涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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昭和20年(1945年)8月15日大日本帝国は、ポツダム宣言を受諾した。
8月16日アメリカ政府より、日本軍の正式降伏受理のために打ち合わせをする権限を
有する使者をマニラ(フィリピン)のマッカ−サ−連合国最高司令部のもとに出頭させよ
との通告が届いた。
誰でもが行くのが厭な役目である。
マニラ行きの使者の選定は、困難を極めた。
当初全権は、大本営(陸軍)参謀総長梅津大将が予定されたが頑なに本人が拒否し、
海軍側も豊田軍令部総長は、徹底抗戦派で拒否、大西軍令部次長は、15日割腹自決
(特攻の責任をとり切腹)。
結局 、陸軍大本営次長河辺虎四郎中将が自らかって出た。
全権の下の、打ち合せ実務者の選定も同様に困難であった。
細田大佐(大本営作戦課)が適任だったが河辺次長の命令にも服従せず拒否。
川辺次長は細田大佐の自決を直感したが後日杞憂と知る。
(川辺次長が任務を終え帰国しても生きていた。)

すったもんだの挙げ句、陸海軍共に逃げあいながらも使節団員、搭乗機(海軍一式陸攻)
2機,搭乗パイロットを8月18日迄に準備した。
普段、参謀肩章(モ−ル)で風を切って歩いていた参謀達がこの様な時に自己保身に
のみ走ったのは、元々軍人というよりも官僚的体質に染まっていたからであろう。
そしてこの官僚的な自己保身、組織保身は、戦後も大蔵省(銀行、証券不祥事、金融破綻)、
厚生省(水俣病、薬害エイズ)、防衛庁(汚職・情報漏洩)と何度もパターン化して
くりかえされている。


用意された一式陸上攻撃機2機は、2機ともすべて真白に塗装され日の丸も消され日の丸
のあった位置に緑十字をいれた。
これは、米軍に撃墜されない様に指定されたものだ。
ようやく決まった一行は、
陸軍 全権 大本営参謀次長 川辺中将
随員 大本営参謀本部作戦課長 天野少将
同欧米課長 山本大佐
同航空班長 松田中佐
陸軍省軍事課員 南中佐
同軍務課員 高倉中佐

海軍 軍令部出仕 横山少将

同作戦課長 大前大佐
軍務局三課長 吉田大佐
軍令部航空班長 寺井中佐
溝田嘱託
杉田書記官
外務省 調査局 岡崎局長
湯川書記官

これに陸軍から2名、海軍から1名の通訳要員が 加わって計17名となった。
この一行は、8月18日午後、首相官邸で東久邇宮首相より激励を受けて出発準備にとりかかった。
一行の中でただ一人飛行艇パイロット経験を持つ寺井中佐が飛行計画を立案1番機機長は寺井中佐の
たっての希望で海軍随一のベテラン操縦者須藤特務(予備)大尉に決まった。
須藤大尉は、水兵から身を起こし、昭和5年の単独飛行から約15年(飛行時間1万時間)の経験を誇り、開戦から幾多の空に戦い生き残ってきた古豪である。

須藤特務大尉は、責任の大きさを認識するとともに、普段威張っていた海兵学校上がりの飛行将校がまだ生き残ているのに何故、兵隊上がりの自分が指名されたのかと憤りを感じたことだろう。
( 海軍の場合、特務将校(兵・下士官上がりの将校)を一般(正規)将校に比べ軽視する風潮があった。)
しかし須藤大尉の人選は、この場合、正解だったこと事が後にわかる。

一行は8月19日朝7時、木更津飛行場を飛びたった。
途中抗戦派の厚木空(海軍)の戦闘機の待ち伏せに会わぬよう厚木の90海里圏外の東京湾南部を
低空で飛びぬけ正午待ち合わせ場所の鹿児島県佐多岬上空に到着し待機、間もなく米軍P38戦闘機
編隊が到着、お互い英語で無線送受信し、米軍機により誘導され米軍占領済みの沖縄伊江島飛行場に
着陸した。

(実は、この時1番機の主脚がモ−タ−故障で降りず須藤機長は、胴体着陸を決意したが
搭乗員の手動で何とか降し接地、主脚のブレ−キも効きが悪く滑走路の端でやっと止まった。)
一式陸攻2機と搭乗員を沖伊江家島に残し、使節団一行は、米軍大型輸送機に乗り換え
当日の夜マニラ空港に到着、そのまま米軍司令部内で日本進駐計画について協議に移った。
当時のマニラ市内は半年前のマニラ市民を巻き込んだ日本海軍陸戦隊と米軍との市街戦の
結果(マニラ大虐殺)、東京よりも荒廃していた。
米軍司令部は、日本降伏使節をなごやかにむかえたが、マニラ市民は、
日本側使節に罵詈雑言、小石、等投げつけたという。

