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 この展示の入口には、明治の子どもたちの写真があり、
大きく引き伸ばした写真の前に立つと、自分も130年前のみんなと
笑っているような気分に浸れて、とっても幸せな気分になります。
 その気分のまま「明治のこころ」ブロガー内覧会に参加させていただきました。

 モースと言えば、大森貝塚の発見=理科の学者さんのイメージですが、
お雇い外人としての滞在中、日本の庶民の暮らしに関心を持ち、
日用品を持ち帰り、大切に保管していたのでした。

 庶民の日用品は、日本では消耗して捨てられて残っていないのに、
モースは“博物館のコレクション”として残してくれたために、
今回の展示物は保存状態が良くて驚きます。

 展示は第一章「モースという人」〜貝塚の発掘で出土した土器などをまず紹介し、
第二章「日本と日本人」は、8つのセクションに分けてありました。

 1“よそおう”=下駄、着物、簪や櫛、扇や団扇、手拭、眼鏡、煙草入れ、草履など。
130年前の泥がついたままの、すり減った下駄…どんな人が履いていたのでしょう。

 2“たべる”=台所道具たち(包丁、杓子、まな板、すりこ木、たわし、ささら、
焼き網、茶漉し、片手鍋、)、皿、急須、などと、食品。
 なんと130年前のままの海苔、鰹節、砂糖菓子、落雁、蝗…学芸員さんによれば、
海苔はまだ、ほんのり磯の香りがしたということです。

 3“すまい”=はたき、箒、“手あぶり火鉢”はうさぎやたぬきのかたちでかわいい。
そして雑巾。刺し子のように太めの糸で丁寧に縫ってありました。
 普通、雑巾なんて大事に取っておかないものだから、とっても珍しい。

 そして4“こども”=子どもの笑顔はいつの時代も明るい気分にさせてくれます。

明日へ続く。

江戸東京博物館開館20周年特別展「明治のこころ」モースが見た庶民のくらし
9月14日〜12月8日まで。

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 雑誌「装苑」が創設した「装苑賞」の作品80体余りの
“実物”がずらりと並ぶ展示室は、圧巻!
1つ1つ楽しく観ていきました。

 賞が創設された1957年頃は、受賞作品もそのまま街で着られそうな、
今よりはずっとシンプルなものでした。
大きなボタンとか、切り替えは個性的ですが、
どこかの博覧会のパビリオンのお姉さん、という印象。

 素材も厚手で折り目は粗いものが目につきましたが、
ほどなく変化が始まり、色は鮮やかに、素材は変化して、薄くなったり、
布以外のものが登場したり…。

 受賞者には、若き日の小篠順子(7回)、高田賢三(8回)、
やまもと寛斎(21回)山本耀司(25回)らの名もありました。
 異素材を使った物の中には劣化で展示できないというものもあったりして…。
 
 これ、どうやって作ったの?という奇想天外な作品もありますが、
最近は少しまた“服らしいもの”に回帰しているようにも見えました。

 デザイナーさんたちはイマジネーションを駆使して
素材とデザインを編み出し、それを縫製する…
奮闘の跡が感じられるような服たちばかりで、
とっても楽しく観てきました。

 これらは2階の展示室で、1階は雑誌「装苑」のバックナンバーの表紙が
全部並んでいる、充実した展覧会でした。

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 雑誌「装苑」の創刊は1936年。当時のイラストの表紙は有名な画家が
手がけた時もあったようで、上品な印象です。
 内容は流行ファッションの紹介と、服を自作するための型紙の製図。
 戦時色が濃くなると、パリモードの紹介も「あちらの流行」のように、
表現が微妙になってきました。

 戦後は子ども服を作れる別冊も盛んに登場し、通勤着や
ウエディングドレスなども、自作するための型紙を紹介しています。
 表紙は女優さんたちが美を競っている様相…みなさん美しかった。

 1960年代後半になると、よりファッショナブルに…通勤や儀式ではなく、
カジュアルで御洒落な服=流行の先端を行く感じ…。
専属モデルとして星野知子、鷲尾いさ子さんたちが表紙を飾っていたのが
70年代後半〜80年代でした。

