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 この春、横浜は「シルク回廊」と題していくつか絹関係の展示が展開しています。
折しも「富岡製糸場」の世界遺産登録の話題もあって、
シルク=生糸に関心が集まっているのでしょうか。

 横浜開港資料館は、1982年の開館当時に訪れて以来、大好きな場所。
横浜で「キャッツ」が上演されていた頃はよく足を運んだものです。
 今回はちょっとだけ久しぶり。中庭の“たまくすの木”に
「ただいま」と語りかけつつ、企画展示へ。

 明治初頭は、日本の生糸の輸出はほほすべて横浜から…
確かに「生糸検査場」とか、シルクセンター等があり、縁が深い街でした。

 明治初期の生糸商店に原善三郎(児玉郡渡瀬出身)、渋沢喜作(深谷血洗島出身)の
名を見つけ、渋沢栄一の影響を感じて、なんとなく嬉しくなりました。

 製糸は富岡のような蒸気を動力にしたものは実は主力ではなく、
川に水車を設置したり、人力もかなり後の時代まで使われていました。

 輸出生糸についた“商標ラベル”もとっても美しく、
繊細なジャポニスムの香りです。

 業界は組合や会社などざっと展示をみただけではなかなか全容が
頭に入らなかったのですが、時代が下がると片倉製糸が巨大企業となります。

 あのショッピングセンターも、そういえば片倉の跡地だったんだ…
そんな身近な感じもしました。

 展示されていた枷(かせ)になった生糸の美しい光沢に目を奪われました。
蚕の品種改良、桑の葉もメンデルの法則を使って改良と、
工夫を重ねて、高品質を追求したようです。

 展示の題名「蚕(かいこ)の化せし金貨なり」とは、
明治後期の製糸工場で歌われていた唱歌の一節です。

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 チラシの「美しいドレス」に惹かれ、神宮の森にやってきました。

 展示替えがあったので、私は緑とベージュのドレスを観ることができたのですが、
この赤いドレスは、確か「文化学院服飾博物館」の展示で観ています。

 贅を尽くした刺繍、ビーズもちりばめられて…緑のドレスは
袖口に繊細なレースがあしらわれています。
 そしていつも思いますが、明治の皇后様は華奢…こんな細い体で
精力的に公務をこなされていたのですね。

 さらにこの裾の長い「大礼服」(マントー・ド・クール)着用時には、
「御裳拝持者」という係があったそうです。トレーンの裾を捧げ持つ少年です。

 学習院中等科在籍の成績優秀な13〜15歳の男子生徒が12名、
写真で見ると白いボンボンがついた制服姿が、凛々しくかわいい。

 展示は他に桧扇、水晶の玉、刺繍の和服、儀式の衣(小袿=こうちぎ)、
絵画は、神宮絵画館にある作品に似た構図のものや、富岡製糸場行啓風景もありました。
 描いたのは当代一流の画家たち。

 同じように螺鈿細工や蒔絵、象牙の彫刻等、最高の工芸品ばかりでした。

 明治の頃は雲の上の存在だった皇后陛下(昭憲皇太后)のドレスを
こんなに間近で観られる…時代は変わったと思わずにはいられませんでした。

 展示は5月28日までです。

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 東京宝塚劇場開場80周年と宝塚歌劇100周年記念特別展。
もったいないことに、私は生の宝塚歌劇を未だに観たことがありません。
でも、この展示は本当に楽しめました。

 東京に常打ちの劇場が誕生したのは1934(昭和9)年。
当時の写真や1940年代からのトップスターの写真や雑誌の表紙、
プログラムもたくさん。

 なにより嬉しかったのは豪華な衣装も展示されていたことでした。
1997年「ザッツ・レビュー」関谷敏明デザインは、男役の衣装が
全身ゴールドのスパンコール、肩から大きな刺繍が施されています。

 もう一組は2001年こけら落とし公演「愛のソナタ」有村淳デザイン。
白にゴールドのブレードが豪奢にあしらわれた男役、ピンクのかわいい娘役は、
それぞれ真琴つばさ、壇れいさんが着たもののようです。

 繊細な細工、数え切れないほどのラインストーンやビーズ、
フリルにレースに…夢のようなドレスでした。

 退団後に大女優に=芦原邦子、乙羽信子、寿美花代、越路吹雪…
劇団時代の舞台は観ていなくても、顔がすぐにわかる方ばかりでした。

 80年前に小林一三が開場の挨拶に用いた言葉=
「宝塚こそ大衆芸術の陣営、家庭共楽の殿堂、日本一宏壮美麗なるこの劇場こそ、
国民劇創生の揺籃地として高尚なるアミューヅメントの楽園…以下略」
 80年たっても古く感じないところがさすがです。

 やっぱり宝塚の舞台も見なくちゃ!と、最近はときどき思うのですが…。
嵌ったらこれ以上の出費になりそうで、二の足を踏んでいます。

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 副題は「渋沢栄一と帝国ホテル」。そして「知られざるライト館以前の物語」。

 1890年に開業した帝国ホテル。
 開業当初から渋沢栄一が取締役を退く1909年までをクローズアップした展示は
期待通り「古い建物の写真」がたくさんあって、嬉しくなります。

 あの現在は明治村に一部が保存されている「ライト館」は、1923年の竣工。
それ以前の開業当初の建物は壮麗な雰囲気でしたが、
年代を経て手狭になったり、挙句火災に遭ったり。

 新しい「帝国ホテル」は誰に設計を依頼するのか?
 そのとき、経営手腕を買われて取締役になっていた林愛作=彼はニューヨークの
古美術商「ヤマナカ商会」と繋がりがあり、その縁がF・L・ライトの設計へと続く。
 読みながらなるほど!と感心しました。

 古い写真に写る人々から「帝国ホテル」での晩餐会や祝賀会を
晴れやかな表情で楽しむ様子が伺えます。
(チラシは東京逓信管理局員招待慰労会・1912年)
 渋沢栄一も、個人としては晩年まで接待や家族の結婚式に、
頻繁に利用していたようでした。

 私は、宿泊や食事をすることはないまま、日生劇場や
シアタークリエに行くついでに、立ち寄ってアーケードを眺めたりする
「帝国ホテル」。

 “ちゃんと利用する機会”も、いつかあると良いなあ…と、思っています。

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 今まで何度か演劇博物館に足を運んだ際には見ることができなかった
「中村歌右衛門展」。10年をかけて行ってきたシリーズの、最終回。
 副題は「花と夢をわすれぬこと」

 歌舞伎・女形といえば板東玉三郎さんしか知らないほどの素人の私でも、
この方の舞台写真からは息をのむほどの美しさと気品が感じられました。

 若い頃、年を重ねてから、それぞれに「華」がある方…
パネル写真を見て、生で見たらさぞかし、と思いを巡らせました。

 豪華な刺繍が施された美しい衣裳も見ることができました。
役者さんを生で見ることができるのは一瞬の巡り合わせ。
 観たいと思ったら「同時代に生きている偶然」を逃さないで
躊躇なく見に行こうと思いました。

 ほかには「今日もコロッケ明日もコロッケ」という
益田太郎冠者(ますだたろうかじゃ)の展示もありました。
彼は大正時代の喜劇作者。
 この歌は、その後「浅草オペラ」で流行ったようで、私の両親も
よく口ずさんでいました。

 この日は、高田馬場駅で、エクステンションセンターへ行く途中という
勉強家の元同僚とばったり会ってびっくり。お互いの近況報告をしつつ、
いい刺激を受けました。

 感想だけ書いて放置していまい、展示は4月25日で終了、失礼しました。
「益田太郎冠者」のほうは、8月まで続きます。


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