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 〜明治から昭和へ〜の副題の通り、日本髪の櫛やお歯黒から、
昭和に入って初歩的な洗濯機、洋風メイクの指南まで…
御洒落と生活、両方の資料が楽しめました.

 日本髪の種類や使用される多彩な「櫛」。目の細かいもの、荒いもの等、
用途別にたくさん。
多種多様な「簪(かんざし)」「笄(こうがい)」も展示されていました。

 化粧品とその広告の変遷、会場真ん中には仕立てた着物や襦袢。
いろいろな下駄。母が見たら懐かしくて感激しそうです。

 生活用品も、初めて見た「洗い張り」の実物。
ブラシで擦って板に張り付けたり、針でピンと張って仕上げたり※。
膨大な手間がかかっていた…本当に大変。

 ※母が「今は“しんしばり”=“伸子張り”をしなくなったからいいわね〜」と、
口癖のようにいたのは、これだったのかと…実物は説得力がありました。
幼い頃は「“紳士針”ってなんだろう?」と不思議に思っていたことを思い出します。

 さらに「強国靴下再生機」という不思議な商品もありました。
靴の中敷きのような形の厚紙で、穴が開いた靴下の底の部分を別布で修理して履く
=子ども用はサイズに合うように、型紙が伸縮できるようになっています。
  穴があいたり擦り切れたりしても、せっせと修理をして使い続けたのでしょう。

 この特別展の他、常設展示の「昔の暮らしの家」も覗いてきました。
 
 NHK朝のTV小説「ごちそうさん」で、昭和レトロがブームらしいのですが、
この日も若い人が何人も訪れていました。
 丸いちゃぶ台、柱時計のカチカチという音…
おばあちゃんの家を思い出しました。

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 先日、「建物探訪」で訪れた東京大学本郷キャンパス。
そこで見かけたのが、この博物館でした。

 “古い建物の写真が見られそう”と、シアターオーブに行く前に、
早速足を運んでみました。
 
 常設展示は東大医学部の前身「お玉が池診療所」から始まり、
ここ出身の学者さんの功績、初期の外人教授たち、当時の医学用具など。

 そして企画展が、“155年”です。期待通り写真がいっぱい。
 創設当初の「東京医学学校本館」は移築されて現存しています。
関東大震災で崩れかかった煉瓦造りの校舎の写真はリアル。
 分院、看護婦養成所、実習中の様子、医学部卒業アルバムは
表紙が岡田三郎助のデザイン等、なかなか見応えがありました。

 他に戦後の復旧、学生運動など、155年を一気に駆け巡った気分です。

 ここに行く途中、ベルツ博士の胸像がありましたが、
俳人:水原秋櫻子の“句碑”(写真)もあり、
先日文学館で「特別展」を観たばかりだったので、なぜ?と思ったら、
秋櫻子は「東大医学部出身」でした。
 他に東大医学部出身の文学者は森鴎外、斎藤茂吉、
安部公房、木下杢太郎など、錚々たるメンバーです。

 本郷キャンパス内には、スタバ、タリーズ、ドトールなど、
カフェもいろいろあり、一息入れてから、渋谷へ。
 「船に乗れ!」初日のことでした。

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 副題が「日本近代音楽の150年」。
序章は、江戸後期から始まります。
日本初の楽隊や、初代「君が代」は今の旋律ではないとか、
以前“警察博物館”で見たものと同じで、懐かしかった。
 最初の「君が代」は、賛美歌のような雰囲気です。

 明治に入り「唱歌」の普及、滝廉太郎
日本初のオーケストラを作った山田耕筰、以前世田谷文学館で見た、
萩原朔太郎のマンドリンや、自作の楽譜。
 
 大正時代の竹久夢二装丁のセノオ楽譜(弥生美術館)、
浅草オペラ(民音音楽博物館)なども
音楽に関するものの展示は、
あちこちで見たものとの“再会”となりました。

 もちろん初見のR・シュトラウスの「紀元二千六百年」の楽譜や、
武満徹らの直筆の譜面など…。

 音源も幾つか聴けるようになっていて、娘がミュージカルを見ている間に
慌ただしく行ってしまったのが、少し惜しかった…。

 多くの資料は現在、「明治学院大学付属日本近代音楽館」所蔵ですが、
元は音楽評論家・遠山一行氏所蔵「遠山音楽財団」ということ。
あの「遠山記念館」とも深いかかわりがあると知り、嬉しくなりました。

