読書

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等伯 阿部龍太郎

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 「長谷川等伯」の名前は、3年前の国立博物館での展覧会以来、
日本画家として強く印象に残っていましたが、
直木賞を受賞した小説とは?興味津々で、早速読んでみました。

 時代は戦国〜関ヶ原へ…激動の中、絵師として独り立ちがしたい、「長谷川派を興したい」と願う
長谷川信春、のちの等伯は、33歳で能登から京都に出てきますが、
とにかく波瀾万丈過ぎて、画家のお話なのにまるで戦国武将のよう。

 家の再興を願う兄の思惑が、信春を苦しめます。
そして実力が付くと当時の主流、狩野派は彼を潰しにかかる。

 彼の妻は病没し、京で2人目の妻を娶り、晩年まで精力的に活動した、ということですが、
家族想いで、息子をとてもかわいがり、
最初の妻の息子久蔵も、絵師として実力を付けたのに…。

 彼の生涯の中に関わる織田信長、石田三成、豊臣秀吉、そして千利休。

 最近、三浦綾子「千利休とその妻たち」を読んで、
まだ記憶が残るうちに、別の角度からの秀吉×利休の関係も読みとれ、
何より信春=等伯の不屈の精神、絵を愛する気持ちには感動し、
かなり厚い本でしたが一気に読んでしまいました。

 また、ここ数年美術展に足繁く通ったことで、物語のなかに語られる
猿の親子を描いた牧谿(もっけい=中国の画家)とか、
国宝「松林図」もありありと思い浮かべることができたのも、
この作品がとてもおもしろかった原因のひとつでした。

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 手元にある1970年代発行「レ・ミゼラブル」の2冊の本は、それぞれ母と祖母が買ってくれました。

 たった1切れのパンを盗んだジャン・バルジャン…それも病気の子どものために。
脱獄を企てたこともあって刑期は延びて19年。
しかし出所後にミリエル司教の真心にふれて、生まれ変わろうと決意する。

 初めて読んだ小学校低学年の頃から、このちょっとかわいい感じの
“司教様の名前”はずっと記憶にありました。
本当はユゴーの原作を翻訳したものをきちんと読んだほうがいいのでしょうけれど、
当面は児童向けで“あらすじ”をつかもうと、家にあった本を一気に読んでみました。
(写真で下の2冊)

 舞台版では出てこない、バルジャンの修道院への「就職の方法」とか、
テナルディエとマリウスの父との関係、エポニーヌは2人姉妹だったとか(さらに弟も居た)、
ファンティーヌは前歯を引っこ抜かれたなども、驚いたことでした。

 実は帝劇での舞台は07年からシーズンごとに1回、計3回しか見ていないから、
見落とした箇所も多いのでしょう…当時アンサンブルさんは、全く見分けられませんでしたから。

 更に図書館で借りて来た「漫画版」と岩波少年文庫(中学生向け)上下巻も読破。
そろそろ岩波文庫6巻の本格的なものを読もうか、思案中です。
 漫画版の物語の大幅なカットには面喰らいましたが…エポニーヌが出てこないなんて…。

 昨日、チケットを予約して、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の開幕を楽しみに待っています。
さらに、週末にもう一度映画も観に行きました。そのことは、明日に。

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 何気なく借りて来た本。原田マハさんの名前が「楽園のカンヴァス」を思い出したから…。

 一気に読み切ってしまうほど、ここに描かれた女子高校生たちの姿が生き生きとして、
自分が物語にすっかり入り込んでしまいました。

 それもそのはず。作者は私と同級生…重松清さん(早生まれ)とも同じです。
だから、物語の時代背景も寸分違わぬ正確さを持って、リアルに思い出せるのでしょう。

 あぁ、こんな事もあったっけ…こんなことが流行っていた、こんな男の子が人気があった…
舞台は女子高というのも同じですが、私は転校生ではありません。

 物語は、現在は人気漫画家となった女性が回想する形で始まるのですが、
母校の講演会に招かれて、岡山県に30年ぶりに赴く、その招待状を出した母校の教員が
親友だったことが暫くはわからなかった…彼女が改名していたから。