マニラでの「降伏受理協議内容」は、

8月26日占領軍先遣隊が厚木に着陸、
28日にマッカ−サ−司令官が厚木到着、
30日に降伏文書調印というものだった。

川辺次長の一番の心配は、30日の降伏文書調印に天皇自身の調印が要求されるのではないか
という1点だったがこの件は、天皇・政府の代表および大本営の代表で十分とのこととなった。
2日に渉った協議を終えて20日午後1時沖縄に返った使節団は、いち早く任務を果たすため、
夕方にも拘わらず伊江島飛行場を離陸、日本本土を目指した。
この時、2番機は、故障が治らずすぐに飛び立てない。
1番機だけでもと主要随員だけを乗せる事にした。
帰途の途中、使節団の寺井中佐は寝ていたが、深夜0時ごろ(紀伊半島上空)須藤機長と
大久保偵察員が大声で言い争うのを聞きつけ操縦席に行くと、須藤機長より
「燃料が足らずとても木更津までもたない。」
との報告、慌てて地図を見るが適当な夜間着陸できる飛行場もみつからない。
幸い月明があり須藤機長の判断で天竜川河口に胴体着陸することになった。
須藤機長の操縦技術は確かで機体は、河口に没することなく、
水面を滑り陸岸に乗り上げ止まった。

このような時に慌てない超ベテラン機長を人選したことが幸いした。
須藤大尉は、パイロットの価値は、学歴、肩書きに関係ないことを証明もした。
燃料切れの真相は、不明のままだが、機体の老朽化で燃料漏れを起こしたのか、
米軍が飛行場で給油したときリットルとガロン(約4リットル)を勘違いしたのかであろう。
(酷だが飛行前に確認を怠った須藤機長はじめクルーの責任もあるのだが。。。)

無事に不時着した一行は、夜明けに陸軍のトラックを拾い浜松飛行場へ到着21日早朝、
空いた飛行機で帰京し首相官邸で閣僚一同に報告をすませた。
このあと川辺中将は、鈴木貫太郎首相にともなわれて参内し、天皇に任務達成を奏上した。
尚、日本の正式降伏文書の調印は、当初の予定より3日遅れて東京湾に浮かぶ米戦艦ミズ−リ号艦上で行われた。
日本側代表は、天皇・政府は外務大臣 重光葵(8月17日就任)、大本営代表は梅津総長が
渋々出席したが、梅津総長は、前日まで駄々をこねたという。

又海軍側は、豊田軍令部総長が職責を回避し辞退したが、余りにも無責任といえる。
戦時中、部下や現地部隊に対し無理難題を突きつけた陸海軍上層部は、相互に職責を回避して
無責任な逃げあいが陸海軍中枢の最後の幕切れとなった。

この使節がとんだ8月19日の飛行が海軍では、最後の公式飛行記録になっている。


    写真 上 伊江島に着陸した緑十字機(海軍一式陸上攻撃機)

    写真 中 伊江島のマニラ行き米軍機にのる使節

    写真 下 戦艦ミズーリ号上での降伏調印式 日本側は駄々をこねていた梅津大将 

閉じる コメント(6)

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天竜川河口に胴体着陸した一式陸攻の尾翼部分が、磐田市にある国指定文化財「旧見付学校」で展示されています。

2009/5/7(木) 午後 6:20 [ sera ] 返信する

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sera******* さん はじめまして
貴重なコメントありがとうございます。
尾翼は今でも白いのでしょうか気になります。

2009/5/8(金) 午前 8:02 naomoe3 返信する

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naomoeさんのブログを、目から鱗が落ちる思いで拝見させて頂きました。
見識の深さに感嘆させられます。
一式陸攻の機体は長い間風雨にさらされ子供たちの遊び場になっていたようです。
展示されている尾翼は縦1m、横30cm位、残念ながら骨組だけでかろうじて飛行機の部品と判別出来る程度です。
当時の目撃談が地元に伝わっています。
終戦当時の貴重な逸話ですので、naomoeさんの記事を参照させて頂いて、私のブログでも紹介できたらと考えています。

2009/5/8(金) 午後 6:55 [ sera ] 返信する

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sera******* さん
引き続きコメントありがとうございます。
塗装は剥げて外版が無くても貴重な歴史を物語る
展示品だと思います。
私はこの記事は秦郁彦氏の「8月15日の空 日本空軍の最後」で
知りました。
未だ文春文庫で残ってるかもしれません。
お読みいただければ参考になるかと思います。

2009/5/10(日) 午後 4:13 naomoe3 返信する

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一式陸攻 緑十字機の不時着の理由について
さらに一号機は先のブログでは燃料不足のため、天竜川川口に不時着したとなっているが、福真大尉の話では、海軍機の攻撃を回避したため燃料不足になったようだ。終戦後に味方機を攻撃した海軍機がどこの所属か不明であるが、可能性としては厚木航空隊が考えられる。 との記事が有ります。

http://hiroseorth.blogspot.jp/2013/09/blog-post_12.html

真偽については確認できませんが、参考までに。

2015/5/14(木) 午後 4:58 [ CEB5J827 ] 返信する

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CEB5J827さん
コメントブログの紹介ありがとうございます。

二番機の乗員や福真特務大尉の事は
知りませんでした。
夜間に厚木空の戦闘機と遭遇したり戦闘となる
可能性は少ないような気もいたしますが、ご本人
の発言となると気になりますね。

2015/5/15(金) 午前 0:30 naomoe3 返信する

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