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古代から装飾品は魔物(病気、天災、野生動物)から
身を守る事に始まり徐々に上位階級者が下位者に対し
「身分の差」を再確認させる為のアクセントであった。
日本でも縄文、弥生、〜飛鳥時代までは指輪、腕輪、耳輪、
首飾り等の装飾品が多用されており、事実、古墳遺跡や正倉院や
平安京等の資料で確認できる。
しかし、
平安時代になると日本の権力者から装飾品は消えていく。
何故、消えていったのだろうか?
金銀、宝石も装飾品から消えていく。
(この時期に武器では弓が大型化し日本刀に反り(そり)が目立つようになる)
当時の日本の権力者(皇族、貴族)達は色区分された「官衣」
だけで満足できたのだろうか?
装飾品無しでも「文字」「言葉(和歌)」「仏教知識」で
庶民や下位者に「差をつける」事ができたのだろうか?
南蛮人の来日した15世紀も日本では一部の戦国大名を除いて「光り物」に
憧れる事無く江戸時代に突入している。
日本で装飾品が復活したのは明治以後ではないだろうか?
現在若い男性の金属装飾品の身体装飾が増えていますが彼らなりに
他者との「差別化」をめざしているのでしょうか?
誰か教えてください?
尚、私には装飾品の指輪について疑問がある。
私は既婚だが指輪は持っていない。
(指輪には魔力がありそうだ?)
(婚約指輪、結婚指輪等私が所持した事は一度もない)
(結婚式の時、家内の分だけ渡した)
(断じて結婚後、独身の振りして指輪を外し無くしたわけでもない)
結婚式での指輪の交換も庶民が始めたのは戦後、
僅かここ5.60年の事だという。
しかし家内は今でも私をケチな男と確信しているでしょう。
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はじめまして。「気ままな奈良県民〜」さんのページからお邪魔しました。面白いブログですね☆そして装飾品の風習、この記事を読んで初めて気がつきました!私も知りたいです☆想像ですが、古代は装飾品て儀式的な意味がありましたが、そういった儀式的な信仰が減った平安になると、装飾品が身に付けられなくなったのでは?とも思います。
2007/1/10(水) 午後 7:53 [ wan*eri**2r ]
wanderringさん、そうですね奈良時代まではクマソ、渡来人(帰化人)、エビス、や対新羅、唐との外交や異文化人との外交に装飾品(光り物)が必要とされましたが平安時代に入り日本独自の国風文化となり儀式や儀礼に装飾品は必要で無くなったのかもしれませんね。ご意見ありがとうございました。
2007/1/10(水) 午後 9:04
神道を離れ、外来仏教が優れた坊さんとイッショに広まったからでしょう。‘シャッキン’つづきの公家さんが、商売や貿易に才を発揮する豪族から無心できなくなったからと、思っていますけれども、この類は御多分にもれず記録されないので、‘確かめる’のがムリです。丈司ユマ
2007/2/13(火) 午前 5:55 [ georgeyuma ]
georgeyuma のお考えに私も同意致します。平安時代になり貧乏貴族は武士に経済力でも凌駕され、それでも自分達を偉く見せるため、宝飾品を無くしたのかもしれませんね。実際に公家達の教養(和歌、言語能力)や占いで武人を何処まで「支配」したかが気になります。インドのバラモンみたいです。
2007/2/13(火) 午前 10:41
宝飾を欠かせない位階は、格式に依存する神道には絶対でも、仏教の前では無用です。文化なら、奈良の大仏さまや元禄をみるような‘ヒトビト’が立ち上げたものを除き、位階を表す宝飾は‘模倣’やその発展が多く、三種の神器どまりとなり、日本ジンを語るには寂しすぎます。莫大な‘シャッキン’に追われて軍ジンが神道を高々と担ぎ、戦死時の位階を靖国に飾ろうと、勲章が宝飾を氾濫させました。丈司ユマ
2007/2/14(水) 午前 1:44 [ georgeyuma ]
丈司ユマ さんの仰る国家神道と軍人たちによる勲章(宝飾品)の復活は非常に説得力を感じます。神道については明治の元勲達がシステムとして思いついたのでしょうが昭和の軍人さん達は自分達がカミガカリになり「神」がついているから「何処」と戦っても負けないと退行したのでしょうか。
2007/2/14(水) 午前 7:33
戦史関連の記事から、ふとこの記事にたどり着きました。
超亀レスですが、日本宝飾クラフト学院の露木宏氏の「日本装身具史」がおすすめです。
宝飾品が消えたとされる日本史の常識ですが、実はそうではなかったと論証しています。
2018/5/14(月) 午後 5:48 [ orooro ]
> orooroさん
コメントと書籍紹介ありがとうございます
紹介の書籍は先ず図書館で探してみますね。
2018/5/15(火) 午前 6:53