 ちょっと不本意な別れ方をした親友とやっと打ち解けたのに…。

 私自身の高校時代〜現在への軌跡をダブらせて、しみじみと読み終えました。

 気軽に読めて、心が和む本には、実はなかなか巡り合えません。
幸せな時間が持てて、この作者の本をもっと読みたくなりました。

2012年の読書

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 「読書」は目に見えて減ってしまったこの1年。単行本で56冊でした。
(写真の多い本や斜め読みに近い実用書は含んでいません。)
 多くは休日の早朝にファミレスで読んでいましたが、娘は中3。
休日は模試や講習で私が朝に家を空けることがほぼできなくなり、
春を待ちながら、今は娘のサポート優先です。

 そんな中のベスト1は「楽園のカンバス」原田マハ。美術好きにはたまらない本でした。
様々な画家の名前が登場したり、美術館のスタッフの裏話、ピカソやパリ(洗濯船)のエピソード。
生き生きと思い描くことができて夢中で読み切っていました。
 
 他には、「火のみち」乃南アサ。“東洋の焼き物”に俄然興味が湧いたのはこの小説のお陰でした。
大好きな先輩の勧めで借りて来たのですが、世界を広げてくれました。
 
 もうひとつ、「光圀伝」冲方丁。「天地明察」の著者で、この本が2冊目でしたが、
時代小説にはあまり手を出さない私にも読みやすく、厚い本でも、容易に読むことができました。
 この本の表紙になっている虎の絵の“屏風”が観たくて、福井さんのライブの日に朝早く家を出て、
二子玉川の静嘉堂文庫美術館に行ったら(11/19)、展示替え直後で観逃してしまいました…。

 6月にフェルメールの絵を見に行こうと、下準備のために関連本を6〜7冊纏めてざっと読みました。
おかげで見に行った時「青いターバンの少女=真珠の耳飾りの少女」とは、すっかり顔なじみの気分。
かわいい赤い唇が何か語りかけてくるような気がしました。

 雑誌は「芸術新潮」や「MOE」のバックナンバーを図書館で借りて観ています。
古書店でつい購入してしまうのは「東京人」の建物を扱ったもの。

 来年はもっと小説が読みたい!やりたいことが多すぎて、
優先順位を考えるのが大変…嬉しい悲鳴です。

※お気に入りのマグカップのカバーと、書名を書いている小さなノート。

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 高校時代に授業で読んだ「山月記」は、鮮烈な印象を残しました。
作者の中島敦は“分厚い眼鏡の青年”の面影のまま、夭折したことも同時に習っていたからでした。
 そんな彼が、亡くなって今年で70年という節目のため、企画された展覧会。
行かなくちゃ!と、最終日目前、ようやく観に行ってきました。

 学者の家系に生まれるも、幼くして生母と離れて親戚の家で育ち、二番目の母は病没、
三番目の母とは折り合いがよくなく…少しさびしそうな写真の面影も納得できる生い立ちでした。

 そんな彼は病弱で、一高〜東京帝大(文学部国文科)卒業の俊英でありながら、学校教師を辞して、
喘息の転地療養のため、南の島・パラオに渡ります。
 既に妻子があったことは意外でしたが、その子どもたちを想いながら書いた、
やさしい文章のハガキ(下記参照・漢字表記など若干原文と違います)は、
母親に甘えることが出来なかった彼の幼い頃を思い、読みながら涙を禁じえませんでした。

★リコウな児にしなくたっていい、丈夫で素直なら。成績が悪くたって叱らないでやってくれよ。(1941・10)
★ただ、おだやかにはげましてやってくれ。(1941・12)
★ひとり言の名人たる僕は、日に何度もおまえたちの名を呼んでみるかしれない。
しかしノチャ※の名を何度呼んだとて、もはや何にもならぬ。(1941・10)
※次男(当時1歳くらい)「格(のぼる)」の愛称。

 愛情溢れる温かな家庭を夢見ながら、文学の才能ももっと伸ばせた筈なのに、
暗い世相の中で33歳の若さで世を去った中島敦。
 亡くなった年(1942)の上半期の芥川賞の候補になったのに、「該当作なし」となった
僅か4ヶ月後に世を去るなんて、その才能が本当に惜しまれてなりません。


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