涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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1945年2月から3月におこったマニラ市街戦は太平洋戦争最大の
市街戦である。
市街戦の規模も大きいがマニラ市民10万人以上が主に日本軍により虐殺された
とされる闘いでもある。
果たして日本軍が中心となりこれだけの虐殺ができたのだろうか?

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私には日本軍が攻勢をかけたた1937年の「南京虐殺?」、日本軍が防御にまわった
1945年の「マニラ市街戦」、同じく1945年「沖縄住民虐殺」にはある共通点がある
ように思えてくる。
いずれも一般的には住民虐殺に日本軍が積極的に関与しているとされている点である。

ここではマニラ市街戦について考えてみたい。
1945年1月日本軍が3年前に占領していたルソン島に米軍が大挙上陸し
マニラ市で日本軍対米軍(比ゲリラ含む)の間で激しい市街戦が行なわれた。
市街戦での死者の総数は12万人以上とされ、内訳はマニラ市民約10万人以上、
日本軍約1万人以上米軍約1020人前後とされている。

日本軍の総大将山下将軍はマニラ市をオープン(非武装)都市への準備をし20万もの
日本軍をマニラ市から退去させてルソン島内陸部に立て籠もった。
しかし大本営や海軍側の基地港湾要員や栗田艦隊の生残り水兵らで混成されたされた
海軍陸戦隊「マニラ海軍防衛隊」(以下「マ海防」と書く、指揮官・岩淵三次海軍少将)
1万人と野口勝三陸軍大佐の指揮する4千人の合計1万4千名の日本軍は山下大将の
命令に従わずマニラ市に立て籠もった。
どうも日本海軍の陸戦隊は守備拠点から撤退できない不文律が存在していたようだし、
市街戦で当然おこるであろう戦闘による住民被害を考慮しなかったようだ。

日本海軍は懲罰的な人事として軍艦が沈む時に脱出した艦長をその後、
死地に投じたり遠方に流す悪癖があった。
岩淵少将は2年半前のガダルカナル島争奪戦における第三次ソロモン海戦において
戦艦霧島艦長として米新型戦艦サウスダコタ、ワシントトンの2戦艦と一対二の
砲撃戦を繰りひろげた日本海軍では唯一の戦艦の艦長である。
艦齢も古く防御力も劣りレーダーも装備してない戦艦霧島はサウスダコタに探照灯を
照射し命中弾数発?を与え、サウスダコタの上部構造物を破壊し遁走させたものの
残る一艦ワシントンからのレーダー照準射撃をまともに受け霧島を沈没させた事が
人事の汚点となったようだ。
日本海軍でただ一人、米新戦艦と闘い抜いた大きな経験値を持つ老練な艦長を艦を
見捨て(生還した)たからとマニラ防衛隊の指揮官として不慣れな陸戦の指揮官に
起用した日本海軍の人事については考えさせられる点が多い。
岩淵少将は2月26日にマニラ市内にて自決するが部下には徹底抗戦を中止し
その時点で生き残っていたマ海防隊員にはマニラ市からの脱出を命じている。
少し似たケースミッドウェーで敗者となった南雲中将も日本軍の死守すべきサイパン島の
名目的な指揮官とされたが最後は玉砕した。


1945年1月ルソン島に上陸した米軍はマニラ市奪回を最優先するが、日本海軍
マ海防が頑強に市内に立て籠もっている事に手を焼き徹底的な砲爆撃を加えた。
マ海防はマニラ市からの脱出は困難であり自暴自棄になってマニラ市民を虐殺したと
されているがマニラ市に立て籠もったマ海防や陸軍部隊の3分の一は戦闘後に
マニラ市から脱出しており、全て日本軍による虐殺とみるのはかなり無理がある。

マニラ市民(当時の人口70万人)の大半はたしかに日本軍を憎み、米軍側に協力的であった。
又多数のフィリピン人ゲリラ部隊(米式装備)も米軍接近前よりマニラ市の日本軍と戦っていた。
日本軍から見れば多くのマニラ市民は米軍のスパイや協力者と映ったに違いない。
普通首都クラスの大都市の市街戦になるとビル等の建物をひとつひとつ破壊
攻略するので時間がかかる。
米軍は日本軍の反撃、特に小銃狙撃を恐れ、又マッカーサーの個人的野心の観点からも
マニラ市攻略を急ぎ日本軍の小火器圏外から大規模かつ過剰な砲爆撃を行なった。
尚、マニラ市のオープン化をめざしていた日本軍(陸軍)は米軍捕虜の立て籠もる
捕虜収容所も解放しようとしたが米軍捕虜(捕虜収容者数約1万人)から食料自給が
できないからと収容所管理を逆要望されたりもしている。
脱出不可能で混乱した日本軍は何故1万といわれる捕虜を殺害しなかったのか?
日本軍は殺そうと思えば簡単に殺害できる米比人捕虜を殺さずマニラ市民ばかり
を狙って殺そうとしていたのかとの疑問が残る。