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 文京区立鷗外記念館を1年ぶりに訪れました。
『鷗外記念本郷図書館』だった約四半世紀前にも来ましたが、
鷗外は気になる作家です。

 高校時代の「舞姫」の印象強かったからでしょうか。
(1989年に郷ひろみ主演の映画にもなりました)。

 今回は、画家原田直次郎とベルリンで知り合い、交流を続け、
帰国後の原田の作品への批判に、真っ向から援護したり、
早世した原田の遺作展を開き、作品集を編纂するなど、
彼への“熱い友情のしるし”の数々を見ることができました。

 原田直次郎の代表作「騎龍観音」は国指定の重要文化財。
東京国立近代美術館の常設展示で、行くたびに見上げていました。

 東京美術学校の本流とは少し離れ、自力で留学をして
洋画を学んだ彼のこの絵は、酷評されたようですが、
それを弁護したのが、当時もう有名人だった鷗外だったという事です。

  貴重な原田直次郎の作品も数点見られて、まさに文学と美術の
“交響”を味わいました。

 そしてまた「モリキネカフェ」に立ち寄り、“文のいやし”という、
きな粉を使ったクッキーをいただいてきました。

※鷗外はこの千駄木に住む前に、もう少し根津神社寄りに居を構え、
 それは夏目漱石も住んでいたことがある家で、
 今は“博物館・明治村”に「猫の家」として移築されています。
  写真は、先日その家の縁側から撮った、庭園です。

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 「その1」からの続きです。
 展示第二章「日本と日本人」後半は…
5“あそぶ”=虫籠、かるた、双六
6“いのる”=巡り地蔵、おみくじ、お守り、数珠
7“あきない”=看板いろいろ、店舗模型(精巧なもの)
8“なりわい”=漆塗り見本箱、げんのう、カンナ、ちょうな、鋏、ろくろ等

 第三章「モースをめぐる人々」。モースは日本の焼き物もたくさんコレクションしていましたが
彼に観方を教えたのが、蜷川式胤でした。この名前…以前ここで観た
別の展示(横山松三郎)でも、重要な役割を果たしていました。

 そして、会場のあちこちにちりばめられているモースの言葉は
本当にこころに響くものばかり…

「日本人の清潔さは驚く程である。家は清潔で木の床は磨きこまれ周囲は奇麗に掃き清められている」

「私は世界じゅうに日本ほど赤坊のために尽す国はなく、また日本の赤坊ほどよい赤坊は世界中にないと確信する」

「人々が正直である国にいることは、実に気持ちがよい」

「(外国人が)道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生れながらに持っているらしい」

 明治の日本人の様子を好意的にとらえたモースだからこそ、生活用品を
大切に持ち帰って保存してくれたのでしょう。当時の庶民と、モースさんに
感謝します。

 貧しくても世界中で一番幸せな赤ん坊だった明治の子どもたち。
今は?ちょっと考えてしまいました。

 国宝や重要文化財、有名な美術品の鑑賞もいいですが、見ながら
いろいろ思い出したり考えたりする“資料展示”も、とても心に残るな…と
生活用品を眺めながら、今も昔も変わらない「心」について想いを巡らせていました。

 解説をしていただいた江戸東京博物館副館長鈴木淳一氏の、
「心」を伝えたいという気持ちがひしひしと伝わってくる、
とても楽しいブロガー内覧会でした。

*会場内の写真は許可をいただいて撮影したものです。


江戸東京博物館開館20周年特別展
「明治のこころ」モースが見た庶民のくらし
9月14日〜12月8日まで。

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