読書

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全20ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

詩のこころを読む

イメージ 1

 世田谷文学館での展示を観て以来、興味が広がる詩人茨木のり子。
彼女の著作を借りてきました。

 岩波ジュニア新書=詩の入門書のような、青少年向けのこの本は初版が1979年。
私が学生の頃。もしかしたら読んでいたかもしれない気が?

 でも、今読んでも本当におもしろい。引用されている詩の「ここが共感する」という
ツボは、中高生と今ではだいぶん違いそうですが。
 この本は「生れて」「恋する」「生きるじたばた」「峠」「別れ」と、
区切られています。

 まず、吉野弘「I was born」。今でも娘の教科書に載っていました。
なかなか衝撃的な詩です。

 川崎洋「言葉」。
演奏を聴いていなくても/人は/♪を耳の奥に蘇らせることが出来る/
言葉にしなくても/一つの考えが/人の心にあるように/
むしろ言葉に記すと/世界はとたんに不確かになる(以下略)

 吉野弘「生命は」の最後の4行
私も あるとき誰かのための虹だったろう/
あなたも あるとき/私のための風だったかもしれない

 恋の詩よりも、こうした“抽象的な、人間の内面を描いたもの”が
心に響く年代になりました。

 思えば、詩集はいつも身近にありました。母も好きだったからでしょう。
未だに自分では「詩」が作れないので、読んで楽しむことにします。

 写真は、この本の表紙を撮り忘れたため、昨年訪ねた明治村から“北里研究所”を。
 NHK「花子とアン」に登場した「修和女学校」になった建物です。

イメージ 1

 “自分の感受性くらい”という詩に衝撃を受けたのはいつだったのでしょうか。

 「私がいちばん美しかったとき」も、確か教科書にありました。
 女性詩人としては、石垣りん「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」、
新川和江「私を束ねないで」と一緒に思い出す、私の中では印象の強い方です。

 そんな彼女の展示を知ったのが最近で、最終日前にあわてて見に行ってきました。

 そして、もともとは医師の娘で薬学部出身という理系だったのが意外で、
でも薬剤師として仕事をしたことはなく、最初から詩やシナリオを書いていました。

 同時代の詩人たち谷川俊太郎、川崎洋と「櫂」という同人誌を作り、
詩集を発表し、雑誌に「今月の詩」を連載。
 上記の詩は生前から有名で、晩年の「倚りかからず」も
新聞のコラムに取り上げられたこともあって、ベストセラーとなりました。

 彼女は理知的な美貌の持ち主。医師の夫と仲睦ましく、
彼女の意向で没後に出版された詩集は、夫への想いが溢れるものでした。

 会場で読める詩がたくさんあって、言葉の洪水に溺れそう。
1つ1つ考え込まずに目で追ってきましたが、今日、図書館で詩集を借りてきました。
これから、ゆっくりと味わって読もうと思います。

 展覧会のポスターになっている写真は、谷川俊太郎氏の撮影。
彼女自身もお気に入りだったということです。

イメージ 1

 先日は時間が取れなくてカフェに寄っただけでしたが、
念願の展示に、やっと行くことができました。

 会場は教文館書店の9階ウェンライトホール。
花子はこの3階にあった編集部に勤務していました。
竣工が1933年のこのビルが新しかった頃です。

 三越では「モンゴメリと花子」でしたが、今回は教文館との関わり
=出版物に重点をおいた、見応えのあるものとなっていました。

 教文館の移り変わり=古い銀座の風景も楽しかったし、
昔の東洋英和女学院の写真にも見入りました。

 しかしなんと言っても…「直筆の書き込み」には胸を突かれました。
最愛の息子が天に召されたその夜。
 あまりの悲しみに感情が凍ってしまったように、淡々と綴られている文字が悲しい。

 そんな悲劇も乗り越えた晩年の花子の、通訳として
ヘレン・ケラー、サンガー女史などとの交流は初めて知りました。

 会場の展示もつぶさに読んで、置かれていた絵本「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」
「ブレーメンのおんがくたい」も手に取ることができました。

 展示の中の彼女の最初の本「爐邉」。現存するたった1冊がここにありました。
「藝術家」という短編は読むことができましたが、とってもいいお話!
 それについては日を改めて、じっくり書きます。

