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特別展、副題が「そして近代日本画」へ。
展示は狩野探幽(鍛冶橋狩野派)の兄弟・尚信から連なる
木挽町狩野派6代目典信(みちのぶ=1730〜90)から始まります。
孫=8代目栄信(1775〜1828)に弟子入りしたのが
橋本雅邦の祖父栄邦(ながくに)。師匠の一文字を拝領できるほどの
実力の持ち主だったようです。
そして9代目狩野養信の弟子・橋本養邦、10代目狩野雅信と橋本雅邦と、
一文字拝領が続きます。
江戸時代、狩野派は幕府の絵描きとしての地位を築いていましたが、
明治維新でみんな仕事がなくなり、領地からの収入も途絶え、
一気に窮に陥ったところ、雅邦らは海軍省の海図を作成する仕事に従事。
これは“柳楢悦”の指示という…楢悦は「民芸」を提唱した
柳宗悦の父です。さすがの慧眼。
維新後に雅邦が描いた油絵2点は繊細な画風です。そして新しい日本画への変化。
狩野派は「粉本(ふんぽん)」と呼ばれる模写のお手本を
ひたすら写すことに重点がおかれていました。
道理で…みんな似た感じになるはずです。
でも当時「献上」したり買ってもらったりするためには
「喜ばれる=売れる」画風にせざるを得なかったのでしょうか。
明治以降、自由な表現で描くようになってから、現代の「日本画」の趣になってきました。
時代に翻弄されながらも、雅邦は生前から
川越の名士たちが「画宝会」を結成し、展示会・頒布会を開いて盛り立ててくれたようです。
東京美術学校教師、大磯岩崎邸や渋沢邸宅の障絵を描くなど、
晩年まで活躍していたこともわかりました。
最終日に慌てて観にいきましたが、この「博物館」は
前川国男設計の名建築、さらに紅葉が美しく、いい日曜日になりました。
(写真参照)
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私の地元の赤羽では、口元にご飯粒つけてると
「お弁当つけてどこ行くの? 大宮公園一回り」
などと歌われたものです。
2013/11/25(月) 午後 8:52 [ みんけんひで ]
ひでさん、こんばんは。赤羽から大宮公園?
初耳です。博物館のあと、動物園に行って
癒されてきました。
2013/11/27(水) 午後 9:52