ぐには、専門の創り手を常駐させ、異体系の調理に何がしかの精力を割かなければならない筈だから、正に dolce の出来不出来は、その店の実力と「格」を如実に表すものと言えよう。





 初めて行く店では、大抵 tiramisu を頼む。
 元来、mascarpone 好きだが、tiramisu であれば、そうそう「失敗」はない。先ずは、tiramisu で「小手調べ」をして、次に訪れる機会があれば、他のものに食指を伸ばす。


 menu を眺めて、聞いた事もないような dolce を頼んでみる。
 テーブルから全ての皿が片付けられ、ぽつねんと置かれた1本のスプーンと共に、未だ見ぬ dolce を待つ。その時の、ワクワクする様な独特の「期待感」もまた、dolci italiani の魅力だと思う。







追記:

以前、Firenze の ristorante で、castagnaccio なる dolce を注文した事がある。
castagna とは「栗」の事だから、何か類するものが出てくるのかしらと待っていたら、果たして「栗のケーキ」がテーブルに置かれた。後で聞いたら、Toscana の伝統的な dolce だが、最近は余り頼む人が居ないという。

castagnaccio は、上品な栗の甘みを発して、Toscana の「秋の味」がした。

貝殻

イメージ 1

 Napoli では、baba と並んで、sfogliatella が美味しい。





 貝殻状のパイ生地の中に、リコッタチーズやカスタードを詰めた sfogliatella は、素朴な菓子だ。
 雑多な喧騒で沸き返る Napoli を思うと、baba や sfogliatella など、何故に「素朴な」菓子が、かの地に生まれるのか、その由来が気になるところだが、どうやら napoletano は、菓子を摘むその刹那にのみ郷愁を覚えるのであろう。喧騒をしばし離れ、「素朴さ」を口に含む時の「静かな幸福」は、何物にも換え難いのかも知れない。





 sfogliatella をかじり、サクサクとしたパイ生地の食感を味わう度に、Napoli に戻って来たという感がする。
 リコッタのほんのりとした甘みもまた、何処となく懐かしい。少し良いホテルになると、朝食で「豪華な」
sfogliatella が供される事もあるが、やはり、街中の bar などで買い求め、雑多な街を横目に道端でおやつ代わりに頬張る方が、断然それ「らしい」。強烈な街のエネルギーに酔い痴れ、いつしか心地良い疲労に包まれた時に頬張る sfogliatella の「素朴な」味は、言いようもなく優しい。





 bar で紙の小袋に入れてもらった sfogliatella を持って、海岸に出てみる。
 街の賑やかさが嘘のような Napoli の穏やかな海。


 海岸で波の音を聞きながら頬張る、小さな「貝殻」も悪くない。

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
アバター
naoki
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

検索 検索

ブログバナー

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事