建築

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 「神奈川県庁舎」は1928(昭和3)年の竣工で、
重量感のある塔屋が「キング」の愛称で親しまれています。
スマートな「ジャック」は煉瓦色の開港記念会館、
優美なイメージの「クイーン」は青銅ドームの横浜税関。

 そんな“キング”の“前の庁舎”にとても興味があって、足を運びました。

 キングは神奈川県庁としては「4代目」に当たり、
「初代」は江戸後期1867年に建てられた“なまこ壁”をあしらったもの、
「二代目」はブリジェンスの木骨石造(1873)、満を持した
「3代目」は片山東熊の設計で、国内の庁舎では
一番美しいと称賛されたというもの=1913年竣工。
 やっと見られた…ネオバロック様式、1階部分は花崗岩と石の縞模様、
屋根には棟飾り、そこに細い塔もあって、たしかにお城みたいです。

 内装も豪華だったそうで、77万円という巨費が投じられたのに、
わずか10年で消失、取り壊しとなった…1923年に起きた関東大震災のために。
 焼けずに残っていたら観たかった。片山氏の建物は優美で大好きです。

 その後、震災復興は急ピッチで進み、この庁舎は設計がコンペで決められ、
1等・小尾嘉郎の案を若干変更して、大林組が施工。
 
 当時のアールデコの香りと、和風のもの取り入れた時代の要請から、
格天井や宝相華などの装飾で、
和洋折衷のような独特な雰囲気です。

 展示会場には設計図がたくさん。青焼きではないため、手書きされた本物です。
細かな線に設計者の息吹を感じつつ。

 出口まで来て、名残を惜しみ、戻ろうとすると、展示解説ボランティアさんに
「熱心に観ていらっしゃいますね」声を掛けられしばし建築談議。
思いがけず、すてきな時間を過ごせました。

※開港資料館前から撮った神奈川県庁。

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 前回は雨が降る秋に訪れた、玉川上水沿いの洋館。
今回は、蝉時雨が水の音をかき消す猛暑の中、
武蔵野美術大学美術館を訪ねた帰途に、日傘を差して行ってきました。

 展示はこの「洋館」=山本邸はもちろん、
この町(三鷹)の成り立ちについての展示もあって、
人口急増の様子などがわかりました。

 三鷹は江戸〜大正時代にはのどかな農村でしたが、
関東大震災で都心から引っ越してきた人や
戦前の軍需工場や施設の建設に伴う
従業員やその家族の流入での増加。
 戦後は団地の増設、中央線を使用する=ベッドタウンとしての増加。

 そして山本邸。ここはもともと実業家〜一橋大学教授・清田龍之介の家を
山本有三が購入した、というもの。
 当時の流行を取り入れたスクラッチタイル、
ハーフティンバー、ピクチャレスクと言われるスタイルの、
すてきな建物(作品)なのに、設計者はわからないまま。

 わざわざ三鷹までこの展示を見に行ったのは、
それが知りたかったからなのですが…。

 「記念館館報」に、大谷石を使用した→遠藤新や土浦亀城とも考えられるが、
彼らの作品リストにはない。では誰が?
 館報を執筆した内田清蔵先生(神奈川大学教授・建築史家)は
“推定ですが、デ・ラランデと関連する方”と書かれていますが、確証はないそうです。

 でも誰が設計しようとも、「路傍の石」などの名作を生み出した“洋館”は
これからもずっとここに建っていて欲しい。
 次に訪れる季節は、また付近の情景がどう変わるか見てみたいから。

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 日本近代建築の作り手たち〜昭和の三巨匠〜3回目は村野藤吾。
「世界平和祈念聖堂」「宇部市渡辺翁記念会館」(以上、重要文化財)、
「日生劇場」「ルーテル学院大学」「新高輪プリンスホテル」他、
91歳の最晩年まで多数の作品を残し、文化勲章、芸術院賞も受賞しています。

 1891年佐賀県唐津市生まれ…東京駅の設計者・辰野金吾と同郷。
早稲田大学理工学部を卒業し、渡辺節建築事務所に入所し、1929年に独立。

 外観へのこだわりは強く、とてもスタイリッシュなビルを造っていた。
個性的なものも、村野氏だからこそ傑作になり得たわけで、
ただ真似をしたら、とんでもないことになってしまう…らしい。
 
