建築

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 この日の講師は、建築家・隈研吾氏。
 根津美術館、広重美術館を始め、世界を舞台に活躍する建築家だけあって、
エネルギッシュなお話ぶりで、あっという間の90分でした。

 「場所の力」の導入として、建築物と天災を取り上げ、リスボン大地震〜シカゴ大火〜
関東大震災、そして東日本大震災を例に、復興する時に耐火建築にしたり
様式(装飾)重視から、実用的なものへの転換が図られてきたお話。

 こうした「対策」も大切だけど、建物はその場所の「自然との共生」も大切にしていきたい。
コンクリートよりも木を用いています。

 ブルーノ・タウトが絶賛した「桂離宮」、その中で生きた竹を使った「桂垣」。
 そのタウトが設計した「日向邸」(熱海)も自然の中にとけ込むような建物になっていました。

 以下、隈氏の作品の紹介、解説。
広重美術館(馬頭町)は「杉」、梼原橋、浅草文化観光センター、アオーレ長岡は「檜」、
そして「太宰府スターバックス」は斬新な木の使い方で有名です。

 海外での作品はブザンソン・マルセイユ・ナポリ・グラナダ・
スコットランドのビクトリア・アルバート美術館など、
建築中も含め、枚挙に暇がないほど。
 1つ1つのデザインや材料、立地とそこにどうとけ込んでいくのか、
わくわくしながら画面を見つめていました。

 その場所の材料、人、特性を生かした建物を次々に設計する隈さん
(口に出すと“熊さん”みたいで、ちょっとかわいい)、
気さくな語り口調で、とても楽しかった。

※遠山邸の欄間と御簾。この日、講義の後に見学しました。

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 「自由学園明日館」の米山勇先生の講座「様式の名手たち」。
 3回目は渡辺仁(わたなべじん)。代表作は、第一生命館(1938)、
東京国立博物館本館(1937)、服部時計店=銀座和光(1932)、
ホテルニューグランド(1927)以上は現存、
日本劇場(1933)、商工省燃料研究所(1921)=取壊し。

 渡辺仁は、東京帝大教授で冶金学者の父を持ち、東京帝大〜鉄道院・逓信省を経て、
1920年に自身の「建築工務所」を開きます。1回目の佐藤功一
前回の岡田信一郎と違い、大学で教鞭を取ったことはありません。

 彼の作品の内部空間の“上品さ”は、他の追随を許さない…。
東京国立博物館の玄関〜階段の空間は、現在でも映画・ドラマやCM撮影に多用されています。
 しかしこの“帝室博物館”は、コンペで日本風にという指示が出ていたにもかかわらず、
箱型のモダンな案を出した前川國男の“華麗な敗北”が話題になりました。

 この日、幾つかの彼の作品の写真が載ったレジメを見ながら、やはり印象が強いのは
初期の「燃料研究所=通産省公害研究所」。川口駅の近く(現在はリリア)にありました。
 小学生の頃、塾に行く途中、ツタが絡まったお化け屋敷みたいな怖い建物…と
思った印象が強烈でした。1980年代後半に取り壊しになってしまいましたが、
現存時代を観られて幸せだったと思います。

 渡辺仁は「第一生命館」で、列柱と建物をほんの少し離して、そこに
空間を設けています。岡田信一郎の名作「明治生命館」には空間がありません。
 今度是非行って、確かめて来たいと思います。

※先日行って来た、東京国立博物館本館。
 日本美術の至宝を収めるのにふさわしい“風格”が漂います。

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 明治10(1877)年に来日したジョサイア・コンドルは、
「帝室博物館」(1881)の設計者でもありました。
 鹿鳴館に先立つこと数年。コンドルは日本の風土にあった建物=サラセン様式と
解釈したようで、この建物もアラビア風のドームやアーチを用い、
エキゾチックな雰囲気を醸しています。

 そのコンドルの署名入りの図面が何枚も並ぶ展示に感激し、
ケースに顔を近づけてじっくり見入りました。
アーチの微妙な曲線を何度も引きなおしたような鉛筆の線の走り書きがあり、
彼の息遣いが伝わるようでした。

 煉瓦の赤い色に彩色されたこれらの図面は
保管状態がよく、とても100年以上前のものには見えませんでした。
 図面の中に、中国風のゆったりとした服を着た人物が
描き込まれているのも楽しかった。

 コンドルは川鍋暁斎(浮世絵師)に弟子入りし、暁英の号を受けていたほどの絵の名手で、
このパース(完成予想図)も、とても美しい作品です。(写真がモノクロなのが残念)

