建築

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 もし、今度明治村に行ったら、絶対行きたい…ずっと温めていた夢は、
フランク・ロイド・ライト設計の「帝国ホテル」で、お茶を飲むこと。

 正確には“移築復元予定”として当時紹介されていたこの建物の完成を観たい、
さらにここに喫茶室があると知って、ぜひここで…と、
明治村に着いた時から、帝国ホテル目指して歩き始めました。
しかし、建っているのは正面入り口とは正反対の、北口(出口)付近。

 気持ちばかりが焦っても、明治村は起伏に富んだ立地、
真っ直ぐ前に行くことができず、迂回しつつ、通りすがりの建物は見学し…
9時半ぴったりに入って、ホテルには11時過ぎに到着…けっこう汗だく。

 明治村の建造物等には68番までナンバーが振られていますが、
帝国ホテルは67番で、ここには26番目に到着しました。
(夜にホテルに戻ってから、足取りを確認して判明しました)

 明るい日ざしが溢れる喫茶室で、珈琲とモンブラン…夢心地です。
ライト独特の空間構成、大谷石やテラコッタの質感を味わいながら、
ボランティアで弾いていただいていた二胡の柔らかな音が心地よくて…。

 椅子も「自由学園明日館」で見たような、背もたれに特長のあるもので、
一目でライトのものと分かり、ありがたく座りました。

 ここには「ポーツマス条約」に使われたテーブルも展示され、
歴史の中に居る…という雰囲気。その少し重々しい感じも、
いい思い出になりました。

 ここで英気を養って“さあ、全施設回ろう!”と張り切って出発。
15時発名古屋行きの帰りのバスまでに、無事観ることができました。

 そして、17時から中日劇場で「レ・ミゼラブル」を観賞、
濃い1日となりました。

※写真左側の中2階が「喫茶室」です。とても美味しいモンブランでした。

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 先日の『名古屋行き』。ミュージカル以外のことを、
思い出すまま、これから時々書いてきます。

最初は、やっぱり「名古屋城」。行こうと決めてガイドブックを見るまで、
戦災で焼失したことを知りませんでした。お城は空襲されないと思っていたから。
 なんと痛ましいことかと、焼失前の戦前の写真を見て、驚いてしまいました。

 「天守閣」は戦後早めに再建されたようですが、
今回「本丸御殿再建」の第一期公開があったので、
9時の開園を待って入場、静かな中でじっくりと観てきました。
 清廉な桧の白木の柱や廊下、眩いほどに金を使った障壁画…
城が落成した1615年にタイムスリップできる、貴重な機会でした。
 そして年月を経て渋い感じになった障壁画は、天守閣で観ることができました。

 本丸御殿再建が完成するのにはまだ数年かかりますが、
その屋根を作っている様子が見学できる通路があって、
ヘルメットを被って早速入ってみました。
 一抱えもあるような見事な桧の木材が縦横に組まれ、
大工さんの道具が置かれた、まさに「現場」。
ここでも桧のいい香りが濃く漂って…復元工事のさなかに出会えた偶然に
感謝!でした。ある意味、名古屋城ではここが一番感動しました。

 もちろん、見事な屋根の重層(重奏)の「天守閣」の展望台から周囲を見て、
400年前にこの高さから見たら、さぞかし遠くまで見えたのだろうと
想像しました。
 下から見上げても、少し離れても絵になる「名古屋城」、
次の目的地に行くのに、何度も振り返りながら、バスに乗りました。

 本丸御殿の全面修復完成は5年後の予定らしい。
そうしたらまた来たいと、早くも“再訪”の決心をしたのでした。

※朝の光が差し込む、清々しい桧の廊下。

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「その1」からの続きです。

 明治5年という早い時期にこんなに大規模な建築が可能で、
なおかつ綺麗に残っている…その訳は、富岡という場所(空襲がなかった)、
民営に払い下げられたな後も、三井組〜原合資会社〜片倉製糸と
代々大切にされてきたこと、のようでした。

 鉄骨ではなく木骨レンガ造、柱は一寸(30.3cm)角のまっすぐな材木を
惜しげなく使って、今でも100mほどの倉庫で狂いは現在でも2cm程度、
東日本大震災でも被害がない=富岡は土地が岩盤、だからだそうです。

