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私は作家の大岡昇平を映画「事件」で知った。
私が32歳の頃本屋で大岡昇平の「レイテ戦記上・中・下巻」に気がついた。
私は余り長い本は好きではない。
大長編で読んだのはこのレイテ戦記を別にすれば京極夏彦の本くらいだ。
立ち読みすると大岡氏はインテリながら兵卒としてミンダナオ島に派遣され捕虜
となり生還した事がわかった。
その日私は休みでその本屋で2時間程引き込まれて立ち読みしたが100ページ
程呼んだ時、本屋の店員に注目されている事にきずき上巻を購入して帰った。
確か中・下巻は古本屋で買った気がする。
実家に保存していて2年に1回くらいのペースで読み返しているが今年6月に実家に
行くと甥が持って帰っていた。(甥は読んではないらしい)
又3巻買おうと思っている。
ブックオフで手に入れれば3巻で315円かもしれない。
ブックオフで買っても大岡氏の遺族に著作金が行かないのは申しわけ無く感じるが、、、。
この本は日本の戦争、戦記に興味のある方には是非一度読んでいただきたい。
レイテ島での日米の戦いを丁寧に執拗に調べ尽くして書いている。
著者は「戦争小説」としているが間違いなく戦史本である。
作家らしく推理小説「事件」の手法も用いており読み出すと飽きさせない。
1巻目は苦労して読んだが最後の3巻目の半ばまで読むと
「もうすぐ終わるのか?」と切なくなる。
特にレイテ島沖海戦の反転シーンや第一師団のリモン峠での戦いの表現方法は格調高く
叙事詩であり感動的である。
実際に第1師団は東京の部隊でレイテ上陸時1万以上いた兵員がレイテ撤退時は1000人
程度、終戦時には数百人にまで減少した。
私は東京の都市民が第一師団として召集され参戦し95−97%の兵士が戦死した
事実と戦後の東京都民の「反戦・反軍・平和」意識の異常な高まりは深く関係が
あろうと愚考する。
東京都民は元々江戸の町人が主でで彼らは幕末時、官軍が江戸攻めを企画したときも
「高みの見物」で自分たちは死なないと考えていた。
明治政府や軍部も東京都民が日露戦争で露骨にみせた「反軍思想」や「焼討事件」を恐れ
その後東京部隊は内地勤務や中国戦線でも比較的安定した地域での治安警備等の任務が
多かったのであるがせっぱ詰まった昭和19年秋ついに中国大陸からレイテ戦線へ第一
師団を抽出する事になったようである。
本題に戻るがそれら戦死者の鎮魂のためにかかれたのが本書の目的であるが本書は
現代も変わらない日本的組織の欠陥をむき出しにする。
もちろん米軍側指揮官や兵士の苦労についての記載も怠りは無い。
こういう本こそ文部科学省は大人用読書本の推薦書にしないといけない。
源義経のような伝説本よりよほどためになる。
著者自身が生前何かの雑誌対談で
「今後、新たな発掘資料で私のレイテ戦記を補完して欲しい」
という発言があったが他の作家も大岡氏の筆力との比較を恐れ、軍事知識、従軍体験も無く
レイテ戦記を超える比島関連の戦史本を世に送り出す事は今後も不可能に思えてくる。
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これは面白かったですね。一兵士の記録として本当に読み応えがありました。
2006/11/29(水) 午後 7:45
migさんも読まれましたか。 インテリながら一般兵士として従軍し、捕虜、戦後に公刊戦史で知った当時の軍上層部の呆れた感覚に立腹して 書いたようですね。 経歴は山本七兵氏に似てますね。
2006/11/30(木) 午前 7:39
燃える雨(追加情報:大岡昇平『レイテ戦記』より)
http://www.doblog.com/weblog/myblog/7844/2613694#2613694
naomoe3さん、現在戦闘継続中、参加してみませんか
2007/7/21(土) 午前 4:06 [ msx ]
msxさん紹介ありがとうございます。
「燃える雨」は読ませていただきます。
2007/7/21(土) 午前 7:52
で、どうでしょうレイテ戦記に資料価値はないんでしょうか?
敵司令部
http://obiekt.seesaa.net/category/909880-1.html
2007/7/21(土) 午前 11:16 [ msx ]
こんな話もあるんですね
『戦陣訓』の遠い記憶
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/vol12-3/nakahara.pdf
大岡にとって衝撃的であったと思われるのは,のちになって,このとき住民に射殺された兵
士,すなわち小塚元一等兵は,彼自身と「中隊は異なるが,昭和19 年3月から9月まで,同
じ東京の近衛連隊で教育され」,「同じ第一玉津丸で7月15 日マニラに着き,ほぼ同じ時期に,
ミンドロ島とルバング島の任地に着いた」という経歴の持ち主であったと判明したことである。
2007/7/21(土) 午前 11:38 [ msx ]
名無さん大岡氏自身は「戦争文学」としてますがに入念に調べられて書かれていると思います。「戦争文学」としたのは既に1960年代に戦史叢書の41巻で「レイテ決戦」が出版されていたので「戦史資料価値」は、戦史叢書に譲っています。(もちろん大岡氏も執筆時から戦史叢書が頼りです)大岡氏は1945年当時35.6歳で一般の召集兵より老けており海外事情にも長けたインテリでしたから戦陣訓の
影響は余り受けてないと思います。捕虜=即死刑の短絡的な判断はしてなかった思います。
中原先生は存じませんが、どうせなら大岡氏の生前に批判すべきだったのではないでしょうか。
2007/7/21(土) 午後 1:29
大岡氏と小塚一等兵を比較しても意味が無いように思えますし、戦後生まれの私達が片や「臆病」とか「勇敢」といっても如何なものでしょう。少なくとも戦後も戦争続行し島民も巻き込んだ小野田少尉や小塚一等兵よりあえなく捕虜となった大岡氏の方がフィリッピン島民からは怨まれてはいないでしょう。
中原先生の大岡氏への大人気ない嫉妬の原因は解りませんが(笑)
2007/7/21(土) 午後 1:51
>私は東京の都市民が第一師団として召集され参戦し>>95−97%の兵士が戦死した
>事実と戦後の東京都民の「反戦・反軍・平和」意識の>異常な高まりは深く関係が
>あろうと愚考する。
これは気づきませんでした。京都の第九連隊も
レイテで東京の連隊以上のことになっています。
また京都の連隊はビルマでも厳しいことになっています。
愛知の連隊(大隊規模の転出が多いですが)もフィリピン、ビルマ、サイパンでひどいことになっています。
意外に東北は第二師団や高階支隊となった第五連隊
以外は他の地域に比べてさほどにはという印象を
受けます。
というと大阪はどうなのかと言えば
なぜか正規の連隊以外はバラバラに編成地が外地の部隊に取られています。
陸軍では独立混成旅団や、独立・・・連隊/大隊ですね
。
何故か東北信越から徴集された部隊が相対的に
マシという状況になっています。
2017/2/20(月) 午前 5:31 [ 名無し ]
明治になり士族の多くが東京に集まりますし
地方にくらべると東京の庶民も学士様や先生
公務員のような学歴のある方が多かったですが
そのような方がレイテ等で大量戦死されその遺族
達にも暗い影を落とし戦後も反戦や共産党支持に
廻ったケースが多いように思いますね。
参謀本部や陸軍省も日中戦争頃までは東京や大阪の
部隊は苛酷な戦場には配置しないよう日露戦争の郷土別の士気や忍耐力も考慮してたかもしれませんが。
2017/2/21(火) 午前 7:21