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「その1」からの続きです。
明治5年という早い時期にこんなに大規模な建築が可能で、
なおかつ綺麗に残っている…その訳は、富岡という場所(空襲がなかった)、
民営に払い下げられたな後も、三井組〜原合資会社〜片倉製糸と
代々大切にされてきたこと、のようでした。
鉄骨ではなく木骨レンガ造、柱は一寸(30.3cm)角のまっすぐな材木を
惜しげなく使って、今でも100mほどの倉庫で狂いは現在でも2cm程度、
東日本大震災でも被害がない=富岡は土地が岩盤、だからだそうです。
文化財ではない、「診療所〜入院棟(和室)」や、「変電所」と書かれた
小さな小屋なども、興味深く観ていきました。
変電所の室内に貼られたカレンダーは1956年…タイムスリップしているようです。
そして立入禁止区域の奥にある「寄宿舎」。昭和10年代の建築で文化財ではなく、
手を入れていないため、近づくことはできません…
でも、まるで「木造校舎」のような姿が印象的で、写真に撮っておきました。
工場設立に尽力した渋沢栄一、初代工場長・尾高惇忠、現場監督・韮塚直次郎、
みんな埼玉県深谷の出身、というのも親しみがわきました。
工女さんたちは全国各地から集まり、ここで技術を覚えて
地元で指導に当たった、ということです。
外国人を恐れる人たちを説得するため、
工女1号は、尾高工場長の娘、ユウさんでした。
ツアーのため、見学時間が全然足りなくて…。
今度は“上信電鉄”を使って自力でまた来たいな、と思いました。
※明日からまた泊を伴う旅行に行きます。33年ぶりの場所…楽しみです。
私は携帯から更新できないため、ちょっとおやすみ、です。
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