 80年頃は付録として「実物大型紙」が必須だったようですが、
時は流れ、手作り中心から、最近は海外も含め、
流行の最先端と、こだわりのファッションの特集。

 かなり大雑把に振り返りましたが、昭和20年代の
「街角ファッションチェック」のなかなか辛辣なコメント、
お洒落な男性として紹介された、若い桑田圭祐さんやビートたけしさん、
どれも面白く、かなり時間を割いて展示をつぶさに読みました。

 私も一時期、型紙を使って服を自作していたので、
こうした雑誌には助けられました。

 主に使っていたのは“ジャノメフィットパターン”という商品で、
『装苑』は買いませんでした=サイズがないためでに。
 雑誌はせいぜいSMLの三種類、特大サイズの私は、
悲しいことに使えませんでした。

 でも、手作りは楽しかった…退職したら孫の服や小物を縫えたらいいな…と
随分先のことを考えています。

平和祈念展示資料館

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 「李香蘭」の初日に、四季劇場「秋」にパンフが置かれていたので、
初めて足を運んでみました。

 新宿の高層ビル48階…しかし展示室は出征、外地からの引き上げ、
シベリア抑留など、淡々と展示されている物を見ているだけで、
どんどん気持ちは重くなっていきました。

 比較的綺麗に残っている帽子や衣服…しかしこんな薄いものが防寒用?
縫製も荒く、物資が乏しいことが分かります。

 展示資料の日記や遺書、召集令状や家族写真、千人針、
抑留兵士が自作したスプーンやフォーク、1つ1つに命の重みが籠っています。

 劇団四季の“昭和の歴史三部作”「李香蘭」「異国の丘」「南十字星」は
OSTを聴き、プログラムを繰り返して読んだこともあり、
ここの展示と結びついて理解できた分、哀しみも深まった気がします。

 企画展「引揚げ漫画」には、ちばてつや、北見けんいち(釣りバカ日記)
森田拳次(まる出ダメ夫)、山内ジョージ、上田トシコさんほか9名の
漫画家さんたちの作品が並んでいました。

 子ども時代に経験したことを個性的なイラストで描いたものたちで、
銃口を向けられて驚いたことや、
真っ赤な夕陽の荒野を走る列車を眺め、
引き上げ船から見えた緑豊かな日本の美しさに感動した…など。

 亡父も、数年外地に居て戦後引き揚げて来た経験があり、
ほのぼのとしたタッチの絵であっても、状況の過酷さは想像できました。

 ここで“ある絵本”と出会ったのですが、その衝撃に
まだ「文章」にできなくて、後日改めて書く予定です。
 それを含め、思い切って行ってよかった、資料館でした。

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 展示の本当の題名は「被災者が語る関東大震災」です。
ただ“このフレーズ”がとにかく印象的で…。

 90年前の9月1日に大震災が起きてからの数日、
火災や余震が収まらない中、自らも被災しているのに、
公園で献身的に看護を行っていた女性がいました。

 1923年9月30日付「横浜貿易新報」で
〜懇切な応急手当てをなし、萬人に天使降臨の感あらしめた〜と紹介された
新井テイさん=現・日高帝さん。当時二十歳くらい。

 なんと100歳を超え、ご健在です。
柴田トヨさんにも似た「近影」も観ることができました。

 展示は、小学校教師であり画家の八木彩霞の証言や絵、
火災が起こる前の倒壊した家屋を記録した岡本三朗、
完成後たった10年で焼失した神奈川県庁と、その向かい側で全壊した
英国領事館(=今の開港資料館の場所)などの写真たち。

 当時中学生だった男子生徒が「来レ!大正十三年。」と、復興へ向けて
力強く書かれた日記も展示されていました。筆者の賢そうな男子は
後の國學院大学学長の佐藤謙三氏。

 昨日は午後2時からのコンサートのため、久しぶりに
横浜に行きましたが、奇しくも“震災から90年”となった
正午前には、少しだけ頭を垂れて、
亡くなった方々の冥福を祈りました。


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