マニラ市民は米軍に率先して日本軍と闘い、後から米軍による解放を期待したが
米軍は日本軍にもマニラ市民にも平等に沖縄戦と同様に鉄の暴風を見舞ったのだ。

マニラ市占領後、其の余りの惨状に驚愕したマッカーサー将軍は今後の自身の昇進に
不利と考え、終戦半年前からマニラ大虐殺のスケープゴートに山下大将を選考していた。
山下大将は終戦後「「私は知らなかった。しかし、私に責任がないとは言わない」
と潔く1946年2月東京裁判開廷より早く現地で囚人服のまま刑死に処されられる。

マッカーサーは戦後も日本進駐軍の最高責任者に君臨し時期大統領選も視野に入れており
米陸軍公刊戦史の自分の戦った部分のいち早い刊行を部下や関係者に促した。
米陸軍公刊戦史は全77巻で内太平洋戦域関係の11巻は1949年から公刊されていくが
マッカーサー自身が一番成果をあげその功績を待望していたはずの第10巻
「フィリピンでの勝利」は何故か遅れに遅れ刊行は1963年であった。
(マッカーサー元帥は1951年退役、1964年に死亡)
それほど米国にとってもマニラ市街戦(住民虐殺)はタブーとされたのではないだろうか。
もしかするとマッカーサー自身が引退後は自身の不名誉と考え公刊を遅らせるように動いた
かも知れないし戦後の米比関係に水を注さないよう米国の誰かが故意に公刊を遅らせたと
私は想像する。
マニラ市街戦は米軍主犯説という視点にたてば沖縄戦での住民虐殺は日本軍より侵攻した
米軍が主犯となってくるのではなかろうか?
立て籠もった日本軍と火砲や爆撃で攻め続けた米軍とでは総合火力が
桁違いに違うのである。

私は全くマ海防を中心とした日本軍がマニラ市民を全く虐殺しなかったとは思わない。
しかし、死者数の数字はマニラ市街戦での死者数は米軍1020人、日本軍約1万人、
マニラ市民10万人以上という数字をどう理解すればいいだろうか。

閉じる コメント(23)

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やっぱマ−君はろくな奴じゃなかったみたいですね、
只の腰抜けくらいにしか思ってなかったですが、人間のする事
って愚かですね、同じ立場だったら同じ事するかも知れません
がフィリピンゲリラに惨殺された日本兵の方達の事を思うと辛い
です...

2009/6/8(月) 午前 10:32 [ blu*ru*ner1*0x*h ]

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キタさん おはようございます。
ヨイショでもコラショでも構いません。
ありがとうございます。(笑

2009/6/9(火) 午前 6:11 naomoe3

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ひでりょうさん おはようございます。
実は私も正確な死者数は判りません。
フィリピン全体で日本軍は50万人近く死んだそうです。
終戦までの10ヶ月間にこれ程の兵士が無くなった戦域を
私はしりません。
私の祖父(母方)もルソン島で戦史ですが位牌も何も
戻りませんでした。

2009/6/9(火) 午前 6:16 naomoe3

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マシュさん おはようございます。
スターリングラード半年、レニングラード2年以上と大都市の
市街戦はかなり攻略に時間がかかるようです。
後藤少佐については調べてみたいと思います。
尚、マニラを脱出した海軍部隊は終戦までに奥地でも住民虐殺を
繰り広げています。
「狂気―ルソン住民虐殺の真相」友清 高志という本に当時の事が書かれています。

2009/6/9(火) 午前 6:47 naomoe3

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ナカ爺ィさん おはようございます。
マー君は戦争がはじまり日本の本間中将指揮下の日本軍が比島に
上陸すると家族犬を連れ比島から魚雷艇で脱出しています。
終戦後は自分の勇敢?な経歴をキズつけた本間中将も勝手な
軍事裁判で刑死(法務死)させて復習しています。
朝鮮戦争では膠着化すると原爆投下を進言し更迭されています。
はっきり言ってロクな男じゃありません。

2009/6/9(火) 午前 6:53 naomoe3

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アメリカ軍の兵士は、マニュアルどおりの対応であったと思われます。本人達には虐殺という意識はないと思います。聞くところによると、いまでもマニュアル(業務分掌)にない仕事はできないと聞きます。(あくまでも聞いた話です。)