 文化財ではない、「診療所〜入院棟(和室)」や、「変電所」と書かれた
小さな小屋なども、興味深く観ていきました。
変電所の室内に貼られたカレンダーは1956年…タイムスリップしているようです。

 そして立入禁止区域の奥にある「寄宿舎」。昭和10年代の建築で文化財ではなく、
手を入れていないため、近づくことはできません…
でも、まるで「木造校舎」のような姿が印象的で、写真に撮っておきました。

 工場設立に尽力した渋沢栄一、初代工場長・尾高惇忠、現場監督・韮塚直次郎、
みんな埼玉県深谷の出身、というのも親しみがわきました。

 工女さんたちは全国各地から集まり、ここで技術を覚えて
地元で指導に当たった、ということです。
外国人を恐れる人たちを説得するため、
工女1号は、尾高工場長の娘、ユウさんでした。

 ツアーのため、見学時間が全然足りなくて…。
今度は“上信電鉄”を使って自力でまた来たいな、と思いました。

※明日からまた泊を伴う旅行に行きます。33年ぶりの場所…楽しみです。
 私は携帯から更新できないため、ちょっとおやすみ、です。

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 群馬県にあるこの古い工場は、ずっと行きたかった場所でした。
明治5年に建てられた時のまま141年も経っている…本当に?
行ってこの目で確かめたかった。

 休日出勤の代休で参加できた、平日のバスツアー。
行き先は、ここと碓氷峠の煉瓦の「めがね橋」。
1人での参加でしたが、天気に恵まれていい1日を過ごせました。

 さて。ドキドキしながらあの“明治五年”の石がある繭倉庫の前に立つと、
きれいな煉瓦色の壁面、柱も屋根もしっかりとして、ゆがみなどがなく
それほど古くは見えません。

 長さ100m以上もある「繭倉庫」が東と西に二棟、
他に140mとさらに大きな建物の「操糸場」、
お雇い外人だったブリュナが住んだ広大な「ブリュナ館」など、
みんなすっきりとした佇まいで、140年余り前と多分変わらずに
そこに建っていました。

 煉瓦は外人技師の身振り手振りと深谷から職人を呼んで地元で焼き、
木材は妙義山(杉)、上野村(松)などから切り出したもの。
ペンキはフランス製…。
 繭倉庫の全景を写真に収めたくても、入りきらない。
スケールの大きさには驚きます。

 さらに大きな「操糸場」は、木材を使ったトラス構造で柱がなく、
電気がひかれてない時代、採光のために窓をたくさん作った鉄製のサッシも
当時のものが残っているという…。

 中の機械類は操業を停止した1987年当時のままで、
1970年代のプリンス自動車製ということです。

 解説担当の女性の熱心な説明に、ここへの強い愛が感じられました。
「世界遺産」にぜひ登録されてほしいと願っています。

続く。

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 9月1日の「防災の日」に、たまたま横浜に出かけて観てきたのは、
今年で90年が経った関東大震災をテーマにした展示。
 「横浜開港資料館」とそこから徒歩2分と至近距離の
「都市発展記念館」でも、同時開催の展示がありました。

 こちらは都市発展の名の通り、復興計画に重点を置いたものでした。
 主に建物の被災写真…焼失区域に残る煉瓦やコンクリート造りの壁面、
でも内部消失がほとんどで、神奈川県庁は取り壊しになりました。

 印象的な写真は「横浜中央電話局」(設計・森泰治)。
 まだ建設中でしたが、コンクリートの外壁は残り、最初はここを復旧する予定が、
防災のための大幅な道路拡張に伴い、いったん取り壊しになって、その地に建てられたのが、
この都市発展記念館(当時の中央電話局)でした。

 同じようにジャックの塔=「開港記念会館」も道路拡張に引っ掛かりましたが、
こちらは震災でも倒れなかった“復興のシンボル”として
道路の方を若干変更して残したそうです。

 現在の都市発展記念館は、濃い茶色のタイルが貼られた
直線的な外観のモダンな建物ですが、当時建築中だったものは
“分離派”とも呼べそうな、曲線を使ったデザインだったようです。

 震災の瓦礫で埋め立てられた山下公園…バラが綺麗なあの公園は
悲しい震災があって、作られたものとおもうと、ちょっと胸が痛みます。

 この横浜で見たの一連の展示のことは、
もう少しゆっくりアップしようと思いましたが、
昨日も午前中に少し大きな地震があったこともあり、
続けて書いてしまいました。


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