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 大河ドラマは視聴していないのですが、常設展示とともに見てきました。

 思った以上に「書状」が多く、至近距離で読みながらの見学する人が多いため、
すべてをつぶさに見ることは諦め、工芸品などをピンポイントで鑑賞。

 一番見応えがあったのが水牛の角をクワガタにした「黒漆桃型大水牛脇立兜」
=重要文化財。
 見事な左右対称の角は、金色に塗られていて、すっごく強そう。

 ほかには大きな幟旗、もちろん手縫い。針目の後を見ると、
これを縫いながらなにを思ったのかなど、想像が膨らみました。

 常設展示は体験型が増えていて、「火消しの纏」を振ることができたり、
あまり大きくない千両箱を持ち上げられたりしました。
籠に乗ったりもできます。

 ここに来る度に楽しみな「鹿鳴館」や「ニコライ堂」の内部が見える展示で、
この3月にニコライ堂に実際に入った時を鮮やかに思い出しました。

 荘厳な空間、白い壁に映るステンドグラスの淡い光。
もちろんその直後の素晴らしかった時間(ファンミーティング)。

 結局思い出すのは福井さんのことになってしまうのですが、
この地にある亡父の墓参も済ませ、穏やかな気持ちで次に向かいました。

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 ポスターはアフリカかアジアのイメージでしたが、行ってみたら、
ヨーロッパのビーズもあって、大変目を楽しませてくれました。

 展示はアジアから。琥珀や瑪瑙などの玉、宝貝などの貝殻、銀などの金属、
変わり種は玉虫などの昆虫、果ては人骨まで…ビーズの素材は多岐にわたります。

 これらは装飾よりも呪術的な役割を果たしているようです。特に頭部(こめかみや後頭部)は、
魔除けの意味で、さまざまな飾りが作られていました。
 アフリカでも、チュニジアはヨーロッパのカラーが入った、鮮やかな色彩が印象的でした。

 そしてヨーロッパでは「ジェット」という黒い玉のビーズで作った装飾品に、
目が釘付けになりました。

 ジェットとは、木材などが炭化した「化石」。ヴィクトリア女王が喪に服すときに用いたことから
爆発的な流行となり、模造品も出回ったということ。時は1860年頃。

 このジェット=黒玉は、「レ・ミゼラブル」にでてくる工場で生産されていたものでしょう。
マドレーヌ市長は安価なものを工夫して製造し、巨万の富を得た…。

 美しい首飾りや、ケープにあしらわれた黒い玉から、薄幸のファンテーヌや
天国に召されたバルジャンのシーンまで思い浮かんでしまいました。

 展示の最後はドレスにあしらわれた無数のビーズがきらめく、シックな黒のワンショルダー。
越路吹雪さんの舞台衣装です。

 ビーズから“世界”がどんどん広がって、今回もとても楽しめた文化学園の展示でした。

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 横浜に来たらここもよく足を運ぶ場所です。
この後に「キャッツ」に行って福井さんを観た懐かしい思い出に
ちょっとうるっとしながら…。

 東洋汽船は浅野総一郎を社長として創立した会社。浅野といえば思い出す通り、
セメントを運ぶことが目的の浅野回漕店(1887)から始まりました。
 
 その後サンフランシスコ航路を開業し、所有する船舶も増えていき、
浅野氏は石油事業も展開しましたが、1926年、日本郵船と合併に至りました。

 チラシの解説に「浅野総一郎氏の企業家としての一端をご覧いただければ」
という一文がありますが、確かに、なかなか積極的な事業展開をしていた様子です。
 教育にも尽力、浅野学園を創立しました。

 そして、私は浅野氏といえば、総一郎氏の孫世代になるのか、
昭和初期に三井家の令嬢と婚礼を上げ、その雛人形の展示が思い浮かびます。
 婚礼写真の浅野家の御曹司は大変美男子でした。

 この歴史博物館の常設展示も来る度に観ていますが、
豪華客船が就航していた時代のポスターや美しいパンフは何度観ても楽しい…
でも氷川丸以外のすべての船が沈んだ事実にはいつも胸が痛みました。

 横浜絹回廊(海港資料館・シルクセンター、県立歴史博物館)を
巡るのもいいのですが、時間の関係で、県立でなく郵船を、
優先したのは、ここで売っている
氷川丸ドライカレーが娘の大好物だったせいです。

 もちろん、買って帰り、食べながらやっぱり
懐かしい“横浜キャッツ”の話をしていました。

東玉・人形の博物館

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 以前から行ってみたかった「人形の博物館」。
久しぶりの東武野田線改め「アーバンパークライン」に乗って、
岩槻駅の真ん前が、東玉本店。

 静かな館内に入ると、大きな「亨保雛」がある部屋が目を惹きます。
まずその前にあるVTR画面に見入りました。
そして、雛人形の製作工程は大変興味深かった。

 岩槻で人形作りが盛んなのは、桐の木が多いことと
“よい水”が流れていたこととは、知りませんでした。
お隣の春日部は桐箪笥の産地です。桐の木の粉には脂(やに)がないことが、
人形に適していると伺いました。

 人形に衣裳を着せる行程=十二単を幾重にも張り合わせて襞を作っていき、
最後に腕を曲げることは「振り付け」というのですが、とても難しいということです。

 木目込人形作りでは、桐を固めて形を作り、溝を彫り込んで
その中に衣裳の布を入れる、繊細な作業も観ることができました。

 展示されていたのは、30対あまりのお内裏様と、節句の道具や、
片岡光春、野村嘉光、鈴木賢一、吉田博、石川潤平氏らの作品。

 一番多かったのは古今雛、ほかに芥子雛もあり、時代ごとの
お顔の移り変わりも感じることができました。

 展示室にあった資料ももらってきましたが、お内裏様の飾り方が
向かって右が女雛になったのは、昭和3年の昭和天皇即位式の時の
立ち位置からということです。
 以前は向かって右が男雛でしたし、京都は今もこちらが主流で、
東京では逆になっているようです。

※記事と写真は関係ありませんシリーズ(!?)青空に映える薄紅色のハナミズキ。
 せっかく撮った「コバトン」雛が携帯に保存されていなかった失敗によります。

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 「生糸」の展示(横浜開港資料館)の次は「絹織物」へ。
すぐお向いの博物館同士、2館目割引もあって、早速行ってみました。

 輸出品として人気を誇った「横浜シルク」のスカーフたち。
戦前の生糸輸出時代は、日本で手工芸を施して
アメリカで販売されていたものもありました。

 映画「華麗なるギャツビー」を思い出す、ビーズやスパンコールも華やかなもの。
細かい細工、今でも縁は手作業でかがるという丁寧な仕事。
溜息を誘うような美しさです。
 小さなヴァイオリンのチャームがついた「シンフォニー社」製品です。

 戦後の横浜でデザインされたスカーフはシックでモダン、地模様やドロンワーク、
クレープや縮緬など表面の加工と、多様な製品が作られていました。

 正方形以外にも三角形、長方形や、頭に被せる部分が立体成型というものもあり、
当時のお洒落な女性たちの必須アイテムだったことが偲ばれました。

 綺麗な発色のこれらのスカーフは、衆議院贈呈用、北海道洞爺湖サミットの
首脳贈呈品にも使われています。

 デザインコンテスト入賞作品の部屋では“サリーの試着”もできました。
思い切って鮮やかなピンクのサリーを着せてもらって、シルクの手触りと、
意外に軽い着心地も体験できた(でも動きにくいかな?)
楽しい時間となりました。

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