 確かに、その“ぎりぎりな感じ”は、なんとなくわかる気がしました。

 また、外観が比較的簡素な場合、室内を豪華にすることも彼の特徴で、
日生劇場はアコヤガイを貼った内部空間が“別世界”のような雰囲気です。

 「世界平和祈念聖堂」の内部装は”見たことがある”窓の形と照明…
たぶん今井兼次=遠山記念館美術館と似ていたから、
すぐにわかったのでしょう。

 広島は今日、祈りの日を迎えていました。
修学旅行は京都と奈良だけで、私は広島に行ったことがありません。

 この「世界平和祈念聖堂」、そして「広島平和記念資料館」は丹下健三の名作、
それらを見ることも含め、いつか行けたらいいと思っています。

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 自由学園明日館の講座、第2回は前川國男。

 資料の冒頭には「負ければ賊軍という…」という
彼が”敢えてモダニズム”で応募して落選した
「帝室博物館」コンペ(1931)の時の言葉が引用されています。

 戦前はそのモダンさゆえか、コンペの落選も多かった前川國男でしたが、
1952年の「日本相互銀行本店」が日本建築学会賞を受賞した頃からは快進撃が続き、
学会賞は、以下の作品たちで6回も受賞。

 神奈川県立図書館・音楽堂、国際文化会館、京都会館、東京文化会館、蛇の目ビル。
 そして私が小さい頃から親しんでいる「埼玉県立博物館」(写真)は、日本芸術院賞。
ほかにも東京海上ビル、東京都美術館…名作揃いです。

 前川國男は1905年新潟生まれ。父は内務省の土木技師。
弟・春雄は日銀総裁(1979〜)を務めていました。

 簗田貞に師事して、ヴァイオリンを習うなど、音楽にも造詣が深かったそうです。
 東京帝国大学在学中から岸田日出刀に借りた本でコルビュジエにあこがれ、
卒業の日に、シベリア鉄道経由でヨーロッパに渡りました。

 コルビュジエの事務所で撮った写真にはシャルロット・ペリアンも写っていました。
ほかに所員だったのは坂倉準三、吉阪隆正。

 彼は空間感覚が抜群で、プラン導線を重視した美しいシークエンス(場面)が続きます。
今度埼玉県立博物館に行ったら、是非確認してこようと思います。

 それにしても。こうしたモダニズム建築のお話を聞く前は、
コンドルのような様式建築が好きで、ビルは「箱みたい」と興味が薄かったのですが、
今はタイルを見ても「芋目地、馬目地」等とじっと見て興味が尽きません。

 なにを見ても楽しめるのは、とっても幸せです。

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 「自由学園明日館・公開講座」は、1年ぶりの受講です。
 冬の「建物探訪」もすごく行きたかったのですが、出遅れて“満席”となり、
キャンセル待ち登録も繰り上がりはなく、泣く泣く諦めたのでした。

 今回は早くに申し込んだので大丈夫。
 取り上げるのは「昭和の三巨匠」と題した佐藤武夫、前川國男、村野藤吾で、
初回は佐藤武夫。あとの2人よりも印象的な作品がとっさには
思い浮かばなかったのですが、講義を聴くと、3人を並べた意義がわかりました。

 1899年名古屋市生まれ。早稲田大学建築学科を卒業し、
佐藤功一建築事務所時代に「日比谷公会堂」の音響設計を手がける。

 彼のキーワードは「公共建築」「塔」「列柱」。
 市役所などの「公共建築」は、派手さはないけれど、市民の日常に深く関わる…
言い換えれば「人間に近い存在」かもしれません。

 彼の日本建築学会賞受賞作品が「旭川市役所」。
 子ども時代に父親の転勤で3年ほど暮らした経験から、
灰色の空と雪に覆われた世界に、煉瓦色とコンクリートのチェック模様を建てようと
思いついたという…1958年の作品です。

 旭川…思い出すのはやっぱり福井さん。市役所の建物なんて、覚えているのだろうか?
講義を聞きながら、ちょっと想像してしみました。

 ほかに岩国市、新潟市、小倉市、矢板市の市役所、
世田谷、文京、府中市の公会堂や区民会館など、そこに暮らす人たちには
生活の中で大切な思い出が生まれた場所になっていたかもしれません。

 晩年の「北海道開拓記念館」には列柱がありますが、
何気ないように見える柱の「太さや間隔」へのこだわりは深いものがあったようです。

 「どうして列柱にこだわられるのですか」という問いに、
「それは建築が人々に対する姿勢として重要なものです」と答えています。

 列柱は人が親和性を感じる…原風景ともいえるものと捕えると、確かに
パルテノンも法隆寺も、なんか落ち着くなあ、と思うことに気づきました。

※モノクロですが、格子模様が美しい旭川市庁舎。


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