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「交換船とはなに?」とは、まず感じた疑問ですが、これは戦争が始まってしまったときに
外地(敵国)に残された外国の人を「中立地域の港」で交換して、
母国に安全に帰国させる船のことでした。
具体的にはアメリカから日本への場合は、ロレンソ・マルケス(現マプト・モザンビーク)で
交換しました。
第一次交換船は1942年6月18日にニューヨークを発ち、交換は7月20日、8月9日にシンガポールを経て、
8月19日に館山に到着と、2ヶ月の船旅。
この時の乗船者は、経済学者の都留重人、哲学者の鶴見俊介らの文化人や、
日本郵船、三井物産の社員などもいました。
この後第二次交換船(1943・9)、日英交換船(1942・7)が1回実施されましたが、
それきり…計画はあったものの実施は困難となりました。
昭和初期の豪華客船の建造ブームは、戦時に備えての国費投入だった…と、後からわかります。
交換船に使われた日米一次交換船は浅間丸、日英は新田丸。
また、秩父丸(CHICHIBUMARU)が表記をヘボン式から訓令式(TITIBUMARU)に切り替えたら、
今度は英語のスラングに間違えられやすいかと、表記が二転三転したというエピソードも。
平和な今の時代「安全」が当たり前に思えるのが、本当はこうした歴史の積み重ねがあってこそ…
この博物館を訪れると、いつもそのありがたさを思います。
ここを見学したのは、千秋楽より前の「キャッツ」観劇の日でした。
あれから時間が経ってしまいましたが、
横浜では忘れ難い思い出がいっぱいできました。
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2012/12/9(日) 午前 7:56 [ ubi2o289z28z39 ]