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まず第1室は時代を追ってマリー・アントワネットが着ていたような ローブ・ア・ラ・フランセーズから。 ウエストの編み上げたような“パネル状の三角形”の布は取り外せるようになっていて、 その名も「ストマッカー」。確か“胃”はストマック…そのあたりの着用するということでしょう。 エンパイアスタイル、ロマンティックスタイル、クリノリンを経て 大好きなバッスルスタイルもつぶさに眺めました。 そしてこの日一番気に入ったS字スタイル(1910年頃)のドレスは、 アイボリー地に菊の花と唐草模様の黒いレース地が重なり、裾を長めに引いたもの。 東洋趣味を反映した美しいレースにうっとり…でした。 新しいものでは1970年代のサイケ調のプリントまで網羅されていました。 第2室は1850年頃〜1950年までの“ウェディングドレス”が15着! どれもみんな素敵で、シルエットや素材に程よく流行が取り入れられていることにも感心しました。 なかでもアールヌーボー時代の蝶の形にビーズ刺繍が施されているドレスは豪華。 色はアイボリーが中心で、オレンジがかったものもあり、純白のイメージは 全くなかったのが意外でした。 いつの時代も婚礼衣裳は女性の夢であり、女性を最も美しく見せるものなのでしょう。
この部屋には花嫁の幸せが溢れ、おすそわけを貰えた気がしました。 |
博物館
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日本最初のあんパンを作った新宿中村屋創始者夫妻、中村愛蔵・相馬黒光は、 若い芸術家への支援を惜しまなかった。 そこに集うゆかりの作家たちの作品を集めた展示と聞いて、新宿歴史博物館に観に行ってきました。 最初に目を奪ったのは荻原碌山「女」。面ざしが相馬黒光に似ていると言われていますが、 黒光自身もそれを認めていたという説明がありました。 他にも、ここには盲目のロシアの詩人エロシェンコ、インド独立運動にかかわったR・B・ボーズなど 多彩な人材が集まっていました。 そしてボーズは黒光の娘、俊子と結婚し、中村屋に“インドカレー”を伝えます。 俊子と母の黒光がサリーを着ている写真を見たことがありますが、 その時纏っていたビーズやフリンジのついた美しいサリー(布)も展示されていました。 高村光太郎、会津八一、中村不折(書道家)などの作品も見応えがありましたが、 不折の書いた文字が現在も『中村屋』のロゴとして使用されていることは初めて知りました。 ※この展示を見たのは、先月ですが、記憶があるうちにと記しておきました。
しかし、この度の災害の大きさを思うと、しばらくは美術館などに行く気分になれません。 被災地の復興を願いつつ、今日は自転車で出勤です。 |
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通りすがりに見つけたこの「歴史資料室」、大好きなこの建物に入れるだけでも嬉しいのに、 |
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古い写真が大好きな私としては、この展覧会は興味をそそられるものでしたが、 終了前日、ようやく観に行くことができました。 横山松三郎は1838(天保9)年、択捉島で生まれ、幼少期に箱館(函館)に移り住み、 絵画や写真に興味を持ち、横浜の下岡蓮杖に弟子入りして腕を磨き、写真館を開業したのが、 1868(慶応4)年。 当時はコロディオン湿技法(ガラスに乳化剤を塗布し、乾かないうちに撮影、現像を行う) という、大がかりな設備を必要とする技法だったため、江戸城の撮影や 日光への撮影遠征も、とても大変だったと推察されます。 太政官・蜷川式胤の命により、江戸城の撮影を1871(明治4)年に行い、 今も残る当時のネガは重要文化財となっています。同じころ、正倉院宝物の 写真を撮りに赴いていますが、ライトがない当時、照度が足りないと、 宝物は明るい屋外で撮影されていました。 横山松三郎は青写真と呼ばれるサイアノタイプ、ゴム印画、カーボン印画など技法を探求、 写真に油彩で色を付けた「写真油絵」も試み、油絵やスケッチにも高い技量を見せていました。 写真家という枠を飛び越えた“マルチ・メディア・アーティスト”と言えると思います。 多彩な展示物は一回見終えても見足りなくて、もう一周してしまった程でした。 「江戸東京博物館」の最寄りは両国駅、下車したら目の前に三重塔の上部が見えました。 ここは「東京都慰霊堂」。3月10は東京大空襲があった日でもあり(昨年の記事)、 思わず瞑目してしまいました(訪れたのは3/5)。 関東大震災と戦災で犠牲になった御霊が、安らかに眠られますように。 ※図録の表紙の横山松三郎。娘は「ムーチョに似ている!」と…。
劇団四季の武藤寛さん、確かに他の写真でも、結構にています。 「キャッツ」で3つの役を演じ、器械体操選手で音大ピアノ科出身って、 確かに武藤さんもマルチな才能…と納得したのでした。 |
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先日、ル・コルビュジエの特別展示を見た横浜の“日本郵船歴史博物館”。 ここは常設展示も大変充実したもので、映像説明も各コーナーにあって、 2度行ったのに、まだ全部見られていないくらい。 そして、今回印象に残ったのは「三姉妹」のお話でした。 船は“女性”として認識されるようですが、日本郵船は戦前の1940(昭和15)年、 17,000トン級の新造欧州航路用客船3隻に、この会社の社名N.Y.Kのイニシャルを取って、 「新田丸」「八幡丸」「春日丸」と名付け、 美しい三姉妹を描いた小磯良平画伯のポスターも制作されました。 最初に完成した「新田丸」は贅を尽くした美しい内装の記録が残っていますが、 新田丸をはじめ、この三姉妹の客船は、戦争が始まると空母に改装されて、 新田丸=冲鷹、八幡丸=雲鷹、春日丸=大鷹とそれぞれ名前を変えました。 そして…太平洋戦争が終わるまでに、3隻とも南の海に沈められたということです。 もとは客船だったため、鉄板の厚みなどが足らなかったせいもあるのでしょう。 たおやかなイメージの豪華客船の客室は、完成後いくらもたたずに破壊・改装、 すべては戦争のために…なんと悲しい時代だったのかと、胸が痛みました。 今度生まれてくる時は、青春を謳歌してほしい…と、 我が家の三姉妹にダブらせつつ、心に残る展示になりました。 ※列柱が美しいこの博物館は、和田順顕建築事務所設計により
1936(昭和11)年に建てられた「日本郵船横浜支店」の建物です。 |