 あのカフェにまた行きたいなあ…
写真左下が銀座松屋(銀座三丁目交差点)です。

イメージ 1

 昨日から今日にかけて、私の中で「赤毛のアン」が大ブームとなっています。
 一昨日、偶然借りてきた「アンのゆりかご」(村岡恵理・著)を電車の中で読みながら
来週は無理そうだからと足を向けた三越本店。ここもお目当ては「赤毛のアン」。

 「アンのゆりかご」の単行本が出版された当時、早々と一気に読んだ記憶は鮮明…
それも、横浜に行く電車の中でした。行き先は「キャッツシアター」でしたが。
 今回も偶然横浜へ…しかし読みきれなくて、今日も読み続けていたところでした。

 展示はまずモンゴメリから。彼女のよく知られた肖像写真のほか、
幼い頃の愛らしいもの、もう少し年齢を重ねたもの、どれも理知的な
静かな雰囲気をたたえています。
 モンゴメリが編んだ細い細い糸の“レース襟”の美しいこと。
刺繍も綺麗な色使いで丁寧に刺されていました。
 直筆原稿は手書きとタイプされたものがありました。

 後半の村岡花子。本を読んだ直後ということもあり、
どのエピソードも生き生きと感じられました。
 妻子ある身だった当時の村岡氏との往復書簡…
最後に“×”が7つも連なっているなんて、熱烈ですね。
 恋は成就しましたが、彼女にはその後震災、愛児を亡くすなど、
過酷な出来事が襲います。

 それでもなんかほんわかしたイメージの花子さんの、“ラジオのおばさん”の
肉声が聞けて嬉しかった。戦前の女性の声にありがちな“甲高いトーン”ではない、
柔らかい声とやさしく明瞭な発音、これは人気が出るわけです。

 “腹心の友”、柳原白蓮の直筆の手紙はさすがに水茎の跡も鮮やか。
もう1人の友・片山廣子も美しい筆文字を書いていました。
 目を奪われたのが、花子が暇さえあれば過ごした女学院の書籍室(図書室)の
ガラスのドアノブ。彼女は一体何度回したことでしょう…
今も透明感があり、無垢な少女の時代を象徴するかのようでした。

 デパートの閉店時間から逆算して5時半前で余裕かな?と思ったら、
時間が足りない!グッズ売り場も7時までなので、
5時丁度に行けばよかったと思う程です。
 資料映像もたくさんあって、アンの世界にたっぷり浸って、満足でした。

海峡を渡るバイオリン

イメージ 1

 いつか読みたいと思っていたので、連休前に借りてきて、
一気に読み切ってしまいました。

 バイオリン制作の陳昌鉉氏は、1929年韓国で生まれ、
14歳で日本に働きに来て、そのまま永住。
 
 幼い頃に薬売りが奏でるバイオリンに惹かれ、実家に下宿した教師が持っていた楽器に触れ、
弾きたい・作りたいと思うようになる…。

 苦学して大学に通い、教員免許も取ったのに、国籍の壁が教師になる夢を阻む。
さらに「バイオリン工房への弟子入り」もうまく行かない。

 本当に茨の道なのに、陳さんは力強く、着実に切り開いて行きました。
過酷なアルバイトでお金を貯め、材料調達に便利なように
自分で山に小屋を建ててしまう。外国語での会話も習得。

 そんな彼だから、運命も味方したのでしょう。桐朋音大の教授との出会いが、
バイオリン制作で独立するきっかけを与えてくれて、たゆみない努力もあって、
「東洋のストラディバリ」と呼ばれる地位を確立。本当によかった!

 母国に残した母を想う気持ちには、涙を禁じ得なくて…。第二次大戦後の
南北の対立に巻き込まれ、読むのもつらい凄惨な場面もありました。

 陳氏は2012年に82歳で他界されていましたが、彼の工房はその音大にちかい
「仙川」にあり、その地名で瞬時にコンサートホールを連想しました。
2013年1月、福井晶一さんのソロコン=アベニュー・ホールです。
 確かに、会場に向かう道には、楽器制作、修理などを手がけるお店が並んでいました。

 今日の昼に福井さんの次回作「降板」を知り、打ちのめされてしまいましたが、
この希望にあふれた「旅立ち」を思い出して、
これからもずっと、応援し続けたいと思っています。

全20ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事