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 「立てる像」と「Y市の橋」(国立近代美術館蔵)を描いたことは知っていましたが…
今回たくさんの絵を観て、その凝縮された生涯に驚きました。
1912年東京生まれ、父親の仕事の関係で花巻で育ち、14歳の時病で聴覚を失い、
17歳で上京し画家を目指す。
 
 展示は年代を追う形で進み、画風の変化がよくわかります。
初期の素直な絵〜モンタージュ風の都会的な絵。自画像を多く描く頃から、
シンプルな人物画に移っていく。
 
 戦中〜終戦頃は「建物」も多く、無機質な感じも…そのなかに
よく見ると荷車を牽く人物や牛、犬なども描かれていました。
 戦後は焼け跡を赤茶色で描き、キュビズムを感じる絵も…そして1948年、
36歳の時の「彫刻と女」が絶筆となりました。

 誰かの絵を思い出す…竣介には不本意だと思いますが、年を追って
ルオー、モディリアニ、シャガール、藤田嗣治、キスリング。息子の絵から起こした童画でクレー…。
多彩な才能を感じる、実り多い試行錯誤です。

 展示が1階と2階に分かれていましたが、後半生の部屋の最初の「顔(自画像)」(1940)が、
自然光が柔らかく当たる形で展示され、思わず息をのみました。
絵が呼んでいるような力を感じて…4号の小さなものなのに。
 彼の意向でこの絵と100号の大きな作品がある展覧会では並んで展示されていたと知り、
“納得”でした。

 「立てる像」(1942)の青年の黒の作業服は、白の細かなステッチが効いていて、
建物の下には荷物を満載した荷車が数台。左後方には坂道を上る車夫。
青年の顔は竣介自身でしょう。
 学生時代は「フルポン(フルーツポンチ)」と渾名されていた優しげな風貌。
彼のことを語る息子さんも、家族思いの人だったと回顧していました。

 新宿・下落合にあった彼のアトリエは、空襲にも奇跡的に焼け残った…
だからこうして大規模な回顧展ができたのも、天が与えた運だったのかもしれません。

 冬晴れの砧公園を後にしながら、99歳まで長らえた松本夫人のことを思いつつ、
ゆっくり帰途につきました。
(展覧会は昨日で終了しています。)

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2013/1/15(火) 午前 6:05 [ ski3oo4b8z50zb6 ]


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