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ジョサイア・コンドル設計のレンガ造り「三菱一号館」。 モダン・パリ展より遡ること数日、美術館がお休みの月曜日なら、待たずに入れるかな?と 憧れの場所にドキドキしながら足を踏み入れました。 “Cafe1894”。昨年秋、三菱一号館開館記念の「丸の内スタイル展」を観に行った時から いつか珈琲を飲みに来たいと思っていました。 初夏の月曜日、静かな午後。 「1人です。」と言うと、案内されたのは旧銀行の窓口と思われる席。 見上げると高い天井、周り縁、柱頭の飾りも素敵。 濃い茶色の塗装と白い壁は、重厚な雰囲気と清潔感が漂っています。 ウエイトレスさんの制服も、真っ白いサロンエプロンのレトロなデザイン。 気分は明治の貴婦人かハイカラな女学生か…? 珈琲を味わいながら物思いに耽っていると、窓口の向こうの人と目が合ってしまい…。 いつの間にか“空席待ち”の人たちが座っていたのでした。 もう一度名残を惜しみながら室内をゆっくり見回して“明治の窓口嬢”の役を降り、 帰途につきました。 ※「一丁倫敦と丸の内スタイル」(求龍堂)裏表紙カバー写真。
私が座ったのは花を置いた部分の席でした。 |
建築
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“日本橋”の橋梁には青銅製の獅子や麒麟が鎮座していますが、上空を遮る首都高が鬱陶しい…。 |
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「その1」からの続きです。 新進気鋭の建築家であり、日本への愛も持ち合わせたコンドルは、 来日後、日本画家川鍋暁斎に入門し、“暁英”という号で見事な日本画を描いていました。 1890(明治23)年に三菱社の顧問となってからは、 岩崎家関係の邸宅、三菱1号館などを設計。 現存する作品=ニコライ堂(のちに一部改築)、岩崎彌之助高輪別邸(現三菱開東閣)、 岩崎久弥邸、三井倶楽部、島津忠重邸(現清泉女子大学)、古河虎之助邸(古河庭園)などで、 今でも美しい姿を見ることが出来ます。 日本庭園にも造詣が深く、建物へのアプローチも含めた「作品」となっていると この講義で聴いて、ますますいろいろなところを見て回りたくなりました。 最近行ったのが岩崎久弥邸(旧岩崎邸庭園) ですが、庭園はこじんまりとしていましたが、 イスラム調の内装は、今見ても匂い立つようなエキゾチックな雰囲気を醸していて、 一気に明治時代の邸内にタイムスリップしたようでした。 日本に永く住み、最晩年のみアメリカで過ごしたコンドルは、最愛の妻「くめ」逝去の 僅か11日後、後を追うように息を引き取りました。 次回は7月、“F・L・ライト”で、これもとっても楽しみです。 ※袴姿も凛々しいコンドルさん。奥様も美しい方だったし、ハーフのお嬢様の
とても愛らしい少女時代の写真が図録に載っていました。 |
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一般には「鹿鳴館」の設計者として有名なお雇い外人で、 東京大学工学部前身の工部大学校教授として、辰野金吾、片山東熊ら、 日本近代建築を担う人材を育成したことも、大きな業績のひとつです。 コンドルは、当時の他の外国人建築家とは違い、日本に愛着があったからこその来日、 妻も日本女性であり、日本画や日本庭園にも造詣の深い、とても魅力ある人物でした。 1852年ロンドンに生まれ、イギリス建築界の権威ある賞(ソーン賞)受賞後 25歳で来日、工部大学校の教授となり、1888年に大学を辞するまでは 博物館などの公的なものを設計。 代表作=開拓使物産売捌所(1880)、上野博物館(1881)、鹿鳴館(1883)など。 日本への憧れは大きな意味で“東方趣味”となったようで、イスラム調のアーチや 玉葱のような形の塔を配していました。 1885(明治18)年、当時の外務卿井上馨の依頼で設計した都市改革案がいまひとつだった?のか コンドルは公的な立場から、三菱社の顧問となり、邸宅設計へとシフトしていきます。 「その2」へ続く。 ※写真は、東京ステーションギャラリー「鹿鳴館の建築家ジョサイア・コンドル」図録(1997)の、
2009年増補改訂版。 270ページに及ぶ、ボリュームたっぷりの本ですが、 どのページから開いても見飽きることがありません。 今回の講義のために購入しました。 |
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5月20日の劇団四季「ソング&ダンス」の会場は、川口リリア(川口総合文化センター)。 |




