建築

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 今回も受講することにした「自由学園明日館」の講座。
講師は米山勇先生で、もうすっかりお馴染みです。

 私の大好きな明治期の建築。昨年は黎明期の“お雇い外人”を中心にした3回、
今年はその中のジョサイア・コンドルの薫陶を受けた工部大学校(東京大学工学部)
一期生を中心に、棟梁さんから建築学を修めた“建築家”誕生のお話です。

 初回は首席で卒業した「辰野金吾」。大変な努力家だったようで、
その卒業制作や初期の作品は、ひらめきやセンスというものはあまり感じないのですが、
作風は質実剛健といえるでしょうか。彼はエネルギッシュな人物だったようで、
東京と大阪、それぞれに事務所を構えたりしていました。

 代表作は日本銀行、東京駅のほか、渋沢栄一邸、日本各地の銀行。
初期の日本銀行はレンガ造りに石を貼り、重厚な雰囲気ですが、後期には
赤煉瓦と白い花崗岩のコントラストの「辰野式」と呼ばれる建築が多くなります。
 これはイギリス留学をした彼が見たフリークラシックの様式で、彼の発案ではないのに
なぜか“辰野式”…それだけ彼の作品は、東京駅や銀行など、印象が強かったのでしょう。

 彼の夢、中央停車場(東京駅)、日本銀行、国会議事堂の3つを建てたいというものは、
2つは叶いましたが、国会議事堂は設計することができませんでした。
 晩年、日本建築学会の重鎮として議事堂の設計コンペなどに影響を与えていたようで、
彼の精神が少し受け継がれたのかもしれません。

 来年、東京駅が竣工当初の姿に戻る予定ということで、楽しみにしています。

※写真は在りし日の「霊南坂教会」(1917)内部。
 山口百恵さんがここで結婚式を挙げた頃は、まだこの建物でした。

木造校舎とK先生。

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 高校生の時、1棟だけあった木造校舎が取り壊し〜新築という時期に在籍していました。
1年生はその旧校舎にも3クラス入り、友人のところによく遊びに行って、
こっちの方が落ち着くなあ…なんて思っていたものでした。

 その校舎はくすんだピンク色。先日訪れた「旧東京音楽学校奏楽堂」の展示の中で、
建て替え寸前に塗られていたのがそっくりな色で、一気に当時の記憶が
蘇りました。

 あの頃、旧校舎の中の広い部屋を“雨天体操場”として使っていたので
体育のK先生が好きだった私は、早く行って雑巾がけに励んでいたら、
体育自体は下手だったのに、評定で生まれて初めて&最後の「5」をもらい、
驚いたことも思い出しました。

 (アラン・ドロン+森田健作)÷2のような感じだった、かっこいいK先生、
私達の先輩と結婚されたという噂でした。

 昨日まであった木造校舎が、徐々に壊れて行く…土台だけになる頃には悲しくて…
しかし約1年後、その面影をほんの少し写した新校舎が完成。
古い校舎の車寄せだけが東屋として保存されています。

 あの頃から“古い建物マニア”になり、現在に至っています。
くすんだピンク色の学び舎は、形はなくなっても、思い出の中では永遠に建っています。


※建物を観に行くよりは写真集を買っていた独身時代。
 これもその中の1冊です。

旧東京音楽学校奏楽堂

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 かなり以前から古い木造建築が大好きだった私には、ここが明治村でなく、
上野公園に“移築保存”されたニュースは、とても嬉しかった記憶があります。
前を何度も通過しながら、中に入るのはかなり久しぶりのこの「奏楽堂」。
 最近“本居長世常設展示室”もできたということで、興味深く見ていきました。

 東京音楽学校奏楽堂は、明治23年の竣工。これが昭和60年頃まで
藝大の敷地内にあり、解体移築直前の写真を見ると、かなり老朽化が目立ちます。
 よく甦ったものだ…感慨深く解体〜再建の展示に見入りました。

 藝大関係の展示は、音楽取調掛・井沢修二から時代を追って、
三浦環、藤山一郎、芥川也寸志、団伊玖磨、東敦子…1人1人観ていくと、
自然と演奏や歌声が頭の中に蘇りました。

 そして圧巻は2階の音楽ホール=奏楽堂。ここがかつて幾多の名作の初演を行った
歴史ある場所…音楽の精霊が居るのかもしれない…。
 この日、チェンバロコンサートが予定されていて、演奏者のリハーサルが行われ、
その音色が響いていたのも、より古典的な雰囲気を盛り上げてくれました。

 この建物は、旧東京都美術館の場所に移築されたというのは、今回初めて知りました。
道理で…なんだか懐かしい気がしたはずです。
 
 上野の森にしっくり溶け込んだ奏楽堂、
今度はパイプオルガン演奏会に来てみたいと思います。

※緑に映える奏楽堂。建物自体を観るのは、 前回のような真冬が向いているようですが。
(木々の葉が散っていて見やすいため)

山本有三記念館

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 国分寺に行く用事があった先日。雨が降らなかったら「江戸東京たてもの園」に
行きたかったのですが、ここは駅から歩ける距離ではないため
前日の天気予報を聞いて、行き先を変更。

 雨の玉川上水沿いを辿ると、瀟洒な洋館=「山本有三記念館」が現れました。
門の前には大きな「路傍の石」が。
 建物の外観は山小屋風、手仕事の温かみが感じられる内装と、階段室から見える
ステンドグラス(写真)はすっきりと美しく、趣味の良さがうかがえます。
この素敵な作品の建築家が“不明”のままというのは驚きでした。

 暖炉を囲むような“イングルヌック”という設えは、天井が高く冬は冷え込む洋館に
暖炉の熱が溜まる形にし、そこに家族が集まって団欒した、というコーナー。
“イングル”という単語で「イングルサイド(炉辺荘)のアン」(赤毛のアンシリーズ・7巻)を
思い出しました。

 展示物は、山本有三の自筆原稿、愛用の靴や鞄、湯のみ茶碗、和服、
国会議員として出馬した時のポスター、それに写真の数々。
 
 「路傍の石」や「真実一路」の作者という以外、国会議員(貴族院〜参議員)だったとは、
今回初めて知りました。国語審議会の委員も務め、
戦前の漢文調の“一般にはわかりにくい文章”を口語の平易なものにしていく…
それが民主化を進めることになる、と考えたようです。

 “名誉市民”にふさわしい、端正な人生を送った山本有三。
直前に観てきた太宰治との好対照を感じながら、緑濃い三鷹の街を、駅まで戻りました。

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 初めて訪れた、早稲田大学のキャンパス。
「會津八一記念博物館」は、図書館として建てられたため、正門のすぐ近くにありました。

 お目当ての「増田三男・清爽の彫金」の展示のほか、「大隈記念室」には着用のマントや
襲撃された時に着ていた切り跡がある衣服など、彼の功績が分かりやすく展示されています。
そして、特別展示室には、富岡重憲コレクション「達磨」の絵の数々。以上が、1階。

 2階には常設展示として前田青邨「羅馬使節」の大きな絵画、中国の青銅鏡、
古い陶器(アジア)、アイヌ民族衣装に、會津八一ゆかりの旅館「日吉館」の看板など。
 書家としても有名な会津八一=秋艸道人。昨年三井記念美術館で開催された
奈良の古寺と仏像〜會津八一のうたにのせて〜 を思い出しました。

 さらにこの建物(旧図書館・1925年竣工)は、早大教授でもあった今井兼次の設計。
玄関ホールの白い列柱の装飾はギリシャ風ではない、かといって和風でもない…
優美で上品な美しい柱です。
そしてその向こうに、どっしりとした作風の丸い大きな絵画が見えて、
これは横山大観と下村観山の合作「明暗」。
 さらにこの玄関ホールのドア越しに、正面には大隈講堂も望めました。
玄関ドアの装飾も凝っていて、この日はドアのガラスに新緑が映っていました(写真)。

 古い建物の新たな活用として「2002年日本建築学会表彰」という銘板を
2階で見つけました。高い天井の閲覧室を利用した博物館の展示室は、
いつまででも居たくなる、清々しい空気が流れていました。

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