|
私の嫌いな人物でした瀬島龍三氏が亡くなりました。
95歳という長寿でした。
残念ながら本心で瀬島氏の御冥福を祈る気にはなりません。
太平洋戦争開始直前天皇に宛てられた米ルーズベルト大統領からの電報を隠匿したと
いう瀬島氏です。
それを通信課のT少佐の怠慢とあやふやに逃げていますが、何と瀬島氏ら大本営作戦課
参謀のみで隠匿し、首相の東條英樹まで東京裁判まで知らずにいた、、、
参謀本部作戦課では「開戦ありき」という考えで固まっており、アメリカとの開戦を決定したその時
(昭和16年9月)から、開戦を翻意をさせるような外電差し止めを決めていたのです。
太平世戦争はこのような自己組織に都合の悪い事は国民はおろか総理大臣や天皇にも
報告しないという体質を持つ組織(大本営)の頭脳集団が戦争指導を行っていたのです。
瀬島氏は昭和の生き証人で大本営の陸軍参謀(作戦課)時代
太平洋戦争で孤島に補給無で兵士をバラ撒いた無責任参謀の一人です。(事実)
台湾沖航空戦では「幻の大戦果」である海軍の虚報を信じレイテ決戦に
兵を動かし、堀少佐からの報告で「事実(戦果皆無)」を知りながらも
電文を破り捨てた「無責任参謀」です。(事実)
この情報握りつぶしの結果、ルソン島からレイテ島、沖縄から台湾へと兵力を
転用(移動)が裏目になり現地部隊は困難に陥りました。
昭和20年クーリエ(密使)としてソ連に出向き、敗戦時は関東軍の参謀として
満洲に赴任していましたが、秦大将とともに日本側から日本兵の「シベリア抑留」
に絡んでいたといわれます。
シベリア抑留者協会からの公開質問には何も答えていません。
ソ連のワシレフスキー元帥は降服後の瀬島について自著で
「すぐに屈服した弱い人間」と書いています。(推測、今後の究明が待たれる)
終戦後ソ連に抑留されますが赤軍(共産党)に軍人としての魂を売り渡し(赤化)日本軍の
秘密を喋り、労働する事なく楽な抑留生活をしています。
東京裁判でもソ連側証人として出廷、ソ連に有利、日本に不利な捏造証言を
行なっています。(他の証言者や資料から事実)
ソ連から帰還後は商社である伊藤忠に入社、戦後の韓国やインドネシアに対しての
戦後賠償(闇)ビジネスで伊藤忠を一流商社に押し上げます。
(事実と思われる、その後日本のODAの雛形となる)
自衛隊のF104J戦闘機導入に当たっては対抗馬のグラマン戦闘機を売込み旧軍人としての
コネをフルに発揮、兵器ビジネスにも伊藤忠を参入させますがロッキード・グラマン事件となり
防衛庁側は数人の自殺者まで出ています。(事実)
中曽根臨調でも国鉄解体などに無責任ブレーン(自称知恵袋)として参加していました。
(事実)
私はこのような無責任(戦前の自己を褒め称え、戦後反省無、戦後も日本を支配しようとした)
な人物が戦後も出世したり嘘の回想録を出して自己正当化しても社会で問題にならないのは
日本人全体の歴史の勉強不足に起因しているように思えてなりません。
瀬島氏は自著『幾山河―瀬島龍三回想録』でどうでもいいような自慢話はダラダラと
上記の問題点はさりげなくスルーし、果ては戦後も昭和天皇に褒められたとまで嘘を書いています。
天皇の侍従長だった入江氏からの伝聞として田中清玄氏が自伝で(1993年)
「先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った
将兵たちを咎めるわけにはいかない。しかし許しがたいのは、この戦争を計画し、
開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き日本の国家権力の
有力な立場にあって、指導的役割を果たし戦争責任の回避を行っている者である。
瀬島のような者がそれだ」と書き残していますが瀬島氏はこれも黙殺しています。
(戦後、昭和天皇が一番嫌っていた旧軍人が瀬島氏だったと私は思います)
瀬島氏は歴史の生き証人とうたっていますが「思い出したくない事」は書かないという
氏のスタンスが貫かれています。
氏は:::「俺達のような秀才が揃っていたのに戦争に負けたのは仕方ない、他の奴(馬鹿)
が作戦立てていたらもっとひどい負け方だったろう」:::的な印象の書きかたです。
私に言わせると昭和20年の敗戦は「これ以上の最悪は無い!」という惨敗でした。
自己反省が無いからこそ戦後も財界の知恵袋などと自称していたのでしょう。
鬼籍に入られたので瀬島氏自身の歴史証言は今後は不可能となりましたが
不遜な言い方かも知れませんが、瀬島氏がこの世からいなくなることで
新たな「証言」「資料」も出てくるのではと思っています。
瀬島氏に興味をもたれた方は自著の「幾山河―瀬島龍三回想録」と保坂正康氏の
「瀬島龍三 参謀の昭和史」を読み比べると面白いと思います。
幾山河は高い本ですが生前に瀬島氏がいろいろな団体に購入させていたベストセラー本ですので
今でもブックオフの書棚に下は100円から溢れているはずです。
|
おまつさん、戦前の昭和天皇は色々言われておりますが個人として最大限努力されたと思います。226事件での反乱部隊の鎮圧、戦争拡大への憂慮、対米戦の回避努力、終戦の決断と其々の局面での判断は間違って無かったと思います。 天皇は立憲君主国家の長として終戦の決断時
以外は自ら政治に口出しはしなかったように思えます。
2007/9/8(土) 午前 7:27
左近将監さんのようなご意見の方も多いですよね。私もそうかなと感じてはいるんですが・・・
ただまぁ、もうちっと後々の禍根に残さぬよう、具体的に発言してもらいたかった気がします。
でも、実際にあの立場であれだけ気を遣いながら等々を考えると、最大限の努力をされたって評価の方が適切かもしれません。
その辺り、右よりの方々は評価してないですよね。それもまた、日本の不思議かと思います。
2007/9/8(土) 午後 1:19
yuneです。確かに瀬島さんの事になるとnamoeさんは熱くなるかも知れませんね。瀬島さんは大本営の参謀として、多くの過ちをおかしソ連との終戦(密約)交渉の場に同席していたのは間違いないと推測します。また、東京裁判でソ連側から証人として出廷し、見返りを得たことも事実であると思います。
瀬島さんという人物はバランス感覚に秀で、戦中・戦後をうまくすり抜けましたが、戦中、大本営参謀といっても、当時の年齢は20代〜30代前半と若く、大局を決断できる立場にはなかったと私は思います。(情報を握り潰すことはアリと思いますが)
2007/9/9(日) 午前 7:12 [ kushinakayone ]
おまつさん、確かに昭和天皇のご自身の日記や記録が無いので(公表しない?)のでおつきのものがが「聞いた?」とか天皇が悲しんでいたとかの伝聞の伝聞のような文書しか残ってませんよね。 終戦時ほぼ完成していた長野県の松代大本営に天皇がもし幽閉されたなら日本の終戦も長引き更にひどい敗戦になったと思います。
2007/9/9(日) 午後 8:05
yoneさん、昭和の陸軍は下剋上の時代で満州事変も石原中佐らが出世の為に司令官を唆して外地クーデターを起こし、ノモンハンでは服部、辻佐官コンビで勝手にソ連と戦闘し対米戦もミスリードしました。昭和20年終戦クーデターも稲葉、竹下らの佐官クラスで阿南陸相を担いで天皇を殺し陸軍幕府を建設し戦争続行又は天皇の首を差し出し米国に再就職しようとしました。後世の私達が考えるより当時の
エリート参謀達は天皇、将軍から、下は国民、兵士まで馬鹿にして見下していた嫌いがあるように思えます。
2007/9/9(日) 午後 8:16
本当に国民のことを 考えていた人もいたんでしょうけど 軍のことばかり考えていた人間も沢山いたんでしょうね 辻もやっていたことはかなり変でしたね 源田もゼロ戦の装甲を薄くしたりもしていたようです やっぱり人間を大切にしない国は駄目ですね
2007/9/10(月) 午前 10:52 [ マロニエ ]
マロニエさん、軍と言うか己の所属する組織と自分の為にだけ頑張られたんでしょうね。どうも瀬島の歩く処、戦前、戦後も死者や犠牲者だらけという感じがするのですが、、、。
瀬島氏が自分が関わった多くの不透明な出来事をクリアーにする事は瀬島氏やご家族には不利でも多くの日本人にとり意義のあることだと思っていたのですが、、、。
2007/9/10(月) 午後 4:53
核心をつく議論、頼もしく、読みました。おおがいさんのトモダチ風に、瀬島龍三さんをプラモデル化します……。予算書の中に‘私’を埋没させ‘公’へ偽装し、残る合わない帳尻の因果は、攻撃防御の私的‘戦略’の中で裁き、予算書の中の‘最善’を喋らせれば、氏を置いて他にない、とするのが、氏の特技です。そのテクニックは名づけて、‘シャッキン予算書のドキュメンタリー’。タンタンと喋る特技で、その本領を発揮します。問題に関わる‘私’の出し入れが上手く‘公’と混合させて、聞かせますので、氏の尻尾を掴もうとしたヒトは、悉く失敗しています。氏の戦略の“目的”が、‘辻褄合わせ’にありますから、難局だろうと裏切りだろうと、内外を煙に巻き、見棄てる玉砕の策を選ぼうと、自由自在です。予算書の膨大な数に上る‘項目’が、数年続きのドキュメンタリーにされるので、‘項目’を相手に対抗するヒトはそのレベルで、ドキュメンタリー化しなければ歯が立ちません。となると、希少価値が輝きます。田中曽根康弘さんも民営化を、氏の‘辻褄合わせ’テクニックに、丸投しました……丈司ユマ
2007/9/19(水) 午前 9:17 [ georgeyuma ]
解説ありがとうございます。
瀬島氏にしてみれば公私混合ではなく公私融合で
日本のために≒<自分の為、、、、で挺身してきたのでしょうね。
私には瀬島氏がお咎めなしならA級戦犯で刑死した方も無罪だと思えます。 皆御自分と省益のため挺身した方々ですから。
2007/9/19(水) 午前 9:39
大本営と海軍軍令部参謀はそして戦後も生き残った
http://blogs.yahoo.co.jp/latecomer00/folder/937501.html
2009/8/14(金) 午後 10:29 [ 国立の風来坊 ]
私もこの方「不気味」な人だと思います……、公私混合ではなく公私融合……、この謎々の答えは、辻褄合わせの名手。
仔細に触れず、帳尻を大所高所をもって、語って聞かせ、多数に及ぶマネーや物資(軍艦や航空機も含む)の総ざらいを、得々と語り抜いて、量を利かせ納得させるので、疑問を挟む間もなく、首肯させます。TVで見せたトクトクと話すあの、煙に巻き、疑問無用の展開には、割ってはいるポイントを浮かばせません。
前に訊かれて、そう説明しました。しかし大本営の参謀といっても、軍令に相手にされず、傅かされた点を、‘認識’と‘事実’に加えれば、大物の下馬評に、惑わされることもないでしょう。反省会のもと軍令が明かしたように、コッカなど考えず、統帥権を独占した‘命令’権の実力行使に傾倒、海・陸軍省はじめその出向者大本営は、軍令の受命者にすぎませんでした。そうは語れないため、振る舞いや話術に、特有の癖が見出せます。
敗戦のショックが尾を引く間、不都合な話しに耳を塞ぎがちだった、→
2009/8/15(土) 午前 4:41 [ georgeyuma ]
→ その時におおはやりした、嘘書きの御礼によって、名誉が守られましたが、これも処刑を狡猾に免れ、その意味では知将でした。GHQとの取引に、軍事物資の詳しい情報を活用したのでしょうか。
このヒトも、敵失を見逃さずに突きまくる才に長けました。聞き手は一様に敵失の餌食にされないよに、ヒタすらに畏まり、聞き返しも、捕捉も求めず、二枚舌も封じられました。
こわもて、その秘訣は、岩倉具視さんのように執拗で抜かりのない、敵失を抑える冴えにあります。お気に召すまま、コメントは、まったく自由です……丈司ユマ
2009/8/15(土) 午前 4:44 [ georgeyuma ]
国立の風来坊 さん はじめまして
コメント登録ありがとうございました。
海軍体質は戦前戦後の新官僚にも当然受け継がれている
と思いますがNHKにも旧海軍と似た親方日の丸体質が
ありありで良く自分を棚上げしてここまでやるかとも
感じ入りました。
2009/8/17(月) 午後 9:50
敵失を抑える冴・・・なるほどと頷けます。
もしかすると日本という国は公地公民制の8世紀から
社会主義が胎動していたのかもしれません。
当時は中国の影響を受けた科挙(日本僧)を取り入れますが
次第に僧より武士が日本の官僚として比率が増えます。
中世近世は僧や武士が官僚的な役割もこなしますが
明治に入り日本的科挙が始まると軽輩な薩長を中心とした
元勲が幅を利かせ情実人事で身内に甘いものの旧藩の殿様を裏切り
藩主で中将以上に出世したのは加賀藩の前田公くらいだといいます
から元勲や維新身贔屓関係者らの殿様金持ち(財閥)のオーラ
への蔑視は強いものがあります。
2009/8/17(月) 午後 10:10
やがて明治元勲らも頭の良い試験科挙の若才に専門的な部分を
徐々に任せてしまいますが、任せるとお終いで現役官僚らは省の
OBに蔑ろにし陸海軍大臣は現役軍人でないとなれないように画策し
成功をおさめたときが戦前日本の終わりであったようにも思えます。
日本の科挙も専門・機能集団から身内に甘い共同体に朽果て今も
乾物として腐臭を放っても遠目には腐って見えません。
軍内部でも内乱で権力降下しシナ事変勃発前後から課長や課長補佐が
印鑑を押し皆上役のいう事も聞かない状態で統制統制と言うわりに
無統制極まりない敗戦に陥ったように思えます。
「頭の良い人が日本を救ってくれる」幻想は戦後も今も続きます。
政治家は無能だが日本の官僚は役に立つと考える人は結構
多いのではないでしょうか。
2009/8/17(月) 午後 10:15
解説と片づけ、背を向けるなら、次々に解説を加えましょう。これまでの努力を無にするなんて、問題外です。
レベルが飛躍的に向上したといっても、抜け落ちるポントは、ハッキリしています。‘責任’の軸が欠けることです。
責任を取る者と、責任を判定する者と、責任を取らされた責任内容と、責任を取らせた審議内容、さらに大事なことは、職務責任を巡る責任意識がその組織に根づくこと、この5つの関係が、人間を囲むコクみんコッカ社会のカタチになりますから、‘責任’の理解がまったく、抜ければ、無意味に陥ります。ドキュメンタリーに似た文は、‘責任’がボカされ、このために、このスタイルが悪用されます。
事実と真実は、この最終領域‘責任’に届いて、世代を超える継承が図られれますから、責任の軸が消された講釈は、ナンセンスで無意味ということです。
尊敬心のしかじかと、どんな責任を全うしたかが、両論されなければならないのに、売文増を狙って鍛錬したニッポン文士さんは、→
2009/8/18(火) 午前 0:29 [ georgeyuma ]
→責任を他に転嫁、面会した席で失敗の原因や取らされた責任を正確に訊き出そうとせず、責任を曖昧化する八百長に終始、読者を八百長に乗せて、涼しい顔をみせます。嘘で始まる嘘を、無批判な読み手に、押しつけて終わらせる、そんなム責任が横行しているそれに乗せられ、naomoe3さんの認識も、ハンパに傾き掛けます。そのとき、‘唯々諾々’を使って来ましたが、残念ながら、反応がなく、唯々諾々に与する傾向が、現れました。唯々諾々とは、責任をボカし合う、ということです。
読み手が嘘に加担させられるという、悪の循環が、継続されるわけです。例になった半藤一利さんでは、‘人柄’は申し分なく、仕事は極めて詳細を極めて丁寧なのに、しかしその詳しい中のハンパが、目立って、目障りで仕方がない、そんな印象が話し合われました。
真相認識に必ず踏む轍、後出しの理解から始めるに当たって課せられる、その厳しいルールは、責任の取り方や取らせ方が適切だったどうから始める、その入口を前に、課せられる厳しい責任です。→
2009/8/18(火) 午前 0:40 [ georgeyuma ]
→責任が不明なら、どんな評価や解釈も可能、そんな八百長は印刷されたホンの80%に達すると、ナカマ内で戒め合います。信頼を失った代表的なジャンルが、伝記です。ほめ方、きのひき方、つきはなし方、こんなんののりこえ方などなど、パターンが現れて、伝記は実話に相当しない、そんな評価が多く嵌められます。ニッポンの戦記物は、伝記と似たり寄ったりで、真相を隠す自己弁護が、筋に仕組まれます。
自己弁護を、ありがたく拝聴すると、このような怒りが、触発されます。
これらすべては、シェークスピアが著述しています。お気に召すまま、コメントは、まったく自由です……丈司ユマ
2009/8/18(火) 午前 0:40 [ georgeyuma ]
残暑も厳しいですがユマさんも厳しいです。
お気に召すままとの甘い言葉に誘われ間口の広い入口にいると
問題外と叩かれて暑さのせいもあり発汗が増えます。
伝記作家はその人物を良識者として描くので古代人中世の偉人は
描きやすいでしょうが近代人を描こうとすれば新興宗教の教祖を
称える本に似るのでしょうね。
でもある人物を追うことにより時代の流れを描き又その主人公が
何を考え、何を求め、何を隠そうとうとしたかを追体験できる
ような伝記であれば今後も少なからず読者は残るでしょう。
今でも伝記作家は上場会社の社長の甘すぎる苦労話のゴーストや
堤燈持ちとしてあるていど重宝されているのではないでしょうか。
2009/8/18(火) 午前 8:23
伝記作家は特長も苦労もない人物でもいかに悩み葛藤し小さな勇気を振るったか一部創作も加味しますから売文と割り切るとしても
厭な人物でも良識のある人物に描ける作業はひとつの作家の修行
のひとつでしょう。
現在は巻末の「解説」の各作家同士の最上級の胴上げゴッコかも
しれません。。。
私も読解力の弱い男ですので読書の間口を広げても闇夜に鉄砲です。
尚、未だに小林秀雄さんもシェークスピアも読んでおりません。
何時の日にかとは考えますが。。。
2009/8/18(火) 午前 8:32