 このコンドルの本館は惜しくも1923年の関東大震災で崩壊、
もし残っていたら観てみたかった…赤煉瓦に多頭アーチ、玉葱ドームの建物は
上野の杜に美しくマッチしたことでしょう。

 コンドルの弟子、辰野金吾設計の「東京駅」の創建当初への復元が間もなく完成します。
赤煉瓦に白い花崗岩の「辰野式」は首都の玄関にふさわしい威厳と、
彩りを与えるに違いありません。
 ドーム内の装飾も含め、全容が明らかになるのが、とっても楽しみです。

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 「時代を駆け抜けた芸術家たち」という副題が付いています。
 ここで見ることができる佐伯祐三・朝倉文夫・梅原龍三郎・岡本太郎らの作品も見応えがありましたが、
「見に来てよかった!」と思ったのは、
展示の冒頭、美術館ができるまでの解説が素晴らしかったからでした。

 最初の公立美術館設立基金として、当時の100万円(現在の約32億円)を寄付した
炭坑王・佐藤慶太郎。彼は生活改善の会(新興生活)も主宰し、その本部は
今の「山の上ホテル」の建物だったという…なんて素晴らしい人物。

 1926年竣工の本館設計者は岡田信一郎。様式の名手は、装飾はもちろん、機能にもこだわり、
採光は天窓のみの「無窓壁」(むそうへき)を採用。
 貴賓室の家具は梶田恵(かじためぐむ=男性)デザイン。あの「明治生命館」も同じコンビです。

 岡田氏の設計図には息を飲みました。やはり直筆はすごい…
ついこの間、建築の講座でコピーをみたばかりのものの本物。緻密な線描でした。
 梶田氏の家具も繊細な装飾、加えて小川三知(おがわさんち)のステンドグラス。
旧館から外して保管されていたものは、その色合いがシックで、美術品の趣でした。
 
 旧館起工式〜竣工当時の外観、内装の写真もあって、
時間をとってじっくりと見てきました。
 この旧館に関する展示は、ケースも木製の当時のものという、粋な計らいでした。

 新館(1970)設計は前川國男。煉瓦タイルのシンプルな箱形の外観ながら、
周囲の環境に過不足なく溶け込むのは実はとても凄いこと…最近ようやくわかってきました。

 こうした建物の展示の後が、名作揃いの『絵画』の展示でした。
レオナール藤田が描いた「真珠湾攻撃」の絵は衝撃でしたが、時代の要請だったのでしょう。
 この展示は無料。なんだか申し訳ないくらいの盛りだくさんでした。

 先月既に観た「マウリッツハイス美術館展」の大盛況の入り口を振り返りながら、
次の目的地(お隣の東博)へ向かいました。

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 「自由学園明日館」の米山勇先生の講座「様式の名手たち」。
2回目は岡田信一郎。「様式の名手」の言葉が一番当てはまるのが彼でしょうか。
今期の3回シリーズでは、一般的に一番知名度が高い建築家だと思います。

 生まれ年は「鹿鳴館」竣工と同じ1883(明治16)年。
 若干29歳で「大阪市中央公会堂」指名設計競技1等当選(1912)。
葛西万治・伊東忠太・長野宇平治・中條精一郎・片岡安・武田五一・田辺淳吉・大江新太郎らの
大御所を押さえての1等は、彼の天性のプロポーション感覚の鋭さがあった為なのでしょう。

 天才・岡田の前途は洋々…だったはずなのに、
彼は病弱で、あの「明治生命館」(1934)の設計の頃には病床に伏すことも多くなり、
完成を待たず、1932年、49歳で逝去。
 弟の岡田捷五郎らが跡を継いで完成させた“様式建築の最高峰”は、
現在も皇居のお堀端で優美な姿を見せています。

 最近立て替えられてしまった「歌舞伎座」(1925)、関東大震災で壊れたニコライ堂を
岡田が意匠を若干変えて修復、そして私が幼い頃にはまだ現存していた
列柱がすてきな「東京都美術館」(1926)。
東京芸術大学大学美術館「陳列館」(1929)と「黒田記念館」(1928)も上野の杜にあります。

 “様式の名手”でありながら、彼の言葉には、
「必要かつ十分に、合理的に処理しできるだけ不要な従属物や装飾を避ける」とあり、
その装飾は“厳選”されたもの…だからこそ洗練された美しさがあるのかと、納得でした。

※彼のデビュー作「大阪市中央公会堂」(1912)。コントラストが美しい。
 「日本の建築[明治大正昭和]」8様式美の挽歌(三省堂)より。


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