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 高校時代に授業で読んだ「山月記」は、鮮烈な印象を残しました。
作者の中島敦は“分厚い眼鏡の青年”の面影のまま、夭折したことも同時に習っていたからでした。
 そんな彼が、亡くなって今年で70年という節目のため、企画された展覧会。
行かなくちゃ!と、最終日目前、ようやく観に行ってきました。

 学者の家系に生まれるも、幼くして生母と離れて親戚の家で育ち、二番目の母は病没、
三番目の母とは折り合いがよくなく…少しさびしそうな写真の面影も納得できる生い立ちでした。

 そんな彼は病弱で、一高〜東京帝大(文学部国文科)卒業の俊英でありながら、学校教師を辞して、
喘息の転地療養のため、南の島・パラオに渡ります。
 既に妻子があったことは意外でしたが、その子どもたちを想いながら書いた、
やさしい文章のハガキ(下記参照・漢字表記など若干原文と違います)は、
母親に甘えることが出来なかった彼の幼い頃を思い、読みながら涙を禁じえませんでした。

★リコウな児にしなくたっていい、丈夫で素直なら。成績が悪くたって叱らないでやってくれよ。(1941・10)
★ただ、おだやかにはげましてやってくれ。(1941・12)
★ひとり言の名人たる僕は、日に何度もおまえたちの名を呼んでみるかしれない。
しかしノチャ※の名を何度呼んだとて、もはや何にもならぬ。(1941・10)
※次男(当時1歳くらい)「格(のぼる)」の愛称。

 愛情溢れる温かな家庭を夢見ながら、文学の才能ももっと伸ばせた筈なのに、
暗い世相の中で33歳の若さで世を去った中島敦。
 亡くなった年(1942)の上半期の芥川賞の候補になったのに、「該当作なし」となった
僅か4ヶ月後に世を去るなんて、その才能が本当に惜しまれてなりません。

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