また、決して間違いを認めないのも民族性であると思います。沖縄では、米兵が100%過失ある交通事故を起こしても、MPがくるまでは「私は悪くない」としか言わないそうです。

マリラで日本軍が住民を人間の盾にしていれば納得もしますが、フィリピン政府の公表しているマニラの戦没者数は、正直疑問です。

ただし、大局的に見た場合、日本軍が善行のためにフィリピンを開放(占領)したのかは疑問です。

2009/6/9(火) 午後 7:46 [ kushinakayone ]

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くどくてすません。沖縄のyoneです。
掲載されておりますマニラの写真を見る限り、コンクリートか石造の建物ですが、沖縄那覇・首里の都市部ではほとんどが木造でした。

マニラ・レニングラードの市街戦という定義で沖縄を同じカテゴリにすることは、違うと思ような気がしますが。

2009/6/9(火) 午後 7:58 [ kushinakayone ]

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yoneさん こんばんは
米軍のヒロシマ、ナガサキの原爆搭載機の生き残り乗員が皆、
毎年8月「私は義務を果たした」と真面目顔で語りますがまさに仰るとおりで「自身の過ち」は認めません。
米人の場合良心と良識(米国からみた)という二重基準で良心の
呵責から解脱できます。
日本軍の心ならずも虐殺に関わった兵士の葛藤は「良心」と
上からの「命令」との間での逡巡だったではないでしょうか。
日本の兵士の方が自虐的過ぎるくらい良心的だと思いますよ。
私も比政府が一時期主張した太平洋戦争での比人の戦没者
110万人は実は過大でなかろうかと推察しますが中国の主張する
数千万人よりは現実的な数字でもあろうと思います。
ルバング島から生還した小野田少尉の分隊だけでも戦後島民を
100人近く殺傷したともいわれてますから。

2009/6/9(火) 午後 9:06 naomoe3

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私のほうこそ言葉(説明)たらずですいません。
沖縄の場合市街戦(首里決戦)というより南部へ後退後の県民を
まきこんだ「鉄の暴風」とマニラ市街戦での市民虐殺の両方の主犯が
ほぼ全て日本軍では?との考えに異をとなえたつもりでした。
私は比島でも沖縄でも日本軍が住民虐殺をしていないとは思いません。
数字はわかりませんが実際は虐殺や集団自決示唆を行ったと思っています。
でも現場(戦場)にいた日本軍だけが悪いのではなく「生きて虜囚の辱めを受けず」と唱えた「先陣訓」制定に問題があったように思えます。 沖縄では兵士も県民も「先陣訓」の悪影響を受けていたと思います。
それと士気も低下し部隊も壊滅し指示系統もなくなって個人商店化した食料もない人肉まで食らっていた兵士に最低の規律道徳を今の基準で求める事も無理があるのではないかと思います。
酔ったコメントですいませんが叉意見交換できれば幸いです。

2009/6/9(火) 午後 9:22 naomoe3

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とんでもありません。意見交換いつまでももお願いいたします。

私も多少酔っております。言いすぎでしたらすみません。(苦笑)

2009/6/9(火) 午後 10:05 [ kushinakayone ]

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>日本軍は殺そうと思えば簡単に殺害できる米比人捕虜を殺さずマニラ市民ばかりを狙って殺そうとしていたのかとの疑問が残る。
私も疑問です。米軍捕虜を解放しマニラ市を無血開城しようとした日本軍が10万人の市民を虐殺するはずがありません。

2009/6/11(木) 午後 11:44 [ たけし ]

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yoneさん 昨日は大阪日帰り出張でしたが福岡空港を
離陸する時、滑走路を離陸に向け滑走中に計器故障で
取りやめ修理に手間取り機材交換となりました。
かなりヒヤリとしました。

2009/6/13(土) 午前 6:38 naomoe3

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takeshihayate さん 私は追い詰められ自暴自棄になった日本軍の
虐殺も否定しませんが10万人以上といわれる市民死者の過半は
米軍の圧倒的な無差別砲爆撃だと解釈しています。

マニラ市民も3年前の太平洋戦争開始時の日本軍によるマニラ市無血占領のイメージがあったのでここまで日本軍が拠点守備に固執し
叉米軍の凄まじい砲爆撃を予想できなかったのかもしれません。

2009/6/13(土) 午前 6:44 naomoe3

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kushinakayoneさんが書かれている様に 私も善行の為のみに進行したとは思いませんが 南方資源の確保のためにマニラの占領は必要だったと思います
マニラの住民虐殺は 米軍上陸時の空襲艦砲射撃の巻き添えの可能性が大だと思います 日本軍は住民を惨殺する余力が有ったとは思えません 住民を放置したと言う責任は有るかも知れません

2009/6/14(日) 午前 10:17 [ テラノ助 ]

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テラノ助さん フィリピンは米国により独立が約束されてましたし
スペインの支配よりは、米国風の支配に馴染んでいたので日本の軍政
とも馴染まなかったのでしょうか。
開戦前の日本は「英米一体で不可分」と看做したようですが
独ソ戦前なら英蘭にだけ宣戦布告する事もできたのではないでしょうか? 第一次世界大戦時で表向きは日本だけが傷つかないまま列強勝利国となりましたが、列強で日本だけが石油獲得に失敗し国内最大の消費者日本帝国海軍は20年以上仮想敵国の米国から石油を買い続け
けながら不毛な漸減作戦を教条化し練ってましたがフィリピン側からみると日本の石油獲得の為占領されても納得はできなかったでしょう。 フィリピンでは日本兵は20万人以上餓死戦病死してますから
住民を放置というより日本兵が棄兵、放置されたようなものだと思います。

2009/6/14(日) 午後 4:24 naomoe3

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いやあ、これもよくできていますね。
僕は山下・本間に関する本を読みました。
またマッカーサーの野望も調べました。


話は変りますが米軍は蛙飛び作戦をしています。
ならばフィリピンはほっておけばよかったのです。
でもそれはできませんでした。
親日政権による独立フィリピンをつぶさなければならなかったからです。
マッカーサーの個人的な野望からでた作戦です。

それと虐殺現場にいたとされる日本兵、生き残りの証人がいないそうです。
戦犯となったのは捕虜収容所関係のひとたちばかり。

これこそあやしいですね。

今後の活動を期待しています。

2009/6/15(月) 午前 0:13 ure*ruh**oshi

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話は変ります。
実は鈴木明の「まぼろしの東京五輪」を読みました。
驚いたのはフィリピンってすごい親日の国でしたのですよね。

戦後反日の国フィリピンと思ってましたが、フィリピン人の親日熱はかなりのもので、僕自身とまどいました。

先日不法入国した一家が話題となっていましたが、彼らからすれば日本は天国みたいです。

とするならば日本とフィリピンの仲を裂いていたのはもしかして米軍・マッカーサーではなかったかと思いました。

2009/6/15(月) 午前 0:20 ure*ruh**oshi

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ヒロシさん 日本侵攻ルートには海軍の中部(マリアナ、硫黄島)とマッカーサーのパプア、フィリピンの南方ルートが
あったようですね。
日本も東亜会議など開き傀儡ながらフィリピンを独立
させていたのでマッカーサーや陸軍は比島を無視でき
なかったんでしょうね。
比島に来ず台湾に上陸すれば蛙飛びし沖縄戦は生起しなかったかもしれませんね。

「まぼろしの東京五輪」は読んだ事がありません。
鈴木さんの南京関連本は30年くらい前に読みました。
日本の駐在米軍は未だでていきませんがフィリピンでは
アキノ政権時「米軍出て行け!」民衆が騒ぎ米軍はグアムや
沖縄に後退しましたから日本もフィリピン国民から学ぶ点は
あるのかもしれませんね。

2009/6/15(月) 午後 6:56 naomoe3

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ロッセリーニ監督の「戦果のかなた」と言う、1946年作のイタリア映画があります.
オムニバスで、ナポリの少年の話が描かれるのですが、アメリカ軍が、艦砲射撃によってナポリをめちゃくちゃに破壊してしまった出来事が描かれています.
着弾観測用の気球をいくつも上げて、艦砲射撃を行うシーンは実写なのかもしれません.
硫黄島に上陸したアメリカの兵士で、犠牲者の半数は自軍の、迫撃砲、艦砲射撃よるのではないかと思うと言っている人がいました.
日本兵による虐殺を否定するつもりはありませんが、アメリカ軍のやりかもひどいのは間違いないはずです.

2013/3/20(水) 午後 9:06 [ ルミちゃん ]

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8/21(木) 午後 8:49の内緒さん
はじめまして

マニラ市街戦(虐殺)について書かれた本は
多くありません。
ワタシが目を通した本は
マニラ海軍陸戦隊 (1969年) 児島 襄
捷号陸軍作戦(2)ルソン決戦(1972) 戦史叢書60巻
ルソン死闘記 語られざる戦場体験(1973)友清 高志
ルソン死闘記はマニラ市以外での戦闘や虐殺に触れています。

2014/8/23(土) 午前 7:31 naomoe3


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