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近所に「熊本ラーメン」と銘打った店があって、よく行く。
「熊本ラーメン」といえば、その店しか知らないので、これが「熊本ラーメン」の典型であると言い切るには些かの躊躇を憶えるが、豚骨系の白濁したスープと具材の角煮が思ったほどしつこくなく、結構気に入っている。
この店の特徴は、麺の固さを「普通」もしくは「固め」と選択出来る点にある。「普通」は、いわば常識的な固さの麺であるから特に問題はない。「固め」は、明らかに麺の中心部に白い部分が半分残るくらいの「半茹で」状態で、啜って噛み切るのにかなりの顎力を要する。2回ほど、この「固め」を頼んでみたが、残念ながら「しっくり」とこなかった。ラーメンにおける麺の茹で具合に関しては、まあこれぐらいだろうという暗黙の「常識」が存在するであろうし、強いて「固い」麺を食べたいとも思わないから、それ以来「固め」を注文したことはない。
それとなく様子を伺う限り、店長と気心の知れた常連客(熊本もしくは、九州地方出身者?)は、「固め」を注文することが多いようだ。
しかし、悠然とした九州なまりを交えて話すこの店の店長は、「固め」に飽き足らないらしく、最近になって「バリ固」なる茹でオプションを新設した。「固め」の「固さ」を知っているから、さらに上級の「バリ固」を頼むには、相応の決断力を要する。ラーメンを食べるために、悲壮な決断をする義理はないから、1度も食べたことはない。他の客が注文している場面を見たこともない。メニューの「バリ固」欄に、「普通の固さで満足出来ない方専用。九州男児らしい実直な固さ。」という、何だか東京生まれの人間が注文すると怒られそうな注釈が付いている。
「固め」でも満足出来ない人が本当にいるのか、九州男児が皆「バリ固」嗜好であるのか知る由もないが、麺の「固さ」に関しては色々な好みがあるのだなあと、「普通」を啜りながら、人知れず思う。
パスタ(と言っても星のごとく種類があるので、便宜上、以下乾麺のスパゲッティとする。)の好みも様々だ。
学生時代に、初めてイタリアで「本場の」スパゲッティを食べたが、こんなに美味しいものなのかと軽く衝撃を受けたものだ。いわゆる「アルデンテ」と表現される茹で加減は、麺の中央部分に髪の毛1〜2本分の微妙な芯を残したもので、心地良い歯応えと、僅かに薫るセモリナ粉の風味がたまらない。曰く言いがたい微妙な芯を残したまま、客に供するためには、茹で加減に相当の気を使わなければならないはずであるから、たかがスパゲッティと言えども、侮ることは出来ない。
イタリアの「アルデンテ」に衝撃を受けて以来、スパゲッティに関しては、「やや固め」を好んでいる。それに比して、概ね日本のファミリーレストラン等で出されるスパゲティの類は、冷凍麺をキッチンで戻しているのか、乾麺を茹でているのか分からないが、やや茹で過ぎの感がある。微妙な芯の部分が残っていないために、麺の持つ本来の歯応えと風味を感じることが出来ないと思う。しかしファミリーレストランで、スパゲッティの固さに目くじらを立てている人を見たことが無いし、多くの人が注文する定番メニューでもある。このことから類推するに、日本人が好むスパゲッティの固さ平均値は、ファミリーレストランのそれを基準として考えて良いのかも知れない。
このことを考えると、いわゆる「イタリア料理」と銘打っている店は、察するに、相当苦労していると思う。
日本における「イタリア料理」店の味は、間違いなく高水準にあると思う。等しく5000円を投下するなら、イタリアの平均的なリストランテよりも、日本のそれの方が遙かに繊細な料理を出す。しかしスパゲッティに関しては、イタリアの方に軍配を上げざるを得ない。スパゲッティのみに焦点を合わせるならば、日本で微妙な「アルデンテ」を再現している店は少ないが、これには理由があるのだろう。
横浜にある某イタリア料理の店で食事をした。
注文したラグーソースのスパゲッティを一口噛むと、あの懐かしい「アルデンテ」である。その微妙な固さは、噛み締めるほどに心地良く、セモリナ粉の風味も充分に残っていて、久しぶりに美味しいスパゲッティを食べたなあと密かに悦に入っていた。セコンドの羊肉を楽しむ頃になって、後ろに席を占める若いカップルの声が聞こえてきた。彼らもちょうどスパゲッティを食べていたらしいが、男性の方が「このスパゲッティ、固くない?」と言っていたので驚いた。日本人が想定する「固さ」の絶対的嗜好は、本場の「アルデンテ」を忠実に再現したスパゲッティをも駆逐するのであろうか。
スパゲッティの命である「アルデンテ」を再現することと、日本人好みの茹で加減を尊重することに、相応の矛盾が存在するのであれば、イタリア料理店の苦悩とジレンマは察するに余りある。
香港のファミリーレストランでスパゲッティを食べたことがある。
出てきた「モノ」は、確かにスパゲッティそのものであるが、口に入れるまでもなく、恐ろしい食べ物であることが判然とした。「普通」のスパゲッティを食べる要領で、フォークを使ってクルクルと巻こうとしても、どうしても上手くいかない。麺がブツブツと切れてしまうのである。その原因は「茹で過ぎ」にある。水分を含む限界まで茹でている為に、「固さ」を論じようもないくらいに麺が柔らかい。正直、二口以上は食べることが出来なかった。
人に聞いた話によると、香港では「柔らかい」スパゲッティが当たり前だそうである。食に関して、あれ程の情熱を注ぐ香港人が、名付し難い「やわやわ」スパゲッティを嗜好するとは俄かに信じがたい。彼らが好んで食すワンタン麺等の「中華系」麺は、むしろゴワゴワでこしが強いものだから、一層の疑問を感じざるを得ない。
一国におけるスパゲッティの「固さ」の嗜好は、一体どのような要因によって決定されるのであろうか・・・。
麺の「固さ」には、やはり好みがあって、主観的に好き嫌いは判定出来ても、客観的な優劣は判じ難い。「イタリアの Spaghetti」、「日本のスパゲッティ」、「香港の意粉」それぞれが自らの地位を磐石にしていることから考えると、その「固さ」の嗜好を支える文化背景とは如何なるものかと、ちょっと興味が湧く。
個人的には、我が国におけるスパゲッティの「アルデンテ」普及をライフワークにしたいと内心密かに企んでいる。
しかし、「バリ固」麺を新設した件の「熊本ラーメン」の店では、「もっと固く!」とはとても